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開目抄 下




28  起後(きご)の宝塔(ほうとう)の羲を明かす


又、法華経に入ってからもろもろの大菩薩も、
大梵天王、帝釈天王、日天子・月天子、四大天王達も教主釈尊のお弟子であると
定まったのです。

ですから法華経見宝塔品(けんほうとうほん)では、
これらの大菩薩を釈尊は我が弟子達であると思われたから、諌(いさ)め諭(さと)して
「もろもろの大衆に告げる。
我が滅後の後、誰がよくこの法華経を護持(ごじ)し読誦するであろうか。
いま仏の前において、自ら滅後の弘教を誓う言葉を述べよ」
と強く仰せ下したのです。

それを聞いたもろもろの大菩薩も又、
「たとえば大風が小さな木の枝を吹きなびかす様なものである」
等と経文にある様に、
吉祥草(きちじょうそう)が大風に随(したが)いなびき、
河の水が大海へ引かれ入る様に、釈尊に随い申し上げたのです。

けれども、迹門では霊鷲山(りょうじゅせん)における説法もまだ日が浅いので、
夢の様にはっきりしない状態でしたが、
迹門を証明する証前(しょうぜん)の宝塔(ほうとう)についで、
本門を説き起こす紀後(きご)の宝塔があって、
十方世界の諸仏が集まりやって来ました。
それらを釈尊は皆我が分身(ふんじん)であると宣言され、
宝塔は大空にかかり、その中に釈迦仏と多宝仏が坐(ざ)を並べて坐(すわ)られました。
その有様は太陽と月が晴れた天空に並び出た様でした。

説法の会座に集まった人界・天界の大衆は大空にあって星の様につらなり、
釈尊の分身(ふんじん)の諸仏は、
大地の上の宝珠のもとにある獅子の床にすわっておられました。

華厳経に説く蓮華蔵(れんげぞう)世界は、
十方世界の報身仏(ほうしんぶつ)も娑婆世界の報身仏もそれぞれ各々の国土にいて、
かの十方世界の仏はこの娑婆世界にやってきて分身と名のる事はなく、
この娑婆世界の仏はかの十方世界へ行く事もなく、
ただ法慧(ほうえ)らの大菩薩だけが互いに会座にやって来ただけでした。

大日経に説かれる八葉(はちよう)の蓮華上の九尊(くそん)、
金剛頂経(こんごうちょうきょう)に説かれる三十七尊などの仏・菩薩は、
大日如来の化身であるとは見えますが、その化身は法身・報身・応身の三身を
完全に備えた久成の古仏ではありません。

大品般若経(だいぼんはんにゃきょう)に説かれている千仏も、
阿弥陀経(あみだきょう)の説法のとき六方に出現した諸仏も、
いまだこの世界に来集した分身仏ではありません。

大集経(だいしゅつきょう)のときに来集した十方の諸仏もまた分身仏ではありません。

金光明経(こんこうみょうきょう)に説かれている四方の四仏は化身です。

この様に総じて一切経の中には
それぞれ各自に修行をして仏になった三身円満の諸仏を集めて、




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我が分身であるとは説かれていません。
従って分身の諸仏が来集した宝塔品は、後に説かれる本門寿量品の遠い序分なのです。

始めて正覚(しょうがく)を成じてから四十余年しか過ぎていない釈尊が、
一劫・十劫などはるか以前に成仏した諸仏を集めて、我が分身であると説かれました。

このことはさすがに、諸仏は全て平等であるという平等意趣(いしゅ)にも似ておらず、
非常に驚くべき事です。

また釈尊が始成正覚(しじょうしょうがく)の仏であるならば、
教化される弟子が十方世界に充満しているはずがありませんから、
分身を示現(じげん)する徳が備わっていたとしても、
実際に示現して利益(りやく)する事はありません。

天台大師は「法華玄義」に
「分身はすでに多い。この事から、釈尊が成仏してから久しいという事を知るべきである」
等と言っています。

これは会座の大衆が驚いた気持ちを述べられたものです。


29  地涌出現を明かす


そのうえに涌出品では地涌千界の大菩薩が大地より出現しました。

釈尊にとって第一のお弟子と思われた
普賢(ふげん)菩薩・文殊師利(もんじゅしり)菩薩らに似てもつかない立派さです。

華厳・方等・般若の諸経や、法華経の宝塔品などに来集した大菩薩、
又、大日経などに説かれる金剛薩埵(こんごうさつた)ら十六の大菩薩なども、
この地涌の菩薩に比較すれば、猿の群れの中に帝釈天が来られたようなものであり、
きこりなど山中に住む人々の中に公卿がまじわっているのと異なりません。

釈迦仏の後を継ぐべき弥勒(みろく)菩薩でさえなお、
地涌の菩薩の出現には戸惑っていました。
ましてやそれ以下の菩薩達の驚きようは言うまでもありません。

この千世界を粉にしたほど多くの地涌の菩薩の中に、四人の偉大な聖人が居られます。
いわゆる上行(じょうぎょう)菩薩・無辺行(むへんぎょう)菩薩・
浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩です。

この四人の大菩薩は、虚空会(こくうえ)・霊山会(りょうぜんえ)に集まっていた
諸々の菩薩達が眼を合わせる事も出来ず、心に及びもつかない程の立派さでした。

華厳経の法慧(ほうえ)・功徳林(くどくりん)・金剛幢(こんごうどう)・
金剛蔵(こんごうぞう)の四菩薩、
大日経の普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)・弥勒(みろく)・観音(かんのん)の四菩薩、
金剛頂経の十六の大菩薩たちも、
この地涌の菩薩に対すれば、かすんだ眼の者が太陽を見ても真っ直ぐ見られない様な、
又、身分の卑(いや)しい海人(あま)が皇帝に向かい奉(たてまつ)っても
まともに仰ぎ見る事が出来ない様な有り様でした。

それは太公望らの四人の聖人(尹寿・務成・太公望・老子)が大衆の中にいるのに似ています。
又、商山の四人の賢人が漢の恵帝に仕えたのに異なりません。
その姿は実に堂々として尊く崇高でした。

釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏を除いては、
この四大菩薩こそ一切衆生の善知識とたのみ奉るべきでしょう。

そこで弥勒菩薩が心に思われた事は、
「我は釈尊が、悉達太子(しつたたいし)であられた時より、三十歳で成道し、
今の霊山会に至るまでの四十二年の間、この娑婆世界の菩薩も、
十方世界から集まりやってきた諸々の大菩薩も全て知っている。
又、十方の浄土や穢土(えど)へ、あるいは仏の御(おん)使いとして、
あるいは自身で遊戯(ゆうげ)して、その国々において大菩薩らを見聞した。
(しかし、この地涌の菩薩は未だ見た事がない)
この地涌の菩薩の御師(おんし)というのはどの様な仏であろうか。
きっと釈迦仏・多宝仏・十方の分身の仏とは比べようも無い立派な仏であられる事であろう。
雨が激しく降るのを見て、その雨を降らせる竜の大きい事がわかり、
蓮の花が大きいのを見て、その池の深い事を知るのである。
これら地涌の大菩薩は何という国からやって来られたのであろうか、
又、何という仏にお会いし、どのような大法を習い修められたのであろうか」
と疑いました。

あまりの不思議さに声を出す事も出来ませんでしたが、
仏力でしょうか、弥勒菩薩は疑って釈尊に尋ねました。
「大地より涌き出た無量千万億(むりょうせんまんのく)という大衆の諸々の菩薩は、
昔より未だかつて見た事がありません。




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この諸々(もろもろ)の、大威徳を具(そな)え、仏道修行を積んだ菩薩達は、
だれがこの菩薩たちの為に法を説いて教化し、仏道を成就させたのでしょうか。
誰に従って初めて発心し、どのような仏法を称賛・宣揚したのでしょうか。
世尊よ、私は昔より以来、未だかつてこのような事を見た事がありません。
どうかその住んでいる国土の名前を説いてください。
私は常に諸々(もろもろ)の国に遊戯(ゆうげ)しましたが、
未だかつてこのような事を見たことがありません。
私はこの菩薩達の中の一人すら知りません。
突如として大地より出現しました。
どうかその因縁(いんねん)を説いて下さい。」
等と。

天台大師はこの経文を解釈して「法華文句」に次のように述べています。
「寂滅道場(じゃくめつどうじょう)における最初の説法より以降、
今の法華経の会座に至るまで、十方世界の大菩薩が会座に来集する事は絶えなかった。
その数は限りないといっても、
我弥勒は、釈迦仏の後を継ぐべき菩薩としての智慧の力をもって、ことごとく見、
全て知っている。しかし、この菩薩たちにおいては一人も知らない。
ところが、我は十方世界に遊戯して諸仏に目の当たりお会いして奉仕し、
大衆に快(こころよ)く知られているのだが」
等と。

妙楽大師はさらにこれを解釈して「法華文句記」に
「智人は物事の起こりを知り、蛇は自らの事をよく知っている」
等と言っています。

この経文とそれを解釈した文の意味は明らかです。
つまるところ、釈尊が初めて成道してより今に至るまで、
この国土及び十方の国土で、弥勒菩薩はこれら地涌の菩薩を見た事も、
その名を聞いた事もないという事です。


30  略解近顕遠(りゃっかいごんけんのん)を示す


釈尊は弥勒菩薩のこの疑いに答えて涌出品で次の様に言われました。
「阿逸多(あいつた=弥勒の事)よ、
汝達が昔より未だ見た事がないというこれらの菩薩は、我がこの娑婆世界において
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得終わって、
からこの諸々の菩薩を教化し指導して、
その心を調伏し仏道を求める心を起こさせたのである。」
等と。

又、同じく涌出品で次の様に言われました。
「我は伽耶城(がやじょう)の菩提樹のもとに坐して最上の悟りを成就する事を得て、
無上の仏の教えを説き、
そしてこれらの菩薩を教化して初めて仏道を求める心を起こさせた。
今は皆、不退転の位に住している。
我は久遠の昔よりこのかた、これらの菩薩達を教化してきたのである。」
等と。

ここに至って弥勒らの大菩薩は大いに疑い思いました。

華厳経の時には法慧菩薩ら無数の大菩薩が集まりました。
どの様な人々だろうと思うと、釈尊は我が善知識であると仰せられたので、
きっとそうだろうと思いました。

その後、大集経(だいしゅつきょう)を説いた大宝坊、
大品(だいぼん)般若経を説いた白鷺池(びゃくろち)などの会座に集まってきた大菩薩も又、
善知識の様に思われました。
しかし、この地涌の大菩薩は、かの菩薩らに似てもつかない程立派であられます。

きっと釈尊の御師匠であろうかなどと思われたのに、
「初めて仏道を求める心を起こさせた」
と言って、幼稚な者達であったのを、教化し弟子としたのである、
などと仰せられたので、大きな疑問となったのです。

日本の聖徳太子は人王(にんのう)第三十二代、用明天皇の御子です。

御年六歳の時、百済(くだら)・高麗(こま)・中国から老人達が
学問・技芸などをもって日本へ渡ってきたのを、
六歳の聖徳太子は、「我が弟子である」と仰せられると、
かの老人達もまた合掌して、「我が師匠です」と言ったそうですが、
不思議な事です。

外典の中にも次の様にあります。
ある人が道を行くと、道路のほとりで年三十歳ばかりの若者が、
八十歳ばかりの老人を捕らえて打っていた。

いったいどうした事かと問うてみると、
若者は、この老人は我が子であると答えた、




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とあるのに似ています。

そこで弥勒菩薩らは疑って尋ねました。
「世尊よ、如来は太子であった時に、釈迦族の首都 迦毘羅(かぴら)城を出て、
伽耶(がや)城を離れる事それほど遠くない道場に坐して
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成ぜられました。
それより以来、はじめて四十余年を過ぎたにすぎません。
世尊よ、どのようにしてこのわずかの間に、大いなる教化をなされたのですか。」
等(法華経涌出品)と。

一切の菩薩は、始めの華厳経より四十余年の間、会座ごとに疑いを設けて、
一切衆生の疑いを晴らしてきました。
その中でもこの疑いは第一の大きな疑問でしょう。

無量義経において大荘厳(だいしょうごん)菩薩ら八万の菩薩が、
四十余年の間に説いた爾前経と、今説いている無量義経との間には、
歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)と速疾頓成(そくしつとんじょう=即身成仏の事)
の差があると説かれた時に抱いた疑いにもはるかに越えています。

観無量寿経において、阿闍世王(あじゃせおう)の母・韋提希(いだけ)夫人が、
阿闍世王が提婆達多に騙されて父の頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)を監禁して餓死させ、
さらに母の韋提希夫人をも殺害しようとしましたが、
耆婆(ぎば)と月光(がっこう)の二人の大臣に諌められて母を解き放した時、
まず第一の質問をしました。
「私には、昔どんな罪があって阿闍世の様な悪い子を産んだのでしょうか。
世尊はまたどの様な因縁があって提婆達多の様な悪人と眷属になられたのでしょうか。」
等と。

この疑いの中に
「世尊はまたどの様な因縁があって」
等という疑いは大変に大事な事です。

正法をもって世を治める
転輪聖王(てんりんじょうおう)は怨敵と共には生まれません。
帝釈天王は鬼と一緒ではありません。
仏は無量劫というはるか昔より大慈悲の方です。
それなのにどうして提婆達多の様な大怨敵と共に居られるのでしょうか。
これではかえって仏ではあられないのでしょうか、
と疑ったのです。

しかし、釈尊はこの疑いに答えられませんでした。

ですから、観無量寿経を読誦する人は、法華経の提婆品へ入らなければ、
仏はその答えを出されていないのですから、無駄な事になるでしょう。

大涅槃経において迦葉(かしょう)菩薩が行った三十六の疑問も、
今の弥勒菩薩の疑いにはおよびません。
その様な状態ですから、釈尊はこの弥勒の疑いを晴らされなかったならば
釈尊一代に説かれた聖教(しょうぎょう)は水の泡と同じであり、
一切衆生は疑いの網にかかって逃れられないでしょう。
その疑いに対して釈尊が答えられたのが寿量品なので、
寿量品の一品は非常に大切なのです。


31  広開近顕遠(こうかいごんけんのん)を示す


その後、釈尊は寿量品を説いて次の様に言われました。
「一切の世間の天界・人界の衆生および阿修羅は皆、
今の釈迦牟尼仏は釈迦族の首都カピラ城を出て、伽耶城(がやじょう)を離れる事
それ程遠くない道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得られた、
と思っている」
等と。

この経文は、始め寂滅(じゃくめつ)道場で説いた華厳経より
最後の説法である法華経の安楽行品に至るまでの一切の大菩薩達が
知っているところをあげたものです。

続いて同じく寿量品で
「ところが善男子(ぜんなんし)よ、我、実に成仏してよりこのかた、
無量無辺百千万億那由佗劫(むりょうむへんひゃくせんまんのくなゆたこう)
を経ているのである」
等と説かれました。

この文は、華厳経の
「三ヵ所に説かれている始めて正覚を成ず」の文、
阿含経にいう「初めて成道す」の文、
浄名経の「始め仏樹に坐し」の文、
大集経にいう、「始めて十六年」、
大日経の「我、昔道場に坐して」の文など、
更に仁王経の「二十九年」、
無量義経の「我、先に道場に」、
法華経方便品にいう「我、始めて道場に坐して」などの文を、
一言のもとに大虚妄(だいこもう)であると打ち破る文です。




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32  脱益(だっちゃく)の三徳を明かす


この文によって釈尊が過去から常住であった事が明らかになるとき、
諸仏は皆、釈尊の分身になります。

爾前経や法華経の迹門の時は、
諸仏は釈尊と肩を並べて各々の修行をして悟りを得た仏でした。
こういう訳で爾前や迹門の諸仏を本尊とする者は釈尊等を蔑(さげす)んでいます。

ところが寿量品が説かれた今は、
華厳経の台上の盧遮那仏(るしゃなぶつ)も、
方等経・般若経・大日経などの諸仏も皆釈尊の眷属になります。

釈尊が三十歳で成道された時には、
大梵天王や第六天の魔王らが所有し支配していた娑婆世界を奪い取り
釈尊の国土とされました。

しかし今は、爾前経や迹門において十方の世界を浄土と名づけ、
この娑婆世界を穢土(えど)であると説かれたのをうち翻(ひるがえ)して、
この娑婆世界は本土であり、十方の浄土は垂迹の穢土となりました。

寿量品の仏は久遠の本仏なのですから、
迹化の大菩薩も他方の国土の大菩薩も久遠の本仏である教主釈尊のお弟子です。

一切経の中に、この寿量品がなかったなら、
天に太陽と月ががなく、国に大王がんsく、山河に宝珠がなく、
人間に魂がない様なものです。
それなのに、華厳宗や真言宗などの権宗(ごんしゅう)の智者と思われている
澄観(ちょうかん)・嘉祥(かじょう)・慈恩(じおん)・弘法らの、
一往権宗の人々は、
それぞれ自分達のの依(よ)りどころとしている経を賛嘆する為に、
あるいは華厳宗では
「華厳経の教主は報身如来であり、法華経の教主は応身(おうじん)如来で劣っている」
と言っています。

あるいは真言宗では
「法華経寿量品の仏は未だ無明惑を断ち切っていない境界であり、
大日経の仏は明(みょう)の分位(ぶんい)、即ち悟りを得た境地である」
等と言っています。

雲は月を隠し、讒臣(ざんしん)は賢人を隠すと言います。
人々が褒(ほ)め称(たた)えれば、ただの黄色い石も宝石の様に見え、
媚(こ)び諂(へつら)う人も賢人かと思われるものです。

今末法の濁悪(じょくあく)の世の学者らは、
先にあげた澄観(ちょうかん)らの誹謗の言葉に隠されて
寿量品の玉を大切にしていません。

又、法華経を依経とする天台宗の人々さえも彼らに誑(たぶら)かされて、
爾前経と法華経とを、黄金と石を同一とする様な考えでいる人々もいます。

仏が久遠実成の仏であられないならば、
化導をうける弟子も少ない事を弁(わきま)えるべきです。

月は影を映す事を惜しみませんが、水がなければ月影は映る訳がありません。
仏が衆生の結縁(けちえん)が薄い時は、仏は八相を現じない、
即ち出現されません。

例えば、諸々の声聞が、修行して初地(しょじ)・初住(しょじゅう)まで上っても、
爾前経にあっては自分の悟りを得る為の修行だけで他を利する行がありませんでした。

従って済度(さいど)すべき縁のある衆生がいないので、
現世では成道せずに未来の成仏を期す様なものです。

ですから、もしも教主釈尊がインドで成仏した始成正覚の仏であるなら、
今この娑婆世界の梵天や帝釈、日天や月天、
四天王などは住劫(じゅうこう)の最初よりこの国土を領しているといっても、
釈尊には四十余年来の仏弟子にしかすぎなくなってしまいます。

そして霊山会(りょうぜんえ)八年間の法華経に結縁した衆生が、
新参の主君である釈尊になじまず、
梵天・帝釈らの古参の者に隔(へだ)てられ遠慮している様なものです。

しかし、今久遠実成が現れたので、
東方世界の薬師如来の弟子である日光(にっこう)菩薩や月光(がっこう)菩薩、
西方阿弥陀如来の弟子である観音菩薩や勢至(せいし)菩薩、
あるいは十方世界の諸仏の弟子、大日経・金剛頂経などの
両部の大日如来の弟子である諸大菩薩なども、全て教主釈尊のお弟子となりました。

諸仏が釈迦如来の分身である以上は、
諸仏の化導する弟子が釈迦如来の弟子である事は言うまでもありません。
ましてや、この娑婆世界の住劫の最初より住んでいる日月・衆星などが
教主釈尊のお弟子でない訳がありません。




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33  本尊に迷うを呵責(かしゃく)し正しく下種の父を明かす


ところが、天台宗以来の諸宗は皆本尊に迷っています。

倶舎(くしゃ)宗・成実(じょうじつ)宗・律宗は
小乗の三十四心断結成道の釈尊を本尊としています。

これは天尊の太子が迷って、我が身は民の子であると思っている様なものです。

華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗などの四宗は大乗教の宗派です。

その中の法相宗・三論宗は勝応身に似た仏を本尊としています。
これは天王の太子が我が父は侍(さむらい)であると思っている様なものです。

華厳宗・真言宗は釈尊を蔑(さげす)んで
盧舎那仏(るしゃなぶつ)の大日如来などを本尊と定めています。
これは天子である父を蔑(さげす)み、素性もない者が法王の様に見せかけているのに
付き従っている様なものです。

浄土宗は釈尊の分身(ふんじん)である阿弥陀仏を、
この娑婆世界に有縁(うえん)の仏だと思って、教主釈尊を捨ててしまいました。

禅宗は、下賤(げせん)の者が自分に一分の徳があって、
それをもって父母を蔑(さげす)んでいる様なもので、仏と経を下しています。

この様に各宗派は皆本尊に迷っています。
例えば中国古代の三皇時代以前は父を知らず、
人々は皆禽(とり)や獣(けもの)と同じであった様なものです。
寿量品を知らない諸宗の者は畜生と同じで不知恩の者です。

ですから妙楽大師は「五百問論」に
「釈尊一代の仏教のうち、寿量品を除いては未だ嘗(かつ)て仏の長遠な寿命を表していない。
子として父母の寿命を知らなければならない。
もし父の寿命の長遠を知らなければ、父の統治する国に迷うのである。
悪戯(いたずら)に才能があるといっても、それではまったく人の子ではない」
等と言っています。

妙楽大師は中国・唐時代の末の天宝年中の人です。
三論・華厳・法相・真言などの諸宗の教義、及び依りどころとする経を深く見、
ひろく考えた結果、寿量品の仏を知らない者は
父の統治する国に迷っている才能ある畜生であると書かれたのです。

「いたずらに才能があるという」とは、
華厳宗の法蔵・澄観(ちょうかん)及び真言宗の
善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)らの事であり、彼らは才能ある人師(にんし)ではあるが、
子が父を知らない様なものであるという事です。

伝教大師は日本における顕教(けんぎょう)と密教の元祖です。
その伝教の著した「法華秀句」に
「他宗が依りどころとしている経は諸仏能生の義が一分はあると言っても、
それはただ愛(母の徳)だけがあって厳(ごん)の義(父の徳)を欠いている。
天台法華宗は厳愛(ごんない)の義を具(そな)えている
だから、一切の賢人・聖人・学ぶべき事のある者・学ぶべき事のない者、
及び菩薩の心を起こした者の父である」
等とあります。

真言宗や華厳宗などが依りどころとしている経々(きょうぎょう)には、
仏に成る為の下種・調熟・解脱の三つの義についてその名称さえありません。
ましてその実義についてはあるはずがありません。

従って華厳宗や真言宗の経などに
「一生のうちに初地に入って、即身成仏する」
などと説かれていますが、
その経は権教であり、過去の生命を隠しています。
下種を知らない得脱なので、
それはあたかも中国・秦の反逆者・超高が皇帝の位に上り、
奈良時代の悪僧・道鏡(どうきょう)が天皇の位につこうとしたのと同じ事です。

各宗派は互いに、成仏の種は自宗の経にあると争っています。
私はこれについて争ったりしません。
ただ経文に任せるだけです。

法華経に説かれている成仏の種に基づいて、天親(てんじん)菩薩は
法華経の種子こそ最高・最上であると立てました。
天台の一念三千がこれです。

華厳経や諸々の大乗経、
また大日経などの諸仏が仏になった種子は皆、法華経の一念三千です。
天台智者大師一人だけがこの法門を得られました。

華厳宗の澄観がこの一念三千の義を盗んで華厳経の
「心は工(たくみ)なる画師(えし)のごとし」の文の
解釈の中心にしてしまいました。

真言宗の大日経などには、
二乗作仏・久遠実成・一念三千などの法門はありません。




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善無畏(ぜんむい)三蔵が中国にやって来てから、
天台の「摩訶止観」を見て智慧が啓発(けいはつ)され、
大日経の「心の実相」「我は一切の本初なり」の文の解釈の中心に
天台の一念三千の法門を盗み入れて、真言宗の肝心としました。
そのうえに印(指で種々の形を作る事)と
真言(仏の真実の言葉であるといい、呪文な様なもの)をもって飾りつけ、
法華経と大日経の勝劣を判定する時に、理法は同じだが、
印と真言を説くので事相において大日経が勝れている、
という釈を作ったのです。

しかし、金剛界・胎蔵(たいぞう)界の曼荼羅に顕されている二乗作仏や
十界互具という教義は、本当に大日経にあるでしょうか。
これこそ第一番のごまかしです。

ですから、伝教大師は「依憑(えびょう)集」に
「新しく到来した真言宗は、かつて中国真言宗の善無畏(ぜんむい)が口で述べ、
一行が筆記した「大日経疏(だいにちきょうしょ)」は、
天台の立場で大日経を解釈し筆受相承されたものであるのに、
弘法(こうぼう)はその事実を無視してごまかしている。
また古くから到来している華厳宗は、
天台宗に影響をうけてその規範が出来た事を隠している」
等と述べています。

浮囚(えぞ)の島(北海道の事)などへ行って
「ほのぼのと 明石の浦の朝霧に 島がくれてゆく舟をしぞ思う」
という和歌(柿本人麻呂作)は私が詠んだのだと言えば、
浮囚の様な未開の地の者はそうだと思うでしょう。
中国や日本の学者もまたこれと同じ様なものです。

中国天台宗の良諝和尚(りょうじんわじょう)は
「真言・禅・華厳・三論などの諸宗の経々は一応は勝れた法門であるが、
もし法華経等に相対(あいたい)すれば、真実の教えに誘引する方便の法門である」
等といっています。

善無畏三蔵が閻魔(えんま)の責めにあったというのは、
その様な邪見を説いたからです。
しかし、後にこの邪見を翻(ひるがえ)して、法華経に帰伏(きぶく)したからこそ、
閻魔の責めを免れたのです。

その後、善無畏や不空らは、
法華経を、金剛界・胎蔵界の両界の曼荼羅の中央に安置して大王の様にし、
胎蔵界の大日経と金剛界の金剛頂経を左右の臣下の様にしたのは、
法華経に帰伏したことを表したものです。

日本の弘法も、経の浅深・高低を解釈する時には、華厳宗を高く評価して
第九住心とし、法華経を第八住心と低く置きましたが、
加持(かじ)・祈祷(きとう)の実践の時には、
弟子の実慧(じつて)・真雅(しんが)・円澄(えんちょう)・
光定(こうじょう)らの人々に伝える際、
先に述べた様に法華経を両界の曼荼羅の中央に安置しています。

例えば、三論宗の嘉祥(かじょう)は「法華玄論」十巻で、
法華経を般若経より劣っているとして五時のうちの第四時とし、
法華経は、声聞・縁覚の二乗を高い教えに帰入させ破折して
菩薩乗を明かしたものと定めました。

しかし、後にその誤りに気づいて天台大師に帰伏し、
七年間つかえ、自分の講義を廃止して弟子や聴衆を解散させ、
天台大師が講義に上る時には我が身を橋として上らせました。

法相宗の慈恩は「大乗法苑義林章」の七巻(下書きの書)と
十二巻(再び調べ正した本)には
「一乗の経は方便であり、三乗の経こそ真実である」などという
いい加減な言説が多くあります。

しかしながら
慈恩(じおん)の弟子・栖復(せいふく)が著した
「法華玄賛要集(ほっけげんさんようしゅう)」の第四巻には
「故にまた両(ふた)つながら存(ぞん)す」と、
一乗も三乗も共に真実であると認め、
自分の宗派の教義を曖昧(あいまい)にしました。

この様に言葉では両方を認めている様ですが、
その真意は天台大師に帰伏していたのです。

華厳宗の澄観は華厳経の解釈書
「華厳経随疏演義抄(けごんきょうずいしょえんぎしょう)」を著し、
華厳経と法華経を相対比較して
法華経は方便の教えであると書いている様に見えますが、
「天台宗は一念三千をもって実義としている。
華厳宗の立てる義は、その理が一念三千の理に通じないところはない」
などと書いたのは、
後悔したのではないでしょうか。
弘法もまたその通りです。

鏡がなければ自分の顔を見る事が出来ないし、
敵がなかったら自分の非を知る事が出来ません。

真言宗など諸宗の学者達は、自宗の誤りを知らなかったのですが、
伝教大師にお会いして、自宗の欠点を知ったのです。


34  菩薩等(ぼさつら)の守護がない疑いを結(むす)ぶ


ですから、諸々の経文に説かれている諸仏・菩薩・人・天らは
それぞれの経によって仏に成られた様に見えますが、
実際には法華経によって正覚を成ぜられたのです。




217p




釈尊や諸仏が菩薩行を修めていた時、
「一切の衆生を全て救おう」と立てた誓いは、
皆この法華経において満足しました。
方便品の
「今は巳(すで)に満足した」という文がこれです

私が、ことの内容を考えるに、
華厳経・観経(かんぎょう)・大日経などを読み修行する人を、
その経々に説かれた仏・菩薩・天達は守護されるでしょう。
これは疑いないところです。

ただし大日経や観経などを読む行者(ぎょうじゃ)達が、
法華経の行者に敵対をしたならば、
大日経等の仏・菩薩などもこれらの行者を捨てて法華経の行者を守護するでしょう。

例えば、孝行な子というのは、父親が王の敵となった時は、
父を捨てて王のもとに参ずるのが孝行の至りとなるのです。
仏法もまたこの通りです。

法華経に説かれた諸仏・菩薩・十羅刹が日蓮を守護されるうえに、
更に浄土宗の六方の諸仏や二十五の菩薩、
真言宗の千二百余尊など、
また七宗(華厳・法相・三論・倶舎・成実・律に真言を加える)の諸尊や
守護の善神は日蓮を守護される事でしょう。

例えば七宗の守護神(しゅごじん)が伝教大師を守護されたのと同じだと思います。

日蓮が考えて言うには、
法華経が説かれた二処三会(にしょさんえ)の座に連なっておられた
日天子・月天子などの諸天は、法華経の行者を守護するとの誓いの通り
法華経の行者が出現したならば、磁石が鉄を吸い寄せる様に、
月が水にその影を映す様に、直ぐにやって来て、行者にかわって難を受け、
仏前での誓いを果たされるべきであると思われますが、
今まで日蓮を訪ねて来られないのは、日蓮が法華経の行者ではないのでしょうか。

そこで、重ねて経文を考えて我が身にあて、我が身の失(とが)を知りましょう。


35  宝塔品三箇の諫勅(かんちょく)を引く


疑って言うには、
今の世の念仏宗や禅宗などを、どの様な智慧のある眼(まなこ)をもって、
法華経の敵人(てきじん)であり、
一切衆生を地獄に堕とす悪友・悪師であると知る事が出来るのでしょうか。

答えて言うには、
自分の意見を出すべきではなく、経文や先師の解釈の明鏡を出して
念仏や禅宗など謗法の者達の醜い姿を浮かび上がらせ、
その罪を見せしめましょう。
しかし、正法を信じない生き盲(めくら)の様な人には理解する事が出来ないでしょう。

法華経の第四の巻・宝塔品には次の様にあります。
「その時に多宝仏は宝塔(ほうとう)の中において
座の半分を分け釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)に与えられた。
会座の大衆は、釈迦と多宝の二仏が七宝で飾られた塔の中の獅子座の上に
結跏趺坐(けっかふざ=仏法の坐法の一つ)されるのを見た。
その時、釈迦仏は大音声(だいおんじょう)をもって
全ての四衆(僧・尼・男の信徒・女の信徒)に告げられた。
誰がよくこの娑婆国土において、ひろく妙法蓮華経を説くであろうか。
今こそまさしくその誓いを立てる時である。
如来は程なくしてまさに涅槃(ねはん)に入るでろう。
仏はこの妙法蓮華経を付嘱して滅後に存続させていきたいと思っている」
等と。
これが第一の勅宣(ちょくせん)です。

又、同じく宝塔品に次の様にあります。
「その時に世尊は重ねてこの義を述べようと思って偈(げ)を説いて言われた。
聖主世尊(多宝仏)は久しい昔に滅度されたが、
なお宝塔の中に坐して、法華経を証明するためにやって来られた。
大衆達よ、どうして自らすすんで法華経の滅後弘通を誓わないでいられようか。
又、我が分身の無数の諸仏がガンジス河の砂の様に多く集まって来たのも、
この法を聞こうと思って来たのである。
これらの諸仏は各々の妙なる国土、
及び弟子達、天・人・竜神の諸々(もろもろ)の供養の事を捨てて、
法を永久に存続させる為にここにやって来られたのである。




218p




その有様は、例えば大風が小さな枝を吹き揺るがす様なものである。
仏はその様な勝れた方法で法を永久に存続させる。
諸々の大衆に告げる。
我が滅度の後、誰がよくこの法華経を護持(ごじ)し読誦するであろうか。
今仏の前において、自ら滅後の弘経(ぐきょう)を誓う言葉を述べよ」
と。
これが第二の鳳詔(ほうしょう)です。

同じく宝塔品に
「多宝如来及び釈迦分身の化仏(けぶつ)は、
まさにこの意、即ち滅後の弘経を勧める意を知っている。
諸々の善男子よ、各々明らかに思惟(しゆい)せよ。
滅後に弘経する事は大変に難しい事である。
従って大願を起こすべきである。
法華経以外の諸々(もろもろ)の経典は、その数はガンジス河の砂の様に多い。
しかし、これらを説く事は、未だ難しい事ではない。
もし須弥山(しゅみせん)を手に取り上げて、
他方の無数の仏土に擲げ(な)置く事も、それは、未だ困難な事ではない。
しかし、もし仏の滅後に悪世の中において この法華経を説こうとすると、
これは非常に難しい事である。
例えこの世界が焼き尽くされる程の大火災の中へ、
乾(か)れた草を背負って入って、しかも焼けないでいる事も、
又、未だ困難な事ではない。
しかし、我が滅後の後に
もしこの法華経を持(たも)って一人の為にも説こうとすると、
これは非常に難しい事である。
諸々の善男子よ、
我が滅後において、誰がよくこの法華経を護持し読誦するであろうか。
今仏の前において、自ら滅後の弘経を誓う言葉を述べよ」
と。
これが第三の諫勅(かんちょく)です。

第四・第五の二つの諫暁は提婆達多品にあります。
それは後ほど書きましょう。


36  諸経の深浅勝劣を判定する


今示した法華経の経文の意味は明らかです。
晴天に太陽が輝いている様に、
又、白い顔にほくろがあるのに似てはっきりしています。

しかしながら眼(まなこ)の者と一眼(いちがん)の者と、
「自分の師だけが一切智を得た」と思いこんでいる者と、
偏(かたよ)った教えに執着している者は、
明らかな事実も見る事は難しいでしょう。

しかし、あらゆる困難を取り除いて、
真に仏道を求める心のある者の為に記(しる)しを留めて見せましょう。

この法門に会う事は、三千年に一度だけ実(みの)るという
西王母(せいおうぼ)の園(その)の桃に会うよりも、
転輪聖王(てんりんじょうおう)が出現する時の兆(きざ)しとして
三千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)に会うよりも更に難しいのです。

又、沛公(はいこう)が項羽と八年の間、中国で国土を争った事も、
源(みなもと)の頼朝と平(たいら)の宗盛が七年の間日本国で戦った事も、
また阿修羅と帝釈天が、更に金翅鳥(こんじちょう)と竜王とが阿耨池(あのくち)で
争った事も、法華経とその他の経との戦いには過ぎるものではないと知るべきです。

そして、今までに日本国に法華経がはっきり顕された事は二度です。
それは伝教大師と日蓮であると知りなさい。
しかし、智慧の眼のない者は疑うでしょうし、到底理解出来ないでしょう。

この経文は日本・中国・インド・竜宮・天上界・十方世界の一切の経々の勝劣を、
釈迦・多宝・十方の諸仏が来集して定められたものです。

問うて言うには、
華厳(けごん)経・方等(ほうどう)経・般若経・深密(じんみつ)経・
楞伽(りょうが)経・大日経・涅槃(ねはん)経などは、
九易(くい)のうちでしょうか、あるいは六難のうちに入るのでしょうか。

答えていうには、華厳宗の杜順(とじゅん)・智儼(ちごん)・法蔵(ほうぞう)・
澄観(ちょうかん)らの三蔵や大師が経文を読んでいうには
「華厳経と法華経とは六難のうちで、名は二経別々であるが、
その説くところの法門及び説き顕される法理は同じである。
例えば
『小乗の悟りを得る方法は四つに分かれているが、悟りを得るという点においては同じだ』
とある様なものである」
と。

法相(ほっそう)宗の玄奘(げんじょう)三蔵や慈恩大師らが経文を読んで言うには
「深密(じんみつ)経と法華経とは同じ唯識(ゆいしき)の法門で、
法相宗で立てる教判の第三時の教であり、六難のうちである」
と。











最終更新:2011年03月14日 07:34