505p


 顕仏未来記
                                                   沙門      日蓮    之を勘う



1  釈尊の未来記を挙げる


法華経の第七の巻、薬王品には、
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、この閻浮提に広宣流布して断絶することがないであろう」
等と述べられている。
日蓮が一たびは歎(なげ)いていうには、
今は、仏滅後、すでに二千二百二十余年も経っている。
一体いかなる罪業があって、仏の在世に生まれ合わすことが出来ず、
また正法の時代に生まれて、
人の四依といわれる迦葉(かしょう)・阿難(あなん)・竜樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)等の
菩薩に会えなかったのだろうか。
さらにまた、像法時代の天台・伝教等にも会えなかったのであろうかと。

また、一たびは歓喜していう。
一体いかなる幸があって後の五百歳(末法)に生まれて、
この薬王品の真実の文を拝見することが出来たのであろうかと。

釈尊在世に生まれたとしてもこの真文にあうことはなかった。
なぜならば乳味(にゅうみ)「華厳」・酪味(らくみ)「阿含」・生蘇味(しょうそみ)「方等」
  • 熟蘇味(じゅくそみ)「般若」の前四味の説法を受けた人は、未だ法華経を聞いていないからである。

また正法・像法時代に生まれたとしても、少しも意義がない。
なぜならば法華経は、既に説かれていたが、
南三北七ならびに華厳・真言等の学者は法華経を信じなかったからである。

天台大師は法華文句巻一に
「後の五百歳、すなわち末法の始めから、遠く末法万年・尽未来際にいたるまで
妙法が流布し、一切衆生が沾うであろう」等といっているが、
この文は広宣流布の時を指すのであろうか。

また伝教大師は守護国界章上に
「正像二千年は、ほとんど過ぎおわって、末法が、はなはだ近づいている」
といっているが、これは末法の始めに生まれることを願い慕(した)っている言葉である。

故に、時代の比較によって、身に備えた果報の優劣を論ずるならば、




506p




日蓮は正法時代の竜樹・天親に超えているばかりでなく、
像法時代の天台・伝教にも勝れているのである。


2  末法の留難を明かす


問うていうには、
後の五百歳の記文は別にあなた一人を対象として説いたものではないのに、
どうして特にこのことを喜びとしているのか。

答えていうには、
法華経第四の巻、法師品には
「仏の在世中でさえ、なお怨嫉が多いのであるから、ましてや仏の入滅の後には、
さらに大きい怨嫉が競い起こるであろう」
といっている。

天台大師も法華文句に、この法師品の文を
「仏の在世においても、なお怨嫉が多い。まして仏入滅後の末法のにおいてはなおさらである。
その理由は、なかなか教化し難いところにある」
と記している。

妙楽大師は、さらに法華文句記に
「理在難化(りざいなんげ)とは、
この理由を明かす真意は、末法の衆生が教化し難いことを知らしめることにある」
と釈している。

智度法師は天台法華疏義纘(てんだいほっけしょぎさん)に
「俗世間のことわざに、”良薬口に苦し”というように、この法華経は、
人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗が人生の目的であるという偏見に執着することを打ち破って、
その目的は成仏することであるとする故に、
人においては爾前の凡位の者をしりぞけ、聖位の者を呵責し、
法においては、諸(もろもろ)の大乗を排し、小乗を破折する。
乃至(ないし)そのために、このように破折をうけた五乗・凡聖の徒輩が、正法流布を妨げる」
と述べている。

伝教大師は法華秀句巻下に
「妙法が流布するのは、その時を語れば、像法の終わり末法の始めである。
その地を尋ねれば、唐の東・摩羯国(まかつこく)の西である。
教えをうける人を尋ねれば五濁悪世の末法に生をうけた本未有善(ほんみうぜん)の衆生であり、
闘諍堅固(とうじょうけんご)の時の人である。
法華経法師品に
『如来の現在にすら猶怨嫉が多い、況(いわ)んや滅度の後をや』と予言しているが、
これはまことに深いわけのある言葉である」
等といっている。

この伝教大師の秀句の文は、
一見これを著(あら)わした大師の時代に相当するように見えるが、
本意は末法の初めである今を指すのである。
「正法像法は、ほとんど過ぎおわって、末法がはなはだ近づいている」
との釈文は、実に深い心をもった言葉ではないか。

また薬王品には
「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉(やしゃ)・鳩般茶(くはんだ)等が、様々な災いをなすであろう」
と説かれている。

この中の「等」とは、この陀羅尼品(だらにほん)に、
「あるいは夜叉・あるいは羅刹(らせつ)・あるいは餓鬼・あるいは富単那(ふたんな)
  • あるいは吉遮(きつしゃ)・あるいは毘陀羅(びだら)・あるいは犍駄(けんだ)
  • あるいは鳥摩勒伽(うまろぎゃ)・・あるいは阿跋摩羅(あばつまら)
  • あるいは夜叉吉遮(やしゃきつしゃ)・あるいは人吉遮(にんきつしゃ)」等をいうのである。

この文は、先の世に爾前権教である四味三教、ないし外道・人天等の法を持得(じとく)して、
その結果、今生には悪魔や諸天竜、諸人等の身を受けた者が、
円教・実教である法華経の行者を見聞して、
その行者に種々の難を加えるであろうということを説いているのである。



3  末法の弘教の方軌を明かす


疑っていうには、
正法像法の二時を末法と比べてみると、時も衆生の機根も、共に正像は末法よりも特に勝れている。
それなのに薬王品の後五百歳の文は、どうしてその勝れた正像の時と機とを捨てて、
ひとえに末法を指しているのであろうか。

答えていうには、
仏の御本意は凡夫には測(はか)りがたいので、まだ日蓮もこのことは証得していない。
だが試みに一義を考えてみると、
まず小乗教をもって正像末の三時を勘案してみると、
正法一千年間には教行証の三つが具(そな)わっている。
像法一千年には教と行だけがあって証果はない。
末法には教だけあって行と証がないのである。

そこで法華経をもってこの教行証について考えてみると、
正法一千年の間に教行証の三つを具えているのは、釈尊在世において法華経に結縁した者であろうか。
その後、これらの人が正法時に生まれて小乗教の教と行を縁として、小乗教の証果を得るのである。

像法時においては釈尊在世の法華経に結縁がきわめて薄いために、
小乗教で証果を得ることはなくて、権大乗教を縁として、十方の浄土に生ずるのである。

ところが末法においては、大乗教・小乗教の益は共にないのである。
まず小乗教は教だけは残っているが、行と証はなくなっている。




507p




次に、大乗教においては、教と行だけは残っているが、
冥益(みょうやく)、顕益(けんやく)の証はまったくなくなっている。
そのうえ正法・像法時代に立てたところの権大乗教・小乗教の二つの宗派は
漸次(ぜんじ)に末法に入ってからは、その執着心がいよいよ強くなって、
小乗教で大乗教を批判したり、権教の教義で実教の教義を破ったりして、
国中にこうした謗法の者が充満しているのである。

そのために仏教を誤って三悪道に堕ちる者は大地微塵よりも多く、
正法を修行して成仏する者は、爪の上の土よりも少ない。
こういう時期に当面して、諸天善神はその国を捨てて離れ、
ただ邪天・邪鬼等だけがいて、王臣・比丘・比丘尼の身心の中に入り住んで、
これらの人々に法華経の行者に対し悪口を言ったり、
謗(そし)り辱(はずかし)めたりさせる時になっている。

しかしながら、如来滅後五五百歳において、四味・三教等への邪(よこしま)な執着を捨てて
実大乗教である法華経に帰依するならば、
諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩が必ず法華経の行者を守護するであろう。

法華経の行者は、この諸天善神や地涌の菩薩などの守護の力を得て、
本門の本尊・南無妙法蓮華経を一閻浮提に広宣流布させていくであろう。

この姿は、たとえていえば、
威音王仏の像法の時に、不軽菩薩が「我深敬(がじんきょう)」等の
二十四文字の法華経をもって彼の国土に広宣流布して、一国から杖や棒で迫害されるという
大難を呼び起こしたようなものである。

不軽菩薩の二十四文字と日蓮のこの五文字とは、
その語は異なるけれども、本意は同じであり、
その時の像法の末と今の末法の初めとは、弘教の方軌がまったく同じである。
また不軽菩薩は、初随喜(しょずいき)の人であり、日蓮は名字即の凡夫であり、
同じく本因妙の行者(法華経の行者)なのである。


4  末法の御本仏を明かす


疑っていうには、
あなたを末法の初めの法華経の行者であると決定することは、何をもって知ることが出来るのであるか。

答えていうには、法華経に次のように説かれている。

法師品には
「釈尊在世でさえも怨嫉が多い。まして滅後末法に法華経を持ち弘める者には、
それにもまさる怨嫉が起こるであろう」と。

勧持品には
「滅後末法において法華経を弘める者には、多くの無智の人が、悪口を言い、
罵(ののし)るなどし、さらに刀で切りつけ、杖で打つ者がいるであろう」と。

同じく勧持品には
「一度ならず二度までも法華経の行者は所を追われるであろう」と。

また、安楽行品には
「世間のあらゆる人は仏に怨嫉し、正法を信じようとしない」と。

また不軽品には
「法華経を説けば、増上慢の衆が、杖木(じょうもく)や、瓦、石などでこの人を打ちたたき迫害する」と。

また前に述べた薬王品にも
「悪魔、魔民、諸天竜、夜叉、鳩般茶等の魔や悪鬼がつけこんで、さまざまな災いをなすであろう」
等と説かれている。

これら法華経の明鏡について、
仏語を信じさせるために、日本国中の王と臣下及び四衆の行為に当てはめてみるに、
この経文に符号するものは日蓮よりほかに、一人も見当たらない。

時を論ずるならば、末法の初めで、まさに「その時」にあたっており、
それゆえ、
もし日蓮が出なかったならば、仏語は虚妄(こもう)になってしまうであろう。

非難していうには、あなたは大慢の法師であって、その慢心ぶりは、大天に過ぎ、
四禅比丘にも超えていると思うが、どうでろうか。

答えていうには、
あなたがこの日蓮を軽蔑する重罪は提婆達多(だいばだった)の犯した逆罪に過ぎ、
無垢(むく)論師の罪にも超えている。
我が言葉は、大慢に似ているように聞こえるかもしれないが、
それは仏の未来記をたすけ、如来の実語を顕すためである。
それゆえ日本国中において、
日蓮を除いてほかに、誰人を選び出して法華経の行者をいうことができようか。

あなたは法華経の行者である日蓮を誹謗しようとして、仏の未来記を虚妄にするものである。
それこそ、まさに大悪人ではないか。




508p




5  月氏・漢土に仏法無きを明かす


疑っていうには、
確かに釈尊の法華経の予言はあなたに当てはまっている。

ただし、日本のみならず、インドや中国にも法華経の行者がいるのではなかろうか。

答えていうには、
全世界に二つの日があるわけがない。
一国になんで二人の国主がいようか。
いるわけがないではないか。
同じく法華経の行者は全世界にただ一人のみである。

疑っていうには、
何を根拠として、あなたはこのことがわかるのか。

答えていうには、
月は西から出て東を照らし、
日は東から出て西を照らす。

仏法もまたこの大宇宙の法則どおりである。
正法ならびに像法時代には、
仏法は西のインドから、中国、朝鮮、日本へと次第に東へ伝わり、
末法においては、
南無妙法蓮華経の大仏法が、東のこの日本から、西へと流布してゆくのである。

妙楽大師は、法華文句記の巻十に
「これは仏法の中心地たるインドでは仏法を失って、これを四方に求めていることではないか」
と、述べている。
これはインドには仏法はないという証文である。

また中国においては、
宋の高宗皇帝(こうそうこうてい)の時に、
金が東京開封府(とんきんかいほうふ)を占領してから現在にいたるまで、
百五十余年の歳月を経過して、すでに仏法も王法も共に滅んでしまった。
中国における大蔵経の中には小乗経はまったくなくなっており、
大乗経もそのほとんどを失ってしまった。

その後、日本から中国へ天台僧の寂照(じゃくしょう)等が少々経文を渡した。
しかしながら、中国においては仏法を持ち、伝えていく人がいないので、
それはちょうど木石の像が法衣を着、鉢を持っているようなもので、
何の役にも立っていない。

故に遵式(じゅんしき)は天竺別集に次のように述べている。
「始め、釈尊の仏法が西から伝わってきたのは、ちょうど月が西から東へ移っていくようなものであった。
今、再び東の日本から仏法が返ってきた。これはちょうど太陽が東から昇るようなものである」
等と。

この妙楽大師や、遵式等の釈のとおりならば、インドや中国においては、
すでに仏法を失ってしまったということが明確である。

問うていうには、
インド、中国に、仏法がないことはよくわかった。
では南閻浮提以外の東西北の三洲に仏法がないということは、どうしてわかるのか。

答えていうには、
法華経の八の巻・勧発品第二十八に
「如来の滅後において、法華経を南閻浮提の内に広宣流布して、永久に断絶させないように
するでありましょう」
と説かれている。

この経文にある「内」の字は、
東の弗婆提(ほつばだい)、西の瞿耶尼(くやに)、北の欝単越(うつたんのつ)の三洲を
除くという文証である。


6  御本仏の未来記を明かす


問うていうには、
釈尊の未来記があなたの身の上にあてはまることはよくわかった。
それではあなたの未来記はどうなっているのか。

答えていうには、
釈尊の未来記に従ってこれを考えてみるのに、
今はすでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに相当している。
末法の真の仏法は、必ず東土の日本から出現するはずである。
ゆえに、その前相として、必ずや正法・像法時代に超えた天変地夭があるだろう。
いわゆる釈迦仏の誕生の時、仏が法を説いた時、また仏の入滅の時に起こった瑞相には、
吉瑞も凶瑞も共に、前後の時代に比べるべきものがないほどの大瑞であった。

仏は聖人の本である。
経文を見ると、釈尊が誕生した時の有様は、五色の光が四方をすべて照らして、
夜も昼のように明るかったと説かれている。
また、釈尊が入滅の時には、十二の白い虹が南北にわたって現われ太陽は光を無くしてしまって、
闇夜のようになったと説かれている。

その後、正法・像法二千年の間に内道・外道の多くの聖人が出現し、
滅していったけれども、この釈尊の時のような大瑞にはとうてい及ばなかった。
しかるに、
去る正嘉年中から今年に至るまでの間に、あるいは大地震が起こり、あるいは大天変があって、
これらは、あたかも釈尊の生滅の時の瑞相のようである。

釈尊のような聖人が生まれてきていることをまさに知るべきである。

大空には、大彗星が出現した。
だがいったいどのような王臣が、この瑞相に対応するのであろうか。
また大地を傾動して、三度も振裂したほど激しいものであった。
だが、どのような聖人、賢人の出現をもって、この瑞相に当てることができるのだろうか。

これらの大瑞は、一般世間における普通の吉凶の大瑞ではない。
これはひとえに、
大仏法が興隆し、釈尊の仏法が廃れるという大瑞であることをまさに知るべきである。




509p




天台大師は、法華文句の巻九に次のように述べている。
「雨のあげしさを見て、雨を降らせている竜の大きさを知ることが出来る。
また蓮華の盛んなのを見て、その池の深さを知ることが出来る」と。

妙楽大師は、法華文句に釈して
「智人は事の起こる由来を知り、蛇は自ら蛇を知っている」と述べている。



7  妙法流布の方軌を示す


日蓮はこの道理を覚知して、すでに二十一年になる。
そのために日ごとに災いをうけ、月ごとに難をこうむってきた。
とくにこの二、三年の間の難は大きく、すでに死罪にまで及ぼうとした。
今年また今月は、万が一にも助からない生命である。
世の人々はもし私の言うことについて疑いがあるならば、詳しいことは弟子に問われるがよい。

生涯の内に無始以来の謗法の罪業を消滅出来るとは、なんと幸福なことであろうか。
また、いままでに、見聞出来なかった教主釈尊にお仕え申し上げられるとは、
なんと悦ばしいことであろうか。

私はこのような大利益を得たのであるから、願わくは私を害した国主等を先ず最初に化導しよう。
私を助ける弟子等のことを釈尊に申し上げよう。
また私を生んでくださった父母には、死なないうちにこの南無妙法蓮華経の大善をおすすめしよう。
この数々の大難によって、
今、夢のように、宝塔品の要である六難九易の文章を証得することが出来た。

宝塔品には、次のように説かれている。
「もし須弥山をつかんで、他方の無数の仏土に投げようとも、それはむずかしいとはしない。
乃至、もし仏の滅度の後、悪世末法においてよくこの法華経を説くということは、
これこそ非常にむずかしい」等と。

伝教大師は法華秀句に次のように述べている。
「浅い爾前権教につくことはやさしいが、
深い法華経を持つことはむずかしいというのは釈尊の教判である。
しかし浅い小法を捨てて、深い大法につくことこそ、丈夫の心である。
この教えにしたがって天台大師は釈尊の信順し、法華宗を助けて中国に法華経を宣揚した。
叡山の一家(伝教大師)は天台大師の法を承(う)けて法華宗を日本に弘通した」と。

安房国の日蓮は、おそらくは、釈尊、天台大師、伝教大師の三師に相承し、
法華宗を助けて、末法に南無妙法蓮華経を流通するのである。
ゆえに釈尊、天台大師、伝教大師の三師に日蓮を加えて、三国四師と名づけるのである。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。


文永十年太歳癸酉後(たいさいみずのととりのちの)五月十一日
                   桑門(そうもん)日蓮之(これ)を記(しる)す














最終更新:2011年03月11日 08:51