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 立正安国論

                                                 文応元年七月    三十九歳御作
                                                 北条時頼に与うるの書  鎌倉に於いて 



旅人
(真実の仏法を知らず、念仏などを信仰する謗法の人々を指し、
別しては、対告衆である北条時頼のこと)
が来て嘆いていうには、
近年(正嘉元年・1257年)から近日(文応元年・1260年)まで、
天変(天空に起こる変動で、暴風、雷、日蝕、月蝕など)、
地夭(地上に起こる災いで、地震など)がうちつづき、
飢饉や疫病が全国にわたって満ち溢れ、地上いっぱいに広がっています。

牛や馬はいたるところに死んでおり、
その死骸や骸骨が道路一杯にあふれています。
すでに大半の者が死に絶え、これを悲しまない者は一人もいない状態です。

そこで、あるいは浄土宗では
「弥陀の名号は煩悩を断ち切る利剣である」との文を、ただひとすじに信じて、
西方十万億土の教主である阿弥陀仏の名を称え、
あるいは天台宗では
「すべての病がことごとく治る」という薬師経の文を信じて、
東方浄瑠璃世界の教主である薬師如来の経を口ずさみ、
あるいは
「病がたちまちのうちに消滅して不老不死の境界をうる」という詞を信じて、
法華経の経文を尊び、
あるいは
「七難がたちまちのうちに滅して七福を生ずる」という仁王経の句を信じて、
百人の法師が百箇所において王経を講ずる百座百講の儀式ととのえ、
またあるいは真言宗では秘密真言の教えによって、
五つの瓶に水を入れて祈祷をおこない、
あるいは禅宗では坐禅を組み、禅定の形式をととのえて、
宇宙に存在する一切のものは全て空であると勧じ、
さらにある者は、
七つの善鬼の名を書いて門ごとに貼っておくと、
悪鬼が近寄らず災いが起きないという信仰に基き、
七鬼神の名を書いて千軒の門に貼ってみたり、
ある者は国王、万民を守護するという仁王経の五大力菩薩の形を書いて多くの家にかかげ、
あるいは天の神、地の神を拝んで四角四界のお祭りをし、
あるいは国王、国宰(国司、地方官)など政治をおこなっている者が
一切の人々を救済するために徳政
(自らの財を貧しい人々に施したり、あるいは財産家にすすめて慈善を行なわせること)
を行なっています。

しかしながら、ただ心をくだくだけで、ますます飢饉や疫病にせめられ、
こじきは目にあふれ、死人はいたるところに転がっています。
うずたかく積まれた屍は物見台のようであり、
道路にならんでいる死体は橋のように見えます。

よくよく考えてみれば、
太陽も月もまた惑星もきちんと運行し、仏法僧の三宝も世の中に厳然としておられます。
また、かつて平城天皇の世に八幡大菩薩の
託宣(神仏がある事物や人物にことよせてのべ知らせること)があって、
かならず百代の王を守護すると誓ったというのに、いまだ百代の王にならないのに、
この世は早くも衰えてしまい、王法はどうして廃れてしまったのですか。

これはどのような過失から生じたものであり、
またどんな誤りから、このような状態になってしまったのでしょうか。


主人が言いました。
自分一人でこのことを憂(うれ)いて、思い悩んでいたところ、
客が来てともに嘆くので、いまこれについて、いろいろ語り合おうと思います。

いったい、
出家して修行の道にはいる者は、正法によって成仏することを期するのです。

ところが、いまや神の力もかなわず、仏の威徳に頼っても、その結果が顕れてきません。
いまつぶさに現在の世の状態を見ると、
人々は愚かで、後輩として疑いを起こしています。

それ故、
天を仰いでは恨みをのみ、地にふしては深く心配して思案に沈んでしまっています。

いま、よくよく細い管(見識のこと)をかたむけて、少しばかり経文を開いてみますと、
世の中はすべて正法に背き、人々はみな悪法に帰しています。
それ故、
守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、
聖人は所を去ったまま帰ってきません。

その結果、魔が起こり、鬼があらわれ、災いが起こり、難が起こるのです。
実にこのことは、声を大にしていわなければならないことであり、
恐れなくてはならないことです。


客が言いました。
天下の災難や国中の難については、自分一人だけが嘆いているのではありません。
すべての人々が悲しんでいます。

今、あなたの所に伺って、はじめて立派なご意見を承ったところ、




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国土を守護すべき善神や聖人がその国を捨て去ってしまい、
災難があいついで起こるということですが、
それはいったい、いずれの経文に出ているのか、その証拠を聞かせて下さい。


主人が言いました。
一切経の中には、そのような文はたくさんあり、その証拠は数え切れない程あります。

まず、
金光明経には次のようにあります。
「その国土(元意は日本国)に、たとえこの経(三代秘法の大御本尊)があっても、
国王がそれを流布させないで、むしろ、捨て離れる心を起こして聞こうともせず、
身で供養することも、心で尊重することも、口で賛嘆することもせず、
正法をたもつ四部の衆(比丘=男の出家者、比丘尼=女の出家者、優婆塞=男の在家、
優婆夷=女の在家)や
持経の人(別しては日蓮大聖人)を見て尊重も供養もしない。
そして、ついには帝釈天や四天王、およびそのほかの無量の諸天に対して、
この甚深の妙法(南無妙法蓮華経)を聞かせないようにしてしまい、
その為に、諸天は食べ物としている甘露の味も得られず、
正法すなわち妙法蓮華経の流れに浴さず、ついに諸天の勢力、威光を失わせてしまう。
その結果、国中に地獄、餓鬼、畜生、修羅などの四悪趣を増長し、
人界、天界の楽しみは損なわれ、
生死の河、すなわち煩悩、無明の苦しみの充満する世界におちこんで、
涅槃の道すなわち成仏の道に背き、ますますそれから遠ざかってしまうのである。
世尊よ、
我ら四天王ならびにもろもろの眷属、及び夜叉などは、国王が三大秘法を流布せしめない、
このような国王の謗法を見て、その国土を捨てて守らなくなってしまうであろう。
そのうえ、
ただ我ら四天王がこの国土を捨て去るばかりでなく、
かならず無量の国土を守護する諸大善神(諸天善神)も
皆ことごとく国土を捨て去るであろう。
すでに、四天王をはじめ、諸天善神が捨て去ってしまうならば、
その国にはさまざまな災いがあって、まさに国位を失ってしまうであろう。
一切の人々は皆ことごとく善心がなく、
ただ、しばり合い、殺害し合い、争い合って互いに相手を讒言し、
罪のない者をむりやりに法をまげて罪に落としいれるであろう。
数々の疫病が流行し、空には彗星がしばしば出て、一度に二つの日がならんであらわれ、
日蝕や月蝕などの薄蝕がしばしばあり、
黒白の虹が出て不詳の相をあらわし、
流れ星が出、地震が起きて、井戸の中から異様な地鳴りがする。
また、
大雨や暴風があって風雨が時節通りでなく、
常に飢饉が続いて草や木が実らず、多くの他国の怨賊が国内を侵略し、
人々はもろもろの苦悩をうけ、
国内にはいずれの土地も楽しく生活のできるところがなくなってしまうであろう」
と。

大集経には次のようにあります。
「正しい仏法が滅亡すれば、鬚や髪や爪を皆だらしなく伸ばし、
世間の諸法もまた忘れ失うであろう。
その時、空中に大きな声があって、地が震い、
地上の一切のものがあたかも水車が回るように動転する。
城壁は破れおち、人家はことごとく破れ崩れ、また樹木の根、枝、葉、華葉、菓(このみ)、
それらに含まれる薬味がなくなってしまう。
ただ浄居天という天界をのぞいて、
欲界の一切の七味(甘い、辛い、酸い、苦い、塩辛い、渋い、淡いの七種の味)・
三精気(地精気、法精気、衆生精気をいう。地精気とは大地の生命力。
法精気とは世間法、国法、仏法のもっている力。衆生精気とは人間、社会の生命力)が減り、
生命を養うことができなくなる。
人を悟りに導くもろもろの正しい論も、その時には一切失われてしまう。
地に生ずる華果もごくわずかで味もまずい。
あらゆる井戸や泉も池もことごとく乾いて、土地はすべて荒地となり、
地割れがして、でこぼこになってしまう。
もろもろの山はみな焼けて雨は降らず、
苗も皆枯れ死に、生ずるものは皆枯れ尽きて、外の草も一切生じない。
大風が吹いて、土を巻き上げて降らし、
その為に空は暗くなって日月の光も見えない。
こうして、
四方は皆ひどい旱魃(かんばつ)となり、
もろもろの悪い瑞相が顕れ、
十不善業(十種類の悪の業因で、身の三悪、口の四悪、意の三悪がある。)




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なかでも特に貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)が倍増して、
人々は父母に対しても、獐鹿(しょうろく)
(鹿の一種で、この鹿は他のものに追われて身に危険が迫った時、
自分だけ助かる事を望んで、父母や仲間のことは少しも省みないで逃げるといわれる)
のような恩知らずの行ないをする。
その結果、衆生も寿命も減じ体力も威光も楽しみもそこない、
人界、天界の楽しみを遠く離れて、皆ことごとく悪道におちてしまう。
このような不善業の悪王や悪僧がわが正法を破り、天界、人界の道を損ない、
諸天善神の梵天、帝釈、四天王などの衆生を哀れむべき善王も、
この濁悪の国を捨てて皆ことごとく他方へ向かうであろう」
と。

仁王経にはまた次のようにあります。
「国土が乱れるときは、まずその前に鬼神が乱れる。
鬼神が乱れて万民を悩ますが故に、万民が乱れるのである。
その故にまた、
他国の賊が国内に侵略してきて、あらゆる人々が殺害され、臣君、太子、王子、官吏が
互いに意見の不一致を起こして相争うであろう。
また、その時には、天地にいつもと違った種々の怪しい現象が起こり、
天の二十八宿、星の運行、あるいは太陽や月がいつもの軌道ではなくなり、
国に多くの賊が起きて、人々は大変な苦しみをうけるであろう。」
と。

また同じく仁王経には次のようにあります。
「仏がいま、肉眼、天眼、慧眼、法眼、
仏眼の五眼をもって明らかに過去、現在、未来の三世を見てみると、
世の一切の国王は皆、
過去世に五百の仏に仕えた功徳によって帝王となることができたのである。
この功徳の故に、一切の聖人や羅漢がその王の国土に生れてきて国王を助け、
大利益をなすのである。
もし王が善根を積まないで福運がつきてしまうときには、
一切の聖人はその王の国土を捨て去ってしまう。
もし聖人が去るときには七難がかならず起こるであろう」
と。

また薬師経には次のようにあります。
「もし、刹帝利(古代インドの四つの階級の一つで、王族、武士階級をいう)、
潅頂王(大国の王をいう)ら、いわゆる支配者階級のものに災難が起こるときには、
次のような七つの難がある。
すなわち、人々が伝染病などの流行に悩まされる難、他国から侵略される難、
自国内で反逆、同士討ちが起こる難、
彗星や流星があらわれたり、星の運行に異変が生ずる難、
太陽や月が日蝕、月蝕など薄蝕する難、
時期はずれのときに暴風雨のある難、
時を過ぎても降るべき時節に雨の降らない難、
以上七つの難である」
と。

仁王経には、また次のようにも説かれています。
「大王(波斯匿王[はしのくおう]のこと)よ、私(釈尊)がいま教化するところの
百億の須弥(須弥山を中心にした小世界)に百億の日月があり、
一つ一つの須弥に四天下がある。
そのうち一つ南閻浮提に十六の大国、五百の中国、十千の小国がある。
その国土の中に七つのおそるべき難がある。
その訳は、これを一切の国王は難となすからである。
それではいかなることを難となすのか、それを説こう。
まず、太陽や月の運行が狂い、寒い暑いの時節が逆になり、
あるいは太陽の色が赤くなったり、太陽が黒色に変わったり、
あるいは一度に二、三、四、五の太陽が出たり、あるいは日蝕で太陽の光がなくなったり、
あるいは太陽が一重、二、三、四、五重の輪をあらわすのが一の難である。
次に、二十八宿が運行する軌道を失い、
金星、彗星、輪星、鬼星、火星、水星、風星、刁星、南斗、北斗、五鎮の大星、
一切の国主星、三公星、百官星などの多くの星が、
それぞれ異常な現象を起こすのを二の難とする。
第三に、大火が国を焼き、あらゆる人々を焼き尽くすであろう。
あるいは鬼火(衆生の乱れを鬼が怒って起こすと考えられた、原因不明の火事)、
竜火(竜の怒りによって起こされる火)、
天火(天の怒りによって起こると考えられた火災)、
山神火(神仙の怒りによって起こるとされた火災)、
人火(人の過失によって起こる火災)、
樹木火(日照りが続き空気が乾燥して、自然発火する火)、
賊火(盗賊の放火などによる火災)が起こるであろう。
このように変怪するのを三の難とするのである。
第四に大洪水が起きて、人々を押し流し、時節が夏と冬と逆になって、
冬に多くの雨が降り、夏に多くの雪が降る。
冬に雷が鳴り、暑い六月に氷や霜や雹が降り、赤い雨、黒い雨、青い雨を降らし、
また土や石も山ほど降らし、砂や小石や石を降らす。
河は流れが逆になり、山を浮かべ、石を流す程の大洪水となる。
このような異変を生じてくるのが第四の難である。




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第五に、大風が起こって多くの人々を吹き殺し、国土、山河、樹木が一度に滅し、
時節外れの大風、黒風、赤風、青風、天や地を吹く旋風、熱風、雨交じりの強風が
吹きまくるであろう。
このように異変を生ずるのを五の難とする。
第六に、天地、国土が大旱魃のため渇ききり、天地も国土も猛烈に暑く、
大気は燃え上がらんばかりで、あらゆる草々は皆枯れて、米や麦、粟などの穀物は実らず、
土地はやけただれて人々は滅び尽きてしまうであろう。
そのように変ずるのを六の難とする。
最後に、四方の他国の賊が来て国を侵略し、
国内にも賊が内乱を起こして、
火賊、水賊、風賊(これら三つは火災、水害、風害などの災害に乗じて悪事を働く賊のこと)、
鬼賊(人さらいのようなもの)があって人々を荒れ乱し、
いたるところで大闘争が起きるであろう。
そのように異変を生ずるのを第七の難とするのである」
と。

また大集経には次のように説かれています。
「もし国王があって無量世(教えられない程の多くの生死生死を重ねること)にわたって
布施を行じ、戒律をたもち、智慧を修得しても、正法の滅するのを見て、
捨てて擁護しないならば、このようにして修行して植えてきた計り知れない程の善根も、
皆ことごとく滅し失って、その国に三つの好ましくないことが起こるであろう。
その三つとは、
一には穀貴すなわち穀物の収穫が減少して値が高くなり、
二には兵革すなわち戦争であり、
三には疫病である。
このようなときには、一切の善神がことごとくその国土を捨てて離れてしまうので、
その国の王がいかに命令しても、いっこうに国民がそれに付き従わないばかりか、
常に隣の国の侵略を受けるであろう。
そのうえ、
猛烈な火災がいたるところに起こり、
悪風雨があって河川が氾濫し大洪水となり、多くの人々を吹き飛ばし押し流す。
そして、王の内親(父方の親類のこと)も、
外戚(母方の親類のこと)も、共に謀反を起こすであろう。
その王はまもなく重病にかかり、
死んで後大地獄の中に生れるであろう。
王と同じく夫人、太子、大臣、城主、柱師、郡守、宰官達も、
皆王のように地獄へ堕ちるであろう」
と。

以上のように、
金光明経、大集経、任王経、薬師経の四経の経文はまことにはっきりしています。
誰人なりとも、どうしてこれを疑うことができましょうか。
それにもかかわらず、道理にくらく法の正邪の区別がつかない人や、
邪正に迷っている者が、みだりに邪説を信じて正しい教えをわきまえません。
故に世間の人々は、すべて諸仏や衆経に対して、
捨て離れる心を起こして護る志がないのです。

そのために諸天善神も聖人も、その国を捨て去ってしまい、
かわって悪鬼、外道が災難を起こすのです。

客は顔色を変えて問い返しました。
中国・後漢の明帝は金人の夢を見、その意味を悟って、仏教をインドから求め、
我が国においては聖徳太子が仏教に反対する物部守屋の反逆を征伐して、
仏教を興隆し、寺や塔を建立したのです。

それより以来、上は天皇から下は万民にいたるまで、
仏教を造立して敬い、経巻を紐解き読んできました。
従って、
比叡山、奈良の七大寺、園城寺、東寺をはじめとして、四海・一州(日本国中)、
五畿(京都を中心として山城、大和、河内、和泉、摂津の五か国を畿内と定め、五畿と呼んだ)、
七道の全国いたるところに仏法はくまなく伝わり、仏像、経巻は星のごとくつらなり、
寺院は雲のようにたくさん立ち並んでいます。

故に舎利弗の流れをくむ人々は、その観法を敬う立場を守り、
あるいは付法蔵の第二十三祖である鶴勒(かくろく)の流れをくむ者は、
その教法を尊ぶ伝統を今日まで伝えています。

それにもかかわらず、釈尊一代の教えを破りけがし、
仏法僧の三宝を廃し、仏法が滅びてしまったなどと誰がいえましょうか。
もし、その証拠があるならば、くわしくその理由を聞きたいと思います。

主人はさとしていいました。
確かに沢山の寺院が棟をつらね、経典などをおさめる蔵も軒を並べて、
いたるところに立っています。
また僧侶も竹やアシ、稲や麻のように沢山います。
それらの寺院や僧侶を人々が崇め重んじるようになって既に久しく、
それらの人々の尊貴さも日に日に新たです。




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しかしながら、一切の僧侶は心がひねくれて、
へつらう心が強く、人として踏み行なうべき道を迷わせています。
国王をはじめ臣下達は無智のため、法の邪正をわきまえていないのです。

仁王経には
「もろもろの悪い僧侶が多く名誉や利益を求めて、国王、太子、王子などの権力者の前で、
みずから仏法を破る因縁、国を破る因縁を説くであろう。
その王はそれらの因縁をわきまえることができなくて、
この言葉を信じ、道理に外れた自分勝手の法制を作って仏の戒めによらない。
これを破仏・破国の因縁となすのである」
とあります。

涅槃経には
「菩薩達よ、狂暴な悪象などに対しては、なんら恐れることはない。
正法を信じていこうとする人の心を迷わす悪知識に対しては、恐れなければならない。
その理由は、悪象に殺されても地獄、餓鬼、畜生の三悪道に陥ることはないが、
悪友に殺されては、すなわち仏道を行ずる心を絶たれては必ず三悪道に堕ちるからである」
とあります。

法華経には次のように説かれています。
「悪世の中の僧侶は邪智で心がひねくれて、仏法に不正直であり、
いまだ何もわかっていないのに、自分は悟りを得ていると思い、
自分を慢ずる心が充満している。
あるいは人里離れた静かな山寺などに袈裟、衣をつけて閑静な座におり、
自ら仏法の真の道を行じていると思いこんで、
世間の事にあくせすする人間を軽んじ、卑しむであろう。
彼らは、私服を肥やすため、金品をむさぼるために、在家の人達に説法し、
世の人達からもあたかも六神通を得た羅漢のように恭(うやま)われ、
尊敬されている。
そして常に人々のなかにあって、
正法をたもつ者を謗るために、国王や大臣、バラモン(インドの最上階級)、
居士(資産家、富豪のこと。また出家しないで仏門に帰依した男子の総称)
およびもろもろの僧侶に向かって、正法の行者を誹謗し、
その悪い点を作り上げて
『この人はよこしまな思想をもっており、外道の論議を説いている』
というであろう。
濁りきった悪世である末法においてはもろもろの恐怖がある。
邪宗邪義の悪鬼がこれらの国王、大臣達の身に入って、
正法の行者を罵ったり、謗り、辱めたりするであろう。
末法のんもこれらの悪僧侶達は、方便・権教が、
仏が衆生の機根に従って説いたものであることを知らないでこれに執着し、
かえって正法たる法華経の行者の悪口をいい、
顔をしかめて憎み、しばしばその正法の行者を追い出すであろう」
と。

また涅槃経には次のように説かれています。
「仏が入滅して後、幾百年、幾千年という長い年月を過ぎると、
仏法を正しく弘める聖人達もことごとく入滅するであろう。
正法一千年が過ぎて像法時代となり、ことに像法の終わりから末法へかけての時代に、
次のような僧があらわれるであろう。
その僧は、外面は戒律をたもっているように見せかけて、
少しばかり経文を読み、食べ物をむさぼって我が身を養っている。
その僧は、袈裟を身にまとっているけれども、
信徒の布施を狙うありさまは、
猟師が獲物を狙って、細目に見て静かに近づいていくようであり、
ネコがネズミを捕らえようとしているようなものである。
そして、
常に『自分は羅漢の悟りを得た』といい、外面は賢人、善人のように装っているが、
内面は信徒の布施を貪り、正法をたもつ人に嫉妬心を強く抱いているのである。
法門のことなどを質問されても答えられないありさまは、
ちょうどインドのバラモンの修行の一つである啞法の術をうけて
黙り込んでいる連中のようである。
実際には、正しい僧侶でもないのに僧侶の姿をしており、
邪見が非常に盛んで正法を誹謗するであろう」
と。

以上あげた通り、経文によって現代の世相をみると、まことに経文通りです。
このような腐敗堕落した僧侶を戒めなければ、
どうして善事を成し遂げることができるでしょうか。


客がなお前にも倍して憤っていうには、
政治の世界における賢明な指導者は世を治めるのに、正しい道理により、
社会の状況、人々の要望に即して民衆を導き、
聖人は道理にかなっていることとかなっていないことを公平に立て分けて世を治めます。

いま、世間の高僧達は、いずれも天下万民がすべて帰依しています。
もしそれが悪侶であれば、賢明な指導者は信じないでしょうし、
それらの高僧が聖人でないならば、
世の指導者達がこれらの人を信じ仰ぐわけがありません。

いま、世の賢人や聖人がそれらの名僧を尊び崇めているのをみれば、
世で仰いでいる僧侶達が
竜象(聖者、高僧、名僧を、巨大で威力のある動物である竜や象に例えている語)
ともいうべき高僧であることがわかります。




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それなのにどうしてあなたはそのような口から出まかせの言葉を吐いて、
あえて誹謗し、いったい、誰人のことを悪僧というのか、
それをくわしく聞きたいと思います。


主人がそれに答えていうには、
後鳥羽天皇の時代に法然という僧がいて、選択集(せんちゃくしゅう)を作りました。
すなわち、この書によって釈尊一代の説法を破り、
ひろく日本国中の一切の人々を迷わしたのです。

その選択集には次のようにあります。
「道綽禅師が安楽集に
『聖道門、浄土門の二門を立て、聖道門を捨てて正しく浄土門に帰すべきである』
と説いた文について。
それについて自分(法然)が考えると、
はじめに、聖道門とは、これについて大乗、小乗の二つがあり、
大乗のなかに顕教、密教、権教、実教などがある。
いま、この安楽集の意は、
小乗教と大乗教のうちには、ただ顕教と権教を聖道門とする。
これに準じて思うに、
聖道門として捨てなければならないのは小乗、顕教、権教はもちろんのこと、
まさに密大の真言も、実大の法華も聖道門として捨てるべきである。
従って、これらの経によって立っているところの
真言宗、禅宗、天台宗、華厳宗、三論宗、法相宗、地論集、摂論宗などの八宗は、
まさしく顕密、権実の相違はあっても、皆聖道門として捨て去り、
浄土の一門に帰すべきである。
中国念仏宗の開祖である曇鸞法師の往生論の注には、次のようにいっている。
慎んで竜樹菩薩の十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)を考えてみると、
菩薩が不退転の位を求めるのに、
二種類の道がある。
その一つは難行道であり、他の一つは易行道であると。
この中の難行道とは、
すなわち聖道門であり、易行道とは、すなわち浄土門のことである。
浄土宗の学者は、すべて、まずこの旨を知るべきであり、
たとえ以前から聖道門を学んでいる人であっても、
もし浄土門に入って学びたいという志のある者は、
当然聖道門を捨てて、浄土門に帰すべきである」
と。

また次のようにあります。
「善道和尚が正行・雑行の二つの行を立て、
雑行を捨てて、正行に帰すべきであると述べた文は次のようである。
第一に読誦雑行とは、浄土宗の依経である観経などの、
西方極楽浄土に往生できるという経を除いて、
それ以外の大乗教、小乗教、顕教、密教の諸経を受持読誦することを、
ことごとく読誦雑行と名づけるのである。
第三に礼拝雑行とは、
阿弥陀仏を礼拝する以外は、
一切の諸仏菩薩などおよびもろもろの人界の神および諸天善神などに対して、
礼拝し恭敬するのを、ことごとく礼拝雑行と名づけるのである。
以上の文について、
自分(法然)の見解をまとめていうならば、
われわれはまず雑行を捨てて専修念仏を修行しなければならない。
どうして百人が百人とも、必ず極楽浄土へ往生できる専修正行の念仏を捨てて、
千中無一、すなわち千人の中に一人も成仏することのできない、
法華経などの雑修雑行に堅く執着する道理があろうか。
仏道を修行する者は、よくよくこのことを考えるべきである」
と。

また
「中国の唐の時代の僧円照が選んだ貞元蔵録(じょうげんぞうろく)の中には、
大般若経六百巻からはじまって法常住経にいたるまで、
顕教、密教の大乗教は総じて六百三十七部二千八百八十三巻あるが、
これらは皆、読誦大乗という一句のなかにおさめて、
ひとたばにして捨てるべきであり、
釈尊の本意は、ただ念仏だけである。
まさに知るべきである。
仏が衆生の機根に応じて説いた随他意の法門の場合には
しばらく定散(定善と散善のことで、浄土宗で立てる修行法のこと)
二善の諸行の門を開いたが、
いよいよ釈尊の本意である
随自意(衆生の機根にかかわらず、仏が自らの悟りをそのまま説くこと)
の法門を説いた後には、
かえって前に説いた方便の定散の門を閉じてしまった。
一度開いた後、永久に閉じない門は、ただ念仏の一門のみである」
とあります。

また
「念仏の行者は必ず三心を具足しなければならないとの文。
この文は観無量寿経にあり、
善導があらわした同経の疏には
『問うていわく、もし念仏の行者と知解も修行も同じでなく、
”念仏は邪経だ”などという邪雑の人があって・・・』、
また
『外邪異見の難を防ごう(聖道門中の悪見、邪雑の人を外道、邪見、異見の者として、
それらの難を防いで、もっぱら念仏を修行せよ、との意)』、
『涅槃経や大論にある、
一歩か二歩しか進まないうちに郡賊達が旅人を呼び返すというたとえば、
別解、別行、悪見の人を郡賊にたとえているのである』と。

この善導の文について自分(法然)が考えるには、
一切の別解、別行、異学、異見などと善導がいっているのは、
聖道門の人々をいうのである」
とあります。




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そして、選択集の最後、結句の文では
「それ、すみやかに、生死の苦しみを離れようと欲するならば、
二種の勝れた法のなかで、聖道門をさしおいて浄土門に入りなさい。
浄土門に入ろうと欲するならば、正行、雑行のなかで、
もろもろの雑行をなげうって、選んでまさに正行に帰して、
もっぱら弥陀を信じ、念仏修行をしていきなさい」
といっています。
以上が選択集の内容です。

この法然の選択集をみると、
念仏の祖である中国の曇鸞(どうらん)、道綽(どうしゃく)、
善導(ぜんどう)の誤った釈を引いて、聖道と浄土、難行と易行の旨を立て、
法華真言をはじめ、
総じて釈尊一代の大乗教六百三十七部二千八百八十三巻の一切の経文と、
一切の諸仏菩薩および諸天善神などを信仰することを、
みな聖道門、難行、雑行などに入れてしまって、あるいは捨てよ、あるいは閉じよ、
あるいは閣(さしお)け、あるいは擲(なげう)てといっています。

この四字をもって一切衆生を迷わし、
そのうえにインド、中国、日本の三国の聖僧や十方の仏弟子を、
みな郡賊といい、念仏の修行を妨げるものであるとして、
これらの聖僧に悪口をあびせてかけています。

このことは、近くは、彼らが依経としている、
浄土の三部経のなかに説かれている、法蔵比丘四十八願中の第十八願に
「念仏を称えていけば必ず極楽浄土に往生出来るが、
ただ五逆罪の者と正法を誹謗する者を除く」
との誓文に背き、
遠くは釈尊一代五時の説法のうち、
その肝心である法華経の第二の巻・譬喩品第三の
「もし人がこの法華経を信じないで毀謗するならば、
その人は命が終わってのち阿鼻地獄に入るであろう」
との釈尊の誡文に迷うものです。

この法然の邪義に対して、
いまは既に末代であり、人々は凡愚で、
聖人のように法の邪正をわきまえることができません。
ですから、僧侶も俗世間の人々も、
皆迷いの暗い道に入って成仏への直道を忘れてしまっています。
また悲しいことは、
誰一人としてこの謗法を責める者がいません。
痛ましいことには、いたずらに邪信を増すばかりです。

そのために、上は国王から、下は万民にいたるまで、みな経といえば、
浄土の三部経以外になく、仏といえば阿弥陀仏と、
その脇士である観音菩薩と勢至菩薩の三尊以外にないと思っています。

しかしながら、一方、伝教、義真、慈覚、智証達が、
あるいは万里の波濤を渡ってもたらした経典や、
あるいは中国の各地をめぐってあがめた仏像は、
あるいは、高い山の頂に仏堂を建てて安置し、
あるいは深い谷の底に僧坊を建てて安置し、崇重してきました。

そうして、比叡山の西塔に安置された釈迦如来、
あるいは東塔止観院・根本中堂に安置された薬師如来は、
光を並べて威光を現当二世におよぼし、
同じく横川般若谷に安置された虚空蔵菩薩、
また戒心谷にまつられた地蔵菩薩も、
ともに、いよいよ利益を今生と後生に施して、万民の崇拝するところでした。

ゆえに、国主は一群、一郷を寄進して燈明料とし、
地頭は田畠荘園を寄進して供養しました。
このように、比叡山の法華経を中心とする天台宗は、
隆盛を極めたのでした。

ところが、
法然の選択集によって、情勢は一変しました。
すなわち、教主釈尊を忘れて西方の阿弥陀如来を尊び、
釈尊の付嘱をなげうって天台、伝教の建立した東方の薬師如来を閣(さしお)き、
ただ四巻三部の浄土宗の依経をもっぱら信仰して、
釈尊一代の五時の聖教をむなしく抛つてしまいました。

それゆえに、
阿弥陀如来の堂でなければ、仏を供養しようとの志を捨て、
念仏の僧でなければ、一切の布施をしなくなってしまいました。

そのため、仏閣はおちぶれて、
屋根はコケが生えて松のような眺めとなり、
立ちのぼる煙もほそぼそと、僧坊も荒廃して、
問いたずねる人もなく生い茂る庭草の露が深い。
しかしながら、そのような状態になっても、
人々は法を護り惜しむ心を捨ててしまって、
これを建立しようとの思いもなくなってしまいました。




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このゆえに、
寺を護りたもつ聖僧は去って帰らず、
守護の善神も去ったまま二度と帰ってきません。
これもひとえに法然のあらわした選択集によって起きた災いです。

悲しいことには、
数十年の間に、
百千万の人が法然の魔縁にとろかされ多く仏法に迷ってしまいました。

傍(ぼう)の念仏を好んで、正の法華を捨てるならば、
どうして善神が怒らないわけがあるでしょうか。

円教である法華経を捨てて、へんぱな念仏を好んで、
どうして悪鬼が便りを得ないでいるでしょうか。

災難を根絶するには、
かの千万の祈りを修するよりは、
この一凶である法然の謗法を禁じなければならないのです。


客はますます怒りの色をあらわして言いました。
わが本師釈迦牟尼仏が浄土の三部経を説かれて以来、
曇鸞法師ははじめは竜樹菩薩の中観論などの四論を学びましたが、
これを捨てて一向に浄土念仏に帰しました。
また二祖道綽禅師は、はじめ涅槃宗によって修行しましたが、
この涅槃の広業を閣いて、
ひたすら念仏の西方浄土往生の願行をひろめ、
善導和尚は雑行を抛つて専修念仏を立て、
慧心僧都は諸経の要文を集めて、念仏の一行を宗としました。

阿弥陀仏を尊び重んずることはまことにもってこの通りです。
また、
その念仏の功徳によって往生できた人は
数えきれないほど沢山いるではありませんか。

なかでも、
法然上人は、幼少のときから比叡山にのぼり、
十七歳のときに、法華経の奥義である天台、妙楽の書六十巻を読み、
さらに天台、真言はじめとする八宗の教義を究めつくし、
つぶさにその大意を得ました。

そのほか、
一切の経論を七回も読み返し、仏法の教義を述べた章疏や、
歴史に関する伝記類も一冊として窮めなかったものはなく、
その智慧はあたかも日月に等しく、
徳は日本や中国の先師達をもはるかに越えていました。

しかし、このようであったけれども、
なお聖道門の天台流では俗世間を出で離れる道に迷い、
成仏の境界をわきまえる事が出来なかったのです。

故に、
一切の経論を全部見、その内容をことごとく考えた上で、
末代に相叶う行を深く思い、
遠く思慮をめぐらして、ついに諸経を抛(なげう)ち、
専修念仏の行を立てられたのです。
そのうえ、
夢に善導を見て霊応(仏・菩薩・神などの不思議な感応のこと。霊感と同じ)をうけ、
いよいよ確信を深めて、ひろく天下に念仏をひろめました。

故に人々は法然を、あるいは勢至菩薩の化身
(仏・菩薩が衆生を救い利益するために種々に変化した身体のこと)
と号し、
あるいは善導和尚の再誕かと仰いで、
貴賎老若男女を問わず、国中がみな厚く法然を信仰するに至ったのです。

それより以来、
すでに長い年月を経て、今日に至りました。

しかるにあなたは、
もったいなくも、一切の災難は法然にあるといって、
釈尊の説かれた念仏の教えをおろそかにし、
弥陀をほしいままに譏(そし)っています。

なに故に、最近起こった災いをもって、聖代の法然にその源があるとし、
あえて念仏の祖師達を毀(そし)り、さらに法然上人を罵るのですか。

法然上人に対する悪口は、まるで毛を吹いて、しいて傷の口を求め、
皮を切ってわざわざ血を出すようなもので、
ありもしない事を無理にこじつけて、人を謗る罪を犯すものではないですか。

昔より今日に至るまで、こんな悪言はいまだ見た事がありません。
あなたはその罪を恐れて口を慎みなさい。
そういう悪口をいうあなたの罪は非常に重く、その罪は必ず問われるでしょう。
あなたと対座しているだけでも、同じ罪を共にうける恐れがあるので、
杖にたずさわれてさっそく帰ろうと思います。

主人は悠々と笑みをたたえ、客がいまにも帰ろうとするのを止めていいました。
からいタデの葉ばかり食べている虫は、そのからさを知りません。
また、臭い便所の中に長くいる虫も、その臭いがわからなくなってしまうものです。

永年、邪法に染まった人はそれと同じで、
あなたは私のいう良い話を聞いて逆に悪い話と思い、
謗法を犯している法然を聖人といい、正師たる日蓮を疑って悪侶のように思ってます。

そのような迷いこそ まことに深く、その罪は まことに重いのです。
ことの真因を聞きなさい。その趣旨を話してあげましょう。

釈尊は、
一代五十年の説法のうち、五時に分けて先後を立て、権実を明かされました。
ところが、
念仏の祖である曇鸞(どうらん)、道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)は




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仏説に反して権教につきしたがって肝心の実教を忘れ、
五十年の説法のうち、
先の四十余年に説いた権教によって、
最後の八年間に説いた法華経を捨ててしまいました。
これは仏法の奥底を知らない者です。

なかでも特に法然は、これら曇鸞、道綽、善導の流れを継いではいますが、
その源である三師が、権実の教えに迷っていることも知らないのです。

そう断定する理由は何かといえば、
大乗経六百三十七部二千八百八十三巻ならびに一切の諸仏菩薩および
諸々の諸天善神などについて、
「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」の四字を勝手に置いて
一切衆生の心を軽んじてしまいました。

これはひとえに法然自身が勝手につくった言葉であって、
まったく釈尊の経文を見ない説です。
この妄語(いつわりの言葉)のいたり、
その悪口のとがは他に比べることが出来ないほど重く、
いくらその罪を責めても責めたりません。

しかも、世の人々は皆、この妄語を信じ、法然の選択集を尊んでいます。
故に浄土の三部経をあがめて、そのほかの一切経を抛ち、
阿弥陀仏のみを仰いで、他の諸仏を忘れています。

まことに法然こそ諸仏諸経の怨敵であり、一切の聖僧、大衆の仇・敵です。

しかも、
この邪教は広く天下にひろまり、あまねく十方に充満してしまいました。

そもそもあなた(客)は、
正嘉の大地震など近年の災難をもって、
先年、法然が念仏をひろめた故だとすることに、これを暴言と思い、
むやみに恐れているが、いまここに多少の先例を引いて、
あなたの迷いをはらしてあげましょう。

摩訶止観第二に、
史記を引いていうには
「中国周代の末に髪を乱し、裸で礼儀を守らない者がいた」と。

この止観の文をさらに妙楽大師は、
弘決の第二に左伝を引いて解釈していますが、
そこには
「周の国家は礼儀をもととして建てられたが、第十三代の平王の代に
犬戎(けんじゅう)の侵略を避けて、都を東の洛邑(らくゆう)に移すとき、
伊川で髪を束ねず、ばらばらにした姿で、野原で神をまつっているのをみた。
その光景を見た識者は、
あと百年もたたないうちに国は滅びるであろう。
その兆しとして礼が滅びてしまったと予言した」
とあります。

このことからもわかるように、
災難が起こる時には、まずその兆しがあらわれ、その後に災いが起こるのです。

また同じく、止観の第二には次のように述べています。
「中国西晋の時代、竹林の七賢の一人で有名な阮藉(げんせき)という
優れた才能をもっている者がいた。
彼は髪を乱し、着物もだらしなく着て、礼儀というものをまるで意に介さなかったが、
当時の公卿の子弟が皆阮藉にならって礼儀を乱し、
いやしい言葉で、互いに悪く言い合い、反対に、
礼儀を重んずる、慎み深い者を「あれは田舎者だ」と呼んだ。
すなわち、これを西晋の王である司馬氏の滅亡する相とした」
とあります。

また、
慈覚大師の入唐巡礼記をみると、次のように出ています。
「中国、唐の武宗(ぶそう)皇帝は会昌元年に勅命を発して、
章敬寺の鏡霜法師(きょうそうほっし)に
国内の寺々に弥陀念仏の教えをひろめさせました。
そのため、寺ごとに、三日ずつめぐって説法したが、
勅を発した翌年には、早くも回鶻国(かいこつこく)の軍兵が唐の境を侵略してきた。

また、
会昌三年には河北の節度使が反乱を起こした。
その後、当時唐の属国となっていたチベットが、再び唐の皇帝の命を拒み、
回鶻国は重ねて国内に侵略してきた。
そのために、兵乱はあたかも秦の始皇帝、楚の項羽の時代と同じような激しさで、
町も村もみな、災火に巻き込まれてしまった。
ましていわんや、
武宗は、仏法をおおいに破り、寺院を破壊するなど大謗法を犯したので、
兵乱を抑えることができず、ついにはその罪によって病となり、
苦しんで死んでしまった」
と。

こうしたことを考え合わせると、称名念仏は亡国のもとです。
しかるに、法然は後鳥羽上皇の時代、建仁年中の者です。
後鳥羽上皇が承久の乱で滅び去ったことは眼前の事実です。
しかればすなわち、
中国においては唐の滅亡するという先例があり、
わが朝廷では三上皇が
臣下ともいうべき幕府によって流罪されるという証拠をあらわしました。

あなたは疑ってはならないし、怪しんでもなりません。
一刻も早く法然が立てた念仏の凶を捨て、
日蓮が説くところの妙法たる善に帰依して、
選択集を破ることによって災難の源を塞ぎ、その亡国の根を断つべきです。










最終更新:2011年03月11日 08:48