26p




客は少し和らいでいいました。
自分はいまだその奥底までは究めつくしていませんが、
いくらか仰せになった意味がわかりました。

しかしながら、京都から鎌倉に至るまで、
仏教界には要の位置についている多くの名僧がいますが、
そうした人々でさえ、今日まで誰一人として、
法然の謗法について幕府に訴えたものもいなければ、
天皇に意見を申し述べた者もいません。

あなたは卑しい身分の人でありながら、
たやすく念仏に対して悪口を言っていますが、
その義は未だ議論の余地が沢山あり、その理はいわれがありません。


主人がいいました。
自分は器も小さく、取るに足らない人間ではあるけれども、
かたじけなくも大乗仏教を学んでいます。
青バエは駿馬の尾について万里を行くことができ、
カズラは大きな松に寄って千尋の高さまでも延びるという例えもあります。

たとえ器量は小さいとはいえ、
仏弟子と生れて諸経の王たる法華経を信ずる以上、
どうして仏法の衰えるのを見て、
悲しみ惜しむ心情を起こさないでおられましょうか。

その上涅槃経には
「もし善比丘がいて、仏法を破るものを見ても、これをそのまま見過ごして折伏もせず、
追放もせず、その罪を責めもしないでいるならば、
その人は、たとえ善比丘であっても、仏法の中の怨敵である。
もし、よく追放し、強折し、その罪を責めるならば、
これこそ我が弟子であり、真の声聞である」
と説かれています。

自分は善比丘の身ではありませんが、
「仏法の中の怨(あだ)」と責められるのを逃れるために、
ここではただ大筋だけを取り上げて、ほぼその一端を示します。

さのうえ、さる元仁年中に延暦寺と興福寺から、
たびたび法然の邪義を禁止してほしいと天皇へと意見が述べられ、
その結果、それぞれ天皇からの命令書や幕府からの文書が下されて、
法然の選択集の版木を比叡山の大講堂に取り上げ、
三世の仏恩を報ずるために、これを焼き捨てさせました。

また法然の墓は、
感神院の召使いである犬神人(つるめそ)に仰せ付けて壊してしまいました。

そして法然の高弟である隆観、聖光、成覚、
薩生たちは流罪されてしまったのですが、
その後、いまだにそのご勘気が許されていません。
どうしてあなたの質問のように、
法然について、いまだにだれも朝廷や幕府に対して、
意見書を提出した者が無いといえますか。

客は少し和らいでいいました。
経を下し、僧を謗じているのは
必ずしも法然一人ばかりとは論じがたいことです。
(あなただって浄土の諸経を下し、法然を謗じているから同罪ではないですか)

しかしながら法然が、
大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩、
および諸々の諸天善神などを、
捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の四字にのせたことは、
その言葉はもちろんであり、
その文ははっきりとしております。

だからといって、法然の捨閉閣抛などの四字は、
あたかも美しい玉にわずかばかりの傷があるようなものです。
あなたは、このわずかな傷について強い誹謗を加えているが、
法然は、迷ってこのようにいうのか、
あるいはすべてを覚って語るのか、またあなたと法然とは、
どちらが賢いのか愚かなのか、
どちらの主張が良いのか、悪いのか、自分には判断がつきません。

ただし、一切の災難が起こる原因は法然の選択集にある、
とのいわれをさかんに論じられ、いよいよその旨を強調されています。

しょせん、天下泰平、国土安穏は君臣、万民が等しく願うところです。

いったい国家は法によって栄え、法は人によって尊いのです。
国が亡び、人々が滅するならば、仏をだれが崇めるでしょう、
法をだれが信ずるでしょう。
まず国家の安泰を祈って、
そうした後に仏法を立てるべきです。

もし、そのような災難を防ぎ、
国家繁栄の方法があるのならば聞きたいものです。




27p




主人が答えました。
自分はもとより仏法の道理にくらく、何も賢いわけではありません。
ただ釈尊の経文について、
少しばかり考えているところを述べてみましょう。

そもそも災難を対治する方法については、
仏法の経典にも、また仏法以外の書にも、
沢山説かれており、残らずここにあげることはとうてい困難なことです。

ただし仏道に入ってしばしば自分の考えをめぐらしてみると、
結局、謗法の人を禁止して、正法を護持する人を重んずるならば、
国中は安穏となり、天下は泰平となるであろうことは明白です。

すなわち、
涅槃経には次のように説かれています。
「仏のいわく
『ただ一人をのぞいて、他の一切の人に布施するならば、
みなその布施を賛嘆するであろう』と。

これに対して釈尊の弟子、純陀が質問していうには
『どういう人を名づけてただ一人を除くというのですか』
と。

仏のいわく
『いまここでただ一人とは破戒のものである』

純陀がまた質問する。
『自分にはどうしてもまだよくわかりません。もっとくわしく教えて下さい。』

仏いわく
『破戒のものとは一闡提のことである。
一闡提以外の一切の人に布施すれば、みな賛嘆すべきであり、
しかも大果報を得るであろう』

純陀が重ねて質問する。
『一闡提とはどういうことですか』

仏いわく
『純陀よ、もし僧尼および俗男俗女が、粗悪な言葉をもって正法を誹謗し、
そのような正法誹謗の重業をつくって、しかもそれを長く悔い改めようとせず、
心に懺悔しようとしないとしよう。
そのような人を名づけて、一闡提の道に趣くものというのである。
あるいはまた、
殺、盗、婬、妄語などの四重罪をおかし、
父母を殺し、破和合僧などの五逆罪をつくり、
しかも自分でそのような重罪を犯すことを知りつつも、
最初から心に恐れ慎んだり懺悔したりする心が少しもなく、
また仮りにそのような心があったとしても、
表面には少しもそれを示さず懺悔しない。
そして正法を護り惜しみ建立する心など少しもなく、
かえって正法を破り、悪口をいい、卑しんで、
その言葉は誤りだらけであるとしよう。
そのような人のことを、また一闡提の道に趣くものとなすのである。
ただ、このような一闡提の人達をのぞいて、
それ以外のものに布施するならば、一切が賛嘆するであろう』
とあります。」

また涅槃経には次のようにあります。
「自分はその昔、過去世において閻浮提に大国の王となり、
仙予と名のっていた。
そして大乗経典を慈しみ敬い重んじて、
その心はまじりっけが無く、よく、粗悪の心や、人を妬んだり、
物惜しみするようなことはなかった。
善男子よ、
自分はこのとき、大乗を重んずるあまり、
バラモンが大乗の実理を誹謗するのを聞いて、
即座にこれを殺害してしまった。
善男子よ、
自分はこのバラモンを殺した因縁によって、
それより以後、地獄に堕ちないのである」
と。

また涅槃経に
「如来は昔、国王となって菩薩の道を行じたとき、多少のバラモンを殺害した」
とあります。

また同じく涅槃経に次のようにあります。
「いわゆる殺生の罪は下、中、上の三つがある。
下殺(げせつ)とはアリの子をはじめ、一切の畜生を殺すことである。
ただし、菩薩が衆生を救うため、誓願して畜生の姿でこの世に生れているものは除く。
下殺の罪によって地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ち、
つぶさに下の苦をうける。
なぜかならば、
もろもろの畜生にもすべて、わずかであるが善根があるから、
その故に殺したならば、その罪報をうけるのである。

中殺とは、
凡夫の人より小乗仏教における声聞の聖者である阿那含果(あなごんか)、
すなわち声聞界の第三果に至るまでを中といい、
これらのものを殺すと、その業因により、
やはり三悪道に堕ちて中の苦をうけるのである。




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上殺とは父母をはじめ、
声聞界の最高位である阿羅漢(あらかん)、縁覚界の辟支仏(ひゃくしぶつ)、
不退位に入った菩薩を殺す罪であり、
これは阿鼻大地獄に堕ちるのである。

善男子よ、
もし一闡提を殺すものは、しかしながら、
この三種の殺のなかに入らないのである。

そして善男子よ、
かの正法を誹謗するバラモン達は、一切みなこの一闡提なのである」
と。

また仁王経には、次のようにあります。
「釈尊が波斯匿王(はしのくおう)に告げていわく、
正法を護持するためには、僧や尼に付嘱しないで、
諸々の国王に付嘱するのである。
なぜならば、僧や尼には、王のような正法を護る威力がないからである」
と。

また涅槃経には次のようにあります。
「いま、無上の正法を諸王、大臣、宰相および僧や尼、在家の人たちに付嘱する。
もし正法を破るものがあるならば、
大臣、四部の衆はまさに厳しくこれを対治していきなさい」
と。

また涅槃経には次のようにあります。
「仏がいうには、迦葉よ、自分はよく正法を護持した功徳、
因縁をもって、この仏身を成就することができたのである。
善男子よ、
正法を護持する在家のものは五戒を持(たも)つことなく、
威儀も修めないで、刀剣、弓箭(きゅうせん)、鉾槊(むさく)を手にとって、
謗法を責めるべきである」
と。

また同じく涅槃経には次のようにあります。
「もし五戒を受持するものがあっても、
それらの人達を大乗を行ずる人ということは出来ない。
たとえ五戒はうけなくても、
正法を護る人を大乗の人と名づけるのである。

正法を護るものは、まさに武器をもつべきである。
たとえ武器を手にとっても、
自分はこれらの人を名づけて持戒と呼ぶのである」
と。

また、同じく涅槃経には次のようにあります。
「善男子、過去の世にこの拘尸那(くしな)城において、
歓喜増益如来という仏が出現になった。
その仏が入滅した後、
如来の正法は無量億歳という長い間続いた。
その最後、あと四十年間で仏法がまさに滅びようとしていたが、
その時に、法をかたく持った一人の持戒の僧がいて、
その名を覚徳といった。

その時に多くの破戒の悪比丘があって、
覚徳比丘が、経を護持宣流し、諸々の悪比丘を制して、
蓄財などの破戒を戒める、正しい説法をするのを聞いて、
みな悪心を起こし、刀や杖をもって、この覚徳比丘を殺そうとして迫った。

その時の国王を有徳王といったが、
王はこの覚徳比丘に危険がせまっていると聞き、
法を護るために武器をとってすぐさま覚徳のところへ行き、
これらの悪比丘と、全力をあげて戦った。

その結果、覚徳比丘は殺される災難を免れることが出来たが、
戦った有徳王は全身に刀剣や切っ先、矛の傷を受け、
体に傷のないところはケシ粒ほどもないありさまであった。

これを見て、
覚徳比丘は王を誉めていった。
『素晴らしいことである。
いま王は真に正法を護った人である。未来世において、
王の体はまさに無量の法器となるであろう』
と。

王はこの時、正法を聞くことが出来、
大いに歓喜し、そのまま息を引き取り、




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阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生まれた。
しかも阿閦仏の第一番の弟子となった。

そして、有徳王の将従、人民、眷属など、王と共に戦ったもの、
王の戦いを見て歓喜したものは、それぞれ退転せず、
信心を全うして死んだ後、ことごとく阿閦仏の国に生まれた。

また、覚徳比丘も、
その後、命が終わって同じく阿閦仏の国に生まれ、
かの仏の声聞衆の中の第二番目の弟子となった。

もし法がつきようとする時には、
まさにこのように正法を受持し、護るべきである。

迦葉よ、
その時の有徳王をはすなわち、我が身である。
説法をした覚徳比丘は迦葉仏である。
迦葉よ、正法を護るものは、このように無量の果報を得るのである。

この因縁の故に、自分は今日において種々の相を得て、
自らの身を荘厳し、
絶対に壊れることのない法身を成就することが出来たのである。

仏はさらに迦葉菩薩に告げていった。
この故に、正法を護ろうとする在家の男子の信徒達は、
有徳王のように、まさに刀や杖を手にとって正法を護るべきである。

善男子よ、
自分が入滅して後、末法に入り濁悪(じょくあく)の世となり、
国土は荒れ乱れ果てて、人々は互いに土地や財産を奪い合い、
その為に人々は飢餓になるであろう。

その時に飢餓から逃れようと、生きていくために発心し、
多くの出家する者があらわれるであろう。
それらの人を名づけて禿人
(とくにん=髪がない者。ここでは、衣食の為に出家した、
形だけの僧侶をさしていった言葉)
というのである。

この禿人の輩は正法を護持する者を見て、その所を追い払い、
あるいは殺し、あるいは害するであろう。

その故に、自分はいま、持戒の人や僧が、
刀や杖を持つ諸々の在家の人々を伴侶とすることを許すのである。

刀や杖を持ってはいるけれども、
正法を護るが故に、これを持戒の人と名づけるのである。
ただし、刀や杖を持すといっても、防御の為、
護法の為であって、人の命を断ってはならない」
と。

さらに法華経の譬喩品には
「もし人がこの法華経を信じないで毀謗するならば、
すなわち、一切世間の仏種を断ち切ってしまう。
ないし、その人は命終して阿鼻獄に入り、無間の苦しみに沈むであろう」
とあります。

経文は、このようにはっきりとしています。
自分勝手な言葉をどうして加える必要がありましょうか。

およそ、法華経に説かれている通りであるならば、
大乗経典を謗ずる者は、無量の五逆罪以上の重罪です。
故にそれらの者は阿鼻大城に堕ちて、無量劫の間 出ることはできないのです。

また涅槃経の通りであるならば、
たとえ五逆罪を犯した者に供養することを許しても、
謗法の人に対して供養することは絶対に許されません。

アリの子を殺す者は必ず三悪道に堕ちますが、
謗法を禁ずる者は必ず不退の位に登るでしょう。

その証拠として、
いわゆる覚徳比丘は迦葉で、有徳王はすなわち釈尊であると説かれています。

法華、涅槃の経典は釈尊一代五時の説法のうち、その肝心です。
故にその戒めは実に重いのです。
だれがそれに従わないでいられましょうか。

それにもかかわらず、謗法の人々や法華経の正道を忘れた人達は、




30p




さらに、法然の選択集によって、
ますます愚癡となり道理に迷い、謗法の度を加えています。

この故に、
あるいは法然の遺体を木像に刻み、絵像として描いたり、
あるいは法然の妄説を信じて、
選択集などのまことしやかな邪言を版木に彫り、
これを刷って日本国中のいたるところ、
田舎の隅々まで弘めて歩いています。

いまや国の上下を問わず、
仰ぐところは法然の家風すなわち念仏であり、
布施をするといえば、その門弟に対してのみ、
というありさまとなりました。

このような状態ですから、あるいは釈迦像の手の指を切って
阿弥陀の印相(仏・菩薩の内証・本誓をあらわした相のこと)に結び替え、
あるいは東方薬師如来のまつってある寺を改めて、
西方阿弥陀如来の像を居(す)え、
あるいは天台宗の第三祖慈覚大師の時以来、
四百余年間も続いてきた法華経を書写する如来経も、
浄土の三部経を書写するように改められ、
あるいは毎年十一月二十四日に行なわれてきた天台大師講を停止して、
善導講(中国浄土宗の第三祖善導の命日に営む法会のこと)としてしまいました。

このような謗法の輩はとうてい数えきれません。
これこそ破仏、破法、破僧の行為でなくて何でしょうか。
これらの邪義はすなわち、すべて法然の選択集によるのです。

このように人々が如来の悟りの禁言に背いているのは実に悲しいことであり、
愚かな僧にすぎない法然の迷いの言葉に従っていることは、
まことに哀れなことです。

一刻も早く、天下の泰平を願うならば、
まず何よりも国中の謗法を断絶すべきです。


それに対して客は次のようにいいました。
もし、謗法の輩を断じ、仏の戒めに違反する人々を断つ為には、
前の経文に示された通り、斬罪にしなければならないのでしょうか。
もしそうであるとすれば、殺害の罪が加わって、
自分自身がその罪業を免れることが出来ないではないですか。

すなわち、僧や尼を殺害する罪について、
大集経には次のように説かれています。
「頭をそり、袈裟を身にまとえば、たとえそれが持戒(戒律を破る者)の者であっても、
人界、天界の衆生はその人を供養すべきである。
彼らを供養することが、すなわち仏である自分を供養することになるからである。
それらの僧尼は、みな我が子であり、もし彼らを打つようなことがあるならば、
それはすなわち、我が子を打つのと同じことである。
もし悪口をいって、彼らをはずかしめるならば、
それは、我れ(仏)をはずかしめることになるのである」
と。

従って、善悪を論ぜず是非を選ばないで、
およそ僧侶ならば、彼らを供養しなければなりません。
どうして仏の子を打ったりはずかしめて、
その父である釈尊を悲しませてよいでしょうか。

かの竹杖外道(ちくじょうげどう)は、
釈尊の十大弟子の一人で神通第一といわれた目蓮尊者を殺した為に、
長く無間地獄の底に沈み、また提婆達多は釈尊の弟子の蓮華比丘尼を殺した為に、
長い間、阿鼻の炎に咽(むせ)びました。
このように先証は明らかなのですから、
このことは後世の人々が最も恐れなければならないところです。

謗法の輩を斬罪にすることは謗法を戒めるようではありますが、
すでに、このような仏の禁言を破ることになります。
このことは、はなはだ信じ難いことですが、
どのように心得えれば良いのでしょうか。


主人は次のようにいいました。
あなたは明らかに上来の涅槃経などの経文をみていながら、
なおそのような質問をするとは心が及ばないのですか、
理が通じないのですか。

私が念仏者を断ぜよというのは、
まったく仏子を禁ずるのではありません。
ただ偏(ひとえ)に謗法を憎むのです。

いったい、釈尊以前の仏教においては、その罪を切ったのですが、
釈尊以後の経説は、すなわちその布施を停止するのです。

そうして、天下万民、一切衆生がことごとく、みな謗法の悪人に布施せず、
この正法たる日蓮の門下に帰すならば、
どんな難が起こり、どんな災いがくることがあるでしょうか。




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客はすなわち、座をさけ、えりを正して師弟の礼をとっていいました。
現在の仏教は多くの宗派に分かれてまちまちで、その教義はいちいち窮め難く、
私には疑問も多くて道理にかなっていないと、今まで思っていました。

ただし法然聖人の選択集は現にあって、
その中に、諸仏、諸経、諸菩薩、諸天善神などを
全て捨てよ、閉じよ、閣け、抛てといっている、
その文は明白です。

これが原因となって聖人は国を去り、
善神はところを捨てて、天下は飢饉に苦しみ、
世間に疫病が流行しているということを、
いま主人は広く経文を引いて、道理を明らかに示してくれました。
故に、
今までの誤った考えに執着していたことが悪かったということがわかり、
法の邪正聞き分け、人の正邪を見分けることが、
ほぼ明らかになってきました。

所詮、国土泰平、天下安穏は上一人から下万民に至るまで、
全国民があげて好むところであり、願うところです。

一日も早く不信謗法の者に対する布施を止め、
長く正法を護持する僧尼を供養して、
仏法界の怨敵である一切の邪宗邪義を断絶してしまうならば、
世は羲農の世
(羲農とは中国古代の伝説上の帝王で伏羲、神農のこと。
羲農の世とは、人心が治まり、天地も平穏な理想社会のこと)
となり、国は唐虞の国
(唐虞とは、唐尭、虞舜のことで、中国古代の伝説上の帝王で、
唐虞の国とは、理想的な幸福社会のこと)
となって、万民が平和な生活を楽しめるようになるでしょう。

そうした後、仏法の浅深、勝劣を比較研究して、
仏法の真髄である最高の教えに帰依し、
正法の根本の師を尊崇したいと思います。


主人は喜んでいいました。
故事にハトが化してタカとなり、スズメが変じてハマグリになるとありますが、
あなたもまた、日蓮のもとへ来て帰伏し、
ヨモギのように曲がっていた邪信が、
麻のごとく素直になり、正法に帰伏することができました。

まことに近年の謗法による災難を深く心に留めて、
日蓮の教えを真っ直ぐに信ずるならば、
仏法界は平穏になって、日ならずして世の中は豊年となるでしょう。

ただし、
人の心は時に従って移り、物の性分はその環境によって改まるものです。
たとえば水に映った月は波の動きに従って動き、
戦いに臨んだ軍兵は敵の攻撃に従って、なびくようなものです。
あなたもこの座では正法を信ずると決心しているけれども、
後になって、必ずそれを忘れてしまうでしょう。

もしまず国土を安んじて現当二世にわたる自分の幸せを祈ろうと思うならば、
速やかに情慮を廻らし、
急いで邪宗邪義に対治を加え、徹底的に破折していきなさい。

その理由は、薬師経の中に説かれている七難のうち、
五難はたちまちに起き、二難だけが なお残っています。
すなわち他国から侵略してくる難と、
自国内に反乱の起こる難です。

大集経に説かれている三災のうち、
二災はすでにあらわれ、あとの一災はまだ起きていません。
いわゆる兵革の災です。

また金光明経の中に説かれている災いも次々と起きましたが、
他国の怨賊が国内を侵略する災いだけはまだ露(あらわ)れていません。

さらに仁王経にある七難のうち六難までは、
今盛んに起きているけれども、一難のみまだ現れていません。
その最後の難とは、四方の賊が来て国を侵す難です。

それのみならず、経に
「国土の乱れる時には、まず鬼神が乱れる。
鬼神の乱れるが故に万民が乱れる」
と説かれています。

今この文について、つぶさに事情を考え合わせると、
百鬼は早くから乱れ、万民は多く死亡しています。

鬼神乱れ万民乱れるという先難はこのように明らかです。
国土乱れるの後災が起こることをどうして疑うことが出来ましょうか。
もし未だ現れていない自界叛逆(じかいほんぎゃく)と他国侵逼(たこくしんぴつ)の二難が、
悪法を崇重(そうじゅう)している罪科によって、
ならんで競い起きてきたならば、その時になってどうしようというのですか。

帝王、
すなわち国家の指導者は、国家を基盤として天下を治め、人々は田園を領し、
生産に励んでこそ生活をささえ、社会をささえていけるのです。

ところが、
他方の賊が来て国を侵略し、自国内に反乱が起きて、その土地が奪われるならば、
どうして驚かないでいられましょうか、
騒がないでいられましょうか。

国土を失い、国が滅びてしまったならば、
いったいどこへ逃れて行けるでしょうか。

あなたは須らく、自らの不安のない生活、境涯を願うならば、
まず一国の安定、平和を祈るべきです。




32p




なかんずく、
人はこの世にいる間は、おのおの死後、来世のことを恐れるものです。
その為に、あるいは邪宗教を信じ、あるいは謗法を尊んでいます。

自分(主人)は、
人々が仏法の是非、善悪に迷うことはよくないと思うけれども、
彼らもまた正法を求め仏法に帰依しているのです。
それでいながら、
邪法を邪法と知らずにそれを信じていることを悲しむものです。

同じく信心の力をもって、仏法を崇重しようとするならば、
どうしてみだりに邪法邪義の言葉を崇重して良いものでしょうか。

もし、法然などの邪法に対する執着の心がひるがえず、
また謗法にまたがった意志がなお存するならば、
早くこの世を去り、後生は必ず無間地獄に堕ちるでしょう。

その故は大集経に次のように説かれています。
「もし国王があって、無量世の長い間、
布施、持戒、智慧の修行を積んできたとはいえ、
正法がまさに滅びようとしているのを見捨てて、擁護しないならば、
すなわち謗法を責めないならば、
このように植えてきたところの無量の善根はことごとく皆滅し、
そしてその王はまもなく重病にかかり、
死んで後大地獄に堕ちるであろう。
王と同様に、夫人、太子、大臣、城主、柱師(村主、将帥)、
宰官もまたことごとく地獄に堕ちるであろう」
と。

仁王経には次のように説かれています。
「人が正法を信じないで、謗法を犯すならば、家庭の中が乱れて、
孝行の子がなく、親子、兄弟、夫婦は互いに不和で、天神も守護せず、
流行病、悪鬼が日々に来て、肉体的、精神的な苦しみを与える。
そして災難が絶え間なく起こり、
死んで後は地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちるであろう。
もし、再び人間に生まれてきたときには、
兵隊として、人に屈従する、楽しみのない果報を得るであろう。
音に響きの応ずるように、物に影のそうように、
夜字を書いて火が消えると、字は見えないがきちんと残っているように、
この三界の果報も、死んで後、必ず現世に作った罪の因により、
縁によって生じてくるのである」
と。

また法華経の第二の巻・譬喩品には
「もし人が信じないで、この法華経を毀謗するならば、
その人は死んで後阿鼻地獄に堕ちるであろう」
とあります。

同じく法華経の第七の巻・不軽品には
「死んで後、千劫の間阿鼻地獄において大苦悩をうける」
とあります。

さらに涅槃経には
「善友を遠ざけて正法を聞かず、逆に悪法悪友に従っていると、
その因縁によって阿鼻地獄に沈み、
縦横八万四千由延という無間の苦しみをうけるであろう」
とあります。

以上の通り、広く一切経を聞いてみると、
いずれの経ももっぱら謗法が重罪であることを説き、
戒めています。
ところが、悲しいことに人々は皆正法の門を出て、
深く邪法邪義の獄に入っています。
愚かにも法然などの悪教の綱にかかって、
末永く謗教の網にまつわっています。

現世には邪教のもうもうと立ち込める霧に迷い、
死後は阿鼻地獄の火炎の底に沈むことをみて、
どうして愁えずにおられましょうか、
どうして苦しまずにおられましょうか。

今やあなたは一刻も早く邪法信仰の寸心を改めて、
実教の一善たる日蓮の法門に帰依しなさい。

そうすればすなわち、
この三界は皆 仏国です。
仏国であるならば、どうして衰えることがあるでしょうか。
十方の国土はことごとく宝土(仏国土のこと)です。宝土であるならば、どうして壊れることがあるでしょうか。

かくして三災七難もなくなり、
国土が破壊されることもなくなれば、あなたの身は安全になり、
心には何の不安もない幸福生活を送ることができるのです。

この言葉は心から信ずべきであり、崇めるべきです。

客は次のように答えました。
今生、後生にわたる人生の不幸の原因を明らかに示された以上は、
誰人が心の底から慎まないでいられましょうか。
従わないでいられましょうか。

いま示された経文を開いて、つぶさに仏の金言を仰いでみると、
正法を誹謗する失は非常に重く、
正法を破る罪はまことに深いことが良くわかりました。




33p




自分が弥陀を信じて、諸仏を抛ち、浄土の三部経を仰いで諸経を閣いたのは、
自分が勝手にそうしたのではなく、
念仏の開祖達の言葉に従ったものでした。
国中の諸人もまた同じでしょう。

その為今生には悪戯に邪宗の害毒に生命力を蝕まれ、
死んで後来世には阿鼻地獄に堕ちることは、
経文にも明らかであり、
その理もはっきりしていて、少しも疑う余地がありません。

いよいよあなたの慈悲あふれる御訓戒を仰ぎ、
ますます愚かな自分の迷いを悟ることが出来ました。
速やかに謗法対治の方策を立てて、
早く天下泰平を実現し、まず今生の幸福生活を確立し、
さらに後世もまた福徳を積んでいきたいと思います。

その為には、
ただ自分一人が信ずるだけではなく、
他の人達の誤りも戒めていきたいと思います。






 立正安国論奥書(おくがき)          /通解




文応元年(1260年)に立正安国論を述作しました。
正嘉のときから考えはじめて、文応元年に考え終わったのです。

去る正嘉元年(1257年)八月二十三日午後九時ごろ起きた大地震を見てこれを考えました。

その後三年を経て、文応元年七月十六日に宿屋左衛門入道光則を通じ、
故最明寺入道北条時頼殿にこれを指し上げました。

その後、文永元年(1264年)七月五日の大彗星のとき、
いよいよその災難の根源を知りました。

文応元年(1260年)より文永五年(1268年)の閏(うるう)正月十八日に至るまで
九ヵ年を経過して、西方大蒙古国から日本を襲う旨の通告文がもたらされました。
また同じく翌六年には重ねて通告がきました。

すでに安国論に予言したことはぴったりと的中し、現証となってあらわれたのです。
これに従って思うに、未来もまた安国論の予言は必ず的中するでしょう。

この安国論は、そのように現証を伴った力ある書なのです。
これひとえに日蓮の力ではありません。
法華経の仏の説かれた誤りのない文の感応の致すところの力です。


文永六年(1269年)十二月八日これを写す。










最終更新:2011年03月11日 08:48