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二乗を煩悶(はんもん)させました。

小乗経と諸大乗経とは多少の相違があるから、
諸大乗経には、
あるいは十方に諸仏が出現されたり、あるいは十方より大菩薩をつかわされたり、
あるいは十方世界にも同じく大乗経を説く理由をしめし、
あるい十方より諸仏が集まられ、あるいは釈尊が舌をもって三千大千世界をおおい、
あるいは諸仏が舌を出すというような事を説かれたのです。

これは、ひとえに諸小乗経に
「十方の世界にただ一仏あり」と説かれた考え方をやぶる事になるのです

しかし、これも法華経のように、先後の諸大乗経と根本的な相違ができて、
舎利弗らの声聞および大菩薩・人天(にんてん)らに
「まさに魔が仏になったのではないか」と思わされたほどの大事ではありません。

ところが、華厳・法相・三論・真言・念仏宗らの智慧の眼のかすんでいる輩が、
爾前の経々と法華経とはまったく同じだと思っているのは、ま事につたない眼です。


14  滅後は信じがたい事


釈尊在世においては、四十余年の経経をすてて法華経につく者もあったでしょう。
しかし、釈尊の滅後に法華経を聞き見て信受する事は難しい事です。

そのわけは、まず一つには爾前の経々は多言であり、法華経はただ一言です。

爾前の経々は多くの経があり、この法華経はただ一経です。

爾前の経々は四十余年の多年にわたっており、この法華経はわずか八年です。

釈尊は、大ウソつきの人として永く信ずる事が出来ません。
このように信じられないのを、もし強(し)いて信ずるならば、
爾前の経々は信ずる事もあるでしょうが、法華経は永く信ずる事は出来ません。

今の世の中でも、法華経をみな信じているようにみえますが、
実は、法華経を信じているのではないのです。

そのわけは、法華経と大日経と、法華経と華厳経と、
法華経と阿弥陀経とを同一であるというように説く人によろこんで帰依し、
別々であるという人を用(もち)いない、
たとえ用いても、本意ではないと思っているからです。

日蓮がいうには、日本国に仏法がわたってから既に七百余年になるが、
ただ伝教大師一人だけが法華経を読まれた、
といっているのを、国中の人々はこれを用いません。

ただ、法華経見宝塔品(ほけきょうけんほうとうほん)には
「もし須弥山を手に取り上げて、他方の無数の仏土に投げ置く事も、
いまだそれほど困難な事ではない。
しかし、もし仏の滅後に悪世の中においてこの法華経を説こうとすると、
これは非常に難しいkとである」
と説かれています。

日蓮が強くいっている事は、この経文にまったく一致しています。

法華経の流通分たる涅槃経に
「末法の濁悪(じょくあく)の世には、謗法の者は十方世界の大地のように多く、
正法を信ずる者は爪の上の土にように少ない」
と説かれているのは、どうのように考えるべきでようか。

日本国中の人々は爪の上の土でしょうか。
日蓮は十方世界の土でしょうか。
よくよく考えてみるべきです。

賢王の世には道理が勝ち、愚主の世には非道が先立ち、
聖人の世には法華経の実羲があらわれると心得るべきです。

この二乗作仏の法門は、迹門と爾前とを相対して、
爾前のほうが強いように思われます。




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しかし、もし爾前が強いならば、舎利弗らの諸々の二乗は永久に成仏出来ない者となります。
そうするとどんなに嘆かれる事でしょう。


15  本迹相対(ほんじゃくそうたい)


第二に久遠実成(くおんじつじょう)について。
教主釈尊は住劫(じゅうこう)第九の減(げん)の時代で、
人間の平均寿命百歳のとき、師子頬王(ししきょうおう)には孫、
浄飯王(じょうぼんのう)には世継ぎとして生まれ、
童子の時の名を悉達太子(しつたたいし)といい、
漢訳して一切羲成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)と申し上げました。
御年十九歳でご出家、三十歳で成道された世尊は、
はじめ寂滅道場(じゃくめつどうじょう)において、
菩薩の住む実報土と蓮華蔵世界の仏の立派な儀式をしめして、
十玄・六相などの法門を根本として、
法界円融(ほうかいえんゆう)・頓極微妙(とんごくみみょう)の大法を説かれました。
その場には十方世界の諸仏もあらわれ、一切の菩薩も雲のように集まってきました。

その立派な国土といい、説法をうける菩薩の機根といい、
また諸仏の出現といい、説法の最初といい、なんで大法を秘しかくす事があるでしょうか。

ですから華厳経の経文には
「自在の力を顕して、真理に満ちて欠ける事のない円満の経を説く」とあります。
華厳経の一部六十巻は一字一点もれなく円満経なのです。

たとえば、意のままに無量の宝を出せるという如意宝珠(にょいほうしゅ)は、
一つの珠も無数の珠も共にその働きは同じです。
一つの珠でも万宝を事ごとく雨(ふ)らせる事ができるのです。
それと同じで、華厳経は一字も万字もただ同じ一つの真理を説き明かしているのです。

「心と仏と衆生の三つは差別がない」
という華厳経の文は、華厳宗の肝心であるだけではなく、
法相・三論・真言・天台の各宗の肝要であるといわれています。

これほどすぐれた華厳経に何事をかくさなければならないでしょうか。
けれども、二乗と一闡提(いっせんだい)は成仏しないと説かれたのは、
立派な珠に傷と思えるうえ、三か所にまでこの世ではじめて正覚を成じたといわれて、
寿量品にあるところの久遠実成を説きかくされました。

これは、あたかも珠が割れたような、月に雲がかかったような、太陽が蝕したような、
実に不思議な事です。

阿含・方等・般若・大日経などは釈尊の説かれた教えですから、
立派な経文なのですが、華厳経に対すればいうにかいもない劣った経文です。
従って、華厳経に秘しかくされた事を、これらの劣った経々に説かれるわけがありません。

ですから雑阿含経には「初めて成道し」等といい、
大集経には「如来が成道してから始め十六年」等といい、
浄名経には「始め仏は樹(き)に面して坐(すわ)り、力(つと)めて魔を降した」等といい、
大日経には「われ昔道場に坐(ざ)して」等といい、
仁王般若経には「成道してから二十九年」等と始成正覚の立場で説かれています。

これらの諸経は、いうに足りない経ですが、ただ耳目(じもく)をおどろかす事は、
法華経の開経であり序分たる無量義経に、華厳経の「唯心法界(ゆいしんほうかい)」とか、
方等の「海印三昧(かいいんざんまい)」とか、
般若経の「混同無二」などの大法を書き上げて、
あるいは「いまだ真実をあらわしていない法門である」とか、
あるいは「菩薩は長い間修行しなければ成仏しない」などと下すほどの無量義経に
「われは先に道場菩提樹(どうじょうぼだいじゅ)の下に端坐(たんざ)する事六年にして
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就する事ができた」と、
成道して最初に説いた華厳経の「始成(しじょう)」の文と同意にされたのは
不思議な事だと思うのですが、
無量義経は法華経の序分なので正宗分の法門についてはまだいわれなかったのでしょう。

さらに法華経の正宗分・方便品では、声聞・縁覚・菩薩の三乗を開いて幅一仏乗を顕し、
また三乗を開いて広く一仏乗を顕す説法のとき、
「ただ仏と仏のみが諸法の実相をよく究め尽くしている」
「世尊は久しいあいだ方便の法を説いた後、必ず真実の教えを説く」
「正直に方便権を捨ててただ無上道を説く」
等と説かれました。




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これらの説法に対して多宝如来は、迹門の八品をさして見宝塔品に
「これみな真実である」と証明されているので、何一つかくすべきはずはないのに、
久遠寿量を秘しかくされて方便品では、
「われ、始め道場に坐(ざ)し、樹(き)を観じてまた経行(きょうぎょう)した」
等と説かれているのです。
これこそ、もっとも第一の大不思議です。

このようなありさまですから、
涌出品において涌出した、四十余年のあいだ未だ見た事もなく、
今はじめて見る地涌の大菩薩を、仏が
「これを教化(きょうけ)して、初めて大道心をおこさせたのである」等と説かれたので、
弥勒菩薩は疑って次のように質問しました。
「如来は太子であったときに、釈迦族の首都カピラ城を出て、
伽耶城(がやじょう)をはなれる事それほど遠くない道場に坐して
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成(じょう)ぜられた。」
それより以来、はじめて四十余年を過ぎたにすぎない。
世尊よ、どのようにしてこのわずかなあいだに、おおいなる教化をなされたのか」と。

教主釈尊はこれらの疑いを晴らすために、
寿量品を説いて、まず爾前・迹門において大衆が聞いてきたところをあげて言われました。
「一切世間の天・人・および阿修羅は、みな、今の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)は
釈迦族の首都カピラ城を出て、伽耶城をはなれる事それほど遠くない道場に坐して
阿耨多羅三藐三菩提を得られた、と思っている」
等と。

つづいて、まさしくこの疑問に対して答えられました。
「ところが善男子よ、われ、じつに成仏してよりこのかた、
無量無辺百千万億那由佗劫(むりょうむへんひゃくせんまんのくなゆたこう)を
経ているのである」
と。


16  爾前迹門(にぜんしゃくもん)の二つの失(とが)を顕す


華厳経、おおび般若経・大日経などは、ただ二乗作仏をかくすだけでなく、
久遠実成をも説きかくされています。

すなわち、これら爾前の経々には二つの欠点があります。
一つは「十界の中に差別をもうけて二乗は作仏しないと説くため、いまだ権を開せず」
といって迹門の一念三千をかくしている事です。
二には「インドに生まれて成仏したといっているため、なおいまだ迹を発せず」
といって、本門の久遠実成をかくしている事です。

この二つの大法は、釈尊一代五十年の聖教の大綱・骨目であり、一切経の真髄です。

迹門方便品は一念三千の理と二乗作仏を説いて、
爾前経の二種の欠点のうちの一つをまぬかれました。

しかしながら、迹門ではいまだ発迹顕本していない、
すなわち仏の真実の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まっていません。
たとえていえば水面にうつる月のの影を見ているようなものであり、
根なし草が波の上にうかんでいるのに似ています。

さて、法華経本門にいたって、釈尊は久遠実成を説いて始成正覚を破ったので、
それまでに説かれた蔵・通・別・円の四教の仏果が打ち破られてしまいました。
四教に説かれた成仏のための因である修行もやぶれた事になるのです。

九界も無始常住の仏界にそなわっており、仏界も無始常住の九界にそなわって、
これこそ真の十界互具・百界千如・一念三千なのです。

こうして爾前経に説かれた仏はどうか、とかえりみますと、
華厳経で説く蓮華蔵世界の中心の台上に坐している盧舎那(るしゃな)報身仏や、
その周囲上に坐している無数の化仏(けぶつ)、阿含経で説く小釈迦(しょうしゃか)、
あるいは方等経や般若経、
あるいは金光明経(こんこうみょうきょう)・阿弥陀経・大日経などで説く権仏などは、
この寿量品の本仏が、たとえば天の月が




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しばらく大小の器(うつわ)の水に影をうかべたようなものなのを、
諸宗の学者らは、近くは自宗の教義にくらく、遠くは法華経寿量品をまったく知らないので、
水にうつった月影を真実の月と思い、あるいは水の中に入って取ろうとしたり、
あるいは縄をつけてつなぎ止めようとしているのです。

天台大師はこれをさして「法華玄義」で
「天にある真実の月を知らないで、ただ池の水にうつった月の影を見ている」
と破折(はしゃく)されています。


17  涌出品・寿量品が信じがたい事を示す


日蓮が考えるのには、人々によっては、法華経迹門に説かれた二乗作仏でさえ、
爾前経の二乗永不成仏(にじょうようふじょうぶつ)の羲のほうが強いように思われます。
さらに本門の久遠実成は、また比較にならないほど、爾前経で説く始成正覚の考えが強いのです。

その理由は、
爾前経と法華経を相対してみますと、なお爾前経の羲のほうが強いうえ、
始成正覚を説く点においては、
爾前経だけではなく、法華経の迹門十四品もまったく爾前経と同一なのです。
本門十四品の中でも、涌出品・寿量品の二品をのぞいては、みな始成正覚の思想があります。

そのうえ、釈尊が沙羅雙樹林(しゃらそうじゅりん)で
最後に説いた大般涅槃経(だいはつねはんきょう)四十巻をはじめ、
そのほかの法華経の前後に説いたもろもろの大乗経には
一字一句も久成(くじょう)という言葉はなく、
法身の無始無終は説いても、応身および報身の顕本は説かれず、
したがって無始無終は説かれていません。

どうして数の多い爾前経や、法華経の本門と迹門や、涅槃経などのもろもろの大乗経を捨てて、
ただ涌出品と寿量品の二品を信ずる事ができるでしょうか。


18  諸宗の誤りをあげる


そのようなわけで、まず法相宗という宗派について見てみると、
インドの釈尊が入滅したのち九百年ごろ無著菩薩(むじゃくぼさつ)という大論師がいました。

夜は弥勒菩薩の住所である都率天(とそつてん)の内院にのぼり、
弥勒菩薩に対面して、釈尊一代に説いた聖教について不審な点を解明し、
昼はインドの阿輸舎国(あしゅしゃこく)で法相をひろめられました。

無著菩薩の弟子には世親(せしん)・護法(ごほう)・難陀(なんだ)・戒賢(かいげん)らの
大論師がいました。
当時インドで善政をしいていた戒日王(かいにちおう)も
その檀那となって頭(こうべ)を下げ、五天竺すなわち全インドの人々は、
みな我見をすてて無著に帰依しました。

中国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)はインドにわたって、
十七年の間、インドの百三十余の国々を見聞して仏法を学んだ結果、
諸宗を振り捨ててこの法相宗を中国にわたし、
中国・唐の太宗皇帝(たいそうこうてい)という賢王にこれをさずけました。
さらに神肪(しんぼう)・嘉尚(かしょう)・普光(ふこう)・窺基(きき)などを弟子として、
大慈恩寺(だいじおんじ)をはじめ中国三百六十余か国にひろめられました。

ついで日本国には人王三十七代考徳天皇の代に、動慈(どう)・道昭(どうしょう)などが
この法相宗を唐から習いつたえて、山階寺を建立し、これを尊崇するようになりました。
このように法相宗はインド・中国・日本の三国第一の宗派です。

この宗派がいうには
「始めの華厳経から終わりの法華・涅槃経にいたるまでの一切の経には、
声聞・縁覚・菩薩の三乗になる種をもたない無性有情の者と、
二乗に決定している決定性(けつじょうしょう)の二乗は、永久に成仏できないと説かれている。

仏の言葉に二言があるわけがない。
ひとたび永久に成仏しないと定められた以上は、たとえ太陽や月が地におちる事があっても、
大地がひっくりかえったとしても、永久に改められるわけがない。

だから法華経・涅槃経のなかにも、
爾前の経々で成仏しないとしりぞけられた無性有情(むしょううじょう)の者と
決定性の二乗をまさしくつきさして、成仏するとは説かれていない。

まず眼を閉じて考えてもみよ。
法華経・涅槃経に、決定性の者と無性有情の者がまさしく成仏すると説かれているのなら、
無著(むじゃく)や世親(せしん)ほどの大論師、
および玄奘(げんじょう)や慈恩(じおん)ほどの高僧や人師が、
これを見ないわけがあろうか。
これを著書に載せないわけがあろうか。




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また、これを信じて伝えないわけがあろうか。
弥勒菩薩に会ってたずねないわけがあろうか。
おまえは、法華経の文に依って二乗作仏といっているようであるけれども、
実は天台・妙楽・伝教らのまちがった見解を信受して、
その見解をもって経文を見るから、
爾前経においては二乗は成仏せず、法華経は成仏すると、
水と火のように相容れないと思っているのである」と。

華厳宗と真言宗は、法相宗や三論宗とは比較にならないほどすぐれた宗派です。

華厳・真言の二宗は
「二乗作仏や久遠実成が説かれているのは法華経に限ってはいない。
華厳経や大日経にも明らかに説かれている。
華厳宗の杜順(とじゅん)・智儼(ちごん)・法蔵(ほうぞう)・澄観(ちょうかん)ら、
また真言宗の善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)らは、
天台大師や伝教大師に似てもにつかないほど位の高い僧である。

そのうえ、善無畏らは、大日如来より直系みだれる事のない相承がある。
仏や菩薩が衆生を救う為、仮にあらわれたこれらの人に、どうして誤りがあるであろうか。

したがって華厳経には
『釈尊が仏道を成じ終わって、不可思議劫という長い間が過ぎるのを見た』
といっている。

また大日経には
『われ(大日如来)は一切の根源である』といっている。

これらを見ると、どうして久遠実成が説かれているのはただ法華経寿量品に限るといえようか。
たとえば井戸の底にいる蛙(かわず)が大海を見ず、山奥に住む人が都を知らないように、
おまえは、ただ寿量の一品だけを見て、華厳経や大日経などの諸経を知らないのか。

そのうえ、インド・中国・新羅(しらぎ)・百済(くだら)などにおいても、
一同に二乗作仏・久遠実成が説かれているのは法華経に限るといっているのか」
と。


19  滅後には信じがたい事を結ぶ


以上のようであるから、最後八か年に説かれた法華経は四十余年の爾前経とは相違しており、
四十余年の先の教判と最後八か年の後の教判のなかでは、
当然後の法華経の教判につくべきであるといっても、
なお爾前経の羲のほうが強いように思われます。

また、
ただ釈尊在世の間だけならば、法華経のほうが勝れていると考えられた事もあったでしょうが、
釈尊入滅後に出現した論師や人師の多くは爾前経にかたよっています。

このように法華経は信じ難いうえ、世もようやく末法になったので、
聖人・賢人はだんだんとかくれ、迷者が次第に多くなってきました。
迷者は世間の小さな事でさえ誤りやすいものです。
まして出世間の深法(じんぽう)である仏法について誤りがないはずがありません。

犢子(とくし)や方広(ほうこう)は非常に聡明でしたが、
なお大乗経と小乗経の区別に誤りを犯しました。
また無垢論師(むくろんじ)や摩沓(まとう)はするどい理解力をそなえていましたが、
権教と実教の区別をわきまえる事が出来ませんでした。

これらは、正法時代一千年のうちで、
釈尊の在世にも近い時であり、釈尊と同じインドの国内でしたのに、
すでにこのような状態でした。

まして中国や日本国などは、
釈尊の生まれたインドから国も遠く隔たり、言葉も違っています。
人々の機根も劣っており、寿命も短く、貪(むさぼ)り・瞋(いか)り・愚かの三毒も
倍増しています。
さらに釈尊が世を去ってから長い年月がたっています。
ですから仏経に関して誤りを犯しています。
いったい誰の解釈が正しいのでしょうか。

釈尊は涅槃経に予言して
「末法には正法をたもつ者は爪の上の土の様に少なく、正法をそしる者は
十方世界の大地の土の様に多い」
とあります。

また法滅尽経には
「正法をそしる者はガンジス河の砂の数ほど多く、
正法をたもつ者は一個か二個の小石のように少ない」
と予言されています。

千年に一人、五百年に一人でも正法をたもつ者が出現する事は難しいでしょう。

世間の罪によって悪道に堕ちる者は爪の上の土のように少なく、
仏法の正邪に迷って悪道に堕ちる者は十方世界の土のように多い、
それも俗人より出家の僧の方が、
また一般の女性より出家した尼の方が仏法に迷って多く悪道に堕ちるのです。




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20  末法の法華経の行者のいわれ


ここに、日蓮が案じて思うに、世はすでに末法の時代に入って二百余年が過ぎました。
日蓮は東海の片田舎に生をうけ、そのうえ身分は低く、
さらに非常に貧しい身の上です。

かつて六道を生死生死と流転している間には、
あるいは人界・天界の大王と生まれて、大風が小さい木の枝を吹きゆるがすように
万民をなびかした時にも成仏は出来ませんでした。

ある時は大乗経や小乗経を修行して外凡・内の大菩薩の位に修しあがり、
一劫・二劫・無量劫という長い間菩薩の行を修め、
すでに不退転の位に入るはずであった時も、
強盛の悪縁に触(ふ)れ、その悪縁に動かされて悪道におとされ、
成仏出来ませんでした。

三千塵点劫(じんでんごう)の昔、
大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の法華経を聞いて結縁(けちえん)したが、
これをまったく信じなかった第三類の者で、
釈尊在世の法華経の会座にももれてしまったのでしょうか、
あるいは久遠五百塵点劫の昔に、法華経の下種をうけながら退転して、
今日ここに生まれ来たものでしょうか。

かつて法華経を修行していくうちに、世間の悪縁、
国主からの迫害、外道や小乗経からの非難などがあり、
それらは耐え忍ぶ事が出来たけれど、権大乗経や実大乗経を
極め尽くしているように見える道綽(どうしゃく)・善導(ぜんどう)・
法然(ほうねん)等のような悪魔がその身に入って邪教を説く者が、
法華経を非常に褒め上げながら衆生の機根を強く下し、
道綽は「安楽集」で
「法華経は理は深いが、下根の末法の衆生には理解出来ない」と立て、
「法華経によって得道した者はいまだ一人もいない」といい、
善導は「往生礼讃(おうじょうらいさん)」で
「法華経によって成仏する者は千人のうち一人もいない」などといって、
このように欺(あざむ)き騙(だま)す者に、無量生(むりょうしょう)の間、
数えきれない程騙されて、ついに法華経を捨てて権経に堕ちてしまいました。

さらに権経から小乗経へ堕ち、外道や外典へと堕ちました。
あげくは悪道に堕ちてしまったのだという事を深く知ったのです。

日本国でこの事を知っている者は、ただ日蓮一人です。

この事を一言でも言い出すならば、
父母や兄弟や師匠、さらに国主による迫害が必ずあるでしょう。
しかし、いわなければ慈悲がないのと同じ事だと思われます。
法華経・涅槃経などの文について、言うか、言わないか、の二つの辺を合わせ見ると、
言わないならば今世には何事もなくても、後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。
言うならば、三障四魔が必ず競い起こるであろう。
という事を知りました。

そこで二辺のうちでは言うべきです。
しかし国主による迫害等が起きた時に退転するのでは、
言うのは今一度思い止(とど)まろうと、しばらく考えている時に、
思いあたったのが法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の
六難九易(ろくなんくい)の経文です。

「我々程の力のない者が、須弥山を投げる事が出来ても、
我々程の通力のない者が枯れ草を背負って燃え盛っている火に焼けない事があっても、
我々程の無智の者が数えきれない程の経々を読み覚(おぼ)える事が出来たとしても、
法華経の一句一偈すら末法にたもつ事は難しい」
と説かれているのは、この事です。

この度(たび)強盛の菩提心(ぼだいしん)を起こして、
退転しないと誓いを立てました。


21  ほぼ法華経の行者である事を述べる


建長五年以来、既に二十余年の間、

この法門を申し弘めてきたので、日々・月々・年々に難が重なっています

小さな難は数知れず、
大きな難は四度ありました。

そのうち二度は暫くにおいて、
国主の命令による難は既に二度にもおよんでいます。
特にこの度の大難は既に生命にもおよんでいます。

そのうえ、弟子といい、檀那(だんな)といい、
またわずかに法門を聞いたにすぎない俗人(ぞくじん)等まで
重い罪に処せられました。
それは謀反を起こした者の様でした。




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法華経第四の法師品(ほっしほん)には
「しかも、この法華経を弘めると釈尊の在世でさえなお怨(うら)み、妬(ねた)みが多い。
まして釈尊の滅後の後、末法においてはなおさらの事である」
とあります。

同じく第二巻の譬喩品(ひゆほん)に
「法華経を読誦し、書写し受持しようとする者を見て、
この人を軽んじ賤(いや)しめ、憎(にく)み妬んで、うらみを抱(いだ)くであろう」
とあります。

同じく第五巻の安楽行品(あんらくぎょうほん)には
「法華経を弘めようとする時、一切の世間の人々が怨(あだ)をなして迫害し、
なかなか信じられない」
とあります。

また勧持品(かんじほん)には
「もろもろの無智の人が、法華経の行者に悪口をいい、罵るであろう」
とあります。

また同品に
「国主や大臣、婆羅門(ばらもん)や居士(こじ)などの上層階級の人に向って、
法華経の行者をそしって悪く論(あげつら)い、この人こそ邪見の人だと訴えるであろう」
とあります。

また同品に
「法華経の行者はしばしば所を追い出されるであろう」
とあります。

また不軽品(ふきょうぼん)に
「杖や木、瓦や石をもって法華経の行者を打ちなぐるであろう」
とあります。

涅槃経(ねはんぎょう)には
「そのとき数知れない程多くの外道が心を合わせて共に摩訶陀国(まがだこく)の
阿闍世王(あじゃせおう)のもとへ行き、
『現在ただ一人の大悪人がいる。それは釈尊である。
一切の世間の悪人達は、利を貪(むさぼり)り身を養う為に釈尊のもとに集まって
その眷属となり、善を修行しない。
まじないの力で迦葉(かしょう)および舎利弗・目蓮を降し伏させて弟子としてしまった』
と訴えた」
とあります。

天台大師は「法華文句」の中で法師品の文を解釈して
「まして末法はなおさらの事である。正法を説いても、聞こうとせず、化導が難しくなる」
と説いています。

妙楽大師は「法華文句記」で怨嫉について
「煩悩障などの障(さわ)りがまだ除かれていないのを怨(おん)と名づけ、
法華経の説法を聞く事を喜ばないのを嫉(しつ)と名づける」
といっています。

中国の南三北七の十派の学者ら、および中国全土の数えきれない程多くの学者らは、
天台大師を怨敵(おんてき)としました。

日本でも法相宗の僧・得一(とくいち)は
「つたないかな智公(天台大師)よ、汝(なんじ)はいったい誰の弟子か。
三寸にも足らない舌で、
広く長い舌をもって真実であると説かれた釈尊の説を謗(そし)るとは」
と誹謗しています。

妙楽大師の「法華文句記」を
知度法師(ちどほっし)が解釈した書「東春(とうしゅん)」には次の様にあります。
「問う、
釈尊在世の時も、多くの怨嫉があった。
釈尊の滅後にこの法華経を説く時、どういうわけで留難が多いのか。
答えていうには、
俗に良薬口に苦しという様に、
この法華経は五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩)の各界に執着する考えを打破し、
一極(いちごく)の玄宗(げんしゅう)すなわち妙法を立て成仏する事を説いている。
ゆえに、
小乗経における凡位(ぼんい)の者を退け、聖位(しょうい)の者を叱り、
大乗経を排斥(はいせき)し、小乗経を打ち破り、
天魔を毒虫(どくちゅう)と名づけ、外道を悪鬼(あっき)であると説き、
小乗経に執着する二乗の者をけなして貧(まず)しく賤(いや)しいとなし、
菩薩を折(お)り挫(くじ)いて新たに発心したばかりで、
まだ不退転の位を得ていないとなした。
だから天魔は聞く事を悪(にく)み、外道は耳に逆(さか)らって憤(いきどお)り、
二乗は驚(おどろ)き怪(あや)しみ、菩薩は怯(おび)えてしまう。
この様な輩が、ことごとく留難(るなん)を為(な)すのである。
『怨嫉が多い』という釈尊の言葉がどうして唐(むな)しいであろうか」
と。

伝教大師は「顕戒論(けんかいろん)」に次の様にいっています。
「奈良の僧達を取り締まる僧統が天皇に上奏していうには
『西北インドに鬼弁婆羅門(きべんばらもん)という者があって、
逆説的な論議をもてあそび人心を乱していた。
この東土・日本国には巧みな言を吐いて人々を惑わす似非(えせ)僧侶がいる。
これら同類の者が密かに通じあって世間を誑(たぶら)かし惑わせている』
と。
いま、このことを論じていうには
『昔、中国の斉朝の時代に光統(こうず)らが達磨(だるま)に反対したと聞き、
いま日本国には奈良の六人の高僧が伝教に反対するのを目(ま)の当たりにしている。
法華経に、いわんや滅後においては怨嫉はなお大きいと説かれているのは、
誠にその通りである』」
と。

また伝教大師の「法華秀句」には
「大白法の興隆する時代についていえば、
像法の終わり末法の始め、その地を尋ねるならば則(すなわ)ち唐の東、
羯(かつ)の西であり、その時代の人はといえば、
すなわち五濁悪世(ごじょくあくせ)に生をうけた衆生であり、
釈迦仏法のうちに争いがおき正法が隠没する時である。
法華経に
『釈尊の在世でさえ怨嫉が多い。まして釈尊の滅後の後においてはなおさら激しい』




202p




と説かれているこの言葉は、誠に理由のある事である」
とあります。

子供にお灸をすえると、必ず母を憎み、重病の者に良薬を与えると、
きっと口に苦いと不服を訴えるでしょう。

これと同じで、釈尊の在世でさえ、法華経に対して怨嫉(おんしつ)が多かった、
まして像法・末法に、辺土の日本においては尚更の事です。
山の上に山を積み重ね、並みの上に波を折りたたむ様に、難に次ぐ難を加え、
非をますます増してくるでしょう。

像法時代のうちでは中国の天台大師ただ一人だけが、法華経及び一切経を正しく読まれました。
南北の諸宗派がこれに対して怨(あだ)みましたが、
陳代の宣帝(せんてい)と随代の煬帝(ようだい)の二代の聖主が
その眼前において対決させ正邪を明らかにしたので、天台の敵はついに降伏しました。

像法時代の終わり頃には、日本の伝教大師ただ一人が、
法華経並びに一切経を仏の説いた通りに読まれました。
これに対して奈良の七つの寺々の僧達が反対して蜂起(ほうき)しましたが、
桓武(かんむ)天皇や嵯峨(さが)天皇らの賢主が、
自ら伝教と奈良の諸宗の正邪を明らかにされたので、伝教もまた事無きを得ました。

今は末法の始め二百余年です。
法華経法師品に
「いわんや滅度の後にはますます迫害が激しい」とあるその証拠として、
闘諍堅固(とうじょうけんご)のはじまりの故か、道理に合わない事ばかりあり、
濁世(じょくせ)の験(しるし)に法論対決をさせられず、
日蓮を流罪にし、その迫害は命にも及ぼうとしているのです。


22  経文に符号している事を明かす


以上の通りですから、日蓮が法華経を解了(げりょう)する智慧は、
天台や伝教にくらべて千万分の一にも及ばないけれども、
法華経の行者として難を忍び慈悲の勝れている点においては、
天台・伝教に対しておそれ多い思いです。
ですから、きっと諸天善神のおはからいにあずかって守護されると信じているのですが、
一分のしるしもありません。
それどころか、ますます重罪に陥(おとしい)れられています。

振り返ってこれらの事を考えてみますと、我が身は法華経の行者ではないのでしょうか。
あるいは、諸天善神らがこの日本国を捨てて去ってしまわれたのでしょうか。
あれこれと疑わしい限りです。

ところが、もろもろの大菩薩が仏滅後、
末法において大難に耐えて法華経を弘通する事を誓った法華経第五の巻の勧持品の
二十行の文は、日蓮さえもこの国に生まれなかったら空文となり、
釈尊はほとんど大ウソつきの人になり、
法華経の弘通を誓った八十万億那由侘(なゆた)という多数の菩薩達は
提婆達多が犯した十悪業の一つである虚誑罪(こおうざい)に堕ちる事でしょう。

法華経勧持品には
「もろもろの無智な人があって、法華経の行者に悪口をいったり、罵(ののし)ったり」
「刀や杖で打ち、瓦や小石を投げつける」
等とあります。
今の世の中を見ると、日蓮より他の諸僧で、どの人が法華経の為に諸人に悪口を言われ、
罵られ、刀や杖で打たれたりした者があるでしょうか。
もし日蓮がいなかったら、未来を予見して記したこの一偈はウソになってしまいます。

同じく勧持品に
「末法濁世の中の僧は邪(よこし)まな智慧に長(た)けて、
心が曲がっており媚(こ)び諂(へつら)う」、
又、
「白衣(びゃくえ)すなわち一般の俗人の為に法を説いて、
世間から六種の神通力を得た聖者の様に謹み敬われるであろう」
等とありますが、
これらの経文は今の世の中の念仏者や、禅宗・律宗などの僧がいなかったら、
釈尊はまた大ウソつきの人です。
又同品に
「常に大衆の中にあって、あるいは国王や大臣、婆羅門(ばらもん)や居士(こじ)の
指導者階級に向って法華経の行者を讒言(ざんげん)するであろう」
と説かれていますが、今の世の僧達が日蓮を讒言して島流しにしなかったら、
この経文は空しくなってしまいます。

更に又同品に
「法華経の行者は数数(しばしば)所を追い払われる」等とありますが、
日蓮が法華経の故に度々流罪にされなかったら、
「数々」の二字はどうなるのでしょうか。
この二字は、天台大師も伝教大師も未だ身で読まれていません。
まして他の人は当然の事です。
末法の始めのしるしである勧持品の




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「恐るべき悪世の中には」との金言が日蓮に符号しているからこそ、
日蓮が唯一人、「数々」の二字を身にあてて読んだのです。

例えば、釈尊が付法蔵経(ふほうぞうきょう)に記して言っている
「我が滅後百年にアソカ大王という王が出現するであろう」
という予言。

摩耶(まや)経にいう
「我が滅後六百年に、竜樹(りゅうじゅ)菩薩という人が南インドに出生するであろう」
との予言。

又大悲(だいひ)経にいう
「我が滅後六十年に、末田地という者が地を竜宮に築くであろう」
との予言。

これらは全て、釈尊が未来世を予見して書き記した通りになってきました。
もし予言通りにならなかったならば、誰が仏経を信受するでしょうか。

その釈尊が経文に
「恐怖悪世(くふあくせ)」「然後来末世(ねんごらいまつせ)」
「末世法滅時(まつせほうめつじ)」「後五百歳(ごごひゃくさい)」等と、
正法華経・妙法蓮華経の二本共に、
まさしく法華経の行者が出現して大白法を弘める時を定められているのです。

今の世において、もし法華経の行者に敵対する俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢の
三類の強敵(ごうてき)が無かったら、誰が仏説を信受するでしょうか。
もし日蓮がいなかったら、
誰を法華経の行者と定めて、釈尊の予言を真実であると助けるのでしょうか。

天台大師に反対した中国の南三北七の諸宗の僧も、伝教大師と対立した奈良の七大寺の
僧達でさえ、像法時代における法華経の敵のうちに数えられています。
ましてや今の世の禅や律や念仏者等は、
どうして法華経の敵である事を免れる事が出来るでしょうか。

この様に、経文に予言された事と、我が身の行動とがまったく一致しています。
ですから、
幕府から咎(とが)め、迫害をこうむればこうむるほどいよいよ喜びを増すのです。

例えば小乗経を修行する菩薩が、未だ三惑を断じきっていないけれど、
「願って業を兼ねる」といって、作りたくもない罪であるけれど、
父母達が地獄に堕ちて大苦(だいく)を受けているのを見て、
型(かた)の様に罪業を作り、自ら願って地獄に堕ちて苦しむのと同じです。
そして父母達の苦に代(か)われる事を喜びとする様なものです。

日蓮もまたこの通りです。
唯今の責めは耐えられない程ですが、
未来に堕ちる悪道から脱する事が出来るだろうと思えばかえって喜びなのです。


23  疑いをあげて法華経の行者である事を述べる


ただし、世間の疑いといい、自分自身も疑う事は、
どうして諸天善神(しょてんぜんじん)は助けられないのでしょうか。
諸天善神等の守護神(しゅごじん)は、
法華経の行者(ぎょうじゃ)を守護するという釈尊の前での誓いがあります。
法華経の行者が、たとえ猿になっていても、法華経の行者であるとして、
早々も仏前での誓いを果たそうと思われるべきなのに、
その赴(おもむ)きが無いのは、我が身が法華経の行者でないのでしょうか。

この疑いは、この開目抄の肝心であり、日蓮一生涯の大事ですから、
処々(しょしょ)にこれを書いて、疑いと強くして答えを出しましょう。


24  二乗が法華の深恩(じんおん)を報ずべきである事を明かす


中国春秋時代の呉国(ごこく)の季札(きさつ)という人は、
自分の心のうちで誓った約束を違えまいとして、王の重宝である剣を徐君の墓にかけました。

王尹(おういん)という人は、川の水を飲んで代金として金の銭を水に入れ、
公胤(こういん)という人は自分の腹を裂いて主君の肝(きも)を隠し入れました。

これらの人々は世間の賢人であり、恩を報じたのです。

まして舎利弗(しゃりほつ)や迦葉(かしょう)らの偉大な聖人(しょうにん)は、
二百五十戒を持(たも)ち、三千の礼儀作法に一つも欠けず、
見惑(けんわく)・思惑(しわく)を断じ尽くし、
凡夫が生死流転(しょうじるてん)する迷いの世界をはなれた聖人達です。
梵天や帝釈天、その他の諸天の導師であり、一切衆生の眼目です。

ところが、四十余年の間、爾前経では「永久に成仏出来ない」と
嫌い捨てられてしまっていましたが、法華経という不死の良薬を舐(な)めて、









最終更新:2011年03月14日 07:29