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法華経法師品に
「已に説き(爾前経)、今説き(無量義経)、
当に説こうとする(涅槃経経々の中で法華経がもっとも信じ難く、理解し難い)」と。

また、その下に出てくる宝塔品の「六難九易」の文がこれです。

天台大師は法華文句に、
「迹門・本門の二門ともにその説はことごとく昔に説いた爾前経と反しているので信じ難く理解し難い。
戦場で鉾にぶつかっていくように難しいことである」といっています。

章安大師は観心論疏(かんじんろんしょ)に
「仏はこの法華経をもって大事としているのである。どうして理解しやすいわけがあろうか」と。

伝教大師は法華秀句に
「この法華経はもっとも信じ難く理解し難い。
なぜならば仏が悟りの真実をそのままに説いた随自意の教えであるから」
等といっています。

いったい仏の生きておられた時代より滅後千八百余年のあいだ、
インド・中国・日本の三国にわたってただ三人だけがはじめてこの正法を覚知しました。
すなわちインドの釈尊、中国の天台智者大師、日本の伝教大師であり、この三人は仏教における聖人です。

問うていうには、
それでは、インドの竜樹菩薩や天親菩薩たちはどうでしょうか。

答えていうには、
これらの聖人たちは、心の中に知っていましたが、外に向かっていわなかった人たちです。
あるいは迹門の一部の教義を述べて、本門と観心については説き示しませんでした。
あるいはこの時代は一念三千の法門を聞く衆生の機根はあっても
説くべき時代ではなかったのでしょうか。
あるいは機も時もともになかったのでしょうか。

天台、伝教以後は一念三千の法門を知った者が多くありました。
それは天台と伝教の二人の聖人の智慧を用いたからです。
すなわち、三論宗(さんろんしゅう)の嘉祥(かじょう)、
南三北七の各宗の百余人、華厳宗の法蔵や精涼たち、
法相宗の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)や慈恩大師たち、
真言宗の善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵たち、律宗の道宣たちは、
はじめ天台に反逆していましたが、後には天台にまったく帰伏したのでした。

さて十界互具を論難した最初の大難を遮っていうならば、無量義経に次のようにあります。
「たとえば国王と夫人とのあいだに新たに王子が生まれたとする。この王子が一日、二日、
あるいは七日と日がたち、または一ヶ月、二ヶ月、あるいは七ヶ月にいたり、
あるいは一歳、二歳、あるいは七歳になり、いまだ国の政治をとることはできないにしても、
すでに国民に尊び敬われ、多くの大王の子供を伴侶とするようになるであろう。
国王とその夫人の愛心はただただ重く、いつもこの王子と語るであろう。
なぜかというと、この王子は幼く小さいからである。
善男子よ、この経を信じ持つ者もまたそのとおりである。
諸仏という国王とこの経という夫人が和合してこの菩薩の子を生じた。
この菩薩はこの経を聞いて、その一句一偈を、あるいは一回転読し、あるいは二転、
あるいは億万恒河沙・無量無数転読するならば、いまだ真理の究極を体得することはできないにしても、
すでに一切の四部の衆や八部衆に尊び仰がれ、諸々の大菩薩を眷属とし、つねに諸仏に護念され、
ひたすら慈愛におおわれるであろう。それは新学だからである」等とあります。

普賢経には、
「この大乗経典(妙法蓮華経)は諸仏の宝蔵であり十方三世の諸仏の眼目である。
乃至この大乗経典こそ三世の諸の如来を出生する種である。
乃至汝はただひたすらこの大乗経典(妙法蓮華経)を受持し信行を励んで
仏種を断ち切ってはならない」等とあります。
また同じく普賢経に、
「この方等経(方正平等な教え=法華経のこと・妙法蓮華経)は諸仏の眼である。
諸仏はこの方等経を受持し行じた因によって肉眼の上に天眼・慧眼・法眼・仏眼の
五眼を具えることができた。
すなわち諸仏の智慧は完成したのである。
また仏の法身・報身・応身の三身は方等より生じる。
この経こそ真実絶対の仏法であり、涅槃界に印するのである。
このような海中(広大無辺の中)からよく法・報・応の三種の仏の清浄な身を生じる。
この三種の身は人界・天界の衆生に利益をもたらす福田である」等とあります。




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さて、釈迦如来一代五十年の説法の顕教と密教、大乗教と小乗教の二教、
華厳宗や真言宗等の諸宗がよりどころとしている経々を一つ一つ考えますと、
あるいは華厳経には十方蓮華台上の毘虞舎那仏が説かれ、
大集経には雲のように多く湧き集まった諸仏如来、
般若経には染浄の千仏が示現したと説かれ、
また大日経や金剛頂経などには千二百余尊が説かれていますが、
ただその近因近果を演説するだけで、久遠の本因本果をあらわしていません。
即身成仏を説いても、三千塵点劫、五百塵点劫の久遠の下種を顕さず、
化導がいつ始まっていつ終わったかについては、まったく述べられていません。
華厳経や大日経等は、一往見てみますと、別円、四蔵等に似て成仏できる教えのようですが、
再往これを考えますと、蔵通の二教に同じで、いまだ別教・円教にもおよびません。
一切の衆生に本来具わっている三種の成仏の因が説かれていませんから、
なにをもって成仏の種子とするのでしょうか。

ところが、善無畏三蔵等の新訳の訳者たちは中国に来入した際、天台の一念三千の法門を見聞して、
あるいは自分の持ってきた経経につけくわえたり、
あるいはインドから一念三千の法門を受持してきたなどと主張しました。

天台宗の学者等は、このように天台の法門を盗まれておりながら、
あるいは他宗でも天台と同じように一念三千を説き、自宗に同じであると喜び、
あるいは遠いインドを尊んで近くの中国に出現した天台をあなどり、
あるいは古い天台の法門を捨てて新しい宗派の教義を取り、
というように魔心・愚心が出てきたのです。
しかし、結局は、一念三千の仏種でなければ、有情の成仏も木像・画像の二象の本尊も有名無実です。

問うていうのには、先に人界所具の十界を論難しましたが、いまだその説明を開いていませんが、
どうなのでしょうか。

答えていうのには、
無量義経には、
「いまだ六波羅密の修行をしていなくても、六波羅密は自然に具わってくる」等とあり、
法華経方便品には、
「一切の功徳を具足する道を聞かせていただきたい」等とあり、
涅槃経には
「薩とは具足のことをいう」等とあります。
また竜樹菩薩は「大智度論」に「薩とは六である」等といっています。

中国・唐の均正があらわした「無依無得大乗四論玄義記」には、
「沙とは訳して六という。インドでは六をもって具足の義となすのである」といい、
吉蔵の「法華経硫」には、「沙とは翻訳して具足となす」といい、
天台大師は「法華玄義」に
「沙とは梵語である。中国語では妙と翻訳される」等といっています。

自分勝手に解釈をくわえますと、引用の本文の意をけがすようなものでしょう。
しかし、これらの文の意は、釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に
具わっており、私たちはこの妙法五字を受持すれば、
自然に釈尊の因果の功徳をゆずり与えられるのです。

法華経信解品で、
須菩提、迦旃延、迦葉、目犍連の四人の声聞が説法を聞いて悟りを理解して
「この上ない宝の聚りを、求めないのに自ずから得ることができた」等といっています。
これは私たちの自身の生命のなかの声聞界です。

法華経方便品には
「衆生を私(仏)と等しくして異なることがないようにしたいと、
私(仏)がその昔、願った事は、今はすでに満足した。
一切衆生を教下して、みな仏道に入らせることができたのである」と説かれています。

妙覚の悟りをそなえた釈尊は、
私たちの血肉です。
この仏の因果の功徳は、私たちの骨髄ではないでしょうか。

法華経宝塔品には、




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「よくこの経法を守る者は、すなわち私(釈尊)およぴ多宝仏を供養することになる。
またもろもろの集まり来られた化仏のそれぞれの世界を荘厳にし
輝かしく飾っている者を供養することになるのである」等とあります。
この釈迦・多宝十方の諸仏は私たちの仏界であり、妙法を護持する者は、
これらの仏の跡を受け継いで、その功徳を受得するのです。
法師品の
「わずかの間でもこれを聞くならば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を極め尽くす事が出来る」
というのはこれです。

寿量品には
「ところが、私が、じつに成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由佗劫を
経ているのである」等と説かれています。
私たちの己心の仏界である釈尊は、久遠元初に顕れた三身であり、無始無終の古仏です。

同じく寿量品には、
「私が本菩薩の道を修行して成就したところの寿命は、
今なお未だ尽きてはいない。
未来もまたその寿命は上に説いた五百塵点劫の数に倍するのである」等と説かれています。
これは私たちの己心の菩薩等の九界です。
地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なのです。

たとえば大公は周の武王の臣下であり、
周公旦は幼稚の成王の眷属、武内の大臣は神功皇后の第一の臣であるとともに、
仁徳王子の臣下であったようなものです。
上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等は、地涌の大菩薩の上主唱道の師たちは、
私たち己心の菩薩です。

妙楽大師は「止観輔行伝弘決」に、
「まさに知るべきである。正報である身も依報の国土も、私たち衆生の一念三千とあらわれる。
故に成仏の時にはこの本地難思境智の妙法にかなって、
一身も一念もともに法界に遍満するのである」と説いています。


7  略して本尊を述べる


いったい、釈尊が寂滅(じゃくめつ)道場で成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、
沙羅林(しゃらりん)で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間、
華厳経に説くところの浄土である菩薩世界、
大日如来の住む密厳世界、法華経迹門宝塔品で清浄にされた三土、
涅槃経で説く四見の四土などは皆、
成(じょう)劫・住(じゅう)劫・壊(え)劫・空(くう)劫の四劫を繰り返す無常の国土の上に

変化して示された方便土・十報土であり、
寂光土たる阿弥陀仏の安養・薬師如来の浄瑠璃・大日如来の密厳世界等です。
能変の教主すなわちインド応誕の釈尊が涅槃に入ってしまうならば、
所変の諸仏もまた釈尊の入滅に従って滅尽します。
その国土もまた同様です。

いま法華経本門寿量品の説法で説かれた久遠の仏の常住する娑婆世界は
三災におかされることもなく 成・住・壊・空の四劫をぬけでた常住の浄土です。
仏はすでに過去にも滅することはなく、未来に生ずることもない常住不滅の仏であり、
仏の説法を聞いている所化たちも同体で、常住です。
これがすなわち、釈尊の声聞たちの己心の三千具足、三種の世間です。

法華経迹門十四品には、未だこのことを説いていません。
法華経の内においても、時期がまだ熟していなかったからでしょうか。

この法華経本門の肝心である南無妙法蓮華経の五字については、
釈尊は文殊師利菩薩や薬王菩薩等らさえもこれを什嘱されませんでした。
ましてそれ以外の者に付嘱されるわけがありません。
ただ地涌千界の大菩薩を召し出して、
涌出品かた嘱累品までの八品を説いてこれを付嘱されたのです。

その本門の肝心の南無妙法蓮華経の御本尊のありさまは、
久遠の本仏が常住される娑婆世界のうえに宝塔が空中にかかり、
その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏が並び、
釈尊の脇士には上行らの地涌の四菩薩が並び、
文殊菩薩や弥勒菩薩らの迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居り、
迹化の菩薩、多宝の国土の菩薩等大小の諸菩薩は、
万民が大地にひれふして殿上人をあおぎ見るようにして座し、
十方から集まりやってきた分身の諸仏は大地の上に座っておられます。
これは迹仏・迹土をあらわしているからです。




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このような御本尊は釈尊の在世五十余年のあいだにはまったくありませんでした。
法華経八年のあいだにも涌出品から嘱累品までのただ八品に限られてあらわされました。

正法・像法二千年の間には、
小乗教の釈尊は迦葉と阿難を脇士とし、
権大乗教 及び涅槃経・法華経の迹門等の釈尊は
文殊菩薩や普賢菩薩らを脇士(きょうじ)としています。

これらの仏を、正法、像法時代に造り描きましたが、
未だ寿量品の文底に説かれた仏はあらわされていません。

この寿量品の仏は、末法の時代に入ってはじめてあらわされるべきだからでしょうか。


8  広く本尊を述べる


問うていうには、
正法・像法二千余年の間、正法時代の四依(しえ)の菩薩 及び 像法時代の人師たちは、
阿弥陀や大日などの仏や、
小乗教・権大乗教、爾前経・法華経迹門の釈尊らの寺塔は建立しましたが、
本門寿量品文底下種の大御本尊ならびに四大菩薩については、
インド・中国・日本の三国の王・臣ともに未だ崇重したことがない旨を申されました。

このことはほぼ聞きましたが、前代未聞のため耳目を驚かし、心を迷い惑わすばかりです。
重ねてこれについて説いていただきたい。
詳しく聞きたいと思います。

答えていうには、
法華経の一部八巻二十八品、それ以前には華厳より般若までの前四昧の爾前経、
それ以後には涅槃経などの、釈尊一代に説かれた諸経を総じてこれをまとめると、
ただ一経となります。

はじめ寂滅道場で説かれた華巌経から般若経に至るまでは序分です。
無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分です。
涅槃経等は流通分です。

正宗分十巻の中においてまた序分・正宗分・流通分があります。
無量義経と法華経の序品第一は序分です。
方便品第二から分別功徳品第十七の半ばの十九行の偈に至るまでの十五品半は正宗分です。
分別功徳品の現在の四信の段から普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分です。

また法華経と無量義経・普賢経の十巻においても迹門と本門の二経があり、
それぞれ序分・正宗分・流通分を具えています。

まず迹門においては無量義経と法華経の序品第一は序分です。
方便品第二から人記品第九に至るまでの八品は正宗分です。
法師品第十から安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分です。

その迹門を説いた教主を論じますと、インドに生まれてはじめて成仏した仏です

本無今有の百界千如を説いて 巳説(巳に説き=爾前経)、今説(今説き=無量義経)、
当説(当に説く=涅槃経)に超過している、仏の悟りを自らの意のままに説いた法門であり、
信じがたく理解しがたい正法です。

その説法を開いた衆生の過去の結縁をたずねてみますと、
三千塵点劫の昔に釈尊が大通智勝仏の第十六王子として法華経を説いて、仏界の種を下し、
その時いらい調機調養して、
華厳経等の前四味をの法を助縁として大通の種子を覚知させ得脱させました。
しかし、これは仏の本意ではなく、ただ毒がたまたま効力を発したようなもので、
一部の者だけでした。

大多数の二乗・凡夫たちは前四味の法門を助縁とし、
しだいに法華経にいたって種子をあらわし、開顕を遂げて成仏した機根の人々です。

また釈尊の在世においてはじめて迹門の正宗分八品を開いた人界・天界の衆生らは、
あるいは一句一偈を聞いて下種とし、あるいは熟し、あるいは得脱しました。
あるいは普賢経・涅槃経にいたって得脱し、
あるいは正法・像法時代および末法の初めに、
小乗教や権大乗教等を助縁として法華経に入って得脱しました。
たとえていえば、釈尊在世に前四味の法門を聞いて助縁として得脱した者と同じです。




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また法華経の本門十四品の一経に序分・正宗分・流通分があります。
涌出品の前半分を序分とし、
涌出品の後半分と寿量晶の一品と分別功徳品の前半分の一品二半を正宗分とします。
その他は流通分です。

この本門の教主を論じますと、
インドに生れてはじめて成仏した釈尊ではありません。
説かれた法門もまた天と地のような違いがあります。
十界の生命が久遠常住であるうえに、国土世間があらわれています。
しかし、文底下種の独一本門に比べると、
本門と迹門の一念三千の相違はほとんど竹膜を隔てるようなわずかなものです。
また本迹ならびに前四味の爾前経、無量義経、涅槃経等の巳・今・当の三説はことごとく
衆生の機根に随って説いた教えで、信じやすく理解しやすく、
それに対し、
本門は 三説に超過した信じがたく理解しがたい、仏の悟りを自らの意のままに説いた法門です。

また文底独一本門において序分・正宗分・流通分があります。
過去大通智勝仏の法華経から、
インドの釈尊が説いた華厳経をはじめ法華経迹門の十四品、
涅槃経などの一代五十余年の諸経も、
十方三世の諸仏が説いた無数の経々も
みな寿量品すなわち文底独一本門の南無妙法蓮華経の序分です。

文底下種の一品二半より他は、全て小乗教・邪教・未得道教であり、
真実を覆いかくしている覆相教です。

そのような小乗教・邪教を信ずる衆生の機根を論じますと、
徳が薄く、煩悩の垢は重く、幼稚で、貧しくていやしく、
孤児のように孤独で、禽や獣と同じです。
爾前経や法華経迹門に説かれた「即身成仏」するという円教でさえなお成仏の因とはなりません。

まして大日経などの諸々の小乗教で成仏できるわけがありません。

さらに華厳経や真言宗などの七宗のような論師や人師が立てた宗ではなおのことです。

与えてこれを論じても、
蔵・通・別の三教の範囲を出ず、
奮ってこれをいえば、蔵教や通教と同じです。
たとえその法理は非常に深いといっても、
未だ、いつ下種し、どのように熟し得脱させるかを論じていません。
「かえって小乗教の灰身滅智に同じであり、化導の始終がない」というのがこれです。

たとえば王女であっても畜生の種を懐妊すれば、その子は旃陀羅にも劣っているようなものです。

これらのことはしばらくおいてきましょう。


9  文底下種三段の流通を明かす


法華経の迹門十四品の正宗分である方便品第二から人記品第九までの八品は、
一往これを見てみますと、
釈尊在世の二乗の者をもって正とし、菩薩・凡夫をもって傍としています。
しかし、再往これを考えれば、
凡夫を正とし、仏滅後の正法・像法・末法を正となしています。
正・像・末の三っつの時代の中でも末法の始めをもって正の中の正としています。

問うていうには、その証拠はどうですか。

答えていうには、法華経法師品に、
「しかもこの法華経は、信じ行ずるとき釈尊の現在でさえ なお怨みやねたみが多い。
まして、仏滅後においてはなおさらのことである」と説かれ、

宝塔品には、
「正法を長くこの世にとどめるのである。(中略)また、
法華経の会座に集まり来た分身の諸仏も、このことを知っておられたのである」
等と説かれています。

勧持品・安楽行品などにもこれについて説かれていますから見てみなさい。
迹門はこのように滅後末法のために説かれたのです。

法華経本門について論じますと、
一向に末法の初めをもって正機としています。

すなわも一往これを見るときは、久遠五百塵点劫に仏種を植えられたことをもって下種とし、
その後の大通智勝仏の時や前四味の爾前経、法華経迹門を熱とし、
本門にいたって等覚・妙覚の位に入らせ得脱させました。

しかし再往これを見ますと、本門は迹門とはまったく違って序分・正宗分・流通分ともに
末法の始めをもって詮としています。

釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、
同じく一切衆生が即身成仏できる純円の教です。
ただし在世の本門は脱益であり、末法の始めの本門は下種益です。
在世の本門は一品二半であり、末法の本門はただ題目の五字です。

問うていうには、その証文はどうですか。

答えていうには、法華経湧出品に、
「その時に他方の国土からやって来た
ガンジス河の砂の数の八倍を超える多数の大菩薩たちが、大衆の中で




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起立し合掌し礼をなして仏に申しあげるには、
『世尊よ、もし私たちに、仏の滅後においてこの娑婆世界にあっておおいに勤め精進して
法華経を護持(ごじ)し読誦(どくじゅ)し書写し供養することを許してくださるならば、
まさにこの姿婆世界において広く法華経を説くでしょう』と誓った。

その時に仏は、もろもろの大菩薩に告げられた、
『止めよ善男子よ、汝たちがこの法華経を護持することは用いない」等と説かれています。

この経文はその前にその前に説かれた、法師品より安楽行品までの五品の経文と、
水と火のように相入れません。

宝塔品の末には、
「仏は大音声をもってひろく比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)の四衆に告げられた。
『誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説く者はいないか」と説かれています。

たとえ教主が一仏だけであっても、
滅後の弘教を このようにすすめられたならば、
薬王等の大菩薩、梵天・帝釈・日天・月天・四天等は このすすめを重んじるべきなのに、
さらに多宝仏、十方の諸仏も客仏として滅後の弘教を諫めさとされたのです。

もろもろの菩薩たちは、
この懇切丁寧な付属(ふぞく)を聞いて
「わが身命を借しまない」との誓いを立てたのです。

これらはひとえに仏の意に叶おうとするためです。

ところが一瞬の間に、仏の説く言葉は相違して、
ガンジス河の砂の数の八倍という多くの菩薩たちの この娑婆世界での弘教を制止されたのです。

進退きわまってしまいました。
もはや凡夫の智恵ではおよびません。

天台智者大師は、
他方の菩薩の弘教を制止した理由と地涌の菩薩を召し出し付嘱した理由を、
それぞれ三つずつ、あわせて六つの解釈をつくって、これを説明されています。

結局、迹化・他方の大菩薩らに仏の内証の寿量品(文底下種の大御本尊)を
授与するわけにはいかないのです。

末法の初めは謗法の国であり悪機であるため、
迹化・他方の菩薩たちの弘教を制止して地涌千界の大菩薩を召し出し、
寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字をもって、全世界の衆生に授与させられるのです。

また迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子たちではないからです。

天台大師は「法華文句」に、
「地涌の菩薩は我が(釈尊の)弟子であるから、
まさに我が(釈尊の)法を弘めるべきである」といい、

妙楽は「法華文句記」に、
「子が父の法を弘めるならば世界の利益がある」と説き、
「法華文句輔正記」に道暹(どうせん)は、
「法が久成の法である故に、久成の人に付属したのである」等と説いています。

また弥勒菩薩が疑いをおこして答えを求めていったことが涌出品に次のように説かれています。
「私たちは、仏が衆生の機根にしたがって説かれる事、
仏の出るところの言葉は未だかつて嘘偽りがなく、
仏の智慧は一切ことごとく通達されていると信じますが、
もろもろの新しく発心する菩薩が仏の滅後において、
もし地涌の菩薩は釈尊の久遠以来の弟子であるとの言葉を聞いたならば、
あるいは信受しないで法を破るという罪業の因縁を起こすでしょう。
どうか世尊よ、願わくは滅後の人々の為に解説して私たちの疑いを取り除いていただきたい、
そうすれば未来世のもろもろの善男子もこのことを聞けば、また疑いを生じないでしょう」等と。

この経文の意は、
寿量品の法門は仏滅後の衆生のために請われて説かれたということです。

寿量品に、
「毒を飲んだ子供のなかで、あるいは本心を失ってしまった者と、
あるいは本心を失わなかった者があった。(中略)
本心を失わなかった者は、
父の良医が与えた良薬の色香ともすばらしいのを見てすぐにこれを飲んだところ、




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病いはことごとく治ってしまった」等と説かれています。

久遠の昔に成仏の因となる種子を植えられ、大通智勝仏の十六王子に縁を結び、
そして、前四味である爾前経、法華経迹門にいたるまでの一切の菩薩・二乗・人天らが、
法華経本門で得脱したのがそれです。

寿量品には、
「その他の、本心を失ってしまった者は、自分たちの父が帰ってきたのを見て喜び、
病をなおしてほしいと尋ね求めるけれども、父がその薬を与えても飲もうとしない。
理由はどうしてかというと、
毒が深く食い入って本心を失っているために、このよき色香のある薬をよくないと思ったのである。
(中略)
父はいま方便をもうけてこの薬を飲ませようと思い
『このよき良薬をいま留めてここにおいておく。
おまえたちはこの薬を取って飲みなさい。病気がなおらないといって心配することはない』。
このように子供たちに教え終わって、また他の国へ行って、
使いを遣わして父は死んだと伝えたのである」等と説かれています。

また分別功徳品には、
「悪世未法の時」等と説かれています。

問うていうには、
寿量品の「使いを遣わして還って告ぐ」というのはどういう意味でしょうか。

答えていうには、
使いというのは四依の人々のことです。
四依には四種類があります。
第一に小乗の四依は多くは正法時代一千年のうち前半の五百年に出現しました。
第二に大乗の四依は多くは正法時代の後半の五百年に出現しました。
第三に迹門の四依は多くは像法時代一千年に出現し、少しは末法の初めに出現しました。
第四に本門の四依は地涌千界の大菩薩であり、末法の初めにかならず出現するのです。

いまの「遣使還告」とは地涌の菩薩の事であり、
「是好良薬」とは寿量品の肝要である名体宗用教の南無妙法蓮華経、
すなわち三大秘法の大御本尊です。

この良薬を仏はなお迹化の菩薩にさえ授与されませんでした。
まして他方の国土から来た他方の菩薩に授与されるはずはありません。

法華経神力品には、
「その時、千世界を砕いて塵にしたほどの、地から涌出した地涌の大菩薩たちは
みな仏の前において一心に合掌し、仏の顔をふり仰いで申し上げた、
『世尊よ、私たちは仏の滅後に、世尊の分身が存在する国土や
御入滅された国土においてまさに広く法華経を説くでしょう」等とあります。

天台はこれについて「法華文句」に
「大地より涌出した本化地湧の菩薩だけが滅後末法の弘教の誓いを立てるのが見られた」等といい、
道暹は、
「付属とは、この経をただ大地より涌出した菩薩にだけ付属したことである。
なぜかというと、付嘱する法久成の法であるから、久成の人である地湧の菩薩に付属したのである」
等といっています。

文殊師利菩薩は東方の金色世界の不動仏の弟子であり、
観音菩薩は西方の世界の無量寿仏(阿弥陀仏)の弟子であり、
薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、
普賢菩薩は宝威徳上王仏の弟子です。
これらの菩薩は、一往、釈尊の説法・教化を助けるために裟婆世界へ来たのであり、

また爾前・迹門の菩薩です。
妙法という本源の法をたもっている人でないので、
末法に法を弘める力がないのでしょう。

法華経神力品には、
「その時に世尊は、一切の大衆の前において大碑力をあらわされた。
広く長い舌を出し、空高く梵天までとどかせ、(中略)
十方世界からやって来て、もろもろの宝樹の下の師子の座の上に座っている諸仏も、
また同じように広く長い舌を出された」等とあります。













最終更新:2011年03月14日 08:17