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燋(い)た種が芽を出し、割れた石がまた合い、枯れ木に華が咲いて実がなるように、
成仏出来ると許されたものの、まだ成仏の相は現じていません。
どうして法華経の重恩を報じないでいられましょうか。
もしこの恩を報じないならば、世間の賢人にも劣り、
恩知らずの畜生です。

毛宝(もうほう)に助けられた亀は、毛宝の衣類に変えて救われた恩を忘れず、
昆明池(こんめいち)の大魚は、漢の武帝に命を助けられた恩を報じようと、
明珠(めいしゅ)を夜中に捧(ささ)げました。
畜生でさえ尚この様に恩を報じています。
ましてや舎利弗らの偉大な聖人達が恩を報じないわけがありません。

阿難尊者(あなんそんじゃ)はインドの斛飯王(こくぼんのう)の二男であり、
羅睺羅(らごら)尊者は浄飯王(じょうぼんのう)の孫です。
世間の人々の中では家柄の高い身分である故、
小乗における最高の悟りの阿羅漢果(あらかんか)を得た身となったのに、
爾前経では成仏をおさえられていましたが、八ヵ年の法華経説法の席において、
阿難は山海慧自在通王仏(さんがいえじざいおうぶつ)に、
羅睺羅は蹈七宝華如来(とうしつぽうけにょらい)等と如来の名を授けられました。

もし法華経が説かれなかったらば、どんなに家柄が高く、偉大な聖人であるといっても、
誰が謹み敬うでしょうか。

中国の夏(か)の桀王(けつおう)や殷(いん)の紂王(ちゅうおう)というのは、
大国の君主であり、一般住民の信頼し服従するところでした。
しかし、悪政を行って国を滅ぼした為、今でも悪人の手本には、
桀(けつ)・紂(ちゅう)、桀・紂と言われています。

身分の賤(いや)しい者や癩病(らいびょう)の者でも、
桀・紂の様だと言われると、悪口をいわれた、と腹を立てます。

千二百、あるいは数知れない程多くの声聞達も、もし法華経が説かれなかったならば、
誰もその名を聞かなかったでしょうし、またその声を聞き習う事もないでしょう。
一千の声聞達が一切経を結集したといっても、それを見る人もないでしょう。
ましてこれら声聞の人々を、絵像や木像に表して本尊と仰ぐでしょうか。

これはひとえに法華経の御力(おんちから)によって、
一切の阿羅漢(声聞)達は人々から尊敬せられているのです。

もろもろの声聞達は、法華経を離れたならば、
それは魚が水を離れ、猿が木から離れ、乳のみ子が母乳を離れ、
民が王から離れた様なものです。
ですから、どうして法華経の行者を捨てられるでしょうか。

もろもろの声聞達は、
爾前の経経では肉眼(にくげん)のうえに天眼(てんげん)と慧眼(えげん)を得ました。
さらに法華経によって法眼(ほうげん)と仏眼(ぶつげん)を備える事が出来ました。
この五眼によって十万世界をさえ照見(しょうけん)されるでしょう。
どうしてこの娑婆世界のうちの法華経の行者を知見(ちけん)されないはずがありましょうか。

たとえ日蓮が悪人であって、一言二言、一年二年、一劫二劫、
あるいは百千万億劫(ひゃくせんまんのっこう)の間、これらの声聞を悪口し、
罵(ののし)り、刀や杖で打ったり切りつけたりする気配があっても、
法華経をさえ信仰している行者であれば、決して捨てられる事はないでしょう。

譬えば、幼い子が父母を罵ったとして、父母はこの子を捨てるでしょうか。
梟鳥(きょうちょう)は成長すると母を食うと言われますが、
母はこの小鳥を捨てません。
破鏡(はけい)という獣(けもの)も父を害しますが、
父はそれに従うと言います。
畜生でさえこの通りです。
偉大な聖人である声聞達が法華経の行者を捨てられる事があるでしょうか。

されば、法華経信解品(しんげほん)に
須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん)・迦葉(かしょう)・目蓮(もくれん)の
四大声聞が二乗の成仏を領解した文に次の様にあります。
「われらは今真に声聞である。仏道の声をもって一切衆生に聞かせるであろう。
われらは今、真に阿羅漢(あらかん)である。もろもろの世間の




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天・人・魔王・大梵天王から、広くその中にあって、供養をうけるであろう。
われらは世尊には大恩(だいおん)がある。
希有(けう)の事をもってわれらを憐(あわ)れみ教化(きょうけ)して、
利益(りやく)された。
無量億劫(むりょうおっこう)にも、誰かよくその恩を報ずる者はあるだろうか。
手足をもって供養し、頭を地につけて礼拝(らいはい)し、
一切をもって供養しても、皆仏の恩を報ずる事は出来ないであろう。
もしは仏の身を頂戴(ちょうだい)し、両肩に担って恒沙劫(ごうじゃごう)という長い間、
心を尽くして恭敬(きょうけい)し、また美味の膳、無量の宝衣(ほうえ)、
及びもろもろの寝具や種々の湯薬(とうやく)をもって供養し、
牛頭栴檀(ごずせんだん)及びもろもろの珍しい宝をもって仏塔を建て、
宝衣を地に敷き、この様なをもって恒沙劫の間供養しても、
尚その恩を報ずる事は出来ないであろう。」
と。


25  二乗が守護しない事を疑う


もろもろの声聞達は、前四味の爾前(にぜん)の経々でどれほど多くの叱責をこうむり、
会座の中で恥辱がましい事を聞かされたか、その数を知りません。

その事によって迦葉(かしょう)尊者の泣き叫ぶ声は三千世界を響かし、
須菩提(しゅぼだい)尊者は呆然(ぼうぜん)として手に持っていた鉢を捨てました。
舎利弗(しゃりほつ)は食べていた飯を吐き出し、
富楼那(ふるな)は美しい瓶(かめ)に糞(ふん)を入れている、
と嫌われました。

釈尊は鹿野苑(ろくやおん)においては阿含経を褒(ほ)め称(たた)え、
二百五十戒を師としなさい等と懇(ねんご)ろに褒められながら、
今又いつの間にか自分の所説をこうまで謗(そし)られるとは、
一仏二言で自語相違の失(とが)であるともいうべきです。

例えば、釈尊が提婆達多(だいばだった)を
「汝(なんじ)は愚か者で、人の唾(つば)を食う者だ」
と罵倒されたので、提婆達多は毒矢が胸に刺さった様に思い釈尊を怨んでいいました。
「瞿曇(くどん『釈尊』)は仏ではない。
自分は斛飯王(こくぼんのう)の嫡子(ちゃくし)であり、
阿難尊者の兄で、釈尊のいとこにあたる一類である。
どんなに悪い事があったとしても、内々に教え訓(さと)すべきである。

これほどの人天大会(にんでんだいえ)で、
これほどの大きな禍(わざわ)いを面と向っていう者は、
大人(だいにん)や仏陀の中にあるだろうか。
されば、出家する前は妻となるべき人を奪われた敵(かたき)であり、
いまは一座の中で恥をかかされた敵である。
今日から生々世々(しょうじょうせせ)に釈尊の大怨敵(だいおんてき)となるであろう」
と誓ったのです。

この事例をもって思うには、
今、もろもろの大声聞達は、本は外道の婆羅門(ばらもん)の家から出た人達です。
又もろもろの外道の長者でしたので、諸国の王に帰依され、多くの檀那に尊敬されていました。
あるいはその家柄が高貴な人もあり、
あるいは富福が満ちたりていた者もありました。

ところがそれらの栄官等を打ち捨てて慢心の幢(はたほこ)を倒して俗服を脱ぎ、
壊色(えじき『赤黒いこげ茶色』)の糞掃衣(ふんぞうえ『最も汚い衣』)を身にまとい、
白い毛の払子(ほっす)や弓矢等を打ち捨て、
一つの鉢を手に握り、貧乏人や乞食等の様にして、釈尊に付き従い、
風雨を防ぐ家も無く、身命を永らえる為の衣食も乏しく少ない有様であるのに、
五天竺・四海・全インドみな外道の弟子であり、
檀那(だんな)なので、仏でさえ九度の大きな難にあわれました。

所謂(いわゆる)提婆達多は大石を飛ばして釈尊を殺そうとし、
阿闍世王(あじゃせおう)は酔った象を放って釈尊とその弟子を殺そうとし、
阿耆多王(あぎたおう)は九十日のあいだ馬に、与える麦を釈尊と弟子に食べさせ、
婆羅門(ばらもん)城下を乞食(こつじき)した時、
米のとぎ汁しか与えられず、




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旃遮婆羅門女(せんしゃばらもんにょ)は
鉢を腹にふせ入れて釈尊が懐妊させたと非難した事等々。
まして化導される弟子達が受けた数々の難は言い尽くせない程です。

数知れない程多くの釈迦族の人々は波瑠璃王(はるりおう)に殺され、
千万人の眷属(けんぞく)は酔った象に踏み殺され、
華色比丘尼(けしきびくに)は提婆達多に殺害され、
迦廬提尊者(かるだいそんじゃ)は殺害されて馬糞(ばふん)に埋(うず)められ、
目蓮尊者は竹杖(ちくじょう)外道に殺害されました。

そのうえ六師外道は心を合わせて、
阿闍世王(あじゃせおう)や婆斯匿王(はしのくおう)らに讒言(ざんげん)して言うには
「釈尊は世界第一の大悪人である。
彼が行く所は、先々に三災七難が起こっている。
大海があらゆる流れを集め、大きな山がもろもろの木を集めている様に、
釈尊の所にはあらゆる悪人を集めている。
所謂(いわゆる)迦葉(かしょう)・舎利弗(しゃりほつ)・目蓮(もくれん)・
須菩提(しゅぼだい)等である。
人間と生まれた者はまず忠・考を第一としなければならない。
ところが迦葉らは釈尊に騙しすかされて、父母の教訓を用(もち)いず、
家を出て、王法による命令書にも背いて山林に入ってしまった。
国内に留めておくべき者ではない。
だから天には太陽や月や星等が異変を生じ、地には多くの災いが盛んに起きている。」
等と訴えました。

これらの難だけでも耐えられるとも思えないのに、
更に付け加えられる災いに、釈尊に会座で叱責され、釈尊にも添(そ)い難い事でした。
人天大会(にんでんだいえ)の大衆が集まった説法の座で、
しばしば叱責の声を聞いたのでどうして良いかわからず、
ただ慌(あわ)てる心ばかりでした。

そのうえ大の大難の第一なのは、浄名経(じょうみょうきょう)に
「汝(なんじ)に施(ほどこ)す者は福田とは名付けない。
汝を供養する者は三悪道に堕ちる。」
と言われた事です。

この経文の意味は、釈尊が菴羅苑(あんらおん)という所に居られた時に、
梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月・四天王、
三界の諸天・地神・竜神等数えきれない程の無数の大会(だいえ)の中で言われました。
「須菩提(しゅぼだい)らの出家者らを供養する天・人は三悪道に堕ちるであろう」
と。

これたを聞いた天・人達は、これらの声聞達に供養するでしょうか。
結局は仏の言葉によってもろもろの二乗を殺害されるのかと思われ、
心ある人々は仏をも疎(うと)んじた事でしょう。

それで、これら天・人達は、仏を供養して奉(たてまつ)ったついでに、
二乗のわずかの身命を助けられました。

ですから、事の心を考えてみますと、釈尊が四十余年の爾前の経々だけを説かれて、
八か年の法華経の説法無くして御入滅なられていたならば、
誰がこれら二乗の尊者を供養するでしょうか。
現身(げんしん)に餓鬼道に堕ちておられる事でしょう。

ところが四十余年の間に説いた爾前の経々を、
春先の太陽が寒氷(かんぴょう)を消滅させる様に、
無量の草露(そうろ)を大風が零(こぼ)し落とす様に、一言をもって一時に、
無量義経において
「いまだ真実をあらわさず」
と打ち消し、
大風が黒雲(こくうん)を撒(ま)き散らし、大空に満月が輝いた様に、
青天に太陽がかかった様に




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法華経方便品で
「世尊は方便の教えを長い間説いた後、必ず当(まさ)に真実を説くのである」
と明らかに説かれて、
舎利弗(しゃりほつ)は華光如来(けこうにょらい)、
迦葉(かしょう)は光明如来(こうみょうにょらい)等と、
赫々(かくかく)たる太陽、明々(めいめい)たる満月の様に経文に記(しる)し、
鏡に浮かべられたからこそ、
釈尊入滅後の人天のもろもろの檀那(だんな)達から仏の様に仰がれたのです。

水が澄(す)めば、月はその影を映す事を惜(お)しみません。
風が吹けば、草木はなびかないでしょうか。
それと同じで法華経の行者があれば、舎利弗等これらの聖者はたとえ大火の中をくぐっても、
大石の中を通っても訪ねて来られるべきです。

迦葉(かしょう)は入定(にゅうじょう)して弥勒菩薩の出現を待つと言いますが、
それも事によるのであって、
今法華経の行者が難にあっているのに、いったいどうなっているのか、
不審で仕方ありません。
「後五百歳(ごごひゃくさい)」の予言が当たらないのでしょうか
「広宣流布(こうせんるふ)」の言葉は偽りとなるのでしょうか。
あるいは日蓮が法華経の行者では無いのでしょうか。

法華経を経内と蔑(さげす)み下して、教外別伝(きょうげべつでん)と称する
大嘘(おおうそ)つきの禅宗の者を守られるのでしょうか。
あるいは捨閉閣抛(しゃへいかくほう)と定めて法華経の門を閉じよ、
巻物を抛(なげう)て、と版に彫りつけて、
法華堂を失わせる念仏者を守護されるのでしょうか。
それとも仏前において法華経の行者を守護するとの誓いはあったけれども、
濁世(じょくせ)の大難の激しさを見て、諸天善神は下って来られないのでしょうか。

日月共に天にあります。
須弥山(しゅみせん)は今も崩れていません。
海潮(かいちょう)も増減しています。
四季も型の通りで違っていません。
それなのに法華経の行者に守護が無いのは、いったいどうした事かと、
大きな疑問はいよいよ積もってきます。


26  菩薩等が爾前(にぜん)では無恩である事を明かす


又、もろもろの大菩薩や天・人らは、
爾前の経々において未来の成仏を明かされた様に見えるけれども、
それはあたかも水中の月を取ろうとする様な、
又影を本体と思う様なもので、
色・形だけあって実義は無いのです。
又、仏からうけた御恩も深い様に見えて、実は深くありません。

釈尊が初めて仏道を成じた時には、まだ説教も無かったので、
法慧(ほうえ)菩薩・功徳林(くどくりん)菩薩・金剛幢(こんごうどう)菩薩・
金剛蔵(こんごうぞう)菩薩等という六十余人の大菩薩が、
十方の諸仏の国土から教主釈尊の前にやって来られて、
賢首(けんじゅ)菩薩や解脱月(げだつがつ)らの菩薩の請(こ)いに従って、
十住(じゅう)・十行(ぎょう)・十回向(えこう)・十地(じ)等の法門を説かれました。

これらの大菩薩が説かれた法門は、
釈尊に習い奉(たてまつ)ったものではありません。

十方世界のもろもろの梵天達もやって来て法を説きましたが、
これらも又釈尊に習い奉(たてまつ)ったのではありません。

総じて華厳経(けごんきょう)説法の座に集まった大菩薩や天・竜らは、
釈尊以前に不可思議解脱に住(じゅう)していた大菩薩です。

釈尊が過去世において
菩薩として因位(いんい)の修行をしておられた時の弟子ででもあるのでしょうか。
十方世界で先に出現された弟子ででもあるのでしょうか。
一代五十年の教主として
インドに生まれて始めて成道(じょうどう)した釈尊の弟子ではありません。

阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)の三時に
蔵(ぞう)・通(つう)・別(べつ・円(えん)の四教を釈尊が説かれた時に、
ようやく弟子が出来たのです。
これも又釈尊自らの説法ではありますが、正説(しょうせつ)ではありません。

どうしてかと言えば、
方等・般若に説かれた別・円の二教は、華厳経の別・円二教の範囲を出ていません。




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華厳経の別・円二教は教主釈尊の別・円二教では無く、
法慧(ほうえ)菩薩らの大菩薩が説いた別・円二教です。

これらの大菩薩は人目には釈尊の御弟子かの様に見えますが、
釈尊の御師(おんし)ともいうべきです。

釈尊は、華厳の時に
かの菩薩達の説くところを聴聞(ちょうもん)して智慧が啓発して後、
重ねて方等・般若の別・円を説かれました。
これは趣(おもむき)も変わらない華厳経の別・円二教です。
ですから、これらの大菩薩は釈尊の師なのです。
華厳経で、これらの菩薩を教えあげて、善知識である、と説かれたのは、
この事を言っているのです。

善知識というのは、一向に師でも無く、一向に弟子でも無い事です。

蔵(ぞう)・通(つう)の二教は又別(べつ)・円(えん)二教の枝流(しりゅう)です。
別・円二教を知っている人は必ず蔵・通の二教を知っております。

人の師というのは弟子の知らない事を教えるのを師というのです。
例えば釈尊より以前の、一切の人・天、外道は、二天・三仙の弟子です。
外道が九十五種にまで分派したけれども、三仙の見解を出ていません。

教主釈尊も外道から習い伝えられて、外道の弟子であられましたが、
苦行(くぎょう)・楽行(らくぎょう)を重ねて十二年の時、
苦(く)・空(くう)・無常(むじょう)・無我(むが)の理を悟り出したからこそ、
外道の弟子という名を離れられて、
無師智(むしち『師無くして自ら得た智慧』)と名のなれたのです。
又人・天も大師と仰いだのでした。


27  法華の深恩(じんおん)を明かす


釈尊は御年七十二歳の時、
摩竭提国(まがだこく)の霊鷲山(りょうじゅせん)という山において、
無量義経を説かれた時に、四十余年の経経を取り上げて、
枝葉(えだは)の経はその中に収めて
「四十余年の間、いまだ真実を顕さず」
と打ち消されたのは、この事です。

この時、もろもろの大菩薩や天・人らは、あわてて真実の義を説いてほしいと言いました。

無量義経において真実の義と思われる様な事が一言ありますが、
まだ真実の義はありません。
それは、譬えば月が出ようとする時、
その本体はまだ東の山に隠れていて、光りは西の山にまで届いているが、
人々は月の本体を見る事が出来ない様なものです。

法華経方便品で略三乗を開いて一仏乗を顕す時、
釈尊は略して一念三千を説き、心中の本懐を少し述べられました。

はじめて聞く事なので、ほととぎすの初音(はつね)を、
寝惚(ねぼ)けている者が一声聞いた様に、
月が山の端に出たけれど薄雲(うすぐも)が覆っているように、
ごくかすかであったので、
舎利弗らは驚いて、諸天・竜神・大菩薩らを集めて、
「諸天・竜神等、その数は恒沙(ごうじゃ)の様に多い。
仏を求めるもろもろの菩薩の数は八万もある。
又もろもろの万億の国の転輪聖王(てんりんじょうおう)がやってきて、
合掌(がっしょう)して敬心(けいしん)をもって、
具足(ぐそく)の道を聞きたいと望んでいる」(法華経方便品)
等とお願いしました。

経文の意味は、四味三教の爾前四十余年の間、




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いまだ聞いた事の無い法門を承りたいとお願いしたのです。
この経文に
「具足の道を聞きたいと望んでいる」というのは、
大経(だいきょう『涅槃経』)には
「薩(さ)とは具足の義に名づける」とあります。

「無依無得大乗四論玄義記(むえむとくだいじょうしろんげんぎき)」には
「沙(さ)とは翻訳して六という。インドでは六をもって具足の義とする」とあります。

吉蔵(きちぞう)の「法華義疏(ほっけぎしょ)」には
「沙(さ)とは翻訳して具足となす」とあります。

天台大師の「法華玄義(ほっけげんぎ)」の八には
「薩(さ)というのは梵語(ぼんご)で、中国では妙(みょう)と訳すのである」
とあります。

付法蔵(ふほうぞう)の第十三で、
真言宗や華厳宗、その他の諸宗の元祖で、
本地は法雲自在王如来(ほううんじざいおうにょらい)、
その迹の姿が竜猛(りゅうみょう)菩薩という初地(しょじ)の大聖(だいしょう)が著した
「大智度論(だいちどろん)」千巻の肝心には
「薩(さ)とは六である」とあります。

妙法蓮華経というのは漢語です。
インドでは薩達磨分陀利伽蘇多攬(さだるまふんだりきゃそたらん)と言います。

善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)の法華経の肝心の真言には
「曩謨三曼陀没駄南(のうまくさんまんだぼだなん)[帰命普仏陀(きみょうふぶつだ)]
唵(おん)[三身如来(さんじんにょらい)]
阿阿暗悪(あああんなく)[開示悟入(かいじごにゅう)]
薩縛勃陀(さるばぼだ)[一切仏(いっさいぶつ)]枳攘(きのう)[知(ち)]
娑乞蒭毘耶(さきしゅびや)[見(けん)]
誐誐曩三娑縛(ぎゃぎゃのうさんそば)[如虚空性(にょこくうしょう)]
羅乞叉儞(あらきしゃに)[離塵相也(りじんそうなり)]
薩哩達磨(さつりだるま)[正法(しょうぼう)]
浮陀哩迦(ふんだりきゃ)[白蓮華(びゃくれんげ)]
蘇駄覧(そたらん)[経(きょう)]惹(じゃ)[入(にゅう)]吽(うん)[遍(へん)]
鑁(ばん)[住(じゅう)]発(こく)[歓喜(かんぎ)]
縛日羅(ばざら)[堅固(けんご)]羅乞叉まん(あらきしゃまん)[擁護(おうご)]
吽(うん)[空無相無願(くうむそうむがん)]
沙婆訶(そはか)[決定成就(けつじょうじょうじゅ)]」
と言っています。

この真言は南インドの鉄塔の中にあった法華経の肝心の真言です。

この真言の中に薩哩達磨(さつりだるま)というのは正法の事です。
薩(さ)というのは正です。
正は妙であり、妙は正です。
だから正法華(しょうほっけ)とも妙法華(みょうほっけ)とも言うのです。
又、妙法蓮華経の上に南無(なむ)の二字をおいて南無妙法蓮華経というのです。

妙(みょう)とは具足という事であり、六とは六度万行(まんぎょう)という事です。
もろもろの菩薩が、どうしたら六度も万行を具足出来るのかを聞きたいと思う、
という事です。
具(ぐ)とは十界が互いに十界を具(そな)えている事であり、
足(そく)というのは一界に十界を具えているから、
その界そのものの位に他の九界があり、満足の義です。

この法華経の一部八巻二十八品六万九千三百八十四字の一一に皆妙の一字を具えており、
一字一字は三十二相八十種好(しゅごう)の仏陀です。

十界に皆それぞれの界の仏界を顕しています。
妙楽大師は
「止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)」に
「十界に皆仏果を具えている。その他の果を具えているのは当然である」
と言っています。

具足の道を聞きたい、との願いに仏は答えて法華経方便品に
「衆生をして仏の知見(ちけん)を聞かせたいと思う」
と言われました。

衆生というのは舎利弗(しゃりほつ)であり、
衆生というのは一闡提(いっせんだい)であり、
又衆生というのは九法界の事で、
「一切の衆生を全て救おうとの誓い」
がここに満足したのです。

法華経方便品に
「我は本(もと)誓願を立て、
一切の衆生を仏と等しくして異なる事の無い様にさせたいと願った。
昔に願ったところの事は、今既に満足した」
と説かれています。

もろもろの大菩薩や諸天らはこの法門を聞いて領解(りょうげ)して法華経譬喩品に
「われわれは昔より今まで、しばしば釈尊の説法を聞いてきたけれど、
未だかつてこの様な深妙の上法を聞かなかった」
と言っています。

伝教大師はこの経文を解釈して「守護国界章」に
「われわれは昔より今まで、しばしば釈尊の説法を聞くというのは、




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昔、法華経の前に、華厳経等の大法を説くのを聞いた事をいうのである。
未だかつてこの様な深妙な上法を聞かなかったとは、
未だ法華経の唯一仏乗の教えを聞かなかった事をいうのである。」
と言っています。

華厳・方等・般若・深密(じんみつ)・大日等の数多くのもろもろの大乗経では、
未だ釈尊一代仏教の肝心である一念三千の大綱・骨髄の二乗作仏・久遠実成等は
未だ聞かなかった、と領解(りょうげ)したのです。












最終更新:2011年03月14日 07:30