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 開目抄 上
                                                 文永九年二月    五十一歳御作
                                                 門下一同に与う     佐渡・塚原に於いて


1  三徳を示す


一切衆生がもっとも尊敬すべきものが三つあります。
それは主人と師匠と親です。
また、習学すべきものが三つあります。
それは儒教(道教もふくむ)と、インド古来のバラモン教の外道と内道である仏教です。


2  儒教の三徳


儒教においては、
中国古代の名君主であった三皇「伏義(ふつき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)」
五帝「少昊(しょうこう)・顓頊(せんぎょく)・帝告・堯(ぎょう)・舜」
三王「兎王(うおう)・湯王(とうおう)・文王(ぶんのう)」たちを
天尊と名づけて崇敬し、
諸臣たちの頭目(親・師)であり、国民すべての橋(主人)とあおいでいます。
三皇時代以前は、自分の父を知らず、
母さえ尊敬する事を知らないで、人々はみな禽(とり)や獣(けもの)と同じでした。
しかし、三皇・五帝の時代から父母をわきまえて孝行をするようになりました。
その零として、重華(舜)は頑固で愚かな父を敬い、
沛公(はいこう)は中国・漢の国の高祖となって帝王となりましたが、
なお父の太公を拝しました。
中国・周の武王は、父・西伯の木像を作り、父の遺志をついで紂王の討伐に出陣し、
中国・後漢の丁蘭は母の死後、その姿を刻んで、あたかも生きている母の様に仕えました。
これらは孝行の手本です。
中国・殷の忠臣であった比干は、紂王の暴虐な政治の為に、殷の世が滅びる事を見て、
しいて紂王を諌めましたが、かえって首をはねられ殺されました。
中国・衛の公胤という人は、主君の懿公が殺され、はらわたが散乱しているのを見て、
自分の腹を裂いて主君の肝を隠し入れて死にました。
これらは忠の手本です。

尹寿(いんじゅ)は堯王(ぎょうおう)の師、務成は舜王の師、
太公望は文王の師、老子は孔子の師です。
これら四人を四聖と呼び、
堯・舜ら天尊も頭をたれて敬い、全ての人々も手を合わせて尊敬しました。
これらの聖人が説いたものに、「三墳」「五典」「三史」など三千余巻の書物があります。
しかし、その根本は三玄を出ないものです。

三玄とは、一には有の玄と言われるもので、周公らがこれを立てました。
二には無の玄と言われるもので老子らが立てました。
三には亦有亦無(やくうやくむ)といわれるもので荘子の玄がこれです。

玄とは黒(こく)という事で、人間が世に生れる以前はどうかといえば、
あるいは元気より生じたといい、
あるいは貴賎、苦楽、是非、得失などの現象はみな自然で
あるなどといっています。

この様に巧みにその理論を立ててはいますが、
まだ過去世・未来世については一分も知りません。
玄とは暗黒であり、幽(かす)かで良く分からないという事です。
それで玄というのです。
ただ現世の事だけは少し知っている様に見えます。

現世において仁義などの道徳を制定し、これを実践する事によって身を守り、
国を安穏におさめる事が出来る。
もしこの仁義などの道に相違すれば一族一家を滅ぼしてしまうと教えています。

これら儒教で賢聖と仰がれている人々は聖人であるとはいっても、
過去世を知らない事は、あたかも凡夫が自分の背を見る事が出来ないのと同じであり、
来世を知らないのは、盲人が目の前を見る事が出来ない様なものです。

ただ現世において、家をあさめ、孝行を尽くし、
かたく仁・義・礼・智・信の五常を行ずれば、
同僚達もこの人を敬い、
名声は国中に広まり、賢王もこの人を召し出して、あるいは臣下となし、
あるいは師と頼み、あるいは王位をゆずり、諸天善神もやってきて守り仕えるといいます。
いわゆる周の武王には五人の老師が来て仕え、後漢の光武帝には天の二十八宿が天下って
二十八人の将軍となり、守り仕えたというのがこの例です。
この様に儒教の徳は高いけれども、




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生命が過去と未来にわたる事を知らないから、父母・主君・師匠が死んだ後、
その来世を助ける事が出来ない、結局は不知恩の者です。
従って本当の賢人でも聖人でもありません。

孔子が「この国に賢人・聖人はいない。西の方に仏図(ふと=釈尊の事)という者があり、
その人が真(まこと)の聖人である」といって、
外典の教えを仏法へ入るための門としたのはこの意味です。

すなわち儒教においては礼儀や音楽などを教えて、後に仏教が伝来した時、
戒・定・慧の三学を理解しやすくさせるために、
王と臣下の区別を教えて尊卑をしめし(主の徳をあらわす)、
父母を尊ぶべき事を教えて孝道の高い理由を知らせ(親の徳をあらわす)、
師匠と弟子の立場を明らかにして、師に帰依すべき事を教え知らさせたのです
(師の徳をあらわす)。

妙楽大師は「止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)」に
「仏教の流布・化導はじつに儒教が先にひろまって人々を教化(きょうけ)していたからである。
儒教の礼楽が先に流布されて、真の道である仏法が後に弘通されたのである」といっています。

天台大師は「摩訶止観」に
「金光明経にいうには『一切世間のあらゆる善論はみな仏教によっているのである。
もし深く世間の法を識(し)れば、すなわちこれは仏法である』と説いている」といっています。

さらに天台大師は「摩訶止観」で
「釈尊は三人の聖人をつかわして中国の人々を教化した」といっています。

それを受けて妙楽大師は「止観補行伝弘決」で
「精浄法行法にいうには『月光(がっこう)菩薩はかの地に生れて顔回と称し、
光浄(こうじょう)菩薩はかの地で孔子と称し、
迦葉(かしょう)菩薩はかの地で老子と称した』と。
インドからこの中国をさして、かの地といっているのである」と述べています。


3  外道の三徳


第二にインドの外道について述べてみましょう。
外道においては三つの目と八本の臂(ひじ)をもっている
摩醯首羅天(まけいしゅらてん)と毘紐天(びちゅうてん)とを二天といい、
この二天を一切衆生の父であり母であり、また天尊であり、主君であるといっています。

また迦毘羅(かびら)・漚楼僧佉(うるそうぎゃ)・勒娑婆(ろくしゃば)の三人を
三仙と呼んでいます。
これら三人は釈尊の出生前八百年前後の仙人です。

この三仙の説いている教えを四韋陀といい、その所説は六万蔵あるといわれます。
釈尊が出世するころ、六人の外道の師が、この外道の経を習い伝えて、
五天竺すなわち東・西・南・北・中央の全インドの王の師となり、
その支流は九十五、六派にもなっていました。

その一つ一つの流派にまた種々の流派が多くあって、
それぞれ自分の流派が最高であると慢心の幢(はたほこ)が高い事は非想天にもすぎ、
執着の心のかたい事は金石をも超えていました。

さらにその見解が深く、巧みなさまは、儒教の遠くおよぶところではありません。

あるいは過去世の二世・三世から七世までを知るだけでなく、
ある者は万劫の過去まで照見する事が出来、
またあわせて未来の八万劫も知る事が出来ました。

その所説の法門の極理は、あるいは「因の中に果あり」という説、
あるいは「因の中に果なし」という説、
あるいは「因の中にまたは果あり、または果なし」という説などです。
これが外道の極理です。

なかでも、いわゆる模範的な善い外道の修行者は、
五戒や十戒や十善戒などの戒律をたもち、有漏(うろ)の禅定(ぜんじょう)を修めて、
色界の天、無色界の天を極め、最上界(非想天)を涅槃(悟り)と立てて、
尺取り虫のように一歩一歩修行してのぼっていくけれども、
非想天より、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として非想天に留まる者はいません。
しかし外道を信じる者は、一度非想天を極めた者は永久にかえらないのだと
思っていたのです。

おのおの自派の師匠の義を受けてかたく執着する故に、
あるいは寒い冬に一日三回ガンジス河に沐浴し、
あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げつけ、
あるいは身に火をあぶり、あるいは両手両足と頭の五ヶ所を焼く。

あるいは裸体になったり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれる、
あるいは草木を焼き払い、あるいは一切の木を礼拝するなど々、
これらの邪義は数え切れないほどです。
しかも、その師匠をつつしみうやまうさまは、あたかも諸天が帝釈天をうやまい、
諸臣が皇帝を拝するようでありました。




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しかしながら、外道の法は九十五派ありますが、
それらの修行では、善い外道であっても、悪い外道であっても、
一人として煩悩に支配された生老病死の迷いからはなれる事はできません。
善師につかえても、二生・三生の後には悪道に堕ち、悪師につかえては、
次の生をうけるごとに順々に悪道に堕ちていくのです。

結局のところ、外道というものは、仏教へ入る為の第一段階なのです。

ですから、ある外道は「千年以後に仏が世に出られる」と予言しました。

また、ある外道は「百年以後に仏が出世される」と予言しました。

大涅槃経には
「一切世間の外道の経書は、すべてこれ仏説であって、外道の説ではない」とあります。

さらに法華経五百弟子受記品には
「声聞の弟子たちはまた貪・瞋・癡の三毒ある凡夫と生まれ、邪見の相をあらわすのである。
わが弟子はこのように方便して衆生を誘引し救済する」と説かれています。


4  内外相対(ないげそうたい)


第三に大覚世尊・釈迦仏は一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田です。
(主・師・親の徳をあらわしている)

儒教の四聖や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいっても、
実際には見思惑・塵沙惑・無明惑の三惑のうち一つさえ断ち切っていない迷いの凡夫であり、
その名は賢人であるといっても、実は因果の道理をわきまえていない事は、
まるで赤子のようなものです。

そのような聖賢を船とたのんで、この苦悩と迷いの生死の大海を渡る事が出来るでしょうか。
彼らを橋として六道の迷いの巷をこえる事は難しい事です。

それに対して、わが釈迦仏は、
変易(へんにゃく)の生死すなわち二乗や菩薩の迷いをさえ超えられた方です。
まして六道を輪廻する凡夫の生死(分段の生死)はもちろんの事です。
生命に本来そなわっている根本の迷いをも断ち切られているのです。
まして見惑・思惑など枝葉の根の浅い迷いを断たれているのはいうまでもありません。

この釈迦仏は、三十歳で成道されてより八十歳ご入滅にいたるまで、
五十年の間一代の聖教を説かれました。
その一字一句はみな真実の言葉であり、一門一偈として偽りの語はありません。

外典や外道のなかの聖人・賢人の言葉ですら、その言っている事に誤りはなく、
事と心が相かなっています。

ましてや仏陀は無量劫というはるか遠い昔よりウソ偽りの言葉を言われなかった方です。
ですから、その一代五十余年の説教は、外典や外道に対すれば、すべて大乗であり、
大人(仏の事)の真実の言葉なのです。
三十歳成道のはじめより、釈尊最後の説法の時にいたるまで、説くところの法は
みな真実なのです。


5  権実相対(ごんじつそうたい)


ただし、仏教のなかに入って、五十余年の間に説かれた経々、
すなわち八万法蔵といわれる数多くの経について考えてみますと、
そのなかに少数の人しか救えない小乗経もあり、多数の人を救える大乗教もあります。
大乗教のなかでも法華経を説く為に説かれた権経もあり、実教の法華経もあります。
また衆生の機根に応じてあらわに説かれた顕教(けんきょう)、
仏の真意を秘密にして説かれた密教、あるいは意をつくした語、粗雑で意をつくさない語、
真実の言葉、偽りの言葉、正見、邪見などなど、種々の差別があります。
ただし法華経だけが教主釈尊の正直真実の言葉であり、
三世十方すなわち全宇宙の一切の仏のま事の言説(げんせつ)です。

釈尊は法華経以前の四十余年という年限をさして、
そのうちに説いた数多くの経々を無量義経で「いまだ真実を顕さず」と述べられ、
最後の八年間に説く法華経は
「必ずまさに真実を説くべし」(法華経方便品)と決定されたので、
多宝仏は大地より出現して
「釈尊の説法はみなこれ真実である」(法華経見宝塔品)と証明しました。

そして分身の諸仏は十方の世界から集まり来たって、長舌を梵天につけ、
法華経が真実である事を証明しました。

この法華経が真実であるという言葉は光り輝いて、
晴天の太陽よりも明らかであり、夜中の満月のように明るくはっきりしています。
あおいで信じ、ふして思うべきです。




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6  文底真実を示す


ただし、
この法華経に二つの大事な法門(迹門理の一念三千と本門事の一念三千)があります。

一念三千については倶舎宗(くしゃしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・
律宗(りっしゅう)・法相宗(ほうそうしゅう)・三論宗(さんろんしゅう)などは、
その名さえ知りません。

華厳宗と真言宗との二宗は、一念三千の法門をひそかに盗んで自宗の教義の骨目としています。

一念三千の法門(三大秘法の御本尊)は釈尊の一代仏教のなかでもただ法華経、
法華経のなかでもただ本門寿量品、
本門寿量品のなかでもただその文底に秘し沈められています。
正法時代の竜樹菩薩や天神菩薩は、
一念三千の法門が説かれている事は知っていましたが、それを拾い出して説く事はせず、
ただ像法時代の正師である中国の天台智者大師だけが内心に悟って「摩訶止観」を顕しました。


7  一念三千の数量で諸宗を判定する


一念三千は十界のおのおのに、さらに十界を具えているという事からはじまっています。

法相宗と三論宗は、八界を立てて十界を知りません。
ましてや十界互具を知るわけがありません。

倶舎・成実・律宗などは阿含経を依経としています。
この阿含経は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界は明らかにしていますが、
声聞・縁覚・菩薩・仏の四界を知りません。
「十方世界にただ一仏のみあり」といって、釈尊以外に一方の仏さえ明かしていません。
涅槃経のように「一切有情に事ごとく仏性がある」とまでは説かないにしても、
なお一人の仏性さえゆるしておりません。
であるのに、律宗・成実宗などが「十方に仏あり、仏性あり」などというのは、
釈尊入滅後の人師らが大乗教の教義を自宗に盗み入れたものでしょう。

そのありさまは、例えば、
外典・外道等でも、仏教がひろまる以前の外道は、その執着する邪見も浅いものでした。
仏教がひろまったあとの外道は、深遠な仏教の教義を聞き見て、
自宗の欠点を知り、それを巧みにとりつくろう心が出てきて、
仏教の義を盗み取り、自宗に取り入れて、邪見が最も深くなりました。
本来は外道でありながら小乗の義を立てる附仏教、
また大乗の義を立てる学仏法成などといわれる外道がこれです。

儒教の外典もまたこの通りで、
中国に仏法がまだ伝来してない時代の儒教・道教は、のんびりして赤子のように
はかないものでした。
しかし、後漢の世に仏教がわたってきて、
外典と仏教が対論した結果、仏教が勝れている事がわかり、
次第にひろまるにつれ、仏教の僧侶が戒を破ったため、
あるいは出家の身から再び俗人に還って家に帰ったり、
あるいは俗人と心を合わせて儒教・道教の中に仏教の義を盗み入れたりしたのです。

天台大師は「摩訶止観」の第五に
「今の世には多くの悪魔のような僧があって、戒律を守れず家に帰り、
処罰を畏(おそ)れて、またもとの道士へ逆もどりしている。
また名誉や利益をもとめて、荘子・老子の道を自慢して談じ、
仏法の義を盗んで道教などの邪典につけ、高い仏法の義を低い外典につけ、
尊い仏法を摧(くだ)いて卑しい外典の教に取り入れ、ならして道教と仏教を
平等なものにしている」といっています。

妙楽大師はそれをさらに「止観輔行伝弘決」に
「僧侶の身となって仏法を破滅する者もある。
もしくは戒律を守れず家に帰るというのは、衛(えい)の元崇(げんすう)らのような者である。
すなわち在家の身をもって仏法を破壊している。
このような人が正しい仏教の教えを盗んで、邪典に添えたのである。
『高きを押して』等とは、
道士の心で道教と仏教をならして邪と正を等しいものにさせてしまった事であり、
義を考えれば、このような道理はない。
かつて仏法に入って正しい教えを盗み、外典の邪義を助け、
八万法蔵・十二部経の高い仏教を押して五千余言・上下二篇の低い道教の経典につけ、
以(も)って、かの道教の邪卑の教えを解釈する事を『尊きを摧いて卑しきに入れる』
と名づける」と釈しています。

この妙楽の釈を見なさい。
すなわち、上に述べた「摩訶止観」の文の意味なのです。


8  中国への仏法伝来


仏教もまたこの通りです。
後漢の永平十年に中国へ仏法がわたって、
儒教・道教の邪典がやぶれて内典(仏教)が立てられました。

その後、
仏教内に南三北七の各宗派が乱立してそれぞれ自宗に執着し、
仏教内が乱れましたが、




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陳・隋時代の天台智者大師に事ごとく打ち破られ、
仏法は再び一切衆生を救いました。

その後、法相宗と真言宗がインドから伝えられ、
また華厳宗も立てられました。

これらの宗々の中にも、法相宗はまったく天台宗に対立する宗派で、
その法門は水と火のように相容れないものでした。

しかしながら法相宗の開祖の玄奘(げんじょう)三蔵も第二祖の慈恩大師も、
事こまかに天台の御釈を見るうちに、自宗の誤りに気がついたのでしょうか、
自宗を捨てないけれども、その心は天台に帰伏したとみえます。

華厳宗と真言宗とは、もとは権経であり、権宗です。

ところが中国・真言宗の善無畏三蔵、金剛智三蔵は、
天台の一念三千の義をぬすみとって自宗の肝心とし、
そのうえに印(指で種々の形をつくる修行)と
真言(仏の真実の言葉であるといい、呪文のようなもの)とをくわえて、
法華経より大日経が勝れているという心をおこしました。
そのくわしい事情を知らない学者らは、
もともとインドから、大日経に一念三千の法門があったのだと思っています。

一方華厳宗は、中国・華厳宗の第四祖澄観(ちょうかん)の時、
華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文に天台の一念三千の法門を盗み入れたのでした。
しかし人々はこの事を知らないのです。


9  日本への仏法伝来


日本わが国へは、
華厳宗などの六宗(華厳・倶舎・成実・律・法相・三論)は、
天台宗・真言宗が伝来する以前にわたってきました。

華厳宗・三論宗・法相宗は、たがいに教義を争う事、水と火のように相容れませんでした。

ところが伝教大師が日本に出現して、六宗の邪見を打ち破っただけでなく、
真言宗が天台の法華経の一念三千の理を盗み取って自宗の極理とした事も
明らかになってしまいました。

伝教大師は各宗派の人師たちが邪見に執着するのを捨てて、
もっぱら経文を本として邪義を責められたところ、
六宗の高僧ら八人、十二人、十四人、三百余人、ならびに弘法大師らは破折されてしまい、
日本国中一人ももれなく天台宗に帰伏し、
奈良の諸寺、東寺、日本全国の山寺はみな比叡山(ひえいざん)天台宗の末寺となりました。

また中国の諸宗の元祖たちが、天台大師に帰伏した事によって、
謗法の罪をまぬかれた事も明らかになりました。

また、その後次第に世が衰え、人の智慧も浅くなっていくうちに、
天台の深義(じんぎ)は習い失われていきました。

そして他宗が自宗の義に執着する心が強盛になるにつれ、
だんだんと六宗・七宗(六宗に真言宗を加える)に、天台宗はおとされ弱まっていき、
そのために、ついには六宗・七宗などにも及ばなくなってしまいました。

それだけではなく、取るに足らない禅宗や浄土宗にもおとされて、
はじめは檀家が次第にかの邪宗に移っていき、
ついには天台宗の高僧と仰がれる人々も皆おちていき、
かの邪宗を助ける結果になってしまったのです。

そうするうちに六宗・八宗(六宗に真言・天台の二宗を加える)の田畠・領地さえ
皆失ってしまい、正法が失せはててしまいました。

天照大神・正八幡・山王など、
もろもろの法華経守護の善神も正法の法味をなめる事も出来ず、
国を捨て去られた為か、悪鬼が便りを得て、国は既に破れようとしています。


10  権迹相対


ここに、日蓮が愚見をもって、釈尊一代の教法について、
法華経以前に説かれた四十余年の爾前の経々と、
最後の八年間に説かれた法華経との相違について考えてみますと、
その相違は数多いといっても、まず世間の学者もみとめ、




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自分もそうだと思う事は、二乗作仏と久遠実成です。


11  一仏二言は信じ難い事


さて法華経に明らかに説かれている文を拝見すると、
舎利弗は華光如来、迦葉(かしょう)は光明(こうみょう)如来、
須菩提(しゅぼだい)は名相(みょうそう)如来、
迦旃延(かせんねん)は閻浮那提金光(えんぶなだいこんこう)如来、
目蓮(もくれん)は多摩羅跋栴檀香仏(たまらばせんだんこうぶつ)、
富楼那(ふるな)は法明(ほうみょう)如来、
阿難(あなん)は山海慧自在通王仏(さんがいえじざいつうおうぶつ)、
羅睺羅(らごら)は蹈七宝華(とうしつぽうけ)如来、
五百・七百の阿羅漢(あらかん)は普明(ふみょう)如来、
学・無学の二千人は宝相(ほうそう)如来、
摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)と
耶輸多羅比丘尼(やしゅたらびくに)らは、
それぞれ一切衆生喜見(いっさいしゅじょうきけん)如来と
具足千万光相(ぐそくせんまんこうそう)如来、等々とと、
未来の成仏を明らかにされています。

これらの人々は、法華経を拝見する限りにおいては、尊い人のようですが、
爾前の経々をひらき見るとき、実にがっかりする事が多くあります。

その訳は、
仏世尊は真実の言葉を述べる人です。
ですから聖人といい大人と名づけられているのです。

外典・外道の中の賢人・聖人・天仙などというのも、
実語をいう人であるから付けられた名称です。
これらの人々よりもすぐれて第一であるから世尊を大人と申し上げるのです。

この大人たる世尊は法華経方便品で、
「ただ一大事の因縁のために、この世に出現したのである。」と仰せられ、
無量義経には、
「四十余年にはいまだ真実をあらわさず」といわれ、
法華経方便品で、
「仏は長い間、権経を説いた後、必ずまさに真実の教えを説くのである」、
「正直に方便権経を捨てて」等と説かれました。

これに対して、
多宝仏は釈尊の所説が真実であると証明し、
分身の諸仏は舌を出して真実であると証明したのですから、
舎利弗(しゃりほつ)が未来に華光如来となり、迦葉が光明如来となる等の説法を、
だれが疑う事が出来るでしょうか。


12  永不成仏(ようふじょうぶつ)の文を引く


しかしながら、爾前の経々もまた仏の真実の言葉です。

大方広仏華厳経には、
「如来の智慧をたとえたところの大薬王樹は、
ただ二か所だけは成長し利益をほどこす事が出来ない。
その二か所とは、いわゆる声聞と縁覚の二乗が小乗教で得る最高の悟りの境地という
広大な深い坑(あな)に堕ちるという事、
仏道修行の善根を破る謗法一闡提(ほうぼういっせんだい)の衆生が
大邪見(だいじゃけん)・貪愛(とんない)の水に溺れるという事である。」
とあります。

この経文の意は、雪山(せっせん)という山に大樹があり、
それを無尽根(むじんこん)と名づけ、大薬王樹とよんでいます。

この木は世界中のあらゆる木の中の大王です。

この木の高さは十六万八千由旬(ゆじゅん)もあり、
世界中の一切の草木はこの木に根ざし、
この木の枝葉や華菓(けか)の状態に従って華菓がなるのです。

この木を仏の仏性にたとえ、一切衆生を一切の草木に譬えています。

ただし、
この大樹は火の坑(あな)と水輪(すいりん)の中には生長しません。
二乗の心中を火の坑に譬え、
一闡提(いっせんだい)の心中を水輪に譬えたのです。
この二乗と一闡提の二類は永久に成仏する事ができないという経文です。

大集経には次のようにいっています。
「二種の人があり、必ず死して活きる事がない。
その結果、恩を知り恩を報ずる事が出来ない。
それには、一には声聞であり、二には縁覚である。
たとえば、人があって、深い坑(あな)におちこんで、
この人は自身を利益(りやく)する事も、他人を利益する事も出来ないように、
声聞・縁覚もまたこの通りである。
二乗界の悟りの坑におちこんで、
自分自身を利する事も、他人を利する事も出来ないのである。」
と。

外典三千余巻に説かれた結論に二つあります。




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考とは高という事で、
天は高いけれども考より高くはありません。
また考とは厚という事で、大地は厚いけれども考よりは厚くありません。

儒教の聖人・賢人といわれる二類の人も考行を根本にしています。
まして仏法を学ぶ人が、恩を知り恩を報ずる事がないわけがありません。
仏弟子は必ず四恩を知って知恩・報恩の誠(ま事)をつくすものです。

そのうえ舎利弗・迦葉ら二乗の弟子は、
出家の僧が持(たも)つべき二百五十戒、三千の行儀を良く持ち整えて、
味禅(俗人の禅定)・浄禅(俗人のなかで善行を修した者の禅定)・
無漏(むろ)禅(出家した者の禅定)の三種の禅定をおさめ、阿含経をきわめ、
三界の見惑・思惑を断じ尽くしたのですから、
知恩・報恩の人の手本であるはずです。

ところが、二乗は不知恩(ふちおん)の者である、と釈尊は定められました。

その訳は、父母の家を出て出家の身となるのは、必ず父母を救うためです。
しかし二乗の者は自分自身は悟ったと思っても、他を利益する行が欠けています。

たとえ分に応じた少々の利他の行があるといっても、
父母等を永久に成仏出来ない道に入れてしまうので、かえって不知恩の者となるのです。

維摩経(ゆいまきょう)には
「維摩詰(ゆいまきつ)がまた文殊師利(もんじゅしり)菩薩に問うて
『何をもって成仏の種となすのか』。
文殊が答えて
『一切の貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒の類は成仏の種となる。
五逆罪をおかして無間地獄に堕ちる罪を具えていても、
なおよく大道意すなわち成仏を願う心をおこす事ができる』」
とあります。

また維摩経に
「たとえば善男子(ぜんなんし)よ、
高原の陸土には青蓮華(しょうれんげ)は生じないで、
ひくい湿った汚い田にこの華が生ずるのと同じである」とあります。

同じく維摩経に
「すでに小乗の最高の悟りの境地である阿羅漢果を得て応真となった者は、
ついに再び成仏を願う心をおこして仏法を持(たも)つ事は出来ないのである。
それはあたかも、
五根(眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん))をやぶり損じた者は
五根によってうける五欲の楽しみも再び味あう事ができないのと同じである」
とあります。

これら維摩経の文の心は、
貪欲(どんよく)・瞋恚(じんに)・愚痴(ぐち)などの三毒は成仏の種となる、
父を殺す等の五逆罪は成仏の種となる、
また高原の陸土に青蓮華が生じたとしても、二乗の者は仏に成る事は出来ない。

その意味は、二乗の諸々の善と凡夫の悪とを相対すると、
凡夫の悪は仏になる因となっても二乗の善は仏になる因とはならないという事です。

諸々の小乗経には悪を戒(いまし)めて善を褒(ほ)め称(たた)えています。
ところが、
この維摩経には二乗の善を謗(そし)り、凡夫の悪を褒めているのです。

これではかえって仏の教えとも思えず、外道の法門のようですが、
詮ずるところは二乗が永久に成仏出来ない事を強く決定されたのではないでしょうか。

方等陀羅尼経(ほうどうだらにきょう)に
「文殊師利菩薩が舎利弗に語って言うには
『枯れた木に再び華が咲くかどうか。また山の水がもとの所にかえるかどうか。
割れた石がもとのように合うかどうか。燋った種が芽を出すかどうか。』と。
舎利弗が言うには
『そのような事はありえない』
文殊が言うには
『もしありえないなら、
どうして私に成仏出来るかどうかを尋ねて心に歓喜が生ずる事があろうか』」
とあります。

この経文の意味は、
枯れた木に華は咲かない、山の水は再び山へはかえらない、割れた石はもとどおりに合わない、
燋った種は芽が出ない。




193p




二乗の者もまたこれと同じで、
仏になる種を燋ってしまったのだから成仏出来ないというのです。

大般若経には
「諸々の天子よ、今、未だに悟りを求める心をおこさないならば、
まさにおこすべきである。
もし声聞の正位に入ってしまうと、この人は悟りを求める心をおこさないのである。
何故かというと、声聞の正位に入ると再び三界の中に生れる事が出来ない為に
菩提心をおこす事も出来ないのである。」
とあります。

この文の意味は、二乗は悟りを求める心をおこさないから仏は喜ばない、
諸々の天子は菩提心をおこすので仏は喜ばれるだろうという事です。

首楞厳経(しゅりょうごんきょう)には
「五逆罪を犯した人でも、この首楞厳経三昧(しゅりょうごんきょうざんまい)を聞いて
菩提心をおこすので、かえって成仏する事が出来る。
世尊よ、煩悩を断じ尽くした小乗の聖者(しょうじゃ)は、
なお破れた器のように、永くこの三昧をうけるに堪えないのである」
とあります。

浄名経には
「なんじら声聞にほどこす者は、福田とはいえない。
なんじを供養する者は三悪道に堕ちる」
とあります。

この経文の意味は、
迦葉(かしょう)や舎利弗(しゃりほつ)らの二乗の聖僧(しょうそう)を供養する
人界・天界の衆生は必ず三悪道に堕ちるという事です。

迦葉らの聖僧は、
釈尊を除きたてまつれば、人界・天界の眼目であり、
一切衆生の導師であるとばかり思っていたのに、
それほど多くの人界・天界の衆生が集まった説法の場において、
このように度々(たびたび)責め仰せられたのは、どうにも納得出来ない事です。
ただ結局はご自分のお弟子方を責め殺そうとなされたのでしょうか。

この他にも、牛乳とロバの乳の譬え、瓦(かわら)の器と金の器の譬え、
蛍火(けいか)と日光の譬えなど数多くの譬えを取り上げて、二乗を責められました。

それも一言(ごん)や二言ではなく、
一日や二日ではなく、一月や二月ではなく、一年や二年ではなく、
一経や二経ではありません。
四十余年の間、数知れないほどの多くの経々で、
計り知れない説法の座に集まった人々に対して、一言も二乗の成仏をゆるされる事もなく、
そしられたのですから、釈尊はウソを言わない方であると自分も知り人も知っている、
天も地も知っている、一人二人ではなく百千万人、
三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四州・六欲・色・無色、
十方世界より雲のように集まってきた人天・二乗・大菩薩らは
皆、釈尊がウソを言われない方である事を知っており、
また、釈尊が二乗を責められたのを聞きました。

各々国々へ還って娑婆世界の釈尊の説法をそれぞれの国において
いちいち語ったので、十方無辺の世界の一切衆生の一人ももれなく、
迦葉や舎利弗らは永久に成仏出来ない者で、
彼らを供養する事は悪い事だと知ったのです。


13  多宝分身の証明を示す


ところが最後の八年の説法である法華経において、
二乗は永久に成仏しないといっていたのを俄(にわ)かに悔い還して、
二乗は成仏すると釈尊が説かれても、
説法の座に集まった人界・天界の衆生の誰が信じ疑う事が出来るでしょうか。

そのような説は用いる事が出来ないうえ、
先後の経々に仏説が相違している事に疑問をおこし、
釈尊一代五十余年の説教も全てウソの説となってしまうでしょう。

ですから
「四十余年には未(いま)だ真実をあらわさず」等の経文があるのですが、
しかし大衆は、
天魔が仏となって最後八年の法華経を説かれたのだろうかと疑っているところに、
ま事に真実の様に、劫・国・名号といって、




194p




二乗が成仏する国を定め、その仏としての寿命をしるし、
化導をうける弟子などまでを定められたので、
教主釈尊の御言葉はすでに二言となってしまいました。
自語相違というのは、この事です。

外道が、仏陀を大ウソつきの者だと笑ったのは、この事です。

会座の大衆が、興醒めしている時に、
東方の宝浄世界の多宝如来が、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の、
七つの宝で飾られた大きな塔に乗って、
教主釈尊が大衆から自語相違を責められ、あれこれと様々に説明されましたが、
大衆の不審は少しも晴れる様子もなく、もてあましておられた時、
仏前に大地より涌き出てて大空にのぼられました。
その有様は、例えば暗夜に満月が東の山よりのぼり出たようなものでした。

七宝の塔は大空にかかって、大地にもつかず、大空にもつかず、天中にかかり、
宝塔の中から多宝如来が梵音声(ぼんのうじょう)出して釈尊の言葉を証明していいました。
「その時に宝塔の中から大音声を出してほめ称えていった。
『善き哉善き哉、釈迦牟尼世尊よ、一切衆生を平等に救っていく広大な仏の智慧は、
成仏を願う一切の菩薩を教化し、仏の境界に入らせる法であり、
三世十方の諸仏が護り念じてきたところの大法である妙法蓮華経を大衆のために説かれた。
その通りである。その通りである。釈迦牟尼世尊の説くところは
みなこれ真実である』(法華経見宝塔品)」と。

また法華経神力品には
「その時に世尊は、文殊師利菩薩らの無量百千万億の古くからこの娑婆世界に住している菩薩、
ないし天竜・夜叉などの人間でない衆生など一切の衆の前において大神力を顕された。
すなわち、広長舌を出して上空の梵世にまでつけたり、
一切の毛穴より数知れないほど多くの色の光をはなってみな事ごとく十方世界を照らされた。
諸々の宝樹のもとの師子座の上の諸仏も、またこのように広長舌を出し、
無量の光をはなたれた」
とあります。

また同じく嘱累品(ぞくるいほん)には
「十方世界から来られた諸々の分身の仏を、おのおの本土に帰らさせ、
『多宝の塔もまたもとのようにしなさい』」とあります。

釈尊が初めて悟りの道を成ぜられたとき、
諸仏が十方にあらわれて釈尊を慰め諭されたうえに、諸々の大菩薩をつかわされました。

般若経を説かれたときには、
釈尊が長舌をもって三千大千世界をおおって真実である事を証明し、
千仏が十方に出現され、金光明経(こんこうみょうきょう)のときには、
四方に四仏が出現されました。

阿弥陀経の説法のときには、六方の諸仏が真実の証明のため舌を三千大千世界におおいました。
大集経(だいしゅつきょう)のときには、十方の諸仏・菩薩が大宝坊に集まられました。

これら諸経の真実証明の儀式を法華経にひきあわせて考えてみますと、
たとえば、黄色の石を黄金と、白雲と白山と、白米と銀鏡と、黒色と青色とを、
かすんだ目の者や、すがめの者や、一眼の者や、邪(よこし)まな者は、
見間違えるように、法華経のすぐれている事がわからないのです。

華厳経を説かれたときは、最初の説法であり、
先にも後にも経がないので、仏の言葉に相違がありません。
どんな事で大きな疑いが出てくるでしょうか。

大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経などは、
諸々の小乗経の二乗を叱責(しっせき)するために、
十方に浄土があると説き、凡夫や菩薩に浄土を欣(よろこ)び慕(した)わせて












最終更新:2011年03月14日 07:27