「――さて、今日の議題はコイツよ」
そう言うと風は、そばの棚の上に置いてあるレターケース(空になったお菓子箱を利用したものだ)を取り上げると、
どさ、とテーブルの真ん中に置いた。
「これって……勇者部あてのお手紙ですか?」
たくさんの手紙が入れられている箱の中をのぞきこむ友奈。
「そうよ。ホラ、学校のあっちこっちに、お悩み相談ポストを設置したじゃない? あそこから定期的に回収しては突っ込んでおいたんだけど、
最近仕分け作業サボってたせいでたまっちゃってねー。確認がてらみんなで一通り、目を通していきましょ」、
そう言うと風は、箱からごそっと一掴みの手紙を取り出すと、適当にそれぞれの目の前へと配って行った。
「はい友奈、ほい東郷。……はぁい♪ これはい・つ・き・の分よ……ほーら、夏凜も。いつまで寝てんの、さっさと起きなさい」
「ひっ!?」
ゆさゆさと風に肩を揺さぶられて、夏凜はようやくビクッと身を起こし、真っ赤な顔で一同を見回した。
「手紙、あんたの受け持ちよ。ちゃんと中身読まなきゃダメよ?」
「てっ、手紙………わっ、わかったわよ、ちゃんと、読むわよ……!」
ぷるぷると震える手で、風から手紙を受け取る夏凜。そんな夏凜の横顔を、友奈がちらり、と見上げていた。
そして5人は、めいめい自分の手紙を、ひとつずつ開封する作業に取り掛かった。
が、しかし。
(やっぱり……夏凜ちゃん、何だか様子が変だよ。手紙を持ってる所を見られちゃったのが、ショックだったって事なのかな……)
(……ああ、いったい友奈ちゃんに、何と答えるべきなのかしら。私は……)
(東郷先輩……さっきから友奈さんの事を見てるような……。そうだよ、わたしにラブレターを出してくれたのはうれしいけど、きっと先輩も、
心のどこかでは、まだ友奈さんのことが……)
(……………帰りたい………みんなにバレる前に………)
ほんの数分前に出来した大問題に気をとられてしまっており、手は止まり、視線は何度も同じ文面を読み返し、まるで作業ははかどらないのだった。
そんな中。
「――おっ、ねえねえ、これ見てよ、みんな」
と、一枚の手紙を拾い上げ、みんなに声をかけたのは風だった。
「どうされたんですか? 風先輩」
「いやぁ~、興味深い質問が来てたからさー。これはぜひとも、全員で意見交換をしたいなー、なんて思っちゃったりして」
妙ににやにやとした笑いを浮かべたまま、風はえへん、とひとつ咳払いをすると、手紙の内容を読み上げた。
「『……私には、今、恋をしている人がいます』」
「こっ、こここ、恋ぃっ!?」
とたんに、どたたっ、と夏凜がオーバーリアクションで椅子ごとあとずさる。
「ちょっと、静かにしてなさいよ、夏凜。……えー、『だけど、私には勇気がないので、その人にはまだ、想いを伝える事ができていません。
今のまま、好きな人を遠くから眺めているだけでも幸せなのですが、やはり、告白をするべきなのでしょうか? 相談に乗ってください、お願いします。』
……だってさ~」
手紙を読み終えた風は顔を上げ、にんまりとした笑みを絶やさないまま、他の4人を見回した。
「………」
「………」
「………」
誰もみな、一言も発さないままに、ほんのり頬を赤らめてうつむくばかりであった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(……風のヤツ……よりによって、何てもん読んでんのよ……!)
ぎゅっ、と体を凝固させつつ、心の中でそう反論するのは夏凜である。むろん、その顔もまた、再び赤みを帯び始めている。
「ねえねえねえ! みんなはどう? どう思う!?」
椅子から身を乗り出した風がせわしなくぴょんぴょんと跳ね、興奮気味にはしゃいでいる。……本当にこいつは、気持ちが態度にわかりやすく
出るものだと夏凜は思った。
「え、ええと……怖がっちゃう気持ちもわかりますけど……」
そんな風の様子にやや戸惑いながらも、友奈がおずおずと意見を述べはじめた。なぜか、つっかえつっかえの言葉の合間に、夏凜の方へと
視線を送ってくる。
「やっぱり……ここは勇気を出して、す、『好き』って伝えるべきなんじゃないかな、って……」
「うんうん、そーよねえ! 好きなら好きってはっきり言ってあげなくちゃ、お互いハッピーになれないってもんよ!」
両腕を胸の前で組み、風が満足そうにうんうんとうなずいている。
「でも確かに、直接会って目を見て言う、ってのは人によってはハードル高いかもしれないわね……そんな時! 取るべき行動は何だと思う!?
はい東郷!」
「ええっ!? わ、私ですか!?」
突然びしっと指を突き付けられて指名された東郷はうろたえつつ、考え考えその問いに答えた。
「あの、その……く、口で言うのが憚られるのなら……やはり、その……」
「その? 何? 何なに何?」
もごもごと声が小さくなる東郷に向けて、風が片手を耳にあてるジェスチャーをしてみせる。(……ウザぁ)と夏凜は内心でつぶやいた。
「……て、手紙で伝える、という方法もあるのではないでしょうか……?」
「そーう、手紙! L・O・V・E、ららら、ラブレター! 東郷選手、大正解!」
(……ああ、もう、ホントにバカ……)
東郷の答えにますます舞い上がる風の様子をもはや見ていられなくなり、夏凜はふいっと目をそらす。すると、
(……ん?)
風だけでなく、視界に入った他の3人の様子も、少し妙であることにようやく気が付いた。天井知らずの風のテンションに反比例するかのように、
友奈も、東郷も樹も、何だか考え込んでしまっているかのようだ。
(どうしたのかしら、3人とも……?)
他人の変調が目に入るだけの心の余地を、やっと取り戻した夏凜。だが、
「つまりそーいう事よ! 例え本人の口からの言葉でなくたって、自分への真心がこめられた文章を受け取って、悪い気分になる人なんていないわよね~。
……ねえ、夏凜?」
「へうっ!?」
あまりにも自然にさらり、と自分に話題を振られた事で、そのわずかな余裕も再び吹き飛んでしまった。
「何よー、にぼしが豆鉄砲くらったみたいな顔しちゃって。話聞いてた? ……もしあんたが、誰かから気持ちのこもったラブレター受け取ったら、
うれしくなるかどうかって聞いてんのよ」
「なっ……ちょ、そっ……」
ぱくぱくと口は開くが、言葉が出てこない。目の前の風は「?」と目をぱちくりさせ、きょとんとした顔で、じーっと夏凜の事を見つめてくる。
(……こっ、コイツはどうしてしれっとそんな事を……!)
大混乱をきたしている頭の片隅で、夏凜は必死に考えをめぐらせる。
(……ラブレター? もらったら? 嬉しいかどうかですって!? それをどうして数分前に渡した当の相手に向かって聞けるのよ!?
それとも何? これは遠まわしに返事を聞かせてほしいっていう合図なの!? ああっ、もう、このバカうどん! こっちはまだ、
全然考えもまとまってないってのに……! それも、こんな、皆のいる前で……!)
「……夏凜さん? どうしたんですか?」
「……はっ!?」
顔中から汗をだらだらと流したまま黙っている夏凜の様子に、さすがにおかしいと気づいたのか、樹が遠慮がちに声をかけてきた。
「あぁん、もう、樹はホントに優しいわねぇ♪ ……でも夏凜、あんた、何かホントにヘンじゃない? 大丈夫?」
一瞬だけ、樹の方へでれっとした視線を送ってから、風が少しマジメさを取り戻した口調で、夏凜に尋ねてきた。
(――!)
その、気遣うような視線に、とくん、とわずかに胸が高鳴ったのを、夏凜は確かに自覚する。
(――こいつは……本当に、こういう所がずるいんだ)
小さいけれど、でも、確かにそこに見つけた感情。
夏凜は、その感情に身を任せる事を決意した。
「………わよ」
「へ?」
ぼそっ、と、口元で何かをささやく夏凜に向かって、風と、友奈たち3人が耳をそばだてる。
そして、次の瞬間。
「……嬉しいわよ! そんなもん決まってるでしょ!? めちゃくちゃ嬉しいわよ! わざわざ聞く必要なんてないわよ! バッカじゃないの!?
私のことをそんなに真剣に……本心から、好きって想ってくれてるラブレターなら、嬉しくないわけないじゃない! ほら、言ったわよ!?
これでいいんでしょ! これで満足なんでしょ!? ふんっ!」
突然夏凜が大爆発し、とてつもない大声でがーっとまくし立てたかと思うと、今度こそどかっ! と大きな音を立てて椅子に座り、完全に机に
向かってべったりと顔を伏せてしまった。
あとには、ただ。
「………あ、ええと、うん……?」
何がなにやら、まったくわけのわからない様子で取り残された風、それと、ぽかんと口を開けたままの友奈たちが取り残されているだけだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(……そっか、そうだよね)
しかし、その中で、ただ一人。
犬吠埼樹だけが、今の夏凜の告白から、まるで天啓を受けたかのような神妙な表情で何事かを考え込んでいた。
「……ん? どしたの、樹~? そんなむずかしー顔しちゃって~。樹は笑った顔がカワイイんだから、もっとニコニコってしてなきゃダメよ~?
えへへへ~」
と、そんな樹に気づいた風がくるりと振り返ると、そういう本人の方こそ今にも崩れ落ちてしまいそうな笑顔で樹の頭をなでなでとなでさする。
が、当の樹はそんな姉からのスキンシップも意に介さないほど、深く自問自答を続けていた。
そして。
「……友奈さん、東郷……先輩」
「え? な、何?」
「どうしたの? 樹ちゃん」
やがて、決然とした表情で顔を上げた樹は、突然ふたりの名前を呼んだ。
「先輩たちも……やっぱり、そう思いますか?」
「そう思う……って? 何のこと?」
「夏凜さんが言ってたみたいに……本心から、自分の事を『好き』って言ってくれるラブレターをもらえたら嬉しいか、って」
何の恥ずかしさもためらいもなく、樹ははっきりとそう言い切った。
「いっ、樹ちゃん、いきなり、そんな……」
出し抜けのその質問に友奈と東郷は身をもじもじとさせて言いよどむ。樹は何も言わないまま、ただじっ、と二人の様子に注意を払っていた。
「……うん、でも……そうだね」
ややあって、先に口を開いたのは友奈の方だった。
「初めは……すごく、びっくりしちゃうかもしれないけど。ちゃんと、その人からの気持ちが伝わってくるようなお手紙なら……ね」
そう言って、友奈はもう一度、夏凜のスカートのポケットをちらり、と盗み見た。
「――私も、同じ気持ちだわ」
友奈に続いて東郷も、樹に負けず、真剣な顔で返事をした。
「どんな短い文章でも、どんな拙い言葉選びだろうと……そこに嘘や、偽りがないのなら」
そして、自分が口にした言葉の意味を改めて反芻するかのように、東郷は胸に手をあて、そっと目を閉じる。
(……そうよ。私はきっと今、とても嬉しいんだわ……。友奈ちゃんから気持ちを伝えられて……)
「……ウソや、偽りのない、言葉……」
ふたりの返事を受け、樹もまた、その言葉を深く心に刻み付けようとしていた。
「ど、どうしちゃったの、樹……?」
いつになくキリっとした樹の態度に、さすがの風も面食らってしまい、自分の席にぺたん、と腰を下ろした。夏凜は未だに机に突っ伏している。
(……そうだよ。逆に言うのなら……自分でさえ気づけていないけれど、ホンモノじゃない、偽りの気持ちって、きっとあるんだ……)
樹の心の中で、すとん、と何かが腑に落ちる。
それはまた、とても寂しさを伴う納得だったのだけれど。
(だったら、わたしがやるべき事は……)
すうっ、とひとつ、大きく息を吸い込んだ後で、樹は
「――お姉ちゃん」
と、風に呼びかけた。
「……あ、え? な、何? 樹」
まったく相手にされなくなったかと思えば今度は急に名前を呼ばれ、風はしどろもどろになりながらも返事をする。
一方、樹はすでに決意を固めていた。
この決意を、今のうちに誰かに伝えておきたい。東郷先輩もいる、この場所で。
そんな自分の思いを確かめるだけで、樹は自分が、自然と笑顔になれる事に気が付いていた。
「――わたしね、自分の『好き』を、あきらめようって思うんだ」
「………………………へ?」
一瞬、何を言われたのかわからない、といった様子で、風が口を半開きにしたまま固まる。
そして、そのままきっかり3秒停止したのちに、
「……ええええええええええっっ!?」
まるでこの世の終わりとでもいうように、がらがらがっしゃん、と派手な音を立てて、風が後ろ向きにひっくり返った。その音に思わず、
「なっ、何なに!? 何事!?」
と、自分の世界に閉じこもっていた夏凜もばっと顔を上げ、辺りを見回した。
「い、樹ちゃん……?」
相変わらず優しい笑みをたたえたままの樹に向けて、東郷がそっと声をかける。樹はくるっとそちらへ振り向くと、二人並んだ東郷と友奈に、
見守るような視線を投げかけたまま、ただにこにこと笑っていた。
(これで……いいんだよね)
――たとえ、東郷が書いた樹への『好き』という気持ちが、その瞬間は本当だったのだとしても。
(それでもきっと、東郷先輩の心の奥には……友奈さんへの想いがあるはずだもん)
わずか一年足らずの期間ではあるけれど、樹はずっと、勇者部の仲間として、友奈を――そして東郷の事を見てきた。
だからこそ、分かる。東郷が自分へと向けてくれる想いも、そして友奈に対して抱いている想いも。
それはもしかしたら、どちらかが本物でもう一方がウソ、などというものではないのかもしれない。けれど、真偽の区別はつけられなくても、
想いの強さに関していうならば、それは真夏の青空よりもなお、くっきりとしたものだった。
(だから、わたしは……応援しよう、って決めたんだ。わたしの事を『好き』って言ってくれた――東郷先輩が、本当に幸せになれる道を)
「………………………………」
やがて、完全に目の据わってしまった風が、一言も声を発しないままのっそりと起き上がってきたときにもまだ、樹はただ微笑を浮かべていて、
「……? 樹はなんでそんなお母さんみたいな優しい顔してんの?」
過程を全くふまえていない夏凜に、そんな疑問を抱かせるのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それで……ええっと、何の話だったっけ? 東郷さん」
会話の脈絡を見失った友奈が、助けを求めるように東郷の方を見てきた。
「あ、ああ、そうね、確か……そう、お悩み相談よ。でしたよね? 風先輩」
その視線をまっすぐに受け止めきれず、東郷もまた、すいっと横を向いて確認するように風に聞く。ところが、
「………あー……? ……うん、まあ、何でもいいんじゃないの………?」
何故だか知らないが、先ほどまでのハイテンションな様子とはうってかわって、風はすっかりやる気をなくしてしまっているようだった。
さておき、
「あ、そっか……『好きな人に想いを伝えたいけど、それが恐くて出来ない』って相談だったよね」
改めて、友奈が風から相談の書かれた手紙を受け取り、その内容を思い出した。
「結局、これを書いた人には何て返事をしてあげるのがいいのかな。やっぱり、『なせば大抵なんとかなる! 勇気を出して、告白だ!』みたいに、
背中を後押ししてあげるべきなのかな? でも、それってちょっと無責任なのかも……」
うーんうーん、とひとり真剣に悩み始める友奈を、東郷はすぐ隣から、ただ黙ってじっと見つめ続けていた。
(……勇気、か)
今しがた、友奈が口にしたその言葉を、東郷はそっと繰り返す。思えば、この勇者部の一員となって以来、東郷は何度その言葉に
胸を打たれてきただろうか。
大切な人を守るため。
何度打ちのめされても、絶対にあきらめないため。
目の前の、余りあるほど大きな絶望に立ち向かうため。いつだって、勇者部の皆は勇気を奮い立たせ――振るい続けてきたのだ。
そして東郷にとって、その中心にいたのはいつも――
(……友奈ちゃん)
友奈が東郷に、『勇気』を教えてくれた。友奈が東郷を、『勇者』にしてくれたのだ。
「……そう、そうよね」
「え? なに? 東郷さん」
それまで黙りこくっていた東郷が、そっと何かをつぶやいたのに気付いた友奈は考えるのを中断し、そちらへ振り向く。
「『勇気を出して』なんてアドバイスする私達勇者部が……何かにおびえたり、怖がっていたりしちゃ、お手本にならないものね」
そう言って、東郷はわずかに震えながらも、すでに迷いを捨て去った顔を上げ、きっ、とまっすぐ友奈を見つめた。
(――! 東郷先輩、まさか……!?)
東郷のその様子にはっ、と何かを察した樹はぐっと息を飲み、知らず知らずのうちに膝の上で拳を固める。
「だから……だから私も、勇気を出して、友奈ちゃんの気持ちに応えなくちゃ……!」
「私の、気持ち……?」
何やら重大な決心を秘めているらしい東郷とは対照的に、いまいち話が見えない友奈は首をかしげる。
「私っ……私、もっ……!」
すう、はあっ、と東郷が大きな、大きな呼吸を一つすると、
「友奈ちゃんの事が、好きですっ……!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……はぁぁっ!?」
(やった……!)
唐突に発せられた、東郷の愛の告白。
それを聞くともなく聞いていた夏凜は仰天し、樹は誰に知られることもなく、心の中でガッツポーズをとる。
そして告白を受けた、張本人――結城友奈は。
「…………???」
全く理解が追いつかず、顔中に困惑の色を浮かべていた。
「はっ……はぁっ……言った……。ちゃんと、言えたわ……」
呼吸を荒げ、目にはわずかに涙を浮かべたまま、東郷が苦しそうにもだえる。
その顔には、一大決心を成し遂げたという達成感が満面に広がっていた――のだが。
「えっと……東郷さん? ゴメン、今、何て言ったのか、よくわからなかったんだけど……」
「ええええっ!?」
当の友奈にそれがイマイチ伝わっていないと知るや、その達成感はみるみるうちにしおれていってしまった。
「あ……その……だから……」
「うん?」
「わ……私が、ゆ、友奈ちゃんの……事をね?」
「うんうん」
「…………す………好き、って…………」
今にも消え入りそうなほどに身を縮こまらせ、ごにょごにょと、東郷がもう一度、同じ事を繰り返す。それに対して友奈は、
「……うんっ! 私も東郷さんの事、大好きだよっ!」
と、全くいつも通りの勇者スマイルで、にかっと応えるのだった。
(……ああ……友奈さんってば……。どうしてこんな大事な所で、鈍感なのかなぁ……)
固唾を飲んでふたりを見守っていた樹もまた、東郷が想いを遂げられなかった事を察し、がっくりとうなだれてしまう。
と、その時。
「……あれ?」
友奈が机に広げている手紙を見た樹は、ふと、ある事に気がついた。ちらちらと、友奈たち二人の様子を気にしながらもそっと手紙を手に取って、
それを確かめる。そして
「ねえねえ、お姉ちゃん」
「……ん~~~? な~~に~~~?」
未だダメダメモードから抜け出し切れていない風の肩をゆさゆさとゆすり、自分の発見を伝えようとした。
「もう、しっかりしてよう。……ほら、ここ。手紙の最後、まだ何か、書いてあるみたいだよ?」
「ええ……? どれどれ……あ、ホントじゃない」
それでようやく身を起こした風も、あらためて目をこらす。確かに、樹の言うとおり、手紙の端の方に、風が読み飛ばしてしまった一文が添えられていたのだ。
「……『なお、この手紙には、私が書いたラブレターを同封してあります。好きな人に渡そうと思って書いたものですが、これもまた、
恥ずかしくて渡すことができませんでした。ですので、よろしければ勇者部のみなさんに、添削をしていただきたいと思います。
この手紙と同じく、花の模様の便箋に書いたものですので、よろしくお願いします。』……ですって」
「ラブ……レター?」
姉妹はそろってそうつぶやくと、どちらからともなく顔を見合わせた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その一方で。
(……とっ、とと、東郷ってば、いきなり何のつもりよ……!?)
あまりの急展開に、事情がさっぱりのみ込めない夏凜は、口を挟むこともできずに固まっているしかなかった。
目の前では今も、東郷と友奈が
「いっ、いや、あの、そうじゃなくて、友奈ちゃん……ほら、て、手紙の……」
「手紙?」
などと、よくわからないやり取りを繰り返しているが、さっき東郷は明らかに友奈に向けて、『好きです』などと言っていたのだ。
(あ……あれじゃまるで、こ、恋の……)
自分の想像がそこまで達したところで、夏凜は突然、今現在、自分の制服のスカートのポケットに突っ込まれているものの存在を思い出した。
(………!)
そしてたちまち、顔中が再びぼわっ、と真っ赤になる。
「ん~~~?」「わっ、忘れちゃったの、友奈ちゃん!? がんばって、思い出して……!」などとまだわいわいやっている二人に気づかれぬよう、
夏凜はそろそろと片手を下げ、自分の腰へと寄せる。そして、わずかな紙ずれの音も立てぬよう、すっと手紙を引き抜くと、テーブルの下で
こっそりとそれを開き、ちら、と目を落とした。
(………ああ……)
そこにやはり、先ほど目にしたものと同じ文面――『私は、あなたの事が好きです。』――を認めると夏凜は、
(……本当に、どうしたらいいのかしら?)
と、大きくため息をついた。
その瞬間。
「ああ――――――っ!!」
という、耳をつんざくような友奈の大絶叫が、部室中に響き渡った。
「うひゃああぁっ!?」
思わず身をひるがえし、その場でがばっと立ち上がる夏凜。
「いっ、いきなりどうしたの、友奈ちゃん!?」
見ると東郷もまた、友奈の突然の大声に、身をのけぞらせてびっくりしている様子だ。友奈はと言えば、その前で「うー」などとうなりながら、
頭を抱えている。そして、
「そうだよっ、東郷さん! 手紙だよっ! 私、夏凜ちゃんに『好きです』って、ラブレターもらっちゃってたんだったーっ! それなのに
東郷さんにまで好きって言われちゃって……! 私はもちろんどっちの事も大好きだし……うわーっ、東郷さん、夏凛ちゃん! 私、
どうしたらいいんだろーっ!?」
と、友奈の心のキャパシティには余りある苦悩を、隠すことなく正直に――言うなれば『バカ正直に』吐露してしまったのだった。
「ラっ、ララっ、ラブレターっ!?」
友奈の口から発せられた突拍子もないその言葉に、思わず東郷がばっと夏凜の方を振り向く。見ればまさにその手には、何やら手紙のようなものが
握られているではないか。
「なっ、ちっ、違っ! これはら、ラブレターなんかじゃなくて、ええと、その……ラ、ラブレターで……」
「何を言っているの、夏凛ちゃん!? だからそれは、ラブレターなんでしょう!?」
「いい、いやっ、だからっ……!」
詰問口調の東郷と弁解口調の夏凜が、どちらも取り乱しながらわけのわからないやり取りをしているところへ、
「……あーっ! ラブレターっ!」
と、指を差しながら大声で割りこんで来たのは樹である。
「いっ、樹ちゃん!?」
「お姉ちゃん! ほら、夏凜さんが持ってるアレ! ラブレターだよ!」
「あら、ホントじゃない! 何でアンタがそれ持ってるワケ?」
「はああああ!?」
きゃーきゃーと騒ぐ樹の隣で、よりにもよって風本人からいけしゃあしゃあと放たれた質問に、夏凜は恥ずかしさとイラ立ちが頂点に達し、
バン、と手紙をテーブルに叩きつけた。
「何言ってんのよっ! 大体ねえ、元はと言えばあんたがそうやって……!」
「……って、あれ? ちょっと待って……?」
と、わめき散らす夏凜を制し、東郷、樹、風の3人がテーブルに広げられた手紙をそろってまじまじと見つめる。
――その、何だかどうにも見覚えのある文面、筆跡、薄い花柄模様があしらわれた便箋を。
「こ……」
「これって……」
「もしかして……」
やがて3人の口からは、そろって、
「――ラブレターじゃないっ!?」
という、まったく同じ言葉が飛び出してきたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「だからさっきっからそう言ってるでしょーっ!?」
もはや半ばヤケになりつつある夏凜が両腕をぶんぶんと振り回して訴える。
「ど、どうしてコレを夏凜さんが持ってるんですか、東郷先輩っ!?」
「わっ、私!? ……で、でも確かにその通りよ! どうして夏凜ちゃん、この手紙の事を知って……!」
「どうしても何も、こっ、コイツがいきなりラブレターだとか言って、私に手渡してくるから……!」
「えええっ!? い、いやあたしはてっきり、樹からあたしにくれたもんだとばっかり……」
夏凜のみならず、すでにいっぱいいっぱいの4人によって、上を下への大騒ぎが巻き起こされる部室の中で、問題の2枚の手紙がふわり、と舞う。
そのままひらひらとテーブルから落ちていく手紙は、一人うーうーと苦悩し続ける友奈の足元へ、まるで寄り添うように落ちてきた。
「……あれ?」
それに気づいた友奈はひょいと拾い上げ、2枚の手紙を見比べる。そして、ある疑問を抱いて、皆に呼びかけた。
「あのう、東郷さん、風先輩……」
「何っ!? 今こっちは取り込み中よっ!」
「い、いえ、あの……この、相談の手紙と夏凜ちゃんが持ってた手紙、同じ人が書いたものみたいなんですけど……」
「え!?」
今度こそ掛け値なしに心の底から驚いた一同は、テーブルの上に2枚を並べ、じっくりと検分してみる。
――隣に置けば、一目瞭然。
それは明らかに同じデザインの便箋であったし、同じ人間の手による筆跡であった。
「………」
「……………」
「………」
「……」
「………………」
一転、勇者部の空気を、ウソのような沈黙が支配する。……恐らくは、風が手紙をレターケースへ移す際、音もなく抜け落ちてしまったのであろう、
そのもう一枚の手紙を前に。
混乱する会話の間にそれとなく、お互いの事情――誤解と思い込みを察した5人が、ただ、目も合わせないまま黙り込んでいる。閉めきった窓の
向こう、かすかに夕暮れの色に沈みつつある校庭から、運動部のかけ声だけが小さく聞こえてきた。
――どれほどの時間、そうしていただろうか。
「…………………う………」
「………?」
ふと、友奈の様子がおかしい事に同時に気づいた他の4人が、瞳だけをそっと動かし、視線を集中させる。
テーブルに両手を突き、今も手紙を見下ろす格好で突っ立っていた友奈の全身がぶるぶると震え、口元から、ほんのわずかに喉を鳴らすような声が
もれた――かと思った、次の瞬間、
「うわーーーーーーーーーーっっ!!!」
と、先ほどの叫び声よりもさらに大音声で、友奈が部室の天井へ向けて思い切り咆哮した。
「ゆっ、友奈ちゃん!?」
「ど、どしたの友奈!?」
驚愕する他の4人に構わず、友奈はさらに、声を振り絞って力の限り叫び続ける。
「私はーっ! 勇者部のみんなが好きーっ! 東郷さんも、樹ちゃんも、風先輩も、夏凜ちゃんも、みんなみんな大好きーっ!」
ぎゅっと強く目をつぶり、頬を火照らせながら、しかし友奈は叫ぶことをやめない。「好きーっ!」「大好きーっ!」というありったけの想いを、
声を振り絞って訴えつづけた。
「ゆ、友奈……」
「………!」
あまりにも直情的な友奈の行動に、初めはあっけにとられていた他の4人。
だが、しかし。
「……わ、私もーっ! 私も……皆のことが本当に、本当に大好きよーっ!」
「東郷まで!?」
やがて意を決した東郷が、友奈と同じく大声を張り上げるやいなや負けじとばかり、
「わ、わたしも好きですーっ! みんな、みんなみんな、わたしにとって、大切な人だから、す、すす、好きですーっ!」
「あ、あたしもあたしもっ! 一番愛してるのは樹かもだけど、もちろん、友奈も東郷も夏凜も、カワイイ後輩だからーっ! みんなまとめて大好きーっ!」
樹、風もそろって大声でその輪へと加わっていった。
「ちょっ、ちょちょ、何この流れ!?」
一人完全に取り残されてしまった夏凜が、目の前で告白合戦を繰り広げる4人を見ておろおろとあわてふためく。と、友奈が、
「……夏凜ちゃんはっ!?」
「はっ!?」
「夏凜ちゃんはっ!?」
ばっ、と夏凜の方へと振り向き、叫んでいる勢いそのままに尋ねてきた。見ればその顔は一面汗をかいており、ぽっぽと湯気まで立ちそうなほどだ。
たぶん、内心とんでもなく恥ずかしいのを、無理やり大声でごまかしているのだろう。
「いやっ、そんな、私は……」
「………!」
さらに無言でずい、と顔を寄せてくる友奈。見れば他の3人もまた、同じような表情で周りを取り囲み、ぐぐぐ、と夏凜に迫ってくる。
その、得体の知れないプレッシャーが、徐々に夏凜を追い詰め、追い込み、逃げ場をなくしていく。
「だ、だから…………あああああ、もおおおっ!」
――そして。
ついにたまりかねた夏凜は、他の誰にも負けないほどの、大きな、大きな声で、思いのたけを――ありったけを、ぶちまけた。
「好きよーっ! 私が誰より一番、友奈より、東郷より、風より樹より、一番一番いっちばん、あんた達の事大好きなんだからぁぁぁぁっ!!」
「…………………」
ぜーぜーと荒い息をつき、喉も裂けよとばかりの一世一代の夏凜の告白を受け、4人はぴたり、と口をつぐんだ。
――かと思うと、
「……えへへへへ~」
と、誰からともなく、照れ臭そうに顔を見合わせ、はにかんだように笑うのだった。
「なんか言いなさいよコラぁぁぁぁっ!!」
当然、そのリアクションに対して真っ赤な顔で涙目になって抗議する夏凜に対し、4人はまた、「好きだーっ!」「大好きーっ!」と、
心の全てをさらけ出すかのように、言葉と言葉をぶつけ合う。
――そうやって、何一つ隠しだてなく、素直な気持ちを確かめあえるのが。
とても幸せな事であると、噛みしめるかのように。
やがて、オレンジ色の光が色濃く窓の外を塗りつぶすまで。
勇者部の部室から、そのにぎやかな声が途絶える事はなかったのだった。
最終更新:2015年10月05日 23:36