H3・306

「わっしー分が足りない」

私の部屋で2年ぶりの再会を喜んでいた乃木園子が、唐突にそう言った。
なんのことやらさっぱり分からず、私はぽかんとしてしまった。
だがそのっちはいたって真剣な眼差しで、私をじっと見つめていた。

「……そのっち、そのわっしー分とは一体なに?」
「わっしー分……それは、……なんだろうね~。説明するのは難しいかな。とにかく私の心と身体はわっしー分を求めてるんだよ~」
「そのっちがいくら求めても、それが何なのか。分からないものを出すことはできないわ」
「私はね、わっしー分がないと死んじゃうんだよ~」
「わっしー分と言うからには、私に関する何かなのよね?2年間離れていたけど大丈夫だったじゃない。ダウトよ」
「死んでたよ~」
「えっ?」
「心が、死んでた」
「……」

そんな大袈裟な、と思った。
死んでいた、なんて。
たった2年離れていただけじゃない。
そう、たった2年……。……2年?
ここで私はギョッとした。私は今“たった”2年と思った。思ってしまった。そして気付いてしまった。
私の2年と、そのっちの2年はまるで違う。
同じ“離れていた2年”でも私の場合は記憶を失くし、そのっちのことを忘れてしまっていた。
つまり、そのっちを認識していない2年間だったのだ。
考えてみれば、そのっちと離れていた実感が私にはまるで無い。
大橋跡の決戦で共に戦った時から、記憶が戻り再会するまで……私のそのっちを認識していた時間は1か月間も無い。
私にとっては体感として1か月程度の別れだったが、そのっちにとっては本当に2年間。
身体の自由も効かず、あんなところでひとりぼっちでいたことも考えれば、体感時間は2年では済まないだろう。
自分の配慮不足、至らなさに悔しさがこみあげてくる。
そのっちは久しぶりに、本当に久しぶりに出会えた私に甘えたいんだ。
ならば私はそれに応えてあげなければならない。
彼女が無理を引き受けてくれたおかげで、私はこの2年間寂しい思いをすることもなかったのだから。

「そのわっしー分というのは、どうすれば補充できるの?」
「補充させてくれるの~?」
「ええ。私にできることなら」
「ありがとうわっしー。じゃあ、ね……」

そのっちは少し恥ずかしそうに、お願い事を言った。

「――わっしーの匂いをかぎたいな~」

ドキリと心臓が跳ねた。
そのっちは私の首筋に顔を当て、す~っと息を吸い込み、吐く。
そのっちの吐息が、私の首筋を縦に横に移動する。その度に身体がびくっと震えてしまう。

「やっぱり、好きな匂いだよ~」
「――!?///」

私の体中を血液がフルスピードで循環しているのを感じる。
だって、心臓が今までの人生で最高の速度で鼓動しているから。
熱い。とても熱い。顔どころか、首まで赤くなっているかもしれない。
そのっちは一旦首筋から顔を離し、私の顔を見た。
おそらくトマトのように赤くなっているだろう私を見て、嬉しそうに微笑んだ。

「わっしーかわいいよ~」
「――ッ///わ、わっしー分とやらは補充できたの?」
「う~ん……2年も補充できてなかったからね~。まだ足りないかな~」
「ま、まだ……?」
「かぐだけじゃ、やっぱり物足りないね~。ねえ、わっしー」

そのっちは私の耳元に口を寄せると、囁くように言った。

「――舐めさせてもらっても、いいかな?」

先程からの熱さと、今直接耳から入ったそのっちの声が、まるで麻薬のように私の脳を溶かしていく。
私はただ、うなずくことしかできなかった。
そのっちは満足そうににっこりと笑い、私の耳を一舐めした。

「あっ///」

ゾクリと身体が震える。
しかし、背中に回されたそのっちの両腕が私の震えを押え付けた。
ああ――そのっちに、抱きしめられている。
そのっちの身体は、まるで太陽に抱きつかれたかのようにとても熱かった。
そのっちも私と同じように緊張して、興奮しているんだ……。
横目でかわいい横顔を見ると、そのっちの顔も真っ赤に染まっていた。

「そのっち、耳だけで……いいの?」
「わっしー……」
「もう、わっしー分は足りた?」
「……ううん。まだ。まだ足りないよ~」
「いいよ、そのっち。もっと……しても」
「わっしー……じゃあ首、舐めさせてもらうね」
「うん……///」

そのっちは赤い舌を出して、私の首筋にそれを這わせた。

「んっ……///」

私の身体がビクンと一度大きく震えた。
そのっちは愛おしそうに私の首筋を舐め、キスを落とす。
私はそれを目を瞑ってじっと受け止めていたが、無意識のうちに私もそのっちの背中に手を回し抱きしめてしまっていた。
私が抱きしめると、そのっちはさらに強く抱きしめ返してくれた。
その力はとても強く、少し苦しいと感じてしまうほどだったけど、私はむしろ嬉しかった。
なぜなら、ちゃんと感じたから。
――もう二度と、絶対に、わっしーを手離さない。
そんな、そのっちの強い想いを。
だから私も強く抱きしめ返す。
――もう二度と、絶対に、あなたの前からいなくなったりしない。
この想いを伝えるために。
それからどれだけの時間が経っただろうか、そのっちは満足したように私の首筋から口を離した。
私も閉じていた目を開けて、そのっちの顔を見る。
少し名残惜しそうにも見えたが、そのっちはにっこりと笑った。

「ありがとうわっしー。幸せだったよ~」

そのっちの言葉に、私は目を細めた。
それは私の台詞でもあるわ。だけど……。

「わっしー分、補充完了~!」

そのっちは元気いっぱいになったようだけど、私は言いようのない渇きを感じていた。
私は……満たされていない。だが一体なにが?私にとって、とても大事なものが足りていないのだけは確かなのに。
――そのっち分。
ああ、そうか。私に足りていないものは、そのっち分だ。
――体感時間でたかだか1か月離れていただけじゃないか。
その通りだ。しかし記憶は捧げていても、心まで捧げていた覚えはない。
私の頭はそのっちを忘れてしまっていたのだとしても、心はずっと彼女に寄り添っていたかったんだ。
リボンがその証だ。心がそのっちをずっと求めていたから、私はこの2年間あのリボンを着けつづけていたんだ。
つまり私の心は、そのっちと同じく……2年分のそのっち分不足。

「ずるいわ」

私は目を閉じて、そのっちの胸元に顔をうずめた。

「わっしー……?」
「そのっちばかり、ずるい」

私は顔を上げて、そのっちに対して上目遣いになるようにして言った。

「私も、そのっち分が欲しい」

私の言葉にそのっちは少しきょとんとしたが、やがて優しい微笑みを浮かべて私に尋ねてきた。

「わっしー、そのっち分とは一体なに~?」
「説明するのは難しいのだけど、とにかく私の心と身体が求めているものなの」
「わっしーが欲しいって言うならあげたいんだけど~。それはどうすれば補充できるものなの~?」
「多分、わっしー分と同じ方法で補充できるものだと思うの。やってみてもいいかな?」
「……うん。いいよ~///」

そのっちの返事を聞いた私は2年分のそのっち分を補充すべく、行動を開始した――。








――私とそのっちは、ベッドの上で抱きしめあいながら横たわっていた。

「わっしー、そのっち分は補充できた~?」
「ええ、補充完了よ。でも……明日にはもう切れちゃうかも。そのっち分は麻薬と同じだから、一度摂取してしまうともう止められないわ」
「それはちょうど良かったよ~。わっしー分も同じく麻薬みたいなものだから、わっしーには明日もお願いしようと思ってたんだ~」
「ふふっ、じゃあ中毒者同士、もう離れられないわね」
「あはは、そうだね~。もうずっと一緒にいるしかないね~」
「そうね。ずっと一緒に生きていくしかないわね」
「わっしー、ずっと、ずっと一緒だよ?」
「うん。ずっと、ずっと一緒よ」

私とそのっちは笑いあって、夕ご飯が出来てお母さんが呼びに来るまでずっと抱きしめあっていた。

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最終更新:2015年06月27日 07:58