……判らないの? 今のあなたは使い物にならないと、私はさっきからそう言っているのよ



人間社会にまでその魔手を伸ばした三本指(トライフィンガー)の模倣犯――その討伐の報告を受け取ったニナ。
だが彼女の心は、問題の一つが片付いたことへの安堵ではなく、憔悴しきったトシローへの心配に傾いていた。


今にも消えそうな虚ろの幽鬼。老衰しているようにさえ見えるその姿。

参っている――かつてないほどに。
打ちのめされている――築き上げてきたその信条ごと。


ニナの目には、公務の関係で先程まで顔を合わせていた人間(ヒト)が常識を砕かれ、
縛血者(ブラインド)という存在を知り動揺する姿と、今目の前にいる部下の姿がひどく重なって見えた。

いつもの無表情で隠していても、彼女にはその裡に秘めた心の揺れが伝わっていた。
――私がどれだけこの朴訥な男を見てきたと思っているのか。
そして、一応は気心の知れた相手に対しても、内心を隠そうとする振る舞いに、思わず溜息が零れていた。
――何かショックを受ける出来事があった。そう一言口にすればいいものを……相変わらず不器用な人。


だから、ニナは命令する。―――休みなさいと。


「……いや、せめて待機に留めてほしい。手が足りなくなれば事だ。
所詮あれは贋物、小物に過ぎん。気を抜いていいものではない」


上司(プリンシパル)の命に、焦燥かあるいは警戒か……表情を硬くして異を唱える部下(トシロー)
その反応も予想していたニナは、今休むべき理由を、彼を従える公子(・・)として冷静に告げる。


「人員は足りているわ。判らないの?
今のあなたは使い物にならないと、私はさっきからそう言っているのよ」

「つい先程、とある兵器会社と言を取り付けました。大型の猛獣用に開発された新製品、
その試用名目でね。近いうち、あの怪物相手なら火器で補えるようになるわ」

「けれどそれらを使うのは権力の兵(・・・・)であり、あなたは私の私兵(・・・・)
……これだけ言えば判るでしょう、休みなさい


そう、公の戦力はあくまでも掃討用。
権力を持つ者にとって、必須なのは自分だけの信用のおける手駒なのだから。

だからこそ、トシローを失うわけにはいかない――理屈的にも、私個人の(・・・・)心情的にも。

公の内に“私”を秘めた言葉、それを前にトシローは、


「は、火器? 無駄だ、アレ(・・)の前には数も質も―――ッ……」

+ 恐らくこの時、彼の心に浮かんでいたのは……
回想されるのは、現実に現れた怪物を前に、生存することが出来た際に漏れた……己の言葉。
――何だ、何なのだ、あの男はいったい……ッ。あれでは、まるで吸血鬼(ヴァンパイア)ではないか。
信念の外側にいる絶対者。人の延長に位置する縛血者とは一線を画した存在。
そして、俺の夢に美影の記憶と共に姿を見せた謎の男………

「―――判った、しばし休ませてもらおう。今の俺は、君の言う通り……使い物になりそうにない」


……途中で混乱から回復しきっていない言動に気づき、そして……


「少し、頭を冷やす…………」

+ きっと、心に在った葛藤の根はもう一つ………
そして、浮かぶのは怪物を前に吐き出した、かつて捨てたはずの「勇ましい忠義の士」としての言葉。
――そうだ。俺は、彼女の剣でありたいのだ……!
叶わぬなら跪けと? 無様に生を懇願し、どことも知れぬ輩に屈しろと?
掟の秩序を守護するべく、俺は此処に居るのだ。こう在るのだ。
お前は不穏分子であり、俺は番人……それが全ての解に過ぎない。

ああ――仁がある。忠がある。それは、なんて素晴らしい。俺は、迷うことなく道に殉じられる………!
避けられないだろう死を感じる中で、その身に纏った恥知らずの欲望。
内なる忠誠(いつわり)に仕えて死にたいという、愚かな願い。
“仕えるという形さえあればよかった”などと……彼女に対する最低の侮辱。


胸に出でた新たな葛藤を引きずり、事務所地下の寝床へと姿を消した………





傷つき、苦味を噛み締める男の背を黙って見送ったニナは、一人になった事務所の中、呟く。


「ねえ……あなたに何があったの? トシロー……」


あの人に踏み込みたい、でも踏み込めない――そんな葛藤(ジレンマ)が胸を締め付ける。

それでも、結局選んでしまうのは、トシローが求めている “公子” という理想の君主の姿(かめん)
ただのニナ(・・・・・)として接したいという本心を抱えながらも、心のままに生きることは立場と彼への誓いが許しはしない。


相反する想いを胸に秘め、ニナは拳を握り締めながら俯く。
感じる想いは、中途半端な自分自身の姿への自嘲。

―――君主としても、女としても、その一歩を踏み出せない滑稽さを嗤うしかなかった。





  • 改めてこうして心情を見ると、トシローさん見た目に反して心の中での愚痴がすごすぎる...。 -- 名無しさん (2018-09-25 18:13:28)
  • 二ナの方はまだ乙女心で済むが、トシローさんの場合、そこに小賢しい自己否定が入るから面倒臭い・・・ぶっちゃけあっちの天狗道に放り込んだ方がいい薬になる位 -- 名無しさん (2018-09-28 18:00:53)
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最終更新:2020年07月17日 23:07