そうか。僕は――ずっと、僕に成りたがっていたのか

発言者:緋文字礼


己の記憶に関する一切を喪失した空虚な男・緋文字礼。
彼が纏う儚げな空気が気にかかり、声をかけた一学生・秋月凌駕。
彼らの刻んでいく「友情の物語」・・・その始点にして、
Zero Infinity -Devil of Maxwell-における運命の二人、その関係性を決定づけた瞬間。


……――――


急遽空いてしまった放課後の時間……街の散策の後、ふらっと立ち寄ってみた公園。
子供たちがそれぞれ集団をつくって、メンコ遊びやドロケイに興じる姿に、
凌駕は彼らと同じ頃、自分もメンコに熱中していた事を思い返し、郷愁を感じていた。
そして、彼が視点を変えたその先で…………一人、ぽつんと。
ベンチで、どこか違和感を感じさせる雰囲気を纏い、彼よりも幾つか年上であろう男性が、目に留まった。
男は凌駕の存在に気付かぬまま、哀しげに一人呟く……。

「僕は……すべてを失ってしまった……」

身を震わせ、蒼白な顔をしながら、独り、思いを吐き出してゆく男。
その只事ではない様子に、凌駕は思わず話しかけて――
男性は、まるで救いの神が現れたのように、その手を強く握りしめていた。

「お願いだ……君の力を貸してくれないだろうか……? この手に取り戻す為に……」

「僕が……失ってしまったものを……」

その余りに絶望に満ちた慟哭は、どれほど深く重い喪失が在ったのかを想像させるには十分なものであり――
凌駕は、あなたは、いったい何を失ったのか……と問わずにはいられなかった。
彼らの周りだけ、空気が張り詰めていく……


「僕は――この手に取り戻したい」

「僕の……失ってしまった――――メンコ(・・・)を!!」


その果てに、男性はどこまでも真剣な顔つきで、そんな答えを返したのであった。



“失ったもの”を取り戻すための、男二人の奮闘記


+ ...
とにかく事情を理解しようと、凌駕が話に耳を傾けることしばし、
この男性はふらりと立ち寄った公園で、初めて見るメンコ遊びに興味を引かれ、
メンコを購入しいざ対戦の場へ赴い・・・たのだが、
見事に子供たちに敗北を繰り返し、所持していたメンコ、全所持金を注ぎ込んだそれらを残らず失ってしまったのだと言う。
子供の遊びと見ていた結果、いつの間にかまるで餓鬼のように、貪欲に勝利を狙う対戦相手達に戦慄していた事を語る青年。

一通り話を聞いた凌駕は、男性の敗因をメンコに何の加工も施さなかったことであると冷静に指摘。
凌駕から非情な勝負の現実を教えられ、

「道理、ああ当然だ、勝てる訳がなかった……! 未熟、未熟すぎる……ッ!」

彼は全身で己の迂闊さに対する慙愧の念を表していたが・・・

「起ち上がって下さい」

凌駕は彼の震える肩を力強く叩き、この"敗北”を一緒になって取り返したい、そう決意していたのだった。
何故かは分からないけれど、彼の姿に何か昔日の思い出が疼く・・・そんな感覚を覚えながら。

凌駕の指導の下で、簡素ではあるもののメンコ自体の改良、そして技術(わざ)を学んだ男性は、
いざ、彼と共に子供たちの下へ再度戦いを挑みに向かい・・・

「やったぞおぉぉぉぉ!!!」

「よっしゃあぁぁ!!!」

激闘の末、たった一枚ではあったものの、男性はメンコをその手に取り戻していたのだった。



勝負の後、二人はベンチに腰掛け、祝杯となる瓶のコーラを飲み干しながら、勝利の余韻に浸っていた・・・
久方ぶりに童心に返って遊び、勝利できた凌駕は痛快な気分を覚えるとともに、
こうして他の誰かと勝利の歓びを共有できていることに、たまらない嬉しさを感じていた……。
一方の男性の方も、興奮冷めやらぬ様子で、

「名前を教えてはもらえませんか? 僕は、緋文字礼」

「秋月凌駕です」

二人の“戦友”はこうして始めて互いの名前を知り・・・

「本当に嬉しいですよ。僕の人生で、初めて(・・・)何かを取り戻せたんだから」

礼は、しみじみと、喜びを噛み締めるのであった。

やがて二人は穏やかな空気の中、言葉を交わし合う。
八紘市を訪れるまでメンコを本当に知らなかったという話から、
礼の身の上話へと移り、彼は一月程度の記憶と名前以外憶えていないという事実を凌駕は知ることとなった。

“白紙”の男


+ ...
故郷も、自分を知っている他者も分からない、何を基準に判断していけばよいのかも不明瞭。

「失われた本当の自分(・・・・・)を取り戻したい。そう思えば思うほど、今の自分の空虚さに耐えられなくなる……」

「ならば、新しく自分となる核を作ればいい……と、人はそう言うでしょう。
 ああ確かに、僕もそうは思いますよ? けれど、最初の一歩すらも踏み出せない」

「思い出の消失とは、即ち死だ。僕は今、どこにもいないし誰でもない」

思い出という事態への選り好みこそが自我を造り上げるとすれば、
己の内の拘りという好き嫌いがなくなった時、それはただ情報を記載した本か、あるいは壊れたスピーカー。

「そう、だからそんな人間に、どんな自分が築けると言うのだろう」

「どっち付かずの宙ぶらりん。心は変わらず空っぽだ。
 あのブランコのように、ただ闇雲に行ったり来たりを繰り返すだけの、人間の形をした空白……」

「それが、この緋文字礼という男ですよ。今も自分のことを好きになれない……
 好きになれる要素を見出せない、ただの歩く抜け殻」


自虐を続けていた礼に対し、凌駕は「何もない」というその事実自体を認めながらも――

「でも……その貴方が、誰でもない人間だという訳ではないはずでしょう。」
 俺から見れば、今のあなたこそが掛け値なしに、“緋文字礼”……
 誰に憚ることなく断じることの出来る個人じゃないかと、そう思います

ずっと心の中で考えてきた信条を以て、彼に語りかけていく。


中庸(バランス)”の地平


+ ...
「成功と失敗。幸福と不幸。獲得と喪失……
 正負が相殺し合った中点の時間にこそ、人間はその地金を曝します」

「成功したら寛容になり、失敗したら卑屈になる……それは人間として当然の反応でしょう?
 だから逆に論じるなら、それは外の反応によって自分の精神状態が(・・・・・・・・・・・・・・・・)左右されているんですよ(・・・・・・・・・・・)

その反対状態の極についても……
己の意志力のみで完結して、他者から与えられるものを全く必要としない――
そんな“生まれながらに精神の形が決まっている人間”のような在り方は問題だろう。
そもそもそんな人間がいるはずがない以上……

「成功によって、心満たされているわけでもなく。
 失敗によって、心卑しくなっているときでもない。
 そういう時こそ、その人間が普遍的に有している芯……
 そうですね、魂とでも呼ぶべきものが、浮き彫りになるんじゃないでしょうか」

そして……あらゆる正負の体験と無縁である、無色中立の存在。今の彼自身がそうだと考えるならば――
何もかも失って、空っぽになって、なのに取り戻したいと思えたことこそ、彼の内に残る疑えぬ真実。

「あなたは、自分を造り上げたがっている人間だ。それが魂。それが真実」
 自らの根に刻まれた抗えぬ衝動で、命の指針と呼べるものじゃないですか」


「……! 何もかも失っても、忘れても……僕は、今から何かに成れると言うのか……?」

「ええ、成れますよ、“緋文字礼”に。
 きっとあなた自身を始める(・・・)ことが……いいえ、今を置いて他にはない」

「強くそう思っている限りは。だから今が、そのスタート地点って事で」

正しい道が見えないなら、踏み出した先を己の道と定めればいい。
積み重ねた選択と踏みしめた足跡が、いつか「緋文字礼」という人間の語り部になるのだから――



やがて……深い溜息と共に、礼は天を仰いだ。


「ああ――」


「そうか。僕は――ずっと、僕に成りたがっていたのか」


「願った自分を探しながら、それに成ろうとして……良かったのか」


瞳に強い意志の光を宿し、少年から受けた言葉(聖句)を、強く、深く、心に刻みつける。
そして、これだけは忘れない(・・・・・・・・・)と誓うように……
大げさだと今も笑う“恩人”に、人生(いのち)をくれたことへの、尽きない感謝の念を捧げるのだった―――





  • 長いなオイ -- 名無しさん (2017-07-22 11:51:02)
  • 互いに与えあった影響はネタ抜きで主人公とヒロイン並みなんだな -- 名無しさん (2017-07-22 13:47:27)
  • 「誰よりも、何よりも……?(ガタッ」 -- 名無しさん (2017-07-22 15:57:41)
  • 面白いと思ってるのかね、こういうの -- 名無しさん (2017-07-22 16:39:27)
  • ベンチに座って会話するCGがなんかシュールだった覚え -- 名無しさん (2017-07-22 16:44:26)
  • 刻鋼機人にメンコで勝利する子供たちとはいったい… -- 名無しさん (2017-07-22 17:01:36)
  • ↑完全初心者の礼さんとやり込んでる子供達じゃ流石に分が悪い。 -- 名無しさん (2017-07-22 18:55:25)
  • 長いし、メンコだからギャグかと思えば、真面目な場面だった件 -- 名無しさん (2017-07-22 19:09:32)
  • 何気にこの場面、凌駕がメンコ魔改造とかやらかしてるんだよな。 -- 名無しさん (2017-07-22 19:15:42)
  • ↑当時のメンコ戦士たちの間では一般常識だった模様 -- 名無しさん (2017-07-22 19:29:29)
  • ここシーンだけで凌駕と礼のエゴだけじゃなくイドも匂わせてるなぁ -- 名無しさん (2017-07-23 01:01:50)
  • 記事長えなおいwなんか良いシーンぽく見えるだろ?しかし話題はメンコなのだ。でも、このシーンも結構大切だよなぁ -- 名無しさん (2017-07-23 08:19:41)
  • 「道理、ああ当然だ、勝てる訳がなかった……! 未熟、未熟すぎる……ッ!」のところがカイジっぽいよね。、のところが全部……だったらよりそれっぽい -- 名無しさん (2017-07-23 08:20:45)
  • 作中でかなり好きな場面ですわ。凌駕君のよっしゃあああああ!が特に -- 名無しさん (2017-07-23 14:05:08)
  • 結局誰なんだよお前……… -- 名無しさん (2017-07-24 12:56:17)
  • メンコ、厚くしたりテープ巻いたりはしてたが重油は思いつかなかったなあ -- 名無しさん (2017-07-25 02:38:34)
  • 外界に全く反応せず己の意志力のみで完結して、他者から与えられるものを全く必要としない。 そんな “生まれながらに精神の形が決まっている人間” のような在り方・・・ -- 名無しさん (2017-12-08 13:21:38)
  • ↑つオルフィレウス、ヴァルゼライド閣下、秋月凌駕 -- 名無しさん (2017-12-08 13:37:55)
  • ↑凌駕の『中庸』は他人ありきだから決して影響受けてないって訳でも無いんだけどな -- 名無しさん (2018-02-26 21:22:29)
  • 序盤のギャグと思わせておいて全部真相を突いた内容ってのがまた・・・。 -- 名無しさん (2018-03-28 23:51:31)
  • ↑2 そんなこと言い始めたらヴァルゼライド閣下も他人ありきだぞ、ヴァルゼライド閣下は悪ぶっ殺したい -- 名無しさん (2018-03-29 00:42:21)
  • ↑似ているようで逆なんだよなぁ。凌駕は大切な誰かの為に自分の在り方を曲げられるけど、総統やオルフィレウスは絶対に出来ないし -- 名無しさん (2018-03-29 04:45:10)
  • ↑総統の悪ぶっ殺したいは外界に全く反応しなかったら生まれないだろ。スラム生まれのせいで悪に対する排他性が高まったらしい -- 名無しさん (2018-03-29 14:15:55)
  • ↑帝国上層部みたいな、力を持ってた人間達が腐ってたのもデカイ。 -- 名無しさん (2018-03-29 18:00:17)
  • アッシュ「そうか。僕は――ずっと、英雄に成りたがっていたのか」 -- 名無しさん (2018-03-31 10:44:22)
  • でもぶっちゃけアッシュの憧れの対象って光よりも師匠よね。ヘリオスさんは友人ポジションだし -- 名無しさん (2018-03-31 12:09:29)
  • ↑↑ナギサのが入るのか眼鏡に洗脳された結果なのかで変わるな -- 名無しさん (2018-03-31 13:58:13)
  • しょっぱなのやり取りからグランドヒロインの貫禄出してますねこれは・・・。 -- 名無しさん (2019-05-12 16:31:40)
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最終更新:2019年05月12日 16:31