フランク族


まあ、すごく大雑把にフランスという国の元になった民族です。

初代の「王」はクローヴィスという人物だと言われてまして、当時はローマ帝国がちょうど崩壊していく時代。
それこそ西ローマ皇帝が廃位になった時点でこのクローヴィスがその仇取ってますので中心人物ですね。

この当時の王位はローマ皇帝が周辺民族に与えるものだったんですが、当時はすでに分割していた東・西ローマ帝国の秩序そのものが低下しつつあったので特に王位に拘るということもなく。
どうも西ローマ帝国の国教になっていたカソリックの存在からローマ帝国とフランク族が結び付いたのではないか、ということは言われているものの、その意図するところはよくわからない、というのが定説です。
(研究者の人で意見はあるのかもしれないけどねー、とりあえずカソリックの洗礼受けたのも晩年なんだよね。)

で、上でも言っているようにどうも北フランスの辺りにいたカソリックと結び付き。
東ローマ皇帝の意を受けてランゴバルト王国を滅ぼしまして。
まあそんなこんなで「王位」を得ましてフランク王国が形成された、というのがその大雑把な流れ。
とはいえ、これはあくまで地位だけで領土なんかはもともとの自前なんですけどねー。
力(と多分知恵)のあるクローヴィスが王位を得たことで王国という秩序は作りやすくなっていたようです。

個人的にはカソリックの司祭が彼の知恵袋だったんじゃないかな、と思っています。
実際そうやって行動する宗教関係者って時々歴史にいるしね。

このフランク族というのは今の「フランク」と意味はあまり変わらず、まあ自由気ままみたいな意味。
自称でもあったようなんですが、蔑称に近い他称のようなところから転用された形跡も。
血族としてのつながりをあまり重視せず、外からの民族流入を歓迎しており、クローヴィスも複数の集団の中で暫定的にリーダーの位置に付いているだけだった、ということが言われています。
ていうか、どうも父親や、祖父の時代からなんらかのローマもしくはカソリックとの関係あったらしいんだけどね。
なので、王位も彼らからカウントすることもあるんですが、王位を受けに東ローマまで行ったのはクローヴィスなので、まあその辺を頭の隅に置いておけばいいかもしれません。

このフランク王国クローヴィスからの家をメロヴィング王朝と呼ぶんですが。

ここから禅譲(殺さずに王位を継ぐ)したのがカロリング王朝です。
カロリング王朝の時代にシャルルマーニュ、もしくはドイツ読みでカール大帝という人物が出て「イタリア/ドイツ/フランスを含む大帝国が作られた」という出来事もあるんですが、まあそれはまた今度!

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フランス 中世
最終更新:2014年08月01日 02:36