H4・233

神世紀300年秋。
ほぼ植物人間状態だった友奈が急に回復したことは周囲を驚かせた。
入念な検査が行われて数日後、ようやく解放された友奈を東郷が出迎えた。
友奈の後ろに立ち、車椅子のハンドルを握る。ゆっくりと力を込め、歩み始めた。
行き先はいつもの病院の中庭だ。

「友奈ちゃん、どうかしら?こんな感じでいい?」

「うん。すごく上手。東郷さんは丁寧だからね、安心だよ」

東郷は友奈に車椅子の扱いについて尋ねていた。
友奈の意識がないときも何度となく車椅子を操作してきた東郷だったが、意識が戻ってからは2度目だ。
友奈にはなるべく優しくしてあげたい、というのが東郷の望みだ。

「でも、車椅子って怖くない?」

「後ろにいるのは東郷さんだからね。私はまったく心配してないよ」

東郷にとっては嬉しい言葉だ。

「それにね。思い出したけど、私、車椅子って初めてじゃないんだ」

意外だった。友奈と車椅子という組み合わせは全くと言っていいほど似合わない。

「そのとき短い間だったけど、友達になった娘がいたんだ。」
「私が勇者って言葉に憧れるようになったのも、東郷さんが隣に引っ越してきたときにすぐに友達になりに行けたのも、あの娘のおかげ」
「どうして忘れてたんだろう。こんな大事なこと」

友奈の言葉には古い友人を懐かしむだけではない。その記憶を愛おしむような響きがあった。
東郷の心に暗い影が浮かんだ。
以前、小学生の頃の友奈の友人の話を聞いたことがあったが、これはその比ではない。
友奈の人間形成にすらおよぶ話だ。それも短期間に、だという。
嫉妬にも似た気持ちを抑えながら、東郷は病院の庭への道を進んだ。

友奈の意識が戻らない間、毎日のように東郷が友奈を連れてきた中庭に着くと、東郷は友奈をベンチに座らせた。
車椅子ではなくベンチに座るのは友奈の希望だった。

「ありがとう。東郷さん」

満足げな友奈の声がする。

「どういたしまして。友奈ちゃん。話してくれるかしら。その友奈ちゃんの友達のお話」

友奈の隣に座りながら東郷は催促した。その友達以上の絆を作らなければいけない。そんな焦りがあった。

「うん。いいよ。あれは私が小学生5年生になる少し前。私の誕生日の数日後だったと思う」

友奈は秋の空を見つめながら過去に思いをはせた。


時間は少し昔にさかのぼる。
神世紀298年3月。香川のある病院で、一人の少女が廊下を歩いていた。
年は10歳ほどだろうか。整った利発そうな顔立ちに長い黒髪を軽く束ねている。
通りがかる人達にかるく会釈をしながら少女は歩いていた。
きびきびとした動作は病人のものとは思えなかった。
その少女は病気で入院しているわけではなかった。あくまで検査のための入院だ。その検査も既に終わり、今は結果待ちだった。
その結果がわかるには1週間ほどかかるらしいと伝えられていた。
追加の検査をする可能性もあるため、病院を離れるわけにもいかず、彼女は言ってしまえば暇だったのだ。
この年頃の子供にとって、1週間という時間は恐ろしく長い。
その時間の過ごし方について彼女は考えた。
両親に言えば、本や遊び道具をそろえてくれたかもしれなかったが、そうはしなかった。
友達を作ろう、と彼女は考えていた。
当てはあった。だが、その子を友達にするかどうか、実は少女もずいぶんと迷った。
その子の存在を知ったのは昨日の午後。
2度ほど声をかけにいこうとして、その度に躊躇し今に至っている。
昨晩はずっとそのことだけを考えていた。友人となるべきか、どうか。
結論は友達になる、だ。既に2度、機会を逃している。3度目は許されない。
廊下の角を曲がる。その先にその子がいるはずだった。

いた。昨日と同じ様に車椅子に座っている。
おかっぱにした髪。口元を見ると少しだけ笑っているのがわかる。
膝の上に軽く握った手をのせ、ピンと背筋が伸びたその姿勢は武道家のような緊張感を感じさせる。
その姿を少女はかっこいい、と感じた。車椅子に座っているのに、どうすればこのように振舞えるのだろう。
興味は尽きない。その好奇心が少女の心を後押しした。
その子の両親の姿は今はない。少女はまず本人に話しかけることにした。

「こんにちは」

「こんにちは」

正確に少女の方を見返して挨拶が返ってきた。

「私はと・・・」

いけない、と少女を思った。つい癖で間違えてしまった。この子を私の最後の友達にしてはいけない。
この子は私の最初の友達になるのだ。

「ごめんなさい。私は鷲尾須美。この春に小学5年になります」

「鷲尾さん。かっこいい苗字だね。私は結城友奈。私も今度で5年生です」

昔の苗字もかっこよかったんだけどな。そう思いながらも鷲尾須美はファーストコンタクトが上手くいったことに満足していた。

鷲尾須美は結城友奈と名乗った車椅子の少女を改めて見た。
おかっぱの髪。華奢な体は女の子らしいピンクのパジャマにつつまれていた。
口元には薄い笑み。アルカイックスマイル、という奴だろうか。
そして、その両目は幾重にも巻かれた包帯につつまれていた。

須美は友奈のそばの椅子に座ると、自分のことを語った。
検査で入院していること、結果に時間がかかること。その間だけでも友達になってほしいこと。
都合のいいことを言っているのは自分でもわかっていたが、その思いを友奈に告げた。
友奈は喜んで受け入れてくれた。そして自分のことを語った。
数日前、友人と遊んでいるときに細い竹籤が右目に入ったこと。その竹籤は奇跡的に眼球を傷つけないまま目の奥に届き、
結果的に眼球の奥の視神経を傷つけたこと。今はその手術のため、入院していること。
難しい手術になるが、医学は西暦のときより進歩しており、ほぼ回復するみこみだった。

「手術するのは右目だけなんだけど、目って両方同じ動きをするんだって」

友奈は右目を指差しながら、目に包帯をしている理由を語った。

「だから神経をこれ以上傷つけないように、両目を動かさないようにしてる。毎日麻酔をして、動かないようにしているんだ」

「そうだったの。車椅子に座っているのは?」

「脚は動くんだけどね。放っておくと私が勝手にどっかいっちゃうからって、お父さんに無理やり座らされてるんだ」

「でも、車椅子なら動かせるんじゃない?」

「この車椅子、特別製なんだ。電池やモーターが付いてて、ハンドルを握っている人は楽に動かせるんだけど、座っている人には
 動かせないようになってる」

そういうと友奈は車椅子の車輪に手を載せて力を込めてみせた。しかし、車椅子はびくともしない。

「鷲尾さん、私の後ろに立ってハンドルを握って車椅子を押してみて」

須美は友奈に促されるままにハンドルを握り、車椅子を押してみた。友奈のときと同様に微動だにしない。

「ハンドルの近くにボタンがあるでしょ。そのボタンを押しながら車椅子を押してみて」

ボタンを押してから車椅子を押す。今度は軽く車椅子が動いた。

「ね。面白いでしょう?でも今は危ないからもう一度ロックをかけるね。ブレーキを引いて」

ブレーキを引くと、また車椅子は動かなくなった。なるほど、この車椅子は友奈の枷なのだ。

不意に友奈が顔を廊下の先に向けた。視線の先には友奈の両親の姿があった。
がっしりとした体格の父親と、すらりとした母親は対照的だったが、共通点としては二人とも慌てていたようだった。
須美も動揺した。二人が慌てさせたのは自分のせいだ。今の自分は車椅子の少女にいたずらしようとしているように見られかねない。
須美の弁解、友奈の両親の詰問よりも先に友奈が口を開いた。

「この人は鷲尾須美さん。さっき友達になったんだ。私に声をかけてきてくれたんだよ」

友奈は須美の説明をした。
あいかわらず友奈は目が見えていないとは思えないほど正確に両親の方を向いている。

「・・・そうか。鷲尾さん。友奈の友達になってくれてありがとう」

友奈の父親は須美にそう言って頭を下げた。大の大人が小学生に話しかけるには丁寧すぎる。
友奈と僅かな会話をし、友奈の両親が去った後、友奈は須美にお願いをしてきた。

「鷲尾さん、よかったら私を外に連れて行ってくれない?」

「病院のお庭でいい?今日は天気がいいから暖かいと思う」

念のために上にかけるものを用意して、須美は友奈を乗せた車椅子を丁寧に押して外への通路を歩き始めた。


「うん。いい天気。気持ちいいね」

中庭に着くと友奈は車椅子の上で大きく伸びをした。
空には雲ひとつなく、太陽は春の暖かさを感じさせる。病院の中とは違う、自然の生命力を感じさせる暖かさだ。
須美も友奈に合わせて伸びをする。
最近は子供ながらにストレスがかかることが多かったからだろうか、体のコリがほぐれていく感じががとても気持ちいい。
友奈の鼻がひくひくと動く。花の香りを嗅ぎ取ったようだ。

「桜の花が咲いているのかな」

「うん。庭に一本、桜が咲いてる。満開よ」

「そっか。見たかったな。私の家の近くには桜の名所があってね。毎年そこでお花見するんだ。」
「本当に綺麗なんだよ。鷲尾さんにも見せてあげたい」

「結城さんのお家はどこ?」

「讃州市だよ」

「桜で有名なところじゃない。いつか見に行きたいわ」

同じ年だったこともあるだろうが、二人はすぐに打ち解けた。
友奈の食事は介護の人が行ったが、須美と友奈はいつも一緒にいた。
須美は時に友奈に本を読み聞かせ、時に車椅子を押して外へ連れて行った。
友奈も須美の話に耳を傾け、須美に何処かへ連れて行かれることを楽しんでいた。


須美と友奈が友達になり、数日が過ぎた。
その日の午前は友奈の検診があるということで、須美は久しぶりに個室に一人で過ごしていた。
持ち込んでいた本を読みながら、友奈とのことを思い出す。
須美にとって気がかりだったのは、友奈の両親だった。
二人とも須美には友奈の友達として優しさと礼儀を持って接してくれた。
しかし、友奈には少し違った。どこか腫れ物を扱うような、気の毒な子に接するような、そんな様子が見て取れた。
だが、大手術を迎える娘に対する両親というのはそんなものかもしれない。そう須美は考えることにした。
あるいは、まだ自分が友奈の友達として不足なのかもしれない。
友奈の両親も笑顔になるように、いつも友奈の顔に浮ぶあの笑顔を守ろう。そう決心した。

そう、友奈の魅力はあの笑顔だ。いつも口元に浮ぶ穏やかな笑顔。
目が見えないのにすごく落ち着いている。自分に降りかかる全てを受け入れているように見えた。
どれだけの精神的な強さを持てばあのように振舞えるのだろう。とても同じ年とは思えない。
友奈の持つ強さこそ今の自分に必要なのだろう。見習わなければない。そう須美は思っていた。
そして、この時期に友奈という友人を得られたことを神樹に感謝した。
直に正午になるという頃、須美は主治医の訪問を受け、追加の検査はなく予定通りに退院することを告げられた。

午後になり、須美は友奈の個室を訪れた。友奈が両親と一緒にいた。
三人は何か話し合っていた。どこか焦りを見せる両親と対照的に友奈は相変わらず笑顔を浮べている。

「あ、いらっしゃい。鷲尾さん」

須美の気配に気づいたんだろう。扉を開けたまま中に入れないでいた須美に友奈は声をかける。
友奈の両親の視線が須美に向く。その視線は突然の来訪者の存在にほっとしたような、それでいて何かを諦めたような複雑なものだった。
須美にはその視線は意味がわからなかった。

「手術は三日後だよね。大丈夫。私は一人でも平気だよ。看護師さんも鷲尾さんもいるし」

友奈に頼りにされている。そのことが須美にはうれしかった。友奈の両親に向かって軽く会釈する。

「わかった。また明日来る」

そう言い残し友奈の両親は帰っていった。

両親が部屋から出て扉が閉まると友奈は軽いため息をついた。

「ごめんね。私の親、少し過保護で」

「ううん。そんなことない。結城さんのご両親、立派な方達だと思うよ」

「でも、鷲尾さんの親は毎日病院に来たりしてないよ。鷲尾さんを信用してるんだと思う」

「それは・・・。私は結城さんと違って検査入院だから」

「それもそうだね。退院の日は決まった?」

「三日後だって」

「私の手術と同じ日だ。残念。鷲尾さんの顔、見たかったな」

「写真でも残しておく?」

「それ、いいかも。でも、今は鷲尾さんとの思い出をもっと作りたいな。また、外に連れて行ってくれる?」

「もちろんよ。任せて」

須美は友奈の車椅子のハンドルを握り、廊下に向かって歩き始めた。


病院の中庭で春の日差しとたわいのない会話を楽しんだ後、二人は友奈の個室に戻ってきた。

「でも、結城さんはすごいね」

須美からすれば思っていたことを口にしただけであった。

「すごいって何が?」

「手術の前だったいうのに、いつも落ち着いてる。ううん、それだけじゃない。」
「目が見えないのに、まったく気にしないように見える。自分に起きること、全てを受け入れている」
「私、結城さんのそういうところ、尊敬してる。私もそうなりたい」

どこか熱に浮かれたような須美の告白に、だが、友奈は沈黙した。
花瓶に飾られた花を少しいじり、窓を少し開けた後になって、ようやく須美も友奈の様子がおかしいことに気づいた。
自分の言葉に気づかなかったのだろうか。須美が躊躇している間に友奈は口を開いた。

「怖いよ」
「怖いよ。さっきもお医者さんから言われたんだ。手術に失敗したら右目が見えなくなるって」
「そうしたら、そのうち左目も見えなくなるって言われた」
「手術しなくても、そのうち目は見えなくなる。でも、それは数年後、十数年後の話。運動とかしなければその時間は長くなるって」
「それなら、何もしないでずっとおとなしくしてるよ。それで目が見えなくなっても、ずっと未来の話だよ」
「ひょっとしたら目が見えなくなったりしないかもしれない。だったら、そうしたいよ」

まさに豹変だった。目の前にいる少女は本当に自分の知っている結城友奈なのだろうか。須美はそう思った。
あの全てを受けいれたようなあの友奈はいったいどこにいってしまったのだろう。

「あれ? 鷲尾さん、どこ? いるんだよね?」

立ち尽くす須美の気配を感じられないからだろうか、友奈は辺りを見渡すように頭を振る。
視覚のない友奈には当然のように目の前の須美を捉えられない。
友奈は突然車椅子から立ち上がると何かを求めるように手を伸ばし、足をすりながら歩き始めた。
その様はまるで幽鬼のようだった。怖い。思わず須美は友奈から逃げるように後ずさった。

「ああ、あああ~」

須美が見つからない苛立ちからだろうか、友奈は言葉にならない呻き声を上げながら、頭をかきむしった。
目を覆っていた包帯が解ける。
包帯が完全に解け、友奈の瞳が光にさらされる。須美は初めて友奈の目を見た。見た瞬間に全てを理解してしまった。
自分が友奈の事をまるで理解していなかったことを痛感した。

友奈の目は恐怖の表情で固まり、目から涙が零れていた。

友奈はずっと泣いていたのだ。
目が見えない恐怖に怯え、手術の失敗の可能性に怯えていたのだ。
それを両親にも伝えられず、良い子の演技をしていた。
友奈の両親はそれに気づいていたのだろう。どこか不自然な反応はその表れだ。
気づかなかったのは須美の方だ。本心を押し殺した友奈を自分勝手に解釈し、理想を押し付けていた。

「私はここよ。ここにいるわ」

須美は駆け寄ると友奈に抱きしめた。突然のことに友奈は須美を受け止めきれず、バランスを崩す。
二人はベッドに倒れこんだ。倒れこんでも須美は友奈の頭を自分の胸に押し付けるように抱きしめたまま離さなかった。

「大丈夫。私はここにいる。怖がらなくていいの」

友奈の涙が須美の服を濡らしたが、須美は気にしなかった。泣き続ける友奈を優しく抱きしめていた。
友奈が泣き止むのを待って、声をかける。

「ごめんね、結城さん。私、結城さんがずっと泣いていたこと、怖がっていたこと、気づいてあげられなかった」
「友達、失格だ」

須美の胸から顔を離し、友奈は須美の方に顔を向けた。その表情はだいぶ落ち着いたように見える。

「友達に合格も失格もないよ。私は鷲尾さんのこと、友達だと思ってるよ」

「ありがとう。結城さん」

「でも、教えてくれる? 鷲尾さんはどうして私のことを誤解したの? そうなりたいってどういうこと?」

須美は言葉に詰まった。自分の境遇の全てを簡単に人に話すことはできない。でも、友奈には誠実でいたい。
そうすることがこんな自分を友人と言ってくれる友奈にできる全てだと思った。

「私ね、養子なの」
「本当の両親が貧しかったとか、そういうことじゃない」
「ただ、特別な神樹様のお役目があって、そのお役目のために鷲尾家に養子になったの」
「鷲尾須美っていうのは私の新しい名前」
「4月から私は新しい名前で新しい両親のところで新しい学校で行くの」
「初めはいやだと思った。そんなことしたくなかった。でも、私にも私の家にもどうすることもできなかった」
「だから私はそんなことに負けない強さが欲しかった。でも、どうすればいいのかわからなかった」
「そんな時、結城さんに会ったの」
「車椅子に乗って、目を包帯で覆った結城さんは、それでも自分に降りかかることに負けない強さを持っているように見えた」
「そんな強さに憧れたの。ごめんなさい。結城さんが泣いていたこと、私ぜんぜん気づいてなかった」

須美の目から涙があふれてきた。そんな須美を友奈は抱き寄せた。
さきほどまで自分がされたように、須美の頭を自分の胸に押し当てる。

「私の方のこそごめん。私も鷲尾さんのことまるでわかってなかった。」
「鷲尾さんが声をかけてくれた時、とてもうれしかった。そして思ったんだ。とても強い人だなって」
「その強さと優しさに私は甘えていただけだった。鷲尾さんが辛い思いをしてるなんて、考えもしなかった」

「私、強くなんてない。何度も声をかけようとして、その度に逃げていた。声をかけたのは3度目」

「うん。知ってる。視線感じてたから。でも、最後に声をかけてくれた」
「だから、鷲尾さんは私にとってはとても強い人」

声にならず須美は頭を横に振った。友奈はそんな須美の頭を何度も優しく撫でた。
しばらくして泣き止んだ須美は友奈の胸から顔を離した。涙の痕を手でぬぐい、そのまま友奈の手を握る。
ベッドに二人は横たわったままだ。存在を確認するように、互いの手を握り合う。

「どう。少し落ち着いた?」

「ええ。だいぶ。」

須美は顔が赤くなるのを感じた。こんなふうに他人に甘えるなんて、今までなかった。
鷲尾家の養女になることが決まったときでも、両親の前では涙を見せなかったと思う。
それが、まさか同級生の子の胸で泣くことになり、しかもそれで安心するなんて。

「ならよかった。私、鷲尾さんと違うから、うまくできるか自信なかったんだ」

「違うって何が?」

「私まだぺったんこだから」

友奈は恥ずかしそうに言った。確かに友奈のそこはまだ2次性徴の訪れは感じられない。
対して須美の方はといえば、すでにずいぶんな主張を始めていた。既に女性用の下着もつけている。
異性同性を問わず、その視線が気になっていた。だが、まさか目が見えない友奈からもその話題が出るとは。
一生言われ続けるのだろうな、そう須美は観念した。だが、反論しないわけではない。

「そ、それは関係ないでしょう」

「えー、関係あるよ。重要だと思うよ」

「でも、そういうのって誰にしてもらうかの方が重要じゃない?」

「それもそうか。なら、私は鷲尾さんにとって合格だったんだんだね」

思わぬ反撃を受け、須美の顔がますます赤くなった。

「鷲尾さんは何月生まれ?」

「4月8日よ」

「私はついこのあいだ。3月21日生まれだよ。一年近く違うね。それならまだ希望はあるかも」

友奈の笑顔が変わっていたことに須美は気づいていた。
口元に浮ぶ微笑ではない。満面の笑顔だ。比較すれば簡単にわかる。こちらの方がはるかに魅力的だ。

「お役目って何をするの?」

「詳しくはよく知らないし、言えない。でも、私は”勇者”になるの。それが私のお役目」

「じゃあ、もう鷲尾さんは勇者だよ」
「勇者って困難に立ち向かう勇気を持つ人、他人に勇気をあげられる人のことでしょ」
「鷲尾さんは自分の境遇に負けないで、前を向こうとしてる。これって勇気だよ。だから鷲尾さんは勇者だよ」

「私、結城さんに勇気をあげられた?」

「私はもらったよ。手術を受ける勇気」
「友達が勇者で勇気を出しているのに、自分は逃げていたら恥ずかしいからね」
「私は鷲尾さんにもらった勇気と自分の中の勇気を振り絞って手術を受ける」

「それなら結城さんも勇者ね」
「手術を受ける結城さんの姿に私も勇気をもらった。この勇気を忘れないで私は鷲尾家でお役目を果たすわ」

「そっか。私も勇者か。もう二つ、鷲尾さんにお願いがあるんだけど、いいかな?」

「何?私にできること?」

「私は手術から逃げるような弱い子供です。これからも何度も泣き言を言って鷲尾さんに迷惑をかけるかもしれません」
「こんな私でも鷲尾さんは友達でいてくれますか?」

「もちろんよ。結城さん。弱い子供なのは私も一緒。私も泣き言を言うと思う」
「こんな私でも結城さんの友達でいていい?」

「もちろんだよ。あと、一つなんだけど。これからは須美ちゃん、って呼んでいい?」

「いいわ。私も友奈ちゃん、って呼ぶから」

須美の返答を聞いて友奈は今日一番の笑顔を見せた。大輪のひまわりが咲いたような満面の笑み。
これが友奈の本当の笑顔なんだ、そう須美は思った。


次の朝、個室を訪れた両親に友奈は手術を受けることに告げた。

「正直に言うと、まだ手術を受けるのは怖いよ。でもね、それで元の生活に戻れるなら手術を受ける」
「その勇気、今の私にはあるよ。だから安心して」

友奈は終始笑顔だった。ようやく取り戻した満面の笑顔。
それみて友奈の母は涙を流し、父は、ああ、と大きくうなずいた。
須美もそれをみて涙を流す。ようやく友人に何かをできた。そう感じていた。


残された時間を須美と友奈はまた二人一緒に過ごした。
以前と同じような生活。同じような仲睦まじさ。
少し違うことがあるとすれば、互いに少しわがままを言うようになったこと。
そして、時に寂しくなったとき、心が弱くなったときは相手の暖かさを求めるようになったこと。
求められる方もそれを嫌ったりはしなかった。
相手を受け止め、励ましあうごとに、少女達は少しづつ強く、大人になっていった。


別れの日、いつものように須美は友奈の個室を訪れた。
須美の来訪を受け、友奈は歓迎の言葉をかけた。
ベッドに腰をかけると、笑いながら大きく両手を広げた。
手術の前に須美に甘えたいのだろうか、それとも退院する須美を励ましたいのだろうか。
両方だろう。そう須美は思った。自分も同じだったからだ。
友奈に近寄り、両手を広げ、友奈を抱きしめる。
少し遅れて友奈も須美を抱きしめる。
友奈の匂い、友奈の体温を感じながら、須美は少し不安を感じていた。
僅かな期間だけだが、友奈は友人、いやそれ以上の存在だった。半身とすら言っていいかもしれない。
友奈と離れてこれからやっていけるのだろうか、今更ながらそう思った。

「知らないところにいくの、まだ怖い?」

「うん。」

「そうだよね。でも須美ちゃんは勇気のある人。大丈夫だよ。ちゃんとご両親とも仲よくできるし、友達もたくさんできるよ」
「私ね、退院して讃州市に戻ったら、須美ちゃんにもらった勇気をみんなに届けるよ」
「私も勇者になる! 自分が何ができるかわからない。でも、できることをやって、みんなに勇気と笑顔をあげたい」

「友奈ちゃんならなれるよ。私なんかよりずっと立派な勇者に」
「友奈ちゃんはこれから手術でしょう?頑張ってね」

「うん。大丈夫。須美ちゃんが励ましに来てくれたからね」

「一つ約束して。もし、友奈ちゃんの前に車椅子に乗った子が現れて、その子と友達になりたいと思ったら」
「私みたいに躊躇しないで。すぐにその子に友達になってあげて」

「うん。約束するよ。須美ちゃんみたいに勇気を出して、その子の友達になる」
「須美ちゃんにもお願い。須美ちゃんは優しすぎるよ。もっとわがまま言って、自分を出していいと思うよ」

「うん、わかった。そうしてみる」

互いを抱擁する力が緩むのを感じ、須美は手を離した。

「お別れだね」

「ううん。お別れじゃないよ」

須美の言葉を友奈はすぐに否定した。

「私と須美ちゃんは牡羊座生まれ。牡羊座生まれって相性凄くいいんだよ。すぐに仲良くなって、ずっと友達でいられる」
「きっとまた出会えるよ。今度会ったとき、私はすぐに須美ちゃんに声をかけにいくよ。」
「また一緒に遊ぼう。一緒に勉強しよう。春になったら讃州市の桜を見に行こう。やりたいこと、いっぱいあるんだ」

「うん。友奈ちゃんが忘れていても、私が声を掛けにいくわ。私も友奈ちゃんとやりこと、たくさんある。だから」

「「また、友達になろう」」



友奈が全てを語り終えた頃には、東郷も当時の記憶を取り戻していた。
友奈は約束を全て守ってくれた。戦いで傷ついた東郷を癒しただけではない。勇者となって東郷を、四国を守ってくれた。
涙がこぼれるのを抑えられなかった。そして友奈と出会わせてくれたその運命に感謝した。
友奈も何かを感じ取ったのだろうか。東郷を抱き寄せ、優しく頭を撫でる。

「辛いときや寂しいとき、人の温かさを感じると安心するってことも、その子が教えてくれたんだ」
「だからもし、東郷さんの心が安らいでくれるなら、とても嬉しい」

以前よりも温かい友奈の優しさに包まれたまま、東郷は泣き続けた。
数日前、あれだけ涙を流したというのに涙は尽きることがなかった。
これから何度涙を流すのだろう、何度出会いを感謝するのだろう。それでも友奈と一緒にいたい。そう東郷は思った。
でも、その前に友奈に言わなければならない。東郷は友奈の胸から頭を離す。両目からはまだ涙は流れていた。

「私、前にも友奈ちゃんと会っていたんだね」
「その頃の私の名前は」

--鷲尾 須美--

<<完>>

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最終更新:2015年10月25日 14:01