H4・160

 翌日の朝。

 上里ひなたは普段より早く家を出て、乃木家の門に着いた。
 門の前で若葉が出てくるのを待つ。
 ほどなくして、若葉が玄関から出てきた。
 若葉は時間に正確だ。よほどの事情がないかぎり時間がずれることはない。

「おはようございます。若葉ちゃん」

「おはよう。ひなた」

 若葉は特に驚いた風もない。朝の挨拶を交わすと、そのまま学校への道を歩く。
 二人とも制服の夏服に身を包み、水着やタオルを入れたプールバッグを手にしている。
 バッグは小学生の時に使っていたものだが、若葉は当然もう片方の手に生大刀を握っている。
 鞄ならともかく、プールバッグと刀。その異様な組み合わせにひなたに笑みがこぼれたが、若葉は気にしていない様子だった。

「今日も朝のお稽古をしたのですか?」

「ああ、日課は欠かさない。一日休むと取り返すのに二日かかるからな」

「若葉ちゃん、今日は何かあったのですか?」

「特に何もないが。どうかしたのか?」

「いえ、なんとなくです」

 幼少のころからの付合いだ。近頃の若葉の様子が少しおかしい事にひなたは気づいていた。
 でも、本当に困ったときには自分に相談してくるだろう。
 少し楽観的にひなたは考えていた。


 少し早めの登校途中で郡千景は珍しいものを見た。
 通学路の少し先で高嶋友奈が千景を見ながら大きく手を振っているその場で駆け足をしているのだ。
 普段は千景よりも登校が遅い友奈が先に登校している。これはこの三年間に一、二度あったかどうかのことだった。
 とはいえ、千景がまったく予想しなかったわけではない。
 そう思わせるほど友奈は今日を楽しみにしていた。
 友奈は水着を入れているであろうデイバッグを背にし、その場で駆け足を続けながら千景を待っている。
 ようやく友奈の近くまできた千景にいつもの笑顔を見せながら友奈は挨拶する。

「おはよー、郡ちゃん。今日は遅いね」

「おはよう、高嶋さん。今日は高嶋さんが早いだけよ。駆け足していたら疲れない?」

「私、いつもは走っているから。あまり変わらないかも」

「私と登校するなら普通に歩いてね」

「うん。そうする」

 そう言って友奈は駆け足を止め、千景と一緒に歩き出した。
 登校中も会話は止まらない。口数が少ない千景も友奈とはよく話す。
 友奈はいつも暖かい笑みを浮かべながら千景に話しかけてくる。
 その笑顔は人と距離を置きがちな千景の心も開かせるものだった。
 だが、千景はその暖かさに甘えるのは少し怖い。
 友奈から受け取るものがあっても、自分が友奈に与えられるものがない。
 そう考えると躊躇してしまうのだった。
 今までの人間関係の結果だろうか。年不相応に頑なな、どこか利害関係を重視するところが千景にはあった。
 何か友奈に与えれるものがあるだろうか。千景はそう考えていた。


「あー、もう。なんでこんな時にあんずは遅く家に来るんだよ」

「私はいつもどおりだよ。タマっち先輩が早いんだよ」

 土居球子の理不尽な言葉に伊予島杏は反論した。

「よし、こうなったらショートカットだ。今日こそは絶対若葉より早く登校してやる」

「ショートカットなんてそんなものないでしょ」

「そう考えるのが素人考え。まあ、タマに任せタマえ」

「いいから普通に登校しようよ。変なことしなくていいよ」

 高笑いする球子を杏は必死に止めた。
 本当にあったら普段から使っているだろう。そして、それならショートカットにならない。
 よほどのことをするのだろう。例えば、あまり考えたくないが、住居侵入とか。
 他人の家の庭程度なら入りかねない。

「ちっ! まあしょうがないか。実はタマもあまり気乗りしなかった」

 杏は心の底から安堵した。球子が暴走すると何をするのかわかったものではない。

「代わりといっては何だが、今日は海で若葉にギャフンと言わせてやる。見てろよ、あんず。面白いもの見せてやるからな」

 長い付き合いで杏にはわかる。今日はきっとろくなことにならない。杏の心配事は消えることはないようだった。


 若葉とひなた、友奈と千景、球子と杏はそれぞれの通学路を登校し、期せずして城門前の交差点で集合する形になった。

「みんな、おはよう」

「おはよう」
「おはようございます、皆さん」
「おはよー」
「おはようございます」
「……おはよう」

 はじめに友奈が挨拶し、それに応えるように若葉が、それから他の四人がそれぞれ挨拶をする。
 やっぱりショートカットするべきだったか。小声で球子が呟き、杏は額に浮んだ汗をハンカチでぬぐった。
 友奈がわずかに若葉に道を譲る。若葉とひなたを中央にし、六人は丸亀城城門をくぐった。

 丸亀城。それは人類がバーテックスの脅威に対抗するために用意した場所の一つである。
 内部には勇者達が通う学校の他に、勇者が戦闘訓練をする設備、神器を保管する神社などがある。
 現在の丸亀城に以前の観光名所のころの面影はなりを潜めている。周囲の住民が利用することもない。
 俗世から隔離された世界である。しかし、空気は澄んでおり、人を落ち着かせる。

「あ、先生だ」

 杏が声を上げた。
 例の担任でも教師でもない先生が校舎の前でミニバスのチェックをしていた。
 名前も教えてくれない、何かの教科を担当しているわけでもない、その女性を六人は単に『先生』と呼んでいた。

「おう、全員一緒に登校か。けっこう、けっこう」

 先生はそういってにやりと笑った。

「じゃあ、さっそく出発するか。乗り込んでくれ」

 それぞれがミニバスに乗り込む。
 当然のように、既存のペア同士が隣り合って座っている。
 先生は抗議するように若葉を睨みつけた。若葉の顔に緊張の色が浮ぶ。
 だが、すぐにあきらめたようにため息をつくとエンジンを始動させる。

「私、車に乗るのも久しぶりだよ。なんだかわくわくするね。ジェットコースターにでも乗ってる気分」

 はしゃいでいるのは友奈だ。呆れたように五人が友奈を見る。だが、わからなくもない。
 勇者に選ばれてからの三年間は訓練のための学校と自宅を往復する日々が続いていた。
 これは久しぶりの遠出なのだ。

「何かあると危険だからな。全員シートベルトはしてくれ」

 促されて全員がシートベルトを締めるのを確認し、先生は車のアクセルを踏んだ。
 道中の車の量は以前と変わらないように見える。
 四国は平和に見えた。実際平和だ。今のところは。世界の真実から目を背ければ。
 一時間ほどして、目的地の讃州サンビーチに着いた。
 車が歩道に寄せられ、停車する。

「一番乗り~!!」

「あ~!! ずるいよ、たまちゃん」

 車から弾かれるように出てきたのは最初に球子、やや遅れて友奈だ。
 車道から砂浜に続く坂道を二人は先を争って駆け下りる。

「よっしゃあ! 勝利!!」

「あ~、負けた~」

 ガッツポーズをとる球子とそれを悔しそうに見あげる友奈。
 そんな二人の追って残りの五人も坂を下りてきた。

「土居、友奈。子供っぽいことはやめろ。こんなところで怪我でもされてらたまらん」

 若葉がたしなめる。

「固いこと言うなよ、若葉」

「ごめんね、若葉ちゃん」

 二人は口にしたが、やはりどこか気が緩んでるようだ。

「更衣室は向こうにある。着替えはそっちでやってくれ」
「着替え終わったら海の家に集まってくれ」

 先生の指示に従って、六人全員が更衣室に向かった。

 更衣室で水着に着替えて六人が出てくる。
 六人に用意されたのは競泳用の水着だった。
 勇者五人は日ごろ体を鍛えているだけあり、よく似合っていた。
 ひなたのみ、恥ずかしがった様子でずっと胸を隠すように腕を組んでいる。

「訓練メニューは乃木に伝えてある。乃木の指示に従って訓練を実施しろ」
「午後には自由時間を設けてある。何かほしいものがあったら、今のうちに言ってくれ」

「私、ビーチバレーで使うボールがほしいです。あとスイカ」

 友奈が即答する。用意されたメニューに加えてビーチバレーもするのかよ、と他の五人がげんなりした表情をする。

「ボールとスイカか。善処しよう。ビーチバレーをするなら最後のメニューと入れ替えてやってくれ。そっちのほうが有意義そうだ」
「それと、今日は基本的にお前達のみでやりきれ。私は口も出さないし、手も出さない。自分達で何とかなるよう判断して動け」
「昼食時になったら、海の家に集合しろ。補給用の水も用意している」

 そういうと担任は海の家に向かって歩いていった。本当に何もする気がないらしい。

「最初は準備体操だ。おぼれないよう、念入りにやってくれ。」

 若葉が指示を出した。普段から戦闘訓練前には二人一組で準備体操をしている。
 友奈と千景、球子と杏が組み、若葉のみ一人で準備体操をするのが常だった。
 今日はひなたが入り、若葉と組む。ひなたも含め、全員そう思っていた。
 そこで異変が起きた。

「郡さん、私と準備体操をしないか」

 若葉が千景に声をかけた。棒だった。見事なまでに棒だった。
 明らかに用意された意図不明な台詞を聞き、ほぼ全員が固まった。
 固唾を呑んで見守られるなか、千景は訝しげな視線を若葉に送る。

「どうして私があなたと? 上里さんと組めばいいじゃない」

「私とひなたでは身長の差が大きいからな。それにこういった機会だ。日ごろと違う人と組むのもいいのではないか」

 想定の範囲内なのだろう。若葉の口からすらすらと言葉が出てきた。しかし、相変わらず棒である。
 だが、普段球子・杏ペアを黙認していることを棚に置けば、用意されていただけあって特に反論の隙もない。
 それに友奈が乗っかってきた。

「いいね~、それ。じゃあ、私は杏ちゃんとだね。球ちゃんはひなちゃんとだ。ひなちゃんと組めるのうらやましい」

 言い終わるころには友奈は杏の手を握っていた。流れが決まった瞬間だった。
 球子もひなたの顔を見て、一度視線を下に送り、もう一度ひなたを睨むんだ後、ひなたに手を差し出していた。
 若干の身の危険を感じながら、ひなたはその手を握った。
 そこまでされれば千景も文句は言えない。不承不承といった感で若葉の手をとる。
 その光景を担任は笑いながら守っていた。

 海日和といえるよく晴れた日だった。
 砂浜のごみ拾いから始まり、砂浜でのダッシュ、遠泳とハードな訓練メニューが続いた。
 午前中だけで普段を遥かに上回る運動量だ。
 普段は戦闘訓練を受けていないひなたは早々にギブアップし、撮影係兼マネージャーになっていた。


 昼食の時間となり、六人は先生に導かれ、近くのうどん屋にやってきた。
 うどん屋に改装される前は中華料理屋だったのだろう、店の色は特徴ある赤色が目立つ。
 店の中に入ると、担任はひとつの円卓を指差した。

「ここを使え。背の順でな」

 言われて六人は順に座る。
 若葉、千景、杏、友奈、ひなた、球子と見慣れない並びになる。
 メニューを見て注文をすると、トッピングの違いはあるが、全員うどんだった。
 ついでに、てんぷらとおでんも注文する。
 全員育ち盛りで午前中はずっと運動していたのだ。体が栄養を欲していた。

「今日はずいぶん動いたね。もうおなかぺこぺこだよ」

「高嶋さんはいつもいっぱい食べているじゃない」

「そうかも。よく食べて、よく寝るのが私のポリシーなんだ」

「それはいいことだな。私も今日は友奈になろうとしよう。骨付き鳥がないのが不満だがな」

「おなかいっぱい食べる若葉ちゃんも素敵です」

「素直に腹が減っているって言えばいいのに。若葉も面倒なやつだな」

「タマっち先輩、いつも友奈さんに負けず劣らずですからね」

 疲れていたからだろうか、普段よりも会話が続く気がする。
 そのことに若葉は少し気をよくした。
 やがてうどんとてんぷら、おでんが運ばれてきた。
 食事を取りながらも団欒は続いた。
 対面の若葉とその隣に座る球子、千景を見ながら、友奈はいつも以上の笑顔だった。

「面白いね。円って始まりと終わりが一緒なんだね」

 球子と若葉が隣り合っていることを言いたいらしい。若葉がうなずく。
 そして、友奈がまたも爆弾を投下した。

「そうだ、午後は組むメンバー変えよう。一人ずれて組むのはどうかな」

こいつ、この状況を目いっぱい楽しんでやがる。五人は同時にそう思った。
肯定もしがたいが、特に反対する理由が思いつかない。
そう思いながら五人全員が口をつぐんでいた。
先生が止めをさした。

「そうだな。そうしろ。上里も午後はビーチバレーだけだからな。参加しろ」

 懸念点といえば、勇者五人の中でも肉体派の若葉と球子がそろっていることだが、あいにくこの二人ではチームプレーは期待できない。
 一番負担がかかるのはひなたと組む友奈だろう。そして千景と杏のペアは未知数だ。
 悪い組み合わせではないのかもしれない。

「やったー。ひなたちゃんと組めるのうれしいよお」

 そういうと友奈はさっそくひなたに抱きついた。
 ひなたは午前に引き続き、自分の身を案じた。
 友奈は人との距離が近すぎる。好き勝手されるとどうなるかわからない。

「でも、出来るのは三組ですよ。総当りにしますか?」

「そうしてくれ。私が出張るのも大人気ないからな」

 勇者二人相手にして勝つつもりだったのだろうか。だとしたらたいした自信だ。
 にぎやかな食事が終わり、海の家に戻ってしばらく休憩を取った。
 全員床にごろりと横になり、たわいもない話をする。
 いつも見ているテレビ番組、勇者になる前にやっていたこと、家族のこと。
 仲のよい友達同士の会話ではない。まだ何処か距離感を測りあうような緊張感があった。
 普段、他人の話をよく聞く友奈も自分の身の上の話はしようとしない。それはこの三年で全員が知っていることだった。
 それでも途切れずに会話は続いた。若葉の変化を全員が感じ取ったからだろうか。
 若葉も輪の中に自然と入っていた。ひなたや友奈のフォローもなしでだ。
 勇者であることから離れてみれば、六人は確かにただの少女だった。

 食休みというには長すぎるだろうか、一時間ほど経ってからビーチバレーを始めた。
 いったん休んでしまったから、体は思うように動かなかったが、スポーツをするのも久しぶりだったので、全員楽しげだった。
 一位は当然のように若葉・球子ペアだった。体力にものを言わせ、チームワークの悪さは互いへの対抗心で克服し、堂々の二連勝だった。
 二位は一位と僅差で千景・杏ペアだ。二人とも特に上手いわけではなかったが、能力が近いのと互いにインドア派であることが功を奏したのか、予想外のチームワークを見せ、意外な検討を見せた。
 三位は友奈・ひなたペア。友奈自身は獅子奮迅の活躍をみせ、おそらく六人で一番動いただろうが、ひなたをカバーするにはいたらなかった。

 ビーチバレーが終わり、自由時間に入る。まずはスイカ割りだ。

「友奈、どういう順番でやる?」

 若葉が先に友奈に話しかけた。こういう都合のよい人間が近くにいるときは利用するほうがよい。今日の教訓だ。

「えっとね。それじゃ、あいうえお順で」

 若葉は全員の苗字を頭に思い浮かべ、順番に並べてみた。悪くない。
 得物が刀の若葉を一番後ろにしつつ、勇者でも頭脳派の二人とひなたの順は頭の方だ。若葉は感心した。
 と同時に若葉はスイカは切ったことがなかったな、とも思った。
 居合いの修行で藁を巻いた竹を切ったこともある若葉だったが、他に切ったことがあるものいえば何だろう。
 三年前のバーテックスくらいだろうか。
 スイカの斬り心地を思いながら、料理でもしてみるか、と普段は思わないことを考えてみた。

 結果として、スイカを割ったのは杏だった。しかし、一周目ではなく、二周目だ。
 スイカに当てはしたものの力不足でスイカに弾かれたひなた、やる気のない千景、自分で割る気がない友奈、渾身の一撃を外した球子に続き、満を持しての登場となった若葉だった。
 だが、ひなたが指示を出さなかったために行くべき方向に迷い、ふらふらと歩いた挙句、見当違いの場所を叩いて終わりとなった。
 ひなたは友奈たちの指示を受けて歩く若葉の姿を撮影していた。これも彼女の秘蔵フォルダに入るのだろう。
 一周目で対策をとった杏はあらかじめ自分の進むべきの目印を砂に刻み、目測から割り出した歩数でスイカに近づくと普段は見せないような大きな動作でスイカを真っ二つにした。意外な伏兵に全員が驚きの声をあげ、特に球子が祝福した。
 若葉の直ぐ後にスイカ割った、というのが気に入ったらしい。

 割ったスイカを全員で食べていると球子が若葉を指差し、宣戦布告を行った。

「若葉、私と遠泳で勝負しろ。逃げんなよ」

「何事にも報いを。相手になろう、土居」

 どちらかというとけんか友達に近い間柄の二人のやりとりを四人は遠巻きに見ていた。
 朝に球子が言っていたことはこのことか、と杏はこっそりため息をつく。変なことにならなければよいのだが。
 千景は友奈を見て、一度逡巡したのち、言葉をかけた。

「高嶋さんは参加しないの?」

 何故そんなことを言ったのか、千景は自分でも理解していない。

「うん、今日は十分に動いたからね。もうオーバーワークだよ」

 その友奈の言葉に千景は少し失望し、ついで失望した自分に驚いた。
 どういうことだろう。自分は友奈が二人を負かすことを期待していたのだろうか。

「それに、二人に何かあったら時のための準備をしておかないとね。多分大丈夫だと思うけど、念のため」

 三人は、あっ、と声を挙げた。友奈はどこまでも状況を楽しむようでいて、どこか俯瞰で物事を考えている。

「そういえばひなたちゃん、今日は私達と一緒に運動して疲れたでしょ。マッサージしてあげようか」

 杏と千景が凍りついた。

「まだ筋肉痛とかはないんですが、今のうちに受けたほうがいいのでしょうか」

 おっとりとした調子でひなたが返す。うん、そうだね。そう言って友奈は少し得意げに胸を張り、ひなたに近づいていく。
 そんな二人の間を杏が割って入った。

「ゆ、友奈さん。マッサージもいいのかもしれませんが、まずは若葉さん達を見張ることを考えては?」

「あそこの監視員用の見張り台があるでしょう。あそこはどう?」

 杏を千景がフォローする。普段は特に仲がよいわけではないが、緊急事態に二人は結託した。
 あるいはビーチバレーでペアを組んだ経験がそうさせたのかもしれない

「えー、でもあそこ、錆が出て人が座れるようなところじゃなかったような」

「もう一度見てきたら?」

「確かに高いところからのほうがいいよね。うん。見てくる」

 すでに若葉と球子が遠泳を開始していた。
 友奈は見張り台の方に歩いていく。千景と杏は同時に安堵のため息をついた。
 状況が飲み込めないひなたが千景に問いかける。

「友奈さんのマッサージを受けると何か不都合でもあるのですか?」

「不都合かはわからないけど、あれを受けるのはやめておきなさい。特に乃木さんの友人でいたいならね」

「えっと、何があるんです?」

 千景は答える気がないのか、口を閉ざしたままだった。杏も同様に顔を青くしたまま立ち尽くしている。
 しばらく二人を見やったひなただったが、これ以上問うのはやめた。

「いやー、やっぱりだめだったよ。錆だらけ」

 友奈が戻ってきた。すでにマッサージのことは覚えていないようだ。

「ひなたちゃん、今日撮った写真見せて」

 ひなたがカメラを操作し、三人が覗き込んだ。

「うわー、いっぱい撮ったね」

「ええ。皆さんいい表情でしたから」

「でも、何か足りないような」

「ひなたさんを映した写真がないですね」

「それだよ、杏ちゃん。せっかくだし、今からでも撮ろうよ」

 言いながらも友奈は若葉達の監視を怠ってはいなかった。
 ひなたや各勇者をモデルに何枚か写真を撮る。
 それを見ながら、笑いあった。


 一方、若葉と球子の遠泳勝負は佳境を迎えていた。
 朝からのハードワークで既に体力は限界を超えている。これからは根性の勝負になるだろう。
 球子もそれがわかっている。だからこそ、この時間帯に勝負をしにきたのだろう。
 根性だったら、若葉に負けない。
 そういう意図が見える。だからこそ、若葉は負ける訳にはいかなかった。
 今は若葉がリードしている。このままリードを保ちゴールするのは難しいことではないはずだった。

(お前はいったい何をしている?)

 不意に若葉の心の中で声がした。自分のしていることへの自責の声。今日の自分への不信の声。

(今日のお前がやったことは何だ。友人と遊び、笑い、友情をはぐくむことか。常在戦場が聞いて呆れる)

 声がするごとにペースが落ちる。すでに球子は若葉と並んでいた。
 確かに今日の自分は普段と違うことをしている。だが、それには意味があるはずで。

(それで何かを成し遂げたつもりか。人類の矛となるのではないのか)

(違う、違う)

 今までの理想をないものにしたわけではない。
 ただ、それだけでは足りないと感じたのだ。
 人に言われたことがきっかけではあったかもしれない。
 だが、今はこれでよかったと思っている。未来につながると思っている。
 心の声を追い払い、泳ぎに集中したが、すでに球子は若葉の先をいっていた。ゴールまでの距離を考えると逆転は難しい。
 だが、若葉はあきらめなかった。一かき毎に球子との距離をわずかづつ詰めていく。
 そして、ついに追いつけなかった。

 砂浜にあがっても、まだ肩で息をしていた。先にゴールした球子も同様だ。
 球子を見、そして遠くで集まっているひなた達を見る。
 四人は仲良く談笑しているようだ。友奈を中心に特に仲良くない者たちがまとまっている。その様子に愕然とする。
 やはり自分はリーダーには向いていないのかもしれない、その思いがぶり返してきた。
 足がもつれ、膝をついた。
 最後に今の自分を見る。力を使い果たした自分。もしこのタイミングで敵が攻めてきたら、自分は何の役にも立たないだろう。
 球子に負け、友奈に負けた。自分の理想を貫いたとも言いがたい。
 散々だった。ここまで落ち込んだ経験は若葉の人生ではなかったことだ。
 だから、若葉は球子が声をかけていることに気がつかなかった。

「……おい、若葉、聞こえてるか?」

 ようやく若葉が顔を上げると、球子は若葉に手を差し出してきた。

「いい勝負だったな。私の勝ちだけどな。また勝負しようぜ」

 今まで見たなかで球子は一番いい笑顔でいってきた。その笑顔で若葉は少し救われた気がした。
 今日の自分が報われた気がしたのだ。若葉も右手を出して球子の手を握る。

「ああ、また勝負しよう。次は負けん」

 若葉は球子のがっちりと手を握り締めた。
 球子は若葉を助け起こしながら、若葉の顔をまじまじと見る。

「どうかしたか?」

「いや、今日の若葉はずいぶんいい顔してるぞ。普段の仏頂面よりもいいな」

「そうか?」

「ああ。堅苦しいやつだと思ってたけど、面白いところがあるんだな。」
「今日みたいに自分からいろいろやればいいんじゃねえの? ひなたと友奈は世話を焼きすぎる」

「ずいぶんと話しかけてくるな」

「勝負に勝ったらからかな。テンション高いんだよ。嫌だったか?」

「礼を言う。今日は土居にずいぶん救われたように思う」

「そんな風に言われると気持ち悪いな。何か悩んでるのか? 困ったら相談しろ。タマに任せタマえ。はっはっは」


 友奈達も二人を見ていた。

「なんだかあの二人、とっても仲良くなったみたいです」

「ああいうの、私もあこがれるな。二人仲良しでいいよね」

「あんなことしなくても、高嶋さんはみんなと仲良くなれるでしょう」

 ひなたは無言で二人を見つめていた。そんなひなたに友奈だけが気づいていた。


 ミニバスに向かう中、ひなたは一人考えごとをしていた。
 今日の若葉はいつもと違っていた。
 積極的に勇者達と交わろうとする若葉。
 千景と手を握り合う若葉。
 球子と握手をする若葉。
 それらを思い出す度にひなたの心は揺れた。
 今後も若葉は人として、勇者として成長していくのだろう。
 若葉が自分を必要とすることがなくなってしまうのかもしれない。
 それが寂しいと感じるのは自分の傲慢なのだろうか。
 今後のことを考えると、若葉は勇者達の中で成長していくのがいいのだろうか。
 それにひきかえ、巫女である自分が若葉にできることがわからなくなっていた。
 座席に座わると、急な眠気がひなたを襲う。
 堂々巡りの思考に嫌気がさしていたこともあり、ひなたはその眠気に全てを委ねた。
 眠りに落ちる一瞬前、ひなたの肩に何かの重みがかかったことに、ひなたは気づかなかった。


 帰り道の道中、席で隣り合うのはやはりいつものペアだった。
 先生は苦笑したが、まあ、それもいいか、とだけ言った。
 朝と違うことといえば、若葉とひなた、球子と杏が互いにもたれかかるようにして寝ていることだった。
 友奈と千景だけはどちらも眠る様子もなく、周りに気を使ったのか、小さな声で話をしていた。

 途中の休憩場所で車が止まる。友奈は席をたつとひなたのバッグに手を突っ込み、デジタルカメラを取り出す。
 どのカメラで寝ている若葉とひなたの写真を撮ると、またバッグに戻した。

「そんな風に気をつかうってのは、疲れないか。高嶋」

「私がおせっかいをしてるだけなのかもしれません。でも、感じなくていい苦しみを感じているのを見るのは嫌いです。私、みんなが大好きですから」

「そうやってお前は全員を守るつもりか?」

「できることをやるだけです。私、勇者ですから」

 今のやり取りで、千景はようやく友奈という人間を少し理解した気がした。
 勇者という言葉を使ってはいるが、基本的に彼女は無償の人なのだ。
 困っている人がいるのが見逃せなくて、苦しんでいる人がいるのが許せない。
 人が笑顔でいるのが嬉しくて、人の笑顔を見ていることが何より楽しい。
 それは尊いことなのかもしれないが、人のあり方として正しいのだろうか。歪なのではないだろうか。
 そして何より、そんな彼女を誰が守るのだろうか。
 自分がそうなれるだろうか。そう思いながら友奈を見る。

「疲れたのなら、いつでも肩を貸すよ」

 友奈は千景を見返しながら自分の肩をぽんぽんと叩いた。
 千景は無言のまま首を横に振った。今の自分では友奈を支えることはできないだろう。でも、いつかきっと。
 それは千景の心に芽生えたささやかな願いだった。


 下校時、若葉とひなたはいつものように並んで帰っていた。
 オリエンテーションで疲労したのだろうか、ひなたは遅れがちだ。
 若葉は何度となく振り返り、ひなたに声をかける。

「伊予島から借りた本はどんな本なんだ?」

「赤毛のアンです」

 言葉は返ってきたが、どこか上の空だった。
 若葉は途方にくれた。こんなひなたを見るのは初めてだった。
 幼いころからずっと一緒にいたはずなのに、ひなたの心がわからない。
 こういうのは苦手だった。若葉はひなたにはいつも精神面で支えてもらっていた。
 今日も他の五人とうまく話せたのもひなたと友奈のおかげだ。甘えさせてもらっていたのだ。
 だが、今は自分がひなたに何かしなければならない。何事にも報いを。それが乃木家の生き様のはずだ。
 一度深呼吸し、決心を固める。
 やることは単純。今思っていることをそのままぶつけるだけだ。
 だが、何故だろう。それでいいような予感がした。

「ひなた。バーテックスへ報いを与えることが私の望みだ、だが、それだけのために生きているわけではない」
「四国の人達はもちろん、私を育ててくれた家族、友人。みんなを守ることも私の望みだ」
「だが、私の手はそんなに長くない。必ず守れるとも言い切れない」

 若葉はプールバッグを肩に背負い直し、左手に握った生大刀を右手に持ち替える。
 そして空いた左手をひなたに差し伸べた。

「だから、ひなたはずっと私の手の届くところにいてくれ」

 <完>

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最終更新:2015年10月25日 13:55