H3・716

あの戦いからしばらく時が過ぎ、ようやく私、三好夏凜にも退院の日がやってきた。
出迎えは犬吠埼姉妹。
ただでさえ目立っているのに、姉のほうが大きく手を振ってアピールしていた。
東郷も友奈と一緒に見送りに来ていた。
風の方に3人、松葉杖と車椅子で移動しながら話をする。

「クラスのみんなも夏凜ちゃんのこと待ってたわ。仲良くしてあげてね。」

東郷にそう言われて、私は頭をかかえた。
クラスでの会話はほとんど友奈と東郷だけだったから、どうすればよいかわからない。
いや、そもそも私はそんなことを気にする人間ではなかったのだ。
大赦の命令で讃州中学に入り、バーテックスを倒すことに全てをささげる。
そんな私が今はすっかり変わっていた。
この変化は勇者部に入ってからのことだ。
勇者部に入り、他の4人の勇者に感化された。
そして、あの戦いのとき。大赦の勇者を辞めると宣言したとき、私はそれまで目を
背けてきたものを直視する義務を負ったのだろう。
私は大赦の命令という免罪符を使っていたのだから、それは当然のことだった。

とりあえず当たり障りのない帰還報告でも考えておこう。
あらかじめ予想していれば東郷にも相談できたのだが、そこまで気がまわらなかった。
頭を悩ます私は東郷たち3人が何やら相談していたことにまったく気が付かなかった。

「友奈ちゃん、夏凜ちゃんが退院するのよ。寂しくなるわね」

東郷が友奈に話しかけるが、友奈は身じろぎもしない。両目は変わらずずっと虚空を見つめたままだ。
目が乾くのだろうか、時折まぶたを閉じるのだが、それは機械めいていてなおさら目の前の友奈を人形じみたものに見せていた。

「風達と3人、時間が空いた時はいつでも来るからね、友奈」

私はそう友奈に話しかける。友奈の反応はなかったが、それでも心に届いていると信じたかった。

風が用意していたタクシーに3人で乗りこむ。
助手席は風で、私と樹は後部座席。
東郷は私たちの姿が見えなくなるまで小さく手を振ってくれていた。
風の指示で車は犬吠埼姉妹のマンションに向かう。
思わず抗議の声を上げる。

「夏凜。あんた、今日から私達の家で一緒に住みなさい」

突然のことに驚く。

「あんた、その体で一人で生活できると思ってるの?」
「これはみんな了承済みなんだから。いいわね?」

みんな、が何を意味しているかは明白だ。
言いたいことがないわけではないが、不承不承従う。
そもそも、右手右足左目左耳がまだ不自由な私が一人で生活するのはかなり難しい。

やがて、犬吠埼のマンションに着く。
私の着替えや身の回りのものはすでに回収されていた。
こういう時の風は相変わらず手際がいい。
合鍵を渡され、本当にここに住むことになるんだな、と実感が沸く。
私は樹の部屋で一緒に住むことになった。これはどうやら樹の希望らしい。
服や布団の置き場が決まり、風から家事などの役割分担が説明される。
とはいえ、こんな私に割り振られた仕事は少ない。
むしろ、私が二人の負担になっていることの方が多い。これは-

「いいから、まずは生活に慣れなさい。後はそれからよ」

風の言葉に反発よりも感謝の思いが出る。

「ありがとう。風、樹」

意を決して言葉にしたら、姉妹そろってニヤニヤ笑っていた。
この借りはいつか必ず返してやる。

やがて夕食の時間となった。
食事当番はあいかわらずの風。
私と樹には食事ができる間に風呂に入っていろ、とのことだった。
湯を張り方を教えてもらい、風呂に入る。
不自由な体で苦労したが、一人、体を伸ばせるのは格別だった。
女院ではいつも補助の人がいたので、どこか心休まることがなかった。
脱衣所から音がする。
しばらくすると、タオルを体に巻いて樹が入ってきた。
あわてたが、向こうはそれほどでもないところを見ると、予め決めていたことのようだ。
どうしたのか聴くと、水滴のついた鏡に指で文字を書き始めた。

『カリンさんのカミと体を洗います』

断ってみたが、まったくひく様子がない。それどころかこう書いてきた。

『いやなら、おフロに沈めます』

この娘は意味がわかっているのだろうか?
いや、おそらく単にそのままの意味に違いない。
その目力に押されて、私は樹に髪と体を洗ったもらった。
お互い恥ずかしがりながらなので、なかなかスムーズにはいかない。
もちろん大事なところは自分でやった。
樹の洗い方はとても優しく丁寧で合宿のときに友奈に背中を流しもらったときを思い出す。
あのときも思ったが、二人ともやけに洗い方が優しくて、私には少し物足りない。
それとも自分が変なんだろうか?
お礼に樹の背中を流すといってみると、首肯が返ってきた。
慣れない左手だが、軽くさすったつもりだった。だが、どうやら樹には強すぎたらしい。
何度かのNGの後、ようやくOKをもらった。

病院ぐらしで一人が長かったせいか、樹との会話は楽しい。
まだ樹は言葉が出ないが、その意思はいろいろなところから感じられる。
樹も私の言葉が足りないところは意図を汲み取ってくれる。
クラスの皆ともこんなふうに話せる時がくるのだろうか?

風呂から上がると風が開口一番こういってきた

「どうでした?うちの子。なかなか良かったでしょ?今度は指名してみる?」

見事なゲス顔、ゲス口調で言ってくるので呆れてしまった。

「姉の方を指名することはないわね。」

と言い返す。予想していたようで、軽く笑うだけだった。

私より少し遅れて風呂場から出てきた樹に風が声をかける。
樹は少し困った表情をして、首を横に振る。
やっぱりね、と風も困った表情。
訳を聞くと、どうやら私は体の洗い方に始まり、いろいろとデリケートさにかけるらしい。
そんなもの必要ないと突っぱねてみたが、覚えておいて損はないから、と言い返された。
これも私が目を背けていたことの一つだろうか。

夕食が始まった。
風の作る食事はとてもおいしい。
病院食もバランスよく作られているはずだが、それとも違う何かが体中に溶けていく。
そんな幹事がした。
少なくともコンビニ弁当よりはいいに違いない。

「どう?おいしい?」

肯定したが、小声だったのが不満のようだ。

「え?何?聞こえない」

わざとガーゼをした側の耳をこちらに向けてくる。
しょうがないので、大きい声で伝える。
風は満足したようで満面な笑顔で食事に戻る。
樹も笑顔なままで食事している。
流れのままに思ったことを口にしてみた。

「風、私に料理を教えてくれない?」

「いいわよ。でも、体が治ってからね」

あっさり了承をもらう。
食事が終わると3人で後片付けをし、今後について話をした。
讃州中学勇者部はしばらく休業、その活動を全部員の日常復帰に当てる、とのことだ。
学校の往復の仕方に始まり、一人で返ってきた際にやっておいてほしいこと、なども再確認。
まあ、とりあえずは大丈夫だろう。
樹が席を外した際に風が小声で話しかけてきた。

「あと、できれば樹に整理整頓について教えてあげて」

「できるだけのことはしてみる。けど期待はしないで」

「それでもいい。お願いね」

そう答えてきた。半ばあきらめているのだろうか。
私としては、それでもしばらくは同じ部屋に済むのだから、少しは改善して欲しいところである。

そうしているうちに、やがて就寝の時間となった。
樹の希望で3人で川の字になって寝ることになった。
東郷が友奈に対してと同様、風も樹に甘い。
病院とは違い、一人ではない。二人の息遣いが聞こえる。それを心地よく感じる自分がいる。
帰ってくるべきところに帰ってきた。そんな感じがする。
自分もずいぶん変わったものだ。そんなことを考えながら、私は眠りに落ちていった。

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最終更新:2015年08月24日 23:52