H3・636

 東郷さんとのお出かけの途中。ふと目についた露店で、鏡を売ってた。

お店のおばあちゃんが、「これは平行世界と繋がってる魔法の鏡」だなんて、可愛らしい売り文句をつけてた鏡。

私には似合わないかもしれないけど、そういうロマンチックなお話は好きだ。

でも私はその売り文句より、鏡の造形の方が気に入っていた。淡いピンク色の縁取りに、控えめな花の装飾が施された卓上ミラー。

だから、お小遣いをはたいてその鏡を買って、満足顔で机に置いた。ただそれだけだったんだ。

ただそれだけなのに、翌朝目が覚めると、目の前には私がもう1人居た。



――東郷視点

 朝の自室。私は普段通りの時間に朝食を食べ終えてから、友奈ちゃんを起こしに行く準備をする。

今は夏休みで、部活の予定も入っていない。しかし、だからといって不規則な生活をしていては友奈ちゃんのためにもならない。

友奈ちゃんが本当に嫌がるならやめるつもりだったけれど、友奈ちゃんは笑顔で了承してくれた。

『夏休みも朝から東郷さんと過ごせるなら、すっごく嬉しいよ』とまで言ってくれた事を思い出して、つい顔がほころぶ。

私服に着替えて、車椅子に乗って、起きなかった時のための起床ラッパも準備。

本当なら、友奈ちゃんのためにぼた餅を作ってあげたいのだけれど、満開の後遺症に苦しむ友奈ちゃんにそれはできない。

結城家の玄関を顔パスで通り、友奈ちゃんの部屋へと入ると、眠ってる友奈ちゃんの姿が目に入った。

友奈ちゃんったら、布団を頭までかぶって埋もれて寝てる。

「おはよう、朝だよ友奈ちゃん。起きて?」

言いながら布団を剥ぎ取ると、そこには幸せそうにすやすやと眠る友奈ちゃんが2人ほど居た。

その寝顔を見てると、なんだか温かな気持ちに――

「えっ?2人?」

思わず疑問の声をあげて、目をこすってからもう一度友奈ちゃんを見る。

けれど結果は変わらず、そこにはやっぱり友奈ちゃんが2人眠っている。

2人の友奈ちゃんは向き合って眠っていて、その寝姿はまるで天使のよう。起きる気配は全くない。

それはとても素敵な光景だけれど、友奈ちゃんが2人居る理由がさっぱり分からない。

はて、これは夢だろうかと自問する。

しかし、いくら友奈ちゃんの事が大好きだとはいえ、友奈ちゃんに増えて欲しいなんて願望を私は持っていただろうか?

それとも現実だろうか。私が知らないだけで、友奈ちゃんにはそっくりの双子の姉妹でも居たのだろうか?

夢だったら私が起きないと。現実だったら友奈ちゃんを起こさないと。静かに混乱している私はラッパを手にとって――



――友奈視点

 パッパラッパ パッパラッパ パッパラッパ パッパパー!!

「「うひゃぁっ!?」」

枕元で高らかに鳴り響くラッパの音に、慌てて飛び起きる。

この音はもう何度も聞いたから何の音だなんて疑問はないけど、それでもやっぱりびっくりする。

ラッパで起こされたっていうことは、今日はスムーズに起きられなかったみたい。

朝は東郷さんの綺麗な声で起こされたかったなあ、なんて思いながら体を起こして東郷さんに向き直る。

「「おはよー、東郷さん。」」

あれ?なんだろう、違和感。まず、いつもすぐに挨拶を返してくれる東郷さんが固まっちゃってる。

それに、なんだか今、自分の声が重なって聞こえたような……

そう思って声のした方を向くと、そこには鏡があった。私が私を見つめてる。

あれ、こんな所になんで?と未だ寝ぼけた頭で思う。

とりあえずどかそうと右手を伸ばすと、鏡の中の私も右手を伸ばしてくる。鏡なら左手のはずなのに。

ぷに、と鏡の中の私のほっぺに手が届く。あったかい。

それと同時に、私のほっぺも鏡の中の私に触られる。くすぐったい。

「あ、あれ……?」「これって……」

だんだん眠気が飛んで意識がはっきりしてきた。相変わらず私の手は鏡の中の私に触れてる。

目の前にあるのが、ううん、目の前に居るのが女の子だって事がようやくわかってきた。

「「って、ええぇぇっ!?」」

思わずびっくりして、大きな声をあげちゃったけど、目の前の子もそれは一緒みたい。

朝起きたらすぐ隣にいた、私にそっくりな女の子。

「「だ、誰なのっ!?」」

思わずそう問いかけたけど、その疑問の声もやっぱり私と一緒だった。



 朝起きたら自分そっくりな女の子がすぐ隣に居た……なんて時、どんな対応をすれば良いのかなーって困ったけど、

人に誰なのかを問うなら、まずは自分からだよね。

「私の名前は結城友奈!あなたは?」

そう名乗るけど、目の前の子はそれを聞いて困ったように答えた。

「私も、結城友奈。讃州中学、勇者部所属だよ。」

なにがなんだか分からないといった様子でそう名乗る。

どういう事だろ?

普通に考えたら、この子は嘘つきだ。だって、讃州中学勇者部の結城友奈は私だけのはずだもん。

私の大切な居場所の事でそんな嘘をつかれたら、私はきっと本気で怒る。

だけど、この子の見た目は自分でも見分けがつかないくらい私にそっくりで、

私と同じく状況がさっぱり飲み込めないで困ってるだけみたいに見える。

「私もそうだよ!讃州中学2年、勇者部っ!

 一応聞くけど、あなたはこの部屋に住んでる結城友奈だよね?」

「うん、そうだよ。だけど、多分だけど……あなたもそうなんだよね?」

「……うん。私も、今までずっとこの家で生活してきたよ。」

「そう、だよね。」

ほんの少し言葉を交わしただけで途方に暮れる。

私には、この子が嘘をついて私を陥れようとしてるとか、そういうのには見えないんだ。

この子を偽物だって断定して何かするのも、何かが違う。そう思えてならない。

でも、だからって『本物の友奈はあなたです』なんてわけにもいかない。私だって本物だ。

いっそこの子が『私が本物の結城友奈だ!』って宣言して襲い掛かってくるとか、

そういうのだったら分かりやすいのに。お話の中のヒーローも、よく偽物と対決してた。

でも、この子はどう見ても困り果ててるみたいで、敵意なんかぜんぜん感じない。

本当に、どうすれば良いのかな……そうだ、東郷さんなら何か分かるかも!

そう思って東郷さんを見たら、なんだか深く考えこんじゃってるみたい。

「ブツブツ……友奈ちゃんが2人……神樹様……ご褒美……重婚……」

小さな声で何か喋ってるみたいで、すっかり周りが見えてない。帰ってきてもらわないと。

「ねぇ東――」

私が口を開こうとしたけど、それより少し先に目の前の子が先に東郷さんに語りかける。

「ねぇ東郷さん、東郷さんってば」

って言いながら、ゆさゆさと体を揺する。東郷さんは、それで我に返ったみたい。

「ご、ごめんなさい友奈ちゃん。なんだか状況が飲み込めなくて。」

私じゃなく、もう一人の方を見て返事をする東郷さん。

それを見て、なんだか今まで感じた事の無い焦りみたいな気持ちに駆られて、

私は思わずぐぐっと東郷さんの目の前に身を乗り出して喋る。

「東郷さん、これってどうなっちゃってるんだろう。まるで私が2人になっちゃったみたい。」

そう言うと東郷さんは思案顔になった。少しだけ考えてから、口を開く。

「わからないわ。ううん、可能性だけなら思い浮かぶんだけど、それだけ。

 神樹様が何かしてくださったのかもしれないし、バーテックスの残した攻撃なのかもしれない。

 満開の後遺症が後になって発生したっていう可能性もあるわ。

 神樹様の御力を行使したんだもの。どんな事が起こったって不思議じゃない。」

そう言ってから、私ともう一人の方を順番に見てから言葉を続ける。

「でもね、私の見る限り、どっちかの友奈ちゃんが悪意をもって嘘をついてるとか、そういう様子には見えないの。

 いつだって友奈ちゃんを見てた私だもの。それは自信がある。

 だから、そんな心配そうな顔をしないで。

 大丈夫、『悩んだら相談』。皆で一緒に考えればきっと何か糸口が見つかるわ。」

そう言って、私ともう一人の頭を撫でてくれる。

柔らかな手の感触が嬉しいけど、その優しさが向けられる先が私だけじゃないのがなんだか複雑。

そう思ってもう一人の子を見たら、同じタイミングでこちらを見てきて目が合った。

その子の表情は、嬉しさの中に納得行かない気持ちが混じってるみたいな、そんな顔で。

ああ、本当にこの子は、もう一人の私なんだ――

なんて、そんな風に納得しちゃった。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


――それから、私たちは勇者部の皆に助けを求めた。幸い、皆来てくれるみたい。

その後、起きたばっかりだからそろそろ下に降りて朝ごはん食べたいなーって思ったけど、

さすがにお父さんやお母さんに『朝起きたら、あななたちの娘は2人になってました』だなんて言えない。

ヘタしたら家庭の危機になっちゃう。

だから2人の私のうち1人が下に降りて食事をして、もう1人の分を東郷さんが自宅で作って用意してくれる事になったんだけど、

「「それじゃあ、私が東郷さんのご飯食べたい!」」

って、それはもう見事に声が重なった。

2人で声を上げてから、むむむむ、ってにらめっこ。

もちろんお母さんのご飯に不満があるわけじゃない。

それに実を言うと、今の私にとって料理は風味と食感を楽しむものになっちゃってて味なんて分からないから、

作ってくれる東郷さんには申し訳ないなとも思う。

けど、東郷さんは私の満開の後遺症のせいで趣味のお菓子作りもやめちゃったから、東郷さんの手料理をしばらく食べてない。

まさか『味なんて分からないけどお料理作って』なんて言えるわけもないし、こんな機会は滅多に無いんだ。

結局はジャンケンで勝負したんだけど、あいこが何度か続いた末に私が負けちゃった。

ああ、東郷さんのご飯食べたかったなぁ。



 その後も、東郷さんともう一人の私がお喋りするたびに、なんだか落ち着かない気持ちになった。

「東郷さん、髪を弄っても良い?」

ってあの子が言えば、私は慌てて

「いいなーっ、私も一緒にやるっ!」

って飛び込んで。逆に私が、

「東郷さん、難しい顔しちゃってる。ごめんね、私が心配かけて。」

って話を振ったら、あの子がすぐにぐっと身を乗り出して

「私たちの事なら、そんなに背負い込まないで。みんなで考えるんでしょ?」

ってぐいぐい前に出て。

もう一人の私が東郷さんとお喋りするたび、東郷さんに微笑みかけられるたび、なんだか胸がモヤモヤする。

あの子もきっと同じだ。だから私と張り合うみたいに東郷さんに話しかけてる。

それを見て、私は更に焦燥感に駆られる。お手本みたいな悪循環。

そしてそれは、勇者部の皆を待つ間、少しずつ……本当に少しずつだけど、加熱していった。


――東郷視点

「友奈が2人になっちゃったなんて意味の分からない事を言うから来てみたけど、

 本当にまるっきり同じ顔が並んでるのね。びっくりしたわ。

 それで……アンタらのその有り様はなんなのよ!」

友奈ちゃんの部屋に到着した夏凜ちゃんが、開口一番に呆れきった顔で言う。

「おはよう夏凜。朝から元気ね。」

『おはようございます』

風先輩と樹ちゃんはほんの少し前に到着している。この2人にも、到着するなり似たような事を聞かれた。

私は今、友奈ちゃんのベッドに腰掛けていて、その私の腕を抱きしめるようにして2人の友奈ちゃんが左右からしがみついている。

私の腕を胸に抱え込むようにしてぎゅっと抱きしめてるから、ぐにゃっとした、友奈ちゃんの女の子らしい膨らみの感触が両方の腕に伝わってる。

「だって夏凜ちゃん!この子が東郷さんと私の間に割り込むんだもん!」

「それはそっちだよ!私と東郷さんは今までだってずっと一緒だったんだから!」

言うだけ言って、またむぅーって唸ってにらめっこ。そんな顔もとても可愛いのだけれど。

「友奈ちゃん達も、不安みたい。私に抱きつく事でほんの少しでも安心出来るなら、喜んで抱いて構わないわ。」

って夏凜ちゃんに言う。

この2人は、ほんのついさっきまでお互いに気を使って仲良く……とまでは行かずとも平和にやってたのに、

ちょっとした会話で張り合っていくうちにどんどんムキになっていって、今ではすっかりこんな有り様だ。

友奈ちゃんが私に抱きついてくれるのはとっても嬉しい事だし、友奈ちゃんの柔らかな感触は私の頭を幸福感で蕩けさせてくれる。

でも、そうしている友奈ちゃん達はあんまり幸せそうには見えない。むしろ、なんだか焦ってるみたいな余裕のない顔だ。

きっと友奈ちゃん達は今の状況が不安でたまらないんだと思う。

友奈ちゃんが誰かに対抗心をむき出しにするなんて珍しいし、たぶんこうでもしないと落ち着かないんだろう。

そう思うと、しがみついてる友奈ちゃん達を振り払うなんて事も、仲違いにお説教する事も出来なくて、

私はただ友奈ちゃん達にされるがままになり続ける。その、決して、役得で浮かれているだけではなく。

「はぁ……まあいいわ。

 それで、なんでこうなったかは分かってないのね?」

「うん。朝起きたらこうなってて」「どうしたら良いか分からなくて皆に相談しようって」

って、2人の友奈ちゃんが語る。あら?なんだか仲違いが止まったみたい?

「私も皆が来る前に色々と調べてみたんだけど、やっぱり何も分からないの。

 風先輩、勇者をやる上でこういう現象が起こりうるなんて事は――」

「無いわ。少なくとも、私は聞いてない……とりあえず大赦に問い合わせてみるわ。

 ただ、大赦からの返事って基本的に遅いからすぐにとはいかないわよ。」

そう言って、タタタっとメールを入力する。

「私も大赦から派遣されてる身だけど聞いてないわね。ていうか、それなら友奈だけっていうのもおかしな話じゃない?」

「それは、確かにそうね。

 友奈ちゃんだけがこうなった事を考えると、可能性としてはレオ・バーテックスの御霊を撃破した時……」

「偽物っていう線は無いの?片方がバーテックスの遺した置き土産で、寝首をかかれるとかは御免よ?」

「そ、そんな事しないよ!」「私だって!」

夏凜ちゃんが警戒するのは当然だけど、多分それは無いと思う。

「そこは大丈夫だと思うわ。実は皆が来るまで、友奈ちゃんに色々な質問をしてたの。

 2人とも、友奈ちゃんと私しか知らない事もきちんと知ってた。

 ただの偽物なんかじゃないのは確かよ。」

と太鼓判を押す。

そもそも、今の私たちを害するのならそんな面倒な事をする必要すら無い。

先日のバーテックスとの決戦の後、私たちの使っていた端末は大赦によって回収されてメンテナンス中だ。

予定ではもう返ってきているはずだったのだけれど、何かの事情で返却が遅れているらしい。

だから、今の私たちはただの女子中学生の集まりでしかない。

「そう、なら良いけど。でもそうなると、ますます意味が分からないわね……」

「そうねえ。どう考えても普通の現象じゃないもの。

 今更だけど、友奈にはそうなった心当たりとか無いの?昨日、何かちょっとでも変わった事とか無かった?」

「えーっと、思いつきません。昨日は部活もなかったから、東郷さんとお出かけしたくらいです。」

「うん。東郷さんとのお出かけの後、家に帰ってからはいつも通りの事をして寝ただけだよね?」

「そう……それじゃあ、家に帰るまでは?変なものを見たとか、体に異変があったとか。

 些細な事でも良いわ。東郷も一緒だったなら、心当たりは無い?」

「そうですね……昨日は友奈ちゃんと一緒にお買い物をしたくらいで、特に変わった事は……」

「お買い物も、結局露店で鏡を買ったくらいだよね?」「お小遣いあんまり無かったもんね。」

と、そこまで会話した所で風先輩が眉をひそめて聞き返す。

「……鏡?」

「はい。でも普通の鏡ですよ?買った露店も面白いおばあちゃんがやってるお店でしたし。」

「楽しい人だったよねー。魔女みたいなローブ着て、

 『この鏡はな、平行世界へと繋がっている扉でもあるのじゃよ。ヒィーッヒッヒッヒッヒ……』って

 雰囲気のあるしゃべり方するおばあちゃんで。」

2人の友奈ちゃんがそこまで語ったところで、バン!とテーブルを叩いて夏凜ちゃんが立ち上がった。

「あからさまに怪しいじゃないのよ!というかもう原因それしか無いじゃない!

 そういうのは先に言いなさいよ!」

夏凜ちゃんがそう思うのは分かる。私も、昨日一緒にお出かけしてなければそう思ったかもしれない。でも。

「でも夏凜ちゃん、買ったのってこの卓上ミラーだよ?」「うん、オカルトグッズとかじゃなくて、既成品の。」

そう言って、机に近い方に座ってる友奈ちゃんが、私の腕を抱きしめたまま机の上に手を伸ばして鏡を手に取って夏凜ちゃんに渡す。

「……確かに、普通の鏡ね。裏にはメーカーロゴまで入ってるし。」

その鏡は淡い桃色に縁取られた卓上鏡で、可愛らしい色合いが友奈ちゃんにぴったりの逸品だ。

だけど、そのいかにも工業製品といった造形からは、不可思議な現象を引き起こすような印象は感じられない。

拍子抜けした、というような表情で夏凜ちゃんが友奈ちゃんに鏡を返す。

それを見て、しばらく1人で考え込んでいた樹ちゃんが、スケッチブックに文字を書いた。

『まってください』

「樹ちゃん?」

『たぶんですけど、その鏡が原因で合ってると思います』

「樹、何かわかったのね?」

『推測だけど。』

そう前置きしてから、今度は小さめの文字で書いていく。

『鏡っていうのは、古来より占いやおまじないに使われてきた呪具でもあるんです。

 だから私の専門分野では無いにせよ、ほんのちょこっとだけ知ってます。

 鏡や水鏡なんかの、世界を映し出す物は、古来からたびたび"目に見えない真実の世界を暴くもの"

 として扱われてきました。鏡の語源が影見だなんて話もあるくらいです。

 そして、それと同じくらいに"鏡は異なる世界に通じている"という思想はメジャーなんです。

 まるっきり違う世界じゃなくて、鏡写しのもう1つの世界とか、平行世界とかの近しい世界。

 午前0時とか、午前2時とか、新月とか、満月とか、特別な時間だけ異世界に繋がる扉。

 それで、思いついたから月齢の事を思い出してみたんですけど……昨夜は新月の日だったんです。』

そこでスケッチブックをめくって、更に書き続ける。

『その鏡を売ったお婆さんは、並行世界に繋がる鏡だって言ったんですよね?

 なら、どっちかの友奈さんはそこから来たんじゃないでしょうか。』

「私たちのどっちかが」「並行世界の人?」

友奈ちゃんが顔を見合わせる。

「で、でも。普段と違うところは全然ないよ?」「私も。どっちも左右反転とかもしてないよ?」

って否定する。それはそうだろう。いくらなんでも突飛な話すぎる。

でも、私は樹ちゃんの話に淡い信憑性を感じていた。

突飛だというのなら、まず友奈ちゃんが2人になってる時点で大概なのだし。

「ねえ友奈ちゃん。その鏡って、ずっと友奈ちゃんの机の上にあったんだよね?」

「「うん」」

2人の友奈ちゃんが頷く。

「だとしたら……推測に推測を重ねるけど、こういう可能性は無いかしら。

 夜中、何かの拍子で友奈ちゃんが起きだして、それからまたベッドに戻った。

 それがちょうど新月の日の夜0時か2時か、それは分からないけど、何かしらの力で鏡が異世界に通じている時間で、

 気づかないまま友奈ちゃんは並行世界に移動した。この部屋の配置だと、ベッドに行くのに机の前を通るもの。

 そしてそのまま、友奈ちゃんは世界を移動した事に気づかないままベッドで眠った……

 それなら、朝2人で一緒に眠ってた事はどうにか辻褄が合うと思うの。

 友奈ちゃんに違いが無いのも、すぐ隣の並行世界なら違いが分からないくらいでも仕方ないでしょう?」

トイレに立ったとか、喉が乾いて起きたとか、暑くて起きたとか、起きだす理由はいくらでもある。

強引ではあるけど、ようやく立った1つの仮説だ。心細くても1つの指針にはなると思う。

「うーん、覚えてないよ……でも」「覚えてないから、もしかしたらそうなのかも」

当事者の友奈ちゃんからも、明確な否定の声は出ていない。

その様子を見て、しばらく黙りこんでいた風先輩が口を開く。

「よし、それじゃその平行世界っていうのが正しいかはともかく、とりあえず鏡が原因だと仮定してそのお店に当たってみましょう!

 他に手がかりも無いし、できることからコツコツと、よ。」

「了解よ。友奈、東郷。お店の場所はしっかり覚えてる?」

「ええ、大丈夫。昨日の事だもの。」

「なら良いわ。道案内は任せたわよ。」

「それじゃ、さっそく……」「勇者部、出動だよ!」

そう元気に声をあげて、私たちは外へと向かった。



 そのはずだったのに、あれから数分。私たちはまだ友奈ちゃんの部屋に居る。

「絶対だめだよっ!東郷さんの後ろは私の定位置なんだから!」

「東郷さんの車椅子を押すのは私の仕事だもん!これだけは譲れないよっ!」

ぐぬぬぬぬぬ、と顔を向け合う2人の友奈ちゃん。

出発しようとした矢先、2人同時に私の車椅子に手をかけて、それからはずっとこんな様子。

さっき揉めてた時よりも更に仲が悪くなってるみたい。

「アンタら、それいつまでやってるのよ……もうジャンケンか何かで決めれば良いじゃない。」

夏凜ちゃんが心底バカバカしいといった感じでそう提案しても、

「やだ!」「絶対譲りたくない!」

って言って聞かない。

友奈ちゃんがそんなに私の車椅子の後ろっていう定位置を大切に思ってくれてるなんて……

むすっとしてる友奈ちゃんには申し訳ないけど、悪い気はしない。ううん、それどころかすっごく嬉しい。

普段は気遣いばかりしてる友奈ちゃんがこんなふうに我が儘を言うのなんてとても珍しい事なのに、

その珍しい行動を取ってるのが、私の車椅子を押したいって理由だなんて。思わず頬が緩くなる。

そんな様子を見ていた風先輩が、大きくため息をついた。

「はあ……まったくこの子は。ああ、この子たち、か。

 友奈、どきなさい。そのままずっと争っててもしょうがないから私が押すわ。

 それで良いわね?」

風先輩がそう提案するけど、今の友奈ちゃん達がそれで納得するなんて思えな――

「あっ……ごめんなさい。お願いします。」「私も、お願いします。」

???

あれだけ争ってた友奈ちゃん達が、今まで揉めてたのが嘘みたいに素直に引いた。

頭の中が疑問符で埋まる私を見て、風先輩が意味ありげに笑う。

「東郷だと逆に気づきにくいのかもしれないわね。

 でも、私はこれでも先輩で、部長なのよ。

 ……たぶん、友奈本人もよく分かってないでしょうけどね。」

そう言って、私の後ろを押してくれる。

けれど、言葉の意味はやっぱりわからなかった。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


 その後、昨日の場所に到着しても例の露店は影も形もなかった。

もしかしたら別の場所でやってるのかもと思い、皆で捜索したけれど発見できず。

残された手がかりは、友奈ちゃんの部屋にある鏡だけになった。

深夜0時、2時の鏡。樹ちゃんの話では月齢も条件の一つかもしれないっていう話だったけれど、

それでも何か起こるかもしれない。私たちは、それを確認するために皆でお泊りする事にした。



「で、それでなんで私の家に泊まる事になるのよ……」

夏凜ちゃんがそう文句を言う。私たちは今、勇者部全員で夏凜ちゃんの家に押しかけている。

「ごめんね夏凜ちゃん。」「でも、私や東郷さんの家で私が2人居るなんてなったら、びっくりさせちゃうから」

「それなら風と樹の部屋でも良いじゃない!」

「うちに6人はちょっとねぇ。夏凜の部屋は防音性も高いじゃない?」

「はぁ……まあ良いわ。それで、深夜0時だっけ?それまではゆっくりしてなさいよ。」

夏凜ちゃんは口ではなんのかんの言うけど、本心から拒否してるわけじゃないのは態度でわかる。

夕飯は風先輩と私の合作で、みんな喜んで食べてくれた。

普段のバリアフリーキッチンではないので難儀したけど、その甲斐もあったようだ。

夏凜ちゃんも、「悔しいけど、やっぱり美味しいわね……」なんて唸ってる。

友奈ちゃんの前で楽しく食事するのは申し訳ない気持ちになるけど、

悲しそうな顔をしたり、遠慮したりしたら、友奈ちゃんは責任を感じて余計に悲しむ。そういう子だ。

だから私たちは、笑って過ごした。



 夕飯の後は、順番にお風呂に入る事になった。夏場だから、しっかり汚れを洗い落とさないと。

「東郷さんっ!」「一緒に入ろうっ!」

って2人の友奈ちゃんが駆けてきて、またにらみ合いになる。そろそろこの状況にも慣れてきた。

「もう、友奈ちゃんったら。さすがに3人一緒は無理だよ。」

って言ってから、ハッとする。しまった。これだと……

案の定、バチバチと熱視線を衝突させる2人の友奈ちゃん。

「ごめんね、もうひとりの私。これだけは譲れないんだ。」

「謝らないで良いよ?東郷さんと一緒に入るのは私だから。」

そう言って睨み合う2人の友奈ちゃん。

でも、そこまで宣言したあたりで止まっちゃった。

困ったように眉根を寄せる。まるで、どうしたら良いのか分からないみたいに。

ああ、そっか。友奈ちゃん、人に暴力なんて振るわないし、口喧嘩なんかもしないから……

そして、しばらく悩んだ後にまたさっきと同じような光景が繰り返される。

「と、とにかく、私が一緒にお風呂に入るから、諦めて!」

「それはこっちの台詞だよ!絶対に譲らない!」

このままじゃキリがない。どうしようって思ってたら、そこに夏凜ちゃんのお叱りが飛んだ。

「あぁー、もう!鬱陶しいったらない!

 もうとっととアンタら3人で入っちゃいなさいよ!ちょっと無理すれば3人くらい行けるわよ!」

そう言って、ぐいぐいと2人の友奈ちゃんを脱衣所に押し込める。さすがに車椅子の私は一緒に押せないようだ。

「でも夏凜ちゃん、一番風呂だし。」「お湯も溢れちゃうよ。私たちはお風呂入るのは後でも……」

「やかましい。アンタらがその調子だとこっちも疲れるのよ!

 東郷も後から向かわせるから、とっとと入る!」

そういって、バタンと脱衣所の扉を閉める。

「ほら東郷も。とっとと入っちゃいなさい。

 あの2人だけにしてたら、どうなるか分からないわよ。」

と促されたので、私は友奈ちゃんの分まで着替えを持って脱衣所へと向かった。



――夏凜視点

 東郷が風呂場の方へ行ったのを見届けてから、はぁ、と溜息。

『おつかれさまです』

って樹が労ってくれる。

わざわざ文字に起こしてまでそう言ってくれた事がなんだか嬉しい。

「ん、ありがとう。樹。」

でも、やっぱりすぐに友奈の事が気になってしまう。

「友奈は、どうしちゃったのかしら……」

私の知ってるあの子は、いつだって誰かと仲良くしてて、

真正面から誰かと喧嘩するなんて想像も出来ないような子だ。だから、普段との違いについ戸惑う。

友奈を止めたくてつい咄嗟にまとめて放り込んじゃったけど、これで良かったのかしら。

そんな私を見て、風が慰めるように言う。

「仕方ないわよ。これに関しては、私たちだけじゃなくて、東郷にもどうにも出来ないもの。」

「なんだか、友奈がなんであんな風になってるのか分かってるような事を言うわね?」

『そうなの?』

「わかってるつもりではあるんだけどね……もしかしたら、まったくの見当外れかもしれないわ。

 そんな確証の無い話で良いかしら。」

「構わないわ。」

『おしえて』

「それじゃあ言うわ。といっても、もったいぶるような事でもないんだけど。

 理由は3つあるけど、まず1つ目の理由は、東郷の目ね。」

「目?」

「そう。2人だって分かるでしょ?東郷が友奈を見る目は、恋する乙女そのものだって。」

「それは、まあ分かるわよ。あんなに全身から愛情が溢れてる子なんて見たこと無いもの。

 いつだって友奈の事を見つめてるけど、愛おしそうな目っていうのはああいうのを言うんでしょうね。」

実を言うと、転校したばっかりの頃はてっきり2人は付き合ってると思ってたくらいだ。

私がそう答えるのと一緒に、樹もコクコクと頷いてる。

「そう。東郷は恋する乙女で、どこまでも一途なのよ。いつも友奈の事を見つめ続けてきた。

 ……だから友奈は、自分以外の誰かをそんな恋焦がれるような目で見てる東郷を見たことが無い。

 そうでなくとも、東郷にとって一番大切なのはいつだって友奈だったのよ。

 それが今日になっていきなり、東郷が自分以外に熱い視線を向けだして、自分と同じくらい大切にされる子が現れた。

 東郷はいつも通りに友奈を大切にしてるだけなんだけど、友奈からしたら怖くなるわよね。」

そう言われると一応の納得は出来る。

友奈と東郷の仲の良さは尋常じゃないから、それが突然脅かされたら怖いでしょうね。

外から見てる分には、ベタベタしてるようにしか見えないのに。

「なるほどね。まぁありそうな話だわ。次は?」

「2つ目の理由だけど、友奈は……自分の気持ちをちゃんと理解できていないの。

 少女漫画を読んでも、恋愛小説を読んでも、『恋愛は私にはちょっと早いみたいです』って言う子だから。

 東郷さん、東郷さんって必死にくっついてる今も、それは変わってないはず。

 でも、ただ理解してないってだけであって、友奈が東郷に並々ならぬ好意を抱いてるのは変わらないから、

 無意識にお互いを『東郷さんに好意を持ってベタベタしてる子』って見ちゃうんでしょうね。

 どうして不安になるのかも分からないず、ただ東郷を取られる恐怖に急かされるままに東郷にくっついて、

 どうしてもう1人の自分に対抗心を抱いてるのかもわからないまま、必死に張り合い続ける。

 本人にもよく分かってないから歯止めも効かずに、どんどんエスカレートしていく。」

「私も、そういった事にはあんまり興味無いからよく分からないけど……

 そういうものなの?」

『そういうものなんですよ』

樹は胸を張ってしたり顔でスケッチブックにそう書くけど、

やっぱり占い師なんてやってると恋愛とかには詳しくなるのかしらね。

「まぁ、よく理解は出来なかったけど、そういうものだと思っておくわ。

 それで、最後の1つは?」

「最後はね、本当にしょうもない理由なんだけど。

 相手が自分自身だからだと思うのよ。」

それだけ言われても、さっぱりわからない。樹も分からなかったみたいで、疑問をスケッチブックに書いてる。

『どういう意味?』

「言葉が足りなかったわね。友奈はいつだって人との関係を大切にしてる。

 単純で元気な子って感じに振る舞ってるけど、ああ見えて身内での揉め事とかが凄く苦手なのよ、あの子。

 そんな友奈だから……そうね。例えば、誰かが恋愛感情を持って東郷にラブレターを出したとするわ。

 それに対して内心で涙を流す事はあっても、ううん、実際に泣いちゃうかもしれない。

 もしかしたら対抗心を燃やして、真っ向から相手しに行く事もあるかもしれない。

 それでも、その相手と険悪な関係になるようなぶつかり方まではしないと思うのよ。

 だけど今回は相手が自分だから、そういった制止が働かない。」

『ある意味友奈さんらしいね』

「ああそっか……友奈はいつだって人を大切にするけど、自分を顧みない所があるものね。

 でも自分が2人になったからって、それがそのまま適用されるなんてそんな単純なものなの?」

「さっきも言ったように、確証はないわ。でも、そう大きく外れてないとは思ってる。

 でも、こればっかりは友奈本人の気持ちの問題だもの。

 私たちに出来る事は、今起こってる事の原因を確かめて、解決する。それだけよ。」

「そうね。友奈があんな調子だと、こっちまで調子が崩れるもの。

 とっとと解決して、笑い話にでもしちゃいましょ。」

『がんばります!』

そこまで話したら、一段落した事もあって空気が緩んだ。

話すべき事は話したと判断したのか、風が話題を転換させる。

「そういえば、お風呂は大丈夫なのかしらね。

 夏凜の家に泊まるのは初めてだけど、3人も入れる作りなの?」

「ん?ああ、それは問題ないわよ。単身者向けなのに、お風呂はけっこう広いからねここ。

 なんなら、アンタら姉妹も一緒に入る?時間の短縮にもなるし。私は最後で良いわ。」

そう言うと、風の目がいたずらっぽく輝いた。片方は眼帯で覆われてるけど。

「そっかー、"3人でも平気"なのね。ありがとう。

 でも、"夏凜が先に入って"よ。"私たち姉妹は後から入る"からさ。」

なんだろう。今何か風のしゃべり方が変だったような。

樹が呆れたような顔で風を見てるし、何か企んでないでしょうね……

まあ良いわ。先に入れっていうなら先に入るだけよ。



――東郷視点

「東郷さん、気持ちいい?」

「強かったり、弱かったりしたら言ってね?」

2人の友奈ちゃんは今、私の体をごしごしと洗ってくれてる。

普段から友奈ちゃんはよく私を洗ってくれるけど、それは背中を流してくれるくらいなのに、

今日に限っては体中をくまなく洗おうとしてくる。

恥ずかしいけれど、友奈ちゃんが相手ならそれは別に良い。でも。

「ね、ねえ友奈ちゃん。ちょっと近すぎないかな?」

ただ私の体を洗うだけじゃなくて、体をべったりとくっつけるようする友奈ちゃん達。

1人は腕に抱きつきながら、1人は背中を抱きしめながら、器用に他の部分を洗ってくれる。

最初は普通に洗ってたんだけど、1人が距離を詰めるともう1人が対抗して、

今じゃもう洗ってるのか体を擦り付けているのかも分からない。

体が友奈ちゃんの感触に包まれて、気持ちよさと恥ずかしさが交じり合って意識がとろんとしてくる。

「そんな事ないよ。これくらいならぜんぜん。」

「ねー♪」

「友奈ちゃん。なんで揉めてたのにこんな時だけ同調するの。」

今では私の体だけでなく友奈ちゃんの体も泡まみれで、その泡が潤滑油となって

2人分の友奈ちゃんの胸のふくらみがヌルヌルと私の背中と腕を撫でていく。

それと同時に、私を洗っている友奈ちゃんの手も絶妙な力加減で体を摩擦して快楽を生む。

そんな極楽のような状況にも関わらず、私の頭はどこか冷静だった。

だって、楽しそうな声をあげて、明るい表情で私を洗い続けてるはずの友奈ちゃんが、

何かに怯えて私にしがみついてる小さな女の子みたいに見えてしまって、

けれど私にはその恐怖を拭い去ってあげる方法が分からない。

あなたのために私がしてあげられる事なら、なんだってしてあげるのに。

あなたが私に対してしたい事があるなら、なんだってさせてあげるのに。

友奈ちゃんを心からの笑顔にしてあげられない事が酷く悲しかった。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


――友奈視点

 時間は過ぎて0時前。

お風呂を出た後は、特に何事も無く時間が過ぎていった。

変わった事といったら、夏凜ちゃんの入浴に風先輩と樹ちゃんが乱入しにいった事くらい。

お風呂からあがった夏凜ちゃんは茹でられたタコみたいに真っ赤になってたけど、何があったんだろう……

「そろそろね時間ね。樹ちゃん、これからどうすれば良いのかしら。」

『平行世界を覗くには合わせ鏡が良いって言われてます。

 けど、友奈さんの部屋には合わせ鏡になるような位置に鏡はありませんでした。

 まずは普通に覗くだけで良いと思います。駄目なら色々やりましょう』

「わかったわ。」

返事をして、時間を待って鏡を覗きこむ。

私も皆の後ろからひょこっと覗いたら、そこに写っていたのは何の変哲もないリビングの景色だった。

「これはまた、すごいわね。」

って夏凜ちゃんが驚いた声をあげる。私もびっくりしてる。

「ええ。まさか誰一人として鏡に映ってないなんて。」

そう、鏡に映し出されているのは部屋だけだったんだ。

「ええっと、これって平行世界の夏凜ちゃんの家って事なのかな?」

って疑問を口にすると、樹ちゃんがうなずく。

『たぶんそうです。

 夏凜さんの寝室を映してみましょう』

そう言って夏凜ちゃんの寝室に鏡を持って行って、ベッドの辺りを映してみる。

『やっぱりです』

鏡を覗きこむと、そこには眠っている夏凜ちゃんが居た。

もちろん、こっち側に居る夏凜ちゃんはまだ元気に起きてる。

「確定ね。この鏡が並行世界に繋がっているっていうのは本当。

 どっちか片方の友奈が並行世界から来たっていうのも間違い無いでしょう。」

って風先輩がまとめる。

そっか、私もこの子も偽物なんかじゃなくて、どっちかが隣の世界から来ただけ。

そう思うと、安心感から気が抜けていく。

本当はちょっと不安だったんだ。

私が実は、自分が本物だと信じてるだけの偽物なんじゃないかって考えちゃったり。

私が大切にしてる思い出も全部が偽物で、結城友奈の偽物である私を勇者達が倒して、

本物であるもう1人の私が皆とずっと仲良く過ごす日々に戻るハッピーエンド。

私自身は、お父さんお母さん、東郷さんや勇者部のみんな……

そういった、私が一方的に大切に思ってる人たちの心にも残らない。

ううん、もっと酷い。迷惑をかけて困らせた偽物と思われたまま、1人で寂しく消えていく……そんな妄想。

でも平行世界から来ただけなら、私かもう1人のどっちかが元居た世界に帰ればそれで元通りだよね。

何も心配なんて要らない……あれ?元の世界に帰れば?

「ね、ねえ樹ちゃん!」「あっちの世界の私って、もしかして行方不明!?」

もう1人の私も同じ事に思い至ったみたいで、一緒のタイミングで疑問を口にする。

『たぶん、そうだと』

「どうしよう。いきなり私が居なくなったから、みんな心配しちゃってるかも!」

「これって、今すぐ向こうに行けないかな!?」

そう言って2人で鏡面に手を触れるけど、スルッっと鏡の向こうに手が届くなんて事はなくて、

ただ鏡の硬い感触が指先に伝わるだけだった。

「落ち着いて友奈ちゃん。2人一緒にあっちの世界に行っちゃったら本末転倒よ。」

「そ、それはそうだけど!」「でもっ!」

「それに、どっちの友奈があっちの世界に行くつもりなのよ。

 どっちがこの世界の友奈で、どっちがあっちの世界の友奈か分かってないんでしょ?」

『夏凜さんの言う通りです。

 間違えて違う方を送り返したら、あとあと何か悪い事に繋がるかもしれません』

って、皆にいさめられて、少し落ち着いた。

うん、きっと平気。まだ1日だもん、そんなに心配かけてないはず。

「ごめんね皆。ありがとう、もう大丈夫。」

私がそう言うと、風先輩が、パンパン、と手を叩いて皆の注目を集めて話をまとめる。

「とにかく、やるべき事は定まったわ。

 1つは、平行世界への行き方を調べる事。1ヶ月先の新月までは待てないもの。

 1つは、どっちの友奈が並行世界から来たのか調べる事。その2つね。

 まずは今のうちに、鏡を使って色々試してみましょう。」

そうして私たちは、色々な事を試してみた。

合わせ鏡にしたり、合わせ鏡を紐で結んでみたり、ろうそくを置いてみたり、話しかけてみたり。

でも何の変化もなくて、30分くらいした辺りで鏡はまた普通の鏡に戻っちゃった。

さすがにもう夜も遅いから皆でおやすみ。悩んだりするのは明日に持ち越しだ。

2人の私と東郷さんが一緒に床の布団で寝て、ベッドでは夏凜ちゃんが風先輩と樹ちゃんに挟まれてぐっすりと眠った。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


 朝の日差しが目に入って、私は目を覚ました。

東郷さんの声でもラッパでも目覚ましでもなく、自然に起きるのってなんだか久しぶりだ。

ふぁ~あ、とあくびして周囲を見回す。

あれ?ここ、どこだっけ……?

いつもの自分の部屋じゃないよね。

回らない頭でぼけーっとしながらも周囲を見渡すと、少しずつ思い出してきた。

ああそっか、昨日は夏凜ちゃんの家でお泊りだったっけ。

ベッドを見ると、夏凜ちゃんが風先輩と樹ちゃんにぎゅっと抱きしめられて、

幸せそうに緩んだ顔して眠ってる。なんだか3人で姉妹みたい。仲良しさんだ。

そこまで確認した時点で、急激に脳が覚醒する。そして、気づいちゃう。

――東郷さんはっ!?もう一人の私はっ!?

昨日ずっと私を蝕んでた恐怖感が、ぞわぞわと這い上がってくる感覚に襲われそうになった。

ぶんぶんって頭を振って恐怖を振り払う。うん、きっと先に目が覚めただけだよ。

『あー、ずるいよ2人とも!私も混ぜて!』なんて明るく言って混ざれば大丈夫。

そう考えながら、震える手でリビングへのドアをそ~っと開く。思った通り、2人はそこに居た。

「もう、友奈ちゃんったら。」

「えへへ、ごめんね東郷さん。」

話の前後は分からないけど、そんな会話が聞こえる。

もう一人の私が東郷さんの髪を梳いていて、東郷さんはそれに身を任せてゆったりとしてる。

東郷さん、すごく幸せそうにしてる。安心して身を任せてるのがよく分かる。

もう一人の私も、幸せそう。ううん、幸せなはずだ。今のあの子の気持ちは、私が世界で一番良く分かる。

手のひらが汗でじわっとにじむ。

やだ、どうしよう。私だけが置いて行かれてるみたいで、なんだかすごく怖い。

言わないと……!ぱーってあそこまで走って行って、私も混ぜてって!東郷さんと一緒が良いって!

そう思って足を動かそうとするけど、自分の心のなかから、それを押しとどめる声がする。

――東郷さんはあんなに幸せそうなのに、私が行ったらまた昨日みたいに困らせちゃうかも。

でも、だって、私だって……私だって東郷さんと一緒に居たい。

――あの2人の幸せに、私は邪魔にしかならないのに、そんな我が儘を言って良いのかな。

違う、違うよ。だって本当なら、あそこに居るのは私のはずで!

――本当って何?私は別の世界から来ただけかもしれないのに。

  あの東郷さんと一緒に苦楽を乗り越えてきたのはあの子の方かも。

その可能性はもう一人の私も一緒だよっ!なんで私だけが我慢しなきゃいけないのっ!?

自分の心の中の声に1つ1つ反論するけど、どんどん前に進む勇気が無くなっていく。そして。

――そんな事したら、東郷さんに嫌われちゃうかも。

そんな声を前にして、私はとうとう前に進めなくなってしまう。

初めて樹海に放り出された時よりも、バーテックスと戦う事になった時よりも怖い。

これから私は、あの2人の幸せな時間の邪魔をしに行かないといけない。

そのせいで東郷さんに、邪魔者を見るような目で見られたら。ため息なんてつかれたら。

私はきっと立ち直れない。

気がつけば、私は前に進むことを完全に諦めて、リビングへと通じるドアをゆっくりと閉めていた。

「ひぐっ……」

喉から変な声が出てくる。

「ううっ……ぐすっ……」

視界がにじむ。泣き声が勝手に漏れる。

これ以上あの2人を見ていたくなくて。泣き声を誰かに聞かれるのも嫌で。

私は布団にくるまって、膝を抱えて座ったまま声を押し殺して泣いた。

泣きながら、幸せだった頃の記憶を思い出す。

一緒にお出かけして、公園で東郷さんの作ったぼた餅を一緒に食べて。

今はもう、そのぼた餅の味だってわからない。その事を思い出したら、ますます涙が出てきた。

「ひっく……やだぁ……やだよぅ……」

自分の大切なものが、次々とこぼれ落ちていっちゃう。どうしたら良いのかもわからない。

そうやって泣き続けていたら、上から声がかけられた。

「一人で泣いてたら、余計に悲しくなっちゃうわよ。」

ばさっと布団が剥ぎ取られる。

そこには、いつの間に目を覚ましたのか、風先輩が立っていた。

「ぐすっ……風せんぱい……?」

風先輩はわたしの隣に座ると、ぽんぽん、と優しく背中を叩いてくれる。

「ごめんなさい、見通しが甘かったわ。

 こうなる可能性は予想して然るべきだった。」

「風先輩が……ひっく……謝るような事なんて、何もないです。」

だって私が勝手に悲しくなって、勝手に泣いてるだけなんだから。

「いいえ。私は、友奈の心が傷ついてるのを分かってた。

 けれど、今の状況さえ解決すれば大丈夫だって、そう油断してたわ。

 もしかしたら、もっと打てる手もあったかもしれないのに。」

「そんなの、やっぱり、風先輩は何も悪くな――」

そう言おうとしたけど、風先輩にそっと頭を撫でられて言葉が続かなくなる。

「これは私の身勝手な気持ちなのよ。

 友奈。あなたはいつだって皆を思いやって、時には牽引していく自慢の後輩よ。

 ううん、あなただけじゃない。私の後輩は皆凄い子ばっかり。夏凜には言えないけどね。

 でもだからこそ、後輩が悲しんでる時、辛い時くらいは支えてあげられる先輩で居ようって決めてた。」

しゃべりながら、優しく私の涙を拭っていく。

「私は友奈の今の気持ちを、全部解決してあげる事は出来ない。

 でもね、ほんの少しくらいは支えてあげる事は出来るって思ってる。

 だから、信じて。私がきっと、友奈の想像する最悪の未来にはさせないって。

 友奈が怯えなきゃいけないような事なんて、本当は何一つないんだって。」

そう宣言して、風先輩は私をまっすぐに見つめる。

その瞳の力強さに、だんだん私の中にあった不安が溶けていって、まるっきり杞憂だった気がしてきた。

「……はいっ。」

無理にでも笑顔を作る。支えてくれる人が居るんだ、私はきっと大丈夫。

「よろしい。まずはその泣き顔をどうにかしないとね。」

そう言って、風先輩はガサゴソと荷物を漁って色々取り出すと、私の顔を見られる状態にしてくれた。

「さーて、んじゃ行きますか。友奈もついてきなさい。」

そう言って、さっき私があんなにも怖がったドアを気軽に開ける。

一瞬ビクっとしちゃったけど、風先輩が言うんだから平気なはず。そう思ってついていく。

何故だかさっき見た時と違って、もう一人の私は東郷さんからちょっと離れた所に座ってた。

「おはようございます、風先輩!……と、私。」

「おはよう、友奈ちゃん。風先輩。」

って、2人が挨拶してくる。

東郷さんが優しい声で挨拶してくれただけで気分が舞い上がった。

「お、おはよう!東郷さん!……と、私。」

「おはよう、東郷、友奈。早速だけど、朝ごはん作っちゃいましょう。

 すごいの作って皆をびっくりさせるわよ。」

「は、はい。ですが……」

そう言って、チラっと私たちの方を見る。

昨日さんざん衝突したから、2人きりにしたらまた喧嘩しないか心配させちゃってるのかな。

「大丈夫よ。安心しなさいって。んじゃ友奈、東郷借りてくわよー。」

「風先輩っ!?」

風先輩、東郷さんを車椅子に乗せて連れていっちゃった。リビングには2人の私が残される。

昨日からずっと、私同志で2人っきりになるタイミングが無かったから、なんだか緊張しちゃう。

何を喋ればいいのかなって迷ってたら、もう一人の私が口を開いた。

「ごめんね。」

急に謝られた。ちょっと意味が分からない。

「えっと……?」

「気づいてたんだ。さっき、ドアを開けたよね。」

バレてないと思ってた事を指摘されて、瞬間的に顔がカッと熱くなった。

怒りなのか、羞恥なのかも自分じゃよくわからない。

でもそんな事より、気になる事がある。

「それで、なんで謝るの?」

「最初は、ごめんだなんて全く思わなかった。

 あなたの来ないうちに東郷さんと過ごせて良かったーくらいに思ってた。

 でも、一向に来ないあなたに気づいて。

 逆の立場だったらどう思うだろうってつい考えちゃって、そしたら、すごく怖かった。

 ちょっと想像しただけであんなに怖いんだから、きっとあなたはもっと怖い思いをしてるんだろうなあって思っちゃった。

 私がそんな気持ちにさせちゃったって考えると、すごく申し訳ない気持ちになったんだ。」

「そっか、あなたは私だもんね。わかっちゃうよね。」

「うん、でもやっぱり分からない事もあるんだ。

 私は……私たちは、なんでこんなに怖い気持ちになるんだろ?」

「それは……」

なんだろう。考えちゃいけない気がする。気付いちゃいけない気がする。

それはきっととても悪いものだ。東郷さんと一緒の未来に影を落とすものだ。

結局私は考える事を拒み、答えを出す事もせず

「なんでだろね?」

とだけ返した。もう1人の私も同じように、それ以上考える事を放棄したみたいだった。

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最終更新:2015年08月22日 23:45