H3・292

―――寝る前の話


病室のベッドの上で、友奈と東郷は両手をつないで向き合った形で静かに横になっていた。
秋の夜の涼しい気温のおかげもあって、さっきまでの火照った空気は完全に消え去っている。

今居る病室は、消灯時間を過ぎているにも関わらずまだ明るかった。それこそ、お互いの表情まではっきり見えるほどに。
電気をつけているわけではない。友奈のベッドのすぐ隣には大きな窓があり、そこから月の光が柔らかく室内を照らしてくれているのだ。

(綺麗な光……。
 私は、友奈ちゃんの病室に差し込む夕日が嫌いだった。
 夕日の時間は友奈ちゃんとの別れの時間になるから。
 でも……その後には、こんな景色が待っていたのね。)

正面を見る。

(友奈ちゃんの顔もよく見える。昨日までとは違う。起きて、こっちを見返してくれてる。それがとても嬉しい……
 でも、どうしたのかしら。友奈ちゃん。またぼーっとしてる。やっぱりさっきので疲れちゃったのかな)
(憂いのある表情で、月光に照らされる東郷さん。すっごく絵になるなぁ)

いつも通りの2人に戻っても、やはりお互いに相手の事を見つめる事に変わりはないのだった。

「それじゃ、そろそろ寝ましょう?友奈ちゃん。
 体も拭いたし、電気も消した。あとはゆっくりと体を休めて明日に備えないと」

そう言って、目を閉じるが――

「ねね、東郷さん。まだ眠くないし、少しお話しよう?
 さっきから色々いそがしくて、あんまりお話できてないよ」
「駄目よ。友奈ちゃんはまだ治ったばっかりなんだからしっかり休まないと」
「平気だよ。もうずっと休んでたようなものだもん。
 それに、東郷さんっていつも遅寝だから、こんな時間じゃ寝られないんじゃないかなって」

東郷は、勇者部の中では最も寝るのが遅いグループに属する。ちなみに、そのグループには東郷の他に樹が属している。

「それは、そうなんだけど。
 でも友奈ちゃん。この病院の起床時間は朝6時だったはずだよ?早く寝ないでだいじょうぶ?」
「うう、ちょこーっと、早いねそれは……
 でもだいじょうぶ。それなら1時間くらい寝るのが遅くなってもまだまだ寝れるよ!」
「もう友奈ちゃんったら。しょうがないんだから」

そう言いながらも、言葉とは裏腹に東郷の表情は楽しそうにほころんでいる。

東郷からしても、友奈と話がしたい、友奈の声が聞きたいという思いは強いのだ。
友奈の体調を気にして抑えるつもりだったが、友奈が元気でまだ眠れないと言うのなら是非もない。
そこで東郷は、少し前から気になっていた事を聞く事にした。

「友奈ちゃんは――」
「うん」
「友奈ちゃんは、眠ってる時の事を覚えてるの?」
「全部かはわからないけど、東郷さんのお話してくれた事は沢山覚えてるよ」

友奈は入院中に東郷が語ってくれた事を1つ1つ挙げていく。
勇者部のみんなの散華が順調に治ってきていること。東郷の記憶もおぼろげに戻りつつあること。
風先輩がまたおかしな事を言い出した時のこと。樹がオーディションに合格したこと。
夏凜が友奈のぶんまで戦おうと日々頑張っていること。
文化祭に向けて用意をしながらも、みんなが友奈の帰りを待っていること。
そういった勇者部での日々はもちろん、中庭の花が綺麗に咲いたこと、大きな虹が出たこと等、
東郷の語ってくれたごく細かな出来事までを思いつくままに挙げていく。

「すごい。細かい事までみんな覚えてるんだね、友奈ちゃん」
「あははっ。聞き逃した事はあるかもしれないけどね。聞いた言葉は忘れないよ」

とはにかむ友奈。それを見て東郷の胸が詰まる。

(覚えてて、くれたんだ)
(――友奈ちゃんに語りかけたあの日々の言葉は、ちゃんと届いていた)

それは、東郷の中にずっとあった不安だった。

毎日毎日友奈に語りかけながらも、自分のやっている事はただの自己満足なんじゃないかと自問した。
もう二度と目を覚まさないんじゃないかと不安になった事なんて数知れない。
でも、それは無駄じゃなかった。しっかりと友奈に届いていたのだ。
嬉しさから感極まってしまい、東郷の視界がにじんでいく。
いつしか、東郷の目からは涙がポロポロと流れ落ちていた。

「……東郷さんっ!?」

それを見て焦ったような声を上げる友奈。

「どうしたの!?どこか痛い!?お医者さんを――」
「ううん、ごめん、違うの。なんだか嬉しくなっちゃって」

慌てる友奈を制止して、微笑みかける。

「友奈ちゃん。帰ってきてくれてありがとう」

それを聞いた友奈は、一瞬目をぱちくりと瞬いた後、困ったような顔になる。

「それはこちらこそだよ……遅くなっちゃったけど、東郷さんにずっと言いたかったんだ。
 ありったけの、ありがとうを」

東郷の目をしっかりと見据えて話す。

「待たせちゃってごめんね、東郷さん。私のせいで、辛い思いをさせちゃった。
 ずっと一緒って約束したのに、長い間東郷さんの隣を歩けなかった。
 東郷さんが悲しんでいるのが分かってるのに、その悲しみを止められなかった」

そこで一旦言葉を切り、続ける。 

「でも、ごめんねの気持ちよりも、もっと大きい気持ちがあるんだ。
 私の心からの感謝の気持ち。
 『ありがとう、東郷さん。』って、いつだって東郷さんに言いたかった。
 ……バタバタしちゃってなかなか言えなかったけど。

 意識の無い私に、ずっと寄り添っていてくれてありがとう。
 私のために、沢山のお話をしてくれてありがとう。
 諦めないで、私の事を待っていてくれてありがとう。

 学校生活で忙しい時もあったはずなのに。
 東郷さん自身のリハビリだって大変だったはずなのに。
 それでも東郷さんは毎日毎日来てくれた。
 私の大好きな優しい声で、私が戻った時のために色々な事を教えてくれてた。
 私はいつだってずっと、そんな東郷さんに救われてたんだ。
 何もない暗闇の中で。体の感覚すら無くて、怖くて怖くてたまらなくて。
 東郷さんやみんなが語りかけてくれる言葉だけが、私にとっての世界だった。
 それが無かったら、きっと私はここに帰って来られなかったと思う。
 だから、本当に……ありがとう。東郷さん」

友奈はそうやって、心からの気持ちを述べる。

(本当は、もっともっと言いたい。
 東郷さんへのありがとうを、いつまでだって語りたい。
 でもこの気持は、きっと言葉なんかじゃ10分の1も伝わらない)

そう思いながらも、それでも少しでも伝わって欲しくて。東郷の目を見て気持ちをぶつけていく。
しかし、それを受けた東郷はその視線から目をそらし、悲しそうに顔を伏せた。

「ちがう、ちがうの友奈ちゃん。 感謝なんてされる事じゃないの。
 だって……元はと言えば、友奈ちゃんがそうなったのだってみんな私のせいなんだから」

「……うん、知ってたよ、東郷さん。東郷さんが、そうやって自分を責めてた事。
 私にお話をしてくれてる時でも、何かの拍子によく言ってたよね。『私のせいで』って。
 でもね、そのたびにずーっと、ずぅーっと。言いたかったんだ。
 私は東郷さんのせいだなんて思ってないって。
 それどころか、感謝してる。東郷さんのおかげで、今もみんな元気でいられるんだから。
 ……だからね、東郷さん。もう、自分を責めないで」

東郷に前を向いて欲しくて、笑顔になって欲しくて、慰めの言葉を語りかけていく。
しかし、それを聞いた東郷は困ったように眉根を寄せて、申し訳無さそうに礼を口にする。

「ありがとう、友奈ちゃん。
 ……わかってはいるの。みんな、私を責めたりしない。
 こうなったのは誰かが悪いわけじゃない。誰もが必死に足掻いた結果なんだって言ってくれる。
 私のせいで全身がボロボロになった夏凜ちゃんだって、真っ先に私への慰めを口にしてくれた。だけど――」

そう語る東郷の表情を見て、友奈の胸中が焦りと悲しみが生まれる。

(あ……だめだ。こんな言葉じゃ、東郷さんに届かない。
 東郷さんが自分を責めるのをやめて欲しいのに。東郷さんには、ずっと笑顔で居て欲しいのに)

「だけど、私が私を許せないの。こんなにも心の弱い自分の事が嫌い。
 だって、あの時の私は四国に住んでるぜんぶの人間を殺す気だったんだよ?
 勇者部のボランティアで行った幼稚園の子も、老人ホームの人たちも。何も知らない人たちみんなを殺そうとした。
 今みんなが元気で居られるようになったのも、みんなの頑張りのおかげ。ただの結果論。
 だから、私はみんなの優しさに甘えてて良い存在じゃない。」

そう語る表情は頑なで、既に揺るがない結論を出してしまっているかのようだった。

(なんで、なんでこうなっちゃうんだろう。
 私はただ、東郷さんに元気になって欲しいだけなのに。
 みんなだって、きっとそう思ってるはずなのに。
 東郷さんだけが、東郷さんを許してくれない。
 どうしたら……)

友奈は悩むが、東郷にかける言葉が出てこない。

(駄目だ。理屈詰めで東郷さんが納得してくれるような言葉なんて、ぜんぜん思いつかない。
 頑張れ、私の頭!どうにかして、東郷さんを納得させないと!
 だって、東郷さんにはずっと笑顔で居て欲しいから!)

しかし、やはりいくら考えても言葉が出てこない。
固まったように静止してしまった友奈を見て、東郷が更に申し訳なさそうにする。

「ごめんね、暗くさせちゃったね。
 だいじょうぶだよ。友奈ちゃんにも、勇者部のみんなにも迷惑はかけない。
 どうにか自分で罪を償っていくから、友奈ちゃんは心配しないで」

そして、その言葉を聞いて、友奈は考えるのをやめた。
東郷をしっかりと納得させる理屈なんていう、小器用な言葉の模索を投げ捨てた。
ベッドの上で体を起こすと、ずいっと東郷に体を寄せる。

「えっと……、友奈ちゃん?どうしたの?」

その言葉には返答せず、じーっと東郷を見つめる。

友奈は少し怒っていた。だって、今の東郷の言葉は、まるで友奈から離れて行くかのようにも聞こえたから。
楽しい時も辛い時も、いつだって一緒に過ごしてきた少女が、1人で罪を償うだなんて言うから。

(東郷さんの、わからずや)

だからもう、細かい事は考えない。わからずやに対しては、強引にいこうと決める。

(東郷さんは、心の弱い自分が嫌いだって言ってた。それなら私は――
 全力で、何度だって、東郷さんを大好きだって事を伝える!
 私がどんなに東郷さんを好きか。東郷さんがどんなに魅力的な女の子なのかって事を教えるんだ!)

「友奈ちゃん?」

返答の無い友奈を訝しく思い、再び東郷が友奈の名前を呼ぶ。
その声に反応するかのように、友奈が東郷の上に覆いかぶさる。

「ゆ、友奈ちゃん!?」

今度は焦ったような声色で、やはり繰り返し友奈の名を呼ぶ。
その耳元に、友奈はそっと優しく声をささやきかけた。

「大好きだよ、東郷さん。東郷さんが自分の事を許せないなんて、知らない。
 東郷さんが何て言っても、私が全力で許し続ける。だって、私は東郷さんが大好きだから」

「――――。」

友奈は言葉をなくす東郷を見つつ、そのまま東郷の体を抱きしめようとする。
しかし、両手を繋いだままでは手を背中に回す事ができなかった。

(抱きしめたかったけど、無理だよね。だったら――)

もぞり、と。2人のお腹のあたりでつないでいた手を大きく広げる。
ちょうど「十」の漢字のように手を広げた形になったまま重なり、
東郷の柔らかい胸やお腹にぴったりと体を押し付ける体勢になった。

「東郷さんが自分を嫌いだって言うなら。
 私はその10倍、東郷さんを大好きだって言うよ」

「な、なんで、どうしてそんな話に……ぅひゃあんっ!?」

話の流れに付いて行けていない東郷の頬に、チュッ、とついばむようにして、友奈の柔らかな唇が触れた。
その柔らかくも湿り気を帯びた生々しい感触と、確かに伝わる自分以外の体温に東郷が声を上げる。
友奈はそれに構わず、全身全霊で愛情をぶつける。

「だって、東郷さんがわかってないから。
 私がどんなに東郷さんを大好きかって事も。東郷さんが、どれだけ素敵な女の子なのかって事も。」

東郷が面食らったような顔になる。しかし友奈は止まらない。

「東郷さんがお隣に引っ越してきたその日から、私は東郷さんにすっかり惹かれてたんだ」

そう言って、東郷の長く艶やかな黒髪へと唇を這わせる。

「東郷さんと友達になれて、一緒に過ごせるようになって、それだけで毎日がどんどん素敵になっていった」

今度は、額へとキス。硬い感触が友奈の唇に届く。

「東郷さんの、頭の良いところも大好き。私の知らないような事をいっぱい、いっぱい知ってて。
 パソコンなんて、もう何がすごいのか分からないくらい凄いんだもん」

繋がったままの東郷の手を引き寄せて、指先にキス。

「東郷さんのお菓子も大好き。特にぼた餅なんて、讃州一の美味しさって言っても過言じゃないと思ってる。
 味覚が無くなった時だって、他の何よりも東郷さんのお菓子を食べられない事が悲しかった」

「東郷さんの、一つ一つの事にしっかりとこだわる所が大好き。
 何をするにしても凝り性で、次々にすごい事をする東郷さんに何度もびっくりした」

「東郷さんの髪が好き。真っ黒で、綺麗で、さらさらで。
 いくら触っても飽きない理想の髪」

「東郷さんの、柔らかい体も大好き。
 女の子らしさに溢れてて、こっそり何度も見とれちゃってた」

「ちょっと目を離すと、すぐにトリッキーな事をしだす東郷さんも大好き。
 だって、それは東郷さんの一所懸命さの表れだから。
 東郷さんが新しく何かするたびに、ずっとわくわくさせられてた」

喉にキス。手の甲にキス。手首にキス。腰にキス。
体のあちこちにキスしながら、ただひたすら好意をぶつける。

それは友情でもなく、恋慕でもなく、欲望でもない。
形や名前を得る前の、「あなたが好き」という根源的な気持ち。
大好き。大好き。大好き。大好き――
想いを言葉に乗せて、唇に乗せて、友奈は好意を示し続ける。

それを受けた東郷は、今も真っ赤になって硬直したまま戸惑っていた。
友奈が自分の事を好いてくれているのは知っていた。それが恋慕の気持ちではなくとも。
しかし、あらたまってその気持ちを正面からぶつける事など無かったのだ。
全身にくまなくキスされた経験だってもちろん無い。
混乱した頭に、とりとめのない思考がめぐる。

(嬉しい、恥ずかしい、やっぱり嬉しい――!
 そもそも、なんでこんな事になっているの!?
 私が自分の事を責めて。それを友奈ちゃんが止めようとしたのは分かるのだけど……
 でも、それがどうしてこんな状態に!)

どう考えても、友奈のやりたい事と、そのための行動が繋がっていない。むちゃくちゃだ。
そうしている間にも、友奈からの好意の証が全身に与えられている。

「東郷さんの車椅子を押す時間も、大好きだった。
 こんなに素敵な子の後ろが私の定位置なんだって、それがずっと自慢だったんだ」

「東郷さんの、たまにちょっと怖いところも大好き。
 いつだって、東郷さんが本当に怒るのはその人のためで。
 真剣に人の事を思いやってるからこそ怒ってた事を私は知ってるから」

「東郷さんの、その優しい声が大好き。
 朝その大好きな声で起こされて、起きてすぐ目の前には大好きな東郷さんが居て。
 それだけで、すごく幸せな朝になったんだ……ラッパの日はともかく」

首筋にキス。手のひらにキス。腹にキス。
東郷の唇だけを避けながら、ただひたすらに繰り返される「あなたが大好き」というメッセージ。

そこでようやく、東郷は悟った。

(ああ、なんだ……そういう事だったんだ。そんな単純な事だったんだ)

友奈の行動の意味が、心で理解できた。

(そうよね。誰だってそう。
 大好きな子が自分の事を責めていたら、きっと悲しい。
 私だって、友奈ちゃんが自分を責めてたら何度だって言うもの。自分を責めないでって。
 私が私を責めていたら、友奈ちゃんが悲しむ。たったそれだけの事を理解するのに、こんな大仰な事までさせちゃった)

あなたが大好き。だから、悲しんでほしくない。
それだけの事だ。

(我ながら、安いわね。
 これだけで、もう自分を否定する気なんて無くなっちゃったなんて。
 だって私は、世界で一番大好きな人がこんなにも大切に思っている子なんだもの。仕方ないよね)

「もういいよ、友奈ちゃん」

夢中になっている友奈に声をかける。
もったいない事をしてしまったような後悔に襲われるが、
だからといって必死に「大好き」を伝える友奈を放って楽しむわけにいかないのだから仕方ない。
すると、そこで我に返ったように友奈が止まった。

「ありがとう。友奈ちゃん。ようやくわかったよ、友奈ちゃんの気持ち。
 そうだよね。私が私を責めても、きっと誰のためにもならない。
 私が元気で居る事が、みんなのためにもなるんだよね」

「東郷さん――!」

嬉しそうに、友奈が顔をほころばせる。
やっと伝わってくれた事を、わかってくれた事を喜ぶように。

「でもね、1つだけ友奈ちゃんに伝えなきゃいけない事があるの」

「えっ……」

まだ何か問題があるのかと、不安そうになる友奈。
その頬に、東郷の柔らかな唇がそっと触れる。

「とっ…!?東郷さん!?いきなり何を」

「いきなりは友奈ちゃんじゃない。私のは、お返し。
 だってあれじゃ、友奈ちゃんばっかり私の事を好きみたいでしょう?
 私の方が友奈ちゃんの事をもっともっと好きだって、教えてあげないと」

言いながら、友奈の額に優しくキスをする。
今度は先ほどまでとうってかわって、友奈の顔が真っ赤になった。
月明かりしかない部屋の中でも、耳まで赤くなっているのがはっきりとわかった。

(友奈ちゃん、さっきまであんなにキスしてたのに……されると弱いんだ。
 ああ、なんて可愛いんだろう)

考えながら、先ほどとは逆に光景が展開していく。

「友奈ちゃんの、私には無いひたむきさが大好き」

そういって、瞼の上にキス。

「友奈ちゃんの、女の子らしいところが大好き。
 服装や小物を、主張しすぎない程度に可愛く整えてる姿がとても可憐」

「友奈ちゃんの、その強い心が好き。
 どんな時でも諦めずに前を向くその心に、ずっと励まされてきた」

「友奈ちゃんの、繊細な心が好き。
 いつだって誰かの事を気遣って、皆が気付かないような細かい所でフォローしてたよね。
 そのどこまでも優しい心に憧れ続けてる」

髪にキス。腕にキス。東郷からの何度もキスは続いていき。
その度にちゅっ、ちゅっ、ちゅっと音を立てる。
友奈の全身をついばむように。
しばらくして、友奈が我に返る。

「東郷さん、嬉しいけど、無理にお返ししなくても大丈夫だよ。
 東郷さんと違って、私はそんな凄い女の子じゃないんだから」

それを聞いて、東郷の胸に小さな怒りが灯った。

(ああ、なるほど。好きな子が自分を卑下しているのを見るのはこんな気持ちなのね。
 自分の気持ちがまだ届いてないって知った気持ちも)

これならば、友奈の先ほどの行動も納得できる。
ならば自分も同じだ。友奈が納得するまで、何度だって大好きを伝えよう。
友奈がしてくれた2倍は愛を囁き、同じだけのキスをしよう。

「えっと、東郷……さん?」

一向に行為をやめない事を不思議に思ったのか、友奈が戸惑った声を上げる。

「覚悟してね、友奈ちゃん。友奈ちゃんを好きな気持ちなら、私はこの世界中の誰にだって負けないから」

それだけ告げてから、また友奈への「大好き」を伝え始める。
その愛の告白は、コツコツと巡回員の足音が響くまで、長々と続けられるのだった。



しばらくの後。
さすがに疲れ果てた2人は、今はぐったりとベッドに横になっている。
何をするわけでもなく、相手の事を見つめている。

(抜け殻みたいじゃない、本物の友奈ちゃんが隣にいてくれる)

(東郷さんが手の届く所にいてくれる。私の声もちゃんと届く)

*1

2人は見つめ合いながら、そんな想いをじんわりと胸に抱く。

再びこうして、共に時間を過ごせる事。
そして、この幸せがこれから先も当分続くだろう事。
お互いの大好きを交わし合って、伝えたかった事を伝え合って。これでもう何の心配もない。

その事を今になって深く実感し、2人は共に深く安堵した。そして、その安堵が眠気を誘った。
大切な人の体温をすぐ近くに感じながら、ゆったりとした空気の中で、心地良い睡魔が徐々に2人の意識を覆う。


深い眠りに落ちる東郷の耳に、カシャン、と。数時間前に聞いた音が再び響いた気がした。






―――蛇足


「うーん……?」

朝、東郷が先に目を覚ます。時間は朝の5時40分。起床時間には20分ほど早かった。
チチチチ、チチチチ……
ホーホー、ホッホー
と鳥達の音が妙によく聞こえる。

(なんだろう、とてもぐっすり寝た気がする。こんなに眠ったのはいつ以来だったかしら)

本人は気が付いていなかったが、ここしばらくの間、東郷は消耗しきっていた。
友奈が戻ってきた時のためにも、学校生活も勉学も部活もしっかりとこなし。
その後は、時間の許すかぎりずっと友奈の隣で散歩させたり語りかけたりし続けた。
そんな生活をしながら、不安と焦燥から夜も熟睡出来ずにいたのだから当然だ。
その疲れを一気に癒やすかのように、昨夜の東郷の眠りはとても深かった。

(あれ?ここどこかしら。
 目の前に友奈ちゃんが居る……どうしよう可愛い……)

すぐには回らない頭でぼーっと友奈を見つめ、
少ししてから、いつもの自分の部屋とは違う場所に居る事に気付く。

(ああ、そうだった。昨日は友奈ちゃんが帰ってきてくれた日。
 今までそんな夢を何度も見たな。友奈ちゃんが目覚めて、一緒に遊ぶ夢。
 そして、そういった夢に何度も裏切られ。目が覚めて泣いちゃった事もあったっけ)

目の前の女の子は、すやすやと可愛らしい寝息を立てている。
ついこの前までの無表情とは程遠い、幸せそうにゆるんだ顔で。

(でも今度は、夢じゃない。これからまた友奈ちゃん一緒の生活が始まるんだ)

嬉しさと愛おしさで胸が一杯になり、その気持ちを乗せて、友奈の髪を撫でる。
羽のように軽いタッチで、友奈の眠りを邪魔しないよう、自らの愛情を分け与えるようにして。
そして、違和感を覚える。

(あら……?手が、元に戻ってる)

いつの間にか、東郷の手は両方とも自由になっていた。
友奈の髪を撫でていた手が、再びくっついてしまうような事もない。

(なんだったのかしら)

不思議に思って少し考えこむが、くっついた原因も離れた理由も思い浮かばない。
何も特別な事はしていないはずなのだから。

(離れたのは良いのだけれど、原因が分からない以上再発の可能性もある。
 やはり、大赦からの連絡待ちかしらね)

気になっても、連絡待ち以外に今のところ打つ手がない。
東郷はこの事について考えるのをやめた。

(時計は……5時40分過ぎ。半端な時間ね。
 ここではやれる事も無いし、せめて起床時間まで友奈ちゃんの寝顔を眺めていよう)

「Zzz……とぉごぉ、さぁん……むにゃむにゃ」
「ふふっ、友奈ちゃんは今、どんな夢を見てるのかな」

朝陽の差し込む病室で、友奈の寝顔を見て微笑む。
そんな幸せで愛おしい時間は、起床時間の巡回が来て友奈が目を覚ますまで続いた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 その後の時間は、慌ただしく過ぎた。
朝の検温を済ませると、その後担当医師に異常が無いようなので退院しても良いと言われた。
不可思議な現象の事もあって1日だけ様子を見たが、そもそも友奈は病気等ではないので、医者に出来る事はそう無いのだ。
友奈自身がもし希望するのならリハビリ病棟への入院も出来ると言う提案もあったが、

「1日も早く学校に行って、みんなと一緒に過ごしたいんです」

と言ってその話は断った。自宅で出来るリハビリメニューを貰い、それに従い生活の中で回復させていく事にする。
それに関して東郷は

「安心して友奈ちゃん。
 私や夏凜ちゃんはリハビリに慣れてるから、きっと力になってあげられる。
 友奈ちゃんが元気になるまで、友奈ちゃんの車椅子の後ろが私の定位置」

と、友奈を支え続けていく意思を新たにしていた。

 退院については友奈の両親に話は通っており、各種手続きや入院費用に関しても大赦持ちなので任せて良いらしい。
例の現象に関しての大赦からの連絡はまだ無いが、返答があり次第東郷の端末にその情報を送信してくれる事になった。
送り先を友奈ではなく東郷の端末にしたのは、単に今この場に友奈の端末が無いためだ。
ここまで話がまとまったならば、もう病院に残る理由もない。あとは家に帰るだけだ。
……退院する前に、看護師の手で友奈のカテーテルや尿バッグ、そのフォルダー等々を外したりする必要もあったため、
年頃の乙女である友奈にとっては非常に辛い時間もあったのだが。

 友奈が自宅に電話して両親に帰宅の意思を告げると、両親は車で迎えに出る事を提案してくれたがそれは断った。
友奈と東郷に加えて、これから友奈がお世話になる車椅子まで車で運ぶのは難しいだろうから。
幸い、東郷が毎日通っていただけあって、病院は友奈と東郷の家からそう遠くない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――そうこうして今現在。時刻は朝7時を少し過ぎた頃。友奈と東郷の2人は、家路をたどっている所だ。
起きてから1時間少々でこうしているあたり、どれだけ急いで退院したかが伺える。
秋の朝にパジャマで出歩くのは難があるので、友奈は東郷のカーディガンを羽織った状態で車椅子に座り、
それを後ろから東郷が押して歩いている。

「ありがとう東郷さん。何から何まで助けて貰ってるのに、車椅子まで押して貰っちゃって」

「何言ってるの、友奈ちゃん。今までずっと私の事を押してくれてたのは、友奈ちゃんだよ?」

「うぅ、なんか東郷さんが車椅子に乗ってた頃でもお世話になりっぱなしだった気がする」

「ぜんぜん、そんな事無いのに。
 けど友奈ちゃん。こんなに急いで病院出なくても良かったんじゃないかな。
 少ししたら朝ごはんとかも用意できるって言ってたよ」

「ううん。だって、私のせいで東郷さんが学校に遅刻するなんて、嫌だったんだもん。
 この時間なら、家に帰って支度して学校に行くのも間に合うよ。
 それに、一緒に私も学校に行きたいから」

その言葉を聞いて、東郷の顔がさっと曇る。

「あれ?どうしたの?東郷さん」
「ごめんなさい、友奈ちゃん……
 入院してる友奈ちゃんに聞かせる話じゃないと思って会話に出さなかったけど、友奈ちゃん休学届けが出されてるの」
「え?それってつまり」
「今日は、登校出来ないの。申請すればすぐに解除されるから、もう明日にも通えるはずだけど」

今日から学校行くぞー!と、内心で張り切っていた友奈には酷な内容が告げられる。
それを口にする東郷は、とても申し訳無さそうな表情になっていた。

「あわわわわわ、謝らないで東郷さん!
 私が勝手にそうしようって考えてただけで、言わなかったのが悪いんだから!
 それに、よく考えたら勉強も進んでるんだもん。何の準備もしないのはさすがに無茶だったよ」

慌ててフォローする友奈。

「でも、それじゃあ放課後だけ学校に顔を出すっていうのは駄目かな?
 授業は受けられなくても、やっぱり勇者部のみんなには会いたいんだ」

昨日は東郷の端末で友奈快復の連絡を回したし、その事を喜ぶメッセージも返って来ていた。
しかし病室ではスマホに限らず電波禁止だったため、それっきり連絡を取れていない。

「それなら大丈夫のはずよ。そうね、それじゃあ……」

少しだけ、東郷が何かを考えこむ。

「うん、こうしましょう。友奈ちゃんは部活の時間になったら、お家で待ってて?私がそこまで迎えに行くから」
「でも、それだと東郷さんが部活に遅れちゃうんじゃ」
「ううん。私に考えがあるの。大丈夫だから任せて?」

友奈は迷ったが、東郷の表情は明るい。
自分のために無理をさせてしまうとか、そういった部類の話ではなさそうなので頷く。

「わかった、お願いするね。東郷さん」

話がまとまった所で、タイミングよく東郷の端末が震える。
見ると、病院からのメールだ。どうやら、大赦からの返答を転送してくれたらしい。

(なんで夕方に問い合わせて返事無しなのに、朝の7時に返事が来るのかしら)

などと考えつつも内容を表示する。
そこには堅苦しい文章で、例の現象に関する大赦からの報告が書かれていた。
要約すると、
『2人がくっついた原因は不明。大赦は関与していない』
たったそれだけのメッセージ。
結局のところ大赦にも何も分からなかったようだ。

「東郷さん、誰かから通信?」

車椅子の友奈が、振り返りながら聞く。

「うん、病院から。大赦にもああなった原因は分からないんだって」

言いながら、メッセージを表示したままの端末を友奈の目の前にかざす。

「そっかー、なんだったんだろうね?
 ……でも、昨日の事は嬉しかったから、原因なんて別に良いのかもね。
 だって、そのおかげで東郷さんと2人きりのお泊り会が出来たんだもん。
 治ったばっかりなのに1人で入院は、やっぱり寂しかったと思うから」

「そうね。私もおんなじ気持ち。
 あのまま私1人だけが家に帰るなんて、嫌だったもの」

友奈と微笑みを交わしながら、東郷は自分のその言葉に違和感を覚える。

(そうだ。考えてみれば、本当に何もかもが私に都合が良かった気がする。 
 友奈ちゃんの目覚めと同時に、友奈ちゃんから離れなくなった私の手。
 いつだって手の届く距離に、目の届く場所に居て友奈ちゃんが居てくれて――)

東郷の中で、1つの推測が浮かぶ。

(あの現象が始まった時。友奈ちゃんの帰りを喜びながら、その一方で私は強く怯えてた。
 ようやく私の手を掴んでくれたあの子を、また失ってしまう事が恐ろしくて。だから、決してその手を離したくなくて。
 もしあの時の私の願いが、誰かに届いたのだとしたら――)

さらに、推測に推測を重ねていく。

(それは、神樹様かもしれない。もしかしたら、今も私の胸の内に居る青坊主たちが力を貸してくれたのかもしれない。
 だって、考えるまでもなくあの現象の起点は私だったんだから。
 もし、そうだとするのなら――)

「東郷さん?だいじょうぶ?さっきから難しい顔してる」

いきなり黙って考えこんでしまった東郷に、友奈から心配する声がかかる。

「あ、ごめんね友奈ちゃん。なんでもないの。」

(そうだ。もしそうだとするのなら、素直にその誰かに感謝しよう。
 ほんの1日の、私の我が儘を叶えてくれた誰かに。
 友奈ちゃんも付きあわせちゃったけど、でも、喜んでくれたんだもの)

そう結論付けて、前を向く。
何故だか、さっきまでよりも空が晴れやかな色に見える気がした。

「ねえ友奈ちゃん。これから先、何かしたい事ってある?」

東郷は、この青空が偽物だという事を知っている。
それでも、どこまでも晴れ渡る朝の空が未来を暗示しているように思えて、少し先の話をしたくなる。

「たくさんあるよ!
 まずはみんなと会いたいし、勇者部の活動をまた頑張りたい。文化祭の劇も練習しないと!
 もうすぐ紅葉の綺麗な季節だから、みんなでお出かけなんかも良いかもしれない。
 そのためにはリハビリもがんばらないとだけど……
 それでね、味覚が治ったら、今まで食べられなかった東郷さんのぼた餅も、いっぱい食べたいな。
 かめやさんのうどんだって、ずっと味わってない。
 他にもね――」

楽しそうに、明るい未来への希望を語る友奈。

「きっと友奈ちゃんなら、本当に全部やっちゃうんだろうね」

なんて、眩しいものを見るような目でそれを見つめる東郷。
昨日までは想像もできなかった素敵な日々の到来を予感して、胸が高鳴った。

「うん!
 その時は東郷さんも一緒だよ!
 一緒に色々な事をしよう、色々な所に行こう!」
「ええ、その時はよろしくね。ずっと一緒だよ、友奈ちゃん」

きっとその明るい未来には、いつだって友奈の隣には東郷が。東郷の隣には友奈が居るだろう。
楽しい日だけじゃない。きっと辛い日もあるだろう。
それでも2人は、きっと手を取り合って乗り越えていく。優しい人達に囲まれながら。

(友奈ちゃんの家は、もうすぐ。
 送り届けたら準備して学校に行こう。
 今日もしっかり勉強をして、友奈ちゃんに教えてあげないと。
 放課後には、勇者部のみんなでおかえり会も開かないとね。
 私が家に迎えにいって、その隙にみんなで部室の準備して)

友奈に倣って、少し先の未来への期待を胸の中に詰み重ねていく。
不思議と、勇者部のみんなの笑顔が鮮明に脳裏に思い浮かんだ。

(きっと今日も、素敵な一日が待ってる。
 さしあたっては学校で、友奈ちゃんの帰りを待ちわびてる皆に話をせがまれてこよう――)

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最終更新:2015年06月27日 07:59

*1 なんだか久しぶりだな。こんな幸せな気持ち