……夜の闇を駆ける乗用車が一台。
鎖輪の追っ手よりも先に
相棒を見つけ、生き延びるために。
シェリルは、三本指を名乗る包帯男の案内に従い、彼が潜伏しているという場所へ急行していた。
その車中で、彼女が疑念を最も抱いていたのは、助手席に座る男の真の目的であった。
彼女は、この男には、己の思うがままに他者の生命や自由を奪い取って恥じぬ……“悪”の行為への意志が明確に宿っていると直感していた。
しかしこれまでの行動が、トシローの過去を暴き、追いつめ、破滅させるようなものでありながら、
今の彼はシェリルにトシローの窮地を知らせ、発破をかけるような言動を行い、彼を救えるのは自分達二人しかいないとまで言い放っている。
ここまで追い詰めておきながら、何故か相棒に対する悪意や害意も欠けている包帯男に……シェリルは改めてその目的を問う。
男は静かに、しかし愉しげに答える。
『俺はかつて、奴に殺されかけた事がある。のみならず、縛血者としての血親、仲間……その全てを奴に殺され尽くした』
『だが……その奴こそが、俺にとっては目指す憧れであり星になったのだ……』
『今の奴は、仮面を被った偽りの姿。その仮面を外した真の姿がもう一度見たい…俺の欲望とは、ただそれだけだ』
『伝説の同族殺戮者、三本指の男トシロー・カシマの復活を……』
未だこの男には油断できず、その在り方も理解できない。
ただその言葉は、シェリルに大切な男が背負ってきた過去の「手強さ」を再認識させることとなった。
因果な男に惚れたと後悔しているのか?
包帯の下、表情を見せぬ男の試すような言葉に対し、シェリルは自ら闇に踏み出す決意を言葉にしてゆく。
「今のトシローの傍に居続けるって事は……それ以外の全部を敵に回すって事。
あたしたちが縛血者である限り、世界中の鎖輪がその存在を許さない」
刹那の安息さえ危うい道、その為だけに危険を冒すなどという愚行。
それでも、彼女にとっては、この状況は絶望でも不幸でもなかった。女冥利に尽きる背徳的な幸福さえ感じられた。
「なら、闘うしかない。闘って、殺して、生き延びるしか……
文字通り、世界中を敵に回してもって奴をね」
シェリルにとっての絶望――それは、このまま永遠にトシローを失ってしまうこと……ただそれだけである。
『いい覚悟だ……己の欲望を肯定するなら、大なれ小なれそうした試練にぶつからざるを得ない。
良識、社会、家族、あるいは己自身との鬩ぎ合いがな』
『それでもなお、欲望が生き残ったのなら……それは人生を賭けて貫く価値があるだろう』
傍から見れば自殺志願とも映る、そんなシェリルの回答に満足した様子を見せる男。
しかし代償に失おうとしている、街で得た仲間達と過ごした騒がしい日々の全ても、大事だったと。
そう後ろ髪を引かれる想いが胸にはあるのもまた事実だから――
あんたのような、妄執の中で完結しているクソイカレ野郎のようには簡単には開き直れないと、シェリルは気持ちをぶつける。
しかし、その正直な心情の吐露に対し、男は、高みから世の理を説くがごとく告げた。
『……幸せになる事に罪悪を感じるのか?』
『色々なものを諦めて生きていけば、人はそうなる……ならば、その罪悪の念をも飲み干せ。
その時初めて、おまえはおまえの人生をその手に取り戻せるだろう……』
『重要なことはたった一つだ。欲望を持つのなら、欲望の奴隷となってはならない……その主人となれ』
それこそが、俺達が目指すべき、縛りなき吸血鬼の矜持だ。
吸血鬼も矜持も関係ない、あたしは、あたしのしたい事をするだけと返す女に、愉快気に笑う男。
その雰囲気に、男の正体に、シェリルの記憶が徐々に近づき始めていた中……ついに襲撃が始まった。
一瞬で両断された車体から一人脱出し、ビル街の屋上に出たシェリルを待ち受けていたのは―――
「陽光を忌呪とする貴方が、朝が来ようとするのに車を飛ばす。
向かう先には誰がいるのかしら……興味深いわね」
「教えなさい。トシローは何処にいるの?」
銀の髪を翻し、存在意義を賭け咎人を断罪せんとする現公子……ニナ・オルロックの姿であった。
- 糞眼鏡と邪竜はこれ実践してたのか? -- 名無しさん (2020-09-13 16:48:16)
最終更新:2022年06月10日 14:29