兵士とは、“私”が全うすべき役柄なのだ



エリザベータ・イシュトヴァーンが、生きるため、
かつて自分達を蹂躙した暴力(ちから)と同化することへの矛盾から、自己の精神を守るべく創り出した防衛手段であり、化粧。

故郷で家族と共に平穏な日々を過ごしていた少女時代のエリザベータ。
しかし、彼女が10歳のある日、そんな日常は覆帯(キャタピラ)の音と共に崩れ去っていく。
それは、歴史上、ハンガリー動乱と呼ばれた出来事であった。
彼女の故郷に突如として現れた、戦車という巨大で、重厚で、堅牢な鉄塊。煉瓦の壁も粉砕し、町一つを瞬く間に瓦礫に変える怪物。
故郷を追われたエリザベータには、それらは人智を超えた怪物のように思われ……
彼女の心には、無限軌道の音に象徴される暴力(ちから)への憎しみと恐怖とが深く刻み込まれた。

その後、ソ連国内へと強制的に移住させられたエリザベータは、自分と家族の生き場を得る為、国家の兵士に志願する。
訓練時代から、彼女は生来の戦士としての資質と、「暴力を我が物にせねばならない」、
そんな強迫観念が合わさることで飛び抜けた能力を示し、その結果、とある非公式の部隊へ編入されることとなった。

だがその部隊は、不満分子や民族主義者等、ソ連中央にとっての反体制勢力、
それらに対する破壊工作や暗殺を主任務とするものであり、
そこでエリザベータは来る日も来る日も、かつての自分と同じような境遇に置かれた人々を“殺し”続けていった。

暴力(ちから)によって蹂躙された者が、暴力(ちから)をもって新たな犠牲者を生み出し続ける――
何と言う矛盾に満ちた自家中毒だろうか。
心が痛い。けれど、私は生きたい。生きる為に、この痛みを遠ざけねばならない」

そうして彼女の心の中で、次第に殺人を続ける兵士としての自分が乖離し始める。
まるで、暗い客席から見上げた舞台に立つ女優のように―――
そして、エリザベータは、一つの思考へと至る、


「兵士とは、“私”が全うすべき役柄(・・)なのだ」

「どんなに無慈悲な場面でも、どんなに残酷な筋書だろうと、“私”は何も汚れない。“私”は何も傷付かない。
何故ならあれは、“私”が演じる“兵士である私”(キャラクター)。幕が降りれば消滅する劇中人物でしかないのだから」


それは、兵士としての思考形態への、意識的な“切り替え”。同一人格上におけるセルフマインドコントロールであった。

こうして誕生した天才女優、エリザベータ・イシュトヴァーンは、“兵士”という役をこなす。
演技はより入神の域に。化粧はより巧みに華美に。病はいよいよ膏肓に入り、視点を変えれば自己を極める方向へと突き進む。
優れた“兵士”として生存率を高めるため、環境の必要に応じて、さらに役柄の完成度は高められていった。
時には戦場で、“私”に当たる自分の“女”の部分さえ利用して、部隊内での心理的な主導権を握りつつ、同時に男達同士の争いが起きぬよう誘導させる……そういったことも厭わなかった。

そうして、市井の一人の女性として過ごせるようになるまで、彼女は“兵士”を演じ続けようとしていたが……
彼女にとっては片面であった、しかし現実には異能とも評すべき“優れた兵士”としての資質、実績が、
ある男の目に留まったことで、またもその運命は変転する。



アレクサンドル・ラスコーリニコフ、ソ連軍内で“幻の英雄”と噂された人物、
時計機構刻鋼人機となっていた彼により、エリザベータはギアーズの一員に選抜、
心装永久機関を埋め込まれた刻鋼人機と成ったのである。
だが、その新たな所属先で得た“同僚”は、彼女にとって未知の怪物として受け止められた。

鋼鉄を素肌に直接焼き付けるように、軍人という鎧を生身の血肉と交換したアレクサンドルの徹底した殉教者としての在り方。
“切り替え”も必要とせず、闘争に酔い痴れ恥じる事なく、英雄という幻想に人格の全てを同化したイヴァンの純粋な兵士のみの在り方。
日常も戦場も等しく無価値と断じ、他人はおろか自己の存在すら嘲笑するかのような乱丸の空虚な在り方。


これまで、共に戦ってきた兵達は、エリザベータとは程度の差があったとはいえ、
苛酷な現実への適応、あるいはそこからの逃避のため、似たような“仮面”を被る者が大半であった。
しかし、ギアーズの他の面々はそういった者達とは一線を画す、“突出した精神の怪物達”ばかりであり、
彼女は心理的に不安定な位置に置かれることになってしまう。
そんな環境にも順応すべくエリザベータは、染みついた習慣に従い、
より冷徹な、機械的な“兵士”という役柄を練磨せざるを得なくなり……
それは、彼女が守ってきた“一個人としてのエリザベータ”にまで影響を及ぼし始めていく。


「この仮面はもう外せない。この衣装はもう脱ぎ捨てられない。
演じる事は、私にとってもはや生きる事と同じなのだから……。
その、はずだった」


“兵士”として、一個人の私”として分かたれた精神の両面、そのどちらとも出会い、その価値を認めた人物、秋月 凌駕

彼との出会い、そして交流が、彼女に自己の現状に対する迷いを抱かせることとなる……



  • 端的に言ってひどい人生だなおい -- 名無しさん (2017-05-20 19:34:29)
  • 不幸な身の上に、生きる為に馴れないして摩耗し、とどめに才能のせいでトンチキ連中の中に叩き込まれるとこはゼファーさんに似てる・・・つまりゼファーさんは高濱の嗜好の塊を男性化させた存在だった・・・? -- 名無しさん (2017-05-20 21:31:05)
  • ↑高濱はゼロインのインタビューで強がってる女の子の心が折れるのが好きとか言ってたような・・・・・・? -- 名無しさん (2017-05-20 22:44:48)
  • 高濱ァは戦士の仮面を着けたヒロインが仮面を剥ぎ取られる展開が大好きだからね。……………でも、そうすることで主人公に弱味を見せるのって良いよね。 -- 名無しさん (2017-05-21 01:16:10)
  • ↑2強がってる女の子...ナギサちゃんかな? -- 名無しさん (2017-05-21 01:34:51)
  • ↑ リーザもナギサちゃんも心が折れるシーンは見ててゾクゾクするよね。まあ、主人公が颯爽と助けに来てくれる事が約束されているだからこそだけど。………だから早くナギサ√アフターでアシュナギを幸せにするんだよ高濱ァ!!! -- 名無しさん (2017-05-21 09:53:41)
  • 恋の為に戦うという凌駕に最大のバグが発生したのがリーザ√だと思う -- 名無しさん (2017-05-21 10:01:04)
  • バグった時かなり焦ったwこの人でもおかしくなるんだなってw -- 名無しさん (2017-05-24 05:48:59)
  • ↑2 まあ、恋心って最も非合理的で非効率的な感情だからね -- 名無しさん (2017-05-24 10:41:04)
  • 但し、その恋心でさえも力に変えることが可能なのが刻鋼式心装永久機関である -- 名無しさん (2017-05-26 11:04:20)
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最終更新:2020年05月26日 15:22