[架空鉄道]常磐高速度交通網

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


ここは 架空鉄道「常磐高速度交通網」 の設定紹介ページです。
全ての設定は フィクション です。 設定の中には一部、実在の路線・車両なども存在しますが、
一切関係はありません


株式会社常磐高速度交通網とは、東京(上野)と仙台(川内澱橋)間の 常磐線 を中心に、北関東に鉄道・バス網を持つ公共交通機構である。


成り立ち

常磐鉄道

戦前期、鉄道敷設法に基づいて建設されたため、続く鉄道国有法に伴う国有化の対象となっていた。
しかし、法人体を5社に分割して、一部の会社で軌間(レールの幅)1067mmと1432mmで分割し直通運転にわざと難を作り、を変更するなどの対策を行い、同時に、沿岸部で諸外国からの攻撃を受けやすい、という主張を行って、国有化の対象からはずされた。

1908年に国有化危機を乗り越えると、1910年に戦前五社合併(東京常南電気軌道、常南鉄道、 水戸鉄道 、常陸鉄道、中村鉄道)を行い、軌間も1067mmに統一され、常磐高速度交通網の前進である常磐鉄道になった。

1938年には 常南電気軌道 を買収し合併した。

中善寺参拝軌道

1917年、日光市外と日光湯元の免許を取得し、日本で唯一のリゲン・バッハ式ラックレール鉄道として建設された。
当初は、東武日光線、または国鉄日光線との連絡を計画していたが、どちらも実現せず。1937年になって、常磐鉄道に合併され、中善寺線として、常磐日光線と直通運転を開始した。

日東電鉄

1929年上野~日光間の免許を取得した法人。法人格は翌年常磐鉄道に吸収合併され、常磐鉄道日光線になった。

大東急時代

1942年の陸上交通整理法の成立に伴い、まず 宮城電気鉄道 と合併。その後、東京急行電鉄に合流・合併した。

常磐交通時代

1948年、GHQの指導により、大東急からに分離し、旧常磐鉄道は常磐交通に、日東電鉄は日光急行電鉄(戦前、計画のみで終わった日光急行電鉄とは関係がない)、さらに宮城電気鉄道の3社に分離された。

仙台鉄道

仙台の通町~西古川間を結ぶ軽便鉄道として開業。1919年の発足当初当初は仙台軌道という社名だったが、1926年に現在の名称に変更された。
戦後、経営状態が悪化していたところへ、1947年のカスリーン台風、1948年のアイオン台風で壊滅的な被害を受けたため、経営が困難となり、この救済のため常磐交通が吸収合併した。
合併後仙台線となった。復旧に際しては壊滅的な被害を逆手に取り、国鉄の乙線に相当する軌道規模に拡大して際敷設された。

常磐高速度交通網

1952年、GHQの占領政策が解けると、常磐交通は、再び、日光急行電鉄、宮城電気鉄道、および沿線バス会社と合併をし、社名は株式会社常磐高速度交通網になった。

その後の変遷は沿革を参照のこと。