鉄道院(明治41年)


明治41年(1908年)7月に成立した桂太郎内閣(第2次)の12の政綱の一つとして内閣に直属の鉄道院の設置と、鉄道財源の一般会計からの独立が挙げられまして。
同年12月に帝国鉄道庁と逓信省鉄道局を吸収して新設。
この帝国鉄道庁も逓信省の外局なので、この時点で逓信省から鉄道が切り離されたっての妥当なのかもね。

この一般会計からの独立ってのはどうもこの2年前の、えーと、明治39年の「帝国鉄道会計法」で一般会計からの繰り入れを行い、事業益金は同会計に納付されることになっていたそうなんですが、まあ当然進まないやね、みたいな措置らしい。
この明治39年ってのは日露戦争から1年後になるのか。
あとそういや「鉄道国有法」の第1対象である甲武鉄道と北海道炭礦鉄道が買収されたのも同じ年か。これが10月。
「帝国鉄道会計法」の公布は4月みたいです。
この時点では17私鉄の国有化によって財政建て直すつもりだったのかもなぁ…。
最終更新:2015年01月12日 19:51