司法省(明治4年)


他と比べて妙に詳しくてすみません…守備範囲から遠いと削り方がわからなくて(--;)
組織の流れとしてはわかりにくくなっちゃうけど、裁判関係は地味にどの段階の名称も資料に出てくるからなぁ。

明治元年1月17日に太政官に刑法事務科。
2月3日に刑法事務局。
4月21日に刑法官の中に観察司(検察)、鞠獄司(裁判)、捕亡司(警察)の設置。
時々問題視されてるけど、裁判所が行政機関の中にある構造だとちょっとまずいよな…。

明治2年5月22日に刑法官観察司が廃止されて弾正台が設立(今の警視庁と検察庁を合わせたもの)。
この時点で独立したってことなのかな?
7月8日に今度は刑法官が廃止されて刑部省が設立。
弾正台と刑部省が司法関係の仕事をしていたようです。

で、さらに明治4年7月9日に弾正台と刑部省が廃止されて「司法省」が誕生。
どういう機微だよこれ…ややこしいことしてんなぁ。
明治5年4月27日に江藤新平が初代司法卿に(こっちは長官のほうがあとなのね、長官が先のところもあったよね)。
8月に司法職務条例によって判事と検事が誕生。

明治8年4月14日、大審院(→最高裁判所)と上等裁判所(→高等裁判所)を設立。
勘違いしてたけどこの設置も司法省の中にってことかな…。

明治9年9月、府県裁判所が地方裁判所へと改名。
検事を大審院と各裁判所へと配置。

明治13年7月、刑法と治罪法(現代の刑事訴訟法の原型)。明治15年1月より実施。

明治18年12月22日、官制改革で内閣制度が発足。
司法卿は「司法大臣」となります。

明治23年11月1日、裁判所構成法。
司法大臣のもとに大審院、告訴院、地方裁判所、区裁判所を配置、各裁判所に検事局を付置。
難しくてよくわかんないけど司法の独立はこの時期に始まると言われてるのだとか。

明治31年に戸籍法、各地方裁判所に戸籍課が設けられて市町村役場を監督。

明治33年4月、内務省から刑務局が移管されたので行刑局(→矯正局)と保護課(→保護局)を設置。
これ多分刑務所ですね、内務省のほうにあったのか。
ほぼここまでで完成みたいですね、裁判への干渉はちょくちょくあったみたいだけどね。

で、次は昭和23年の法務庁が発足か。
司法省と内閣法制局を合体したものだそうです。
終戦が昭和20年ですからだいたい戦後処理の一環だよね。
あ、昭和22年に裁判所が独立ってのもあった、三権分立が不完全と見做されればそりゃね。
最終更新:2014年11月07日 23:39