道路政策(明治6年以降)


んーと、名前に迷ってるんですがこれでいいかな…明治6年に限定するのもなんだしな。
ただ、これ以前にもいわゆる街道の旧宿駅制が陸軍の管理下に置かれたりもしてるよう…あれ、どっちが先だ?

体系的なものとしては明治6年8月2日の「河港道路修築規則」が最初のようです。
(大蔵省達番外、てのは資金配分に関してかなぁ、大蔵省の管轄ってこの時期どうなんだ。)

1等道路、東海中山陸羽道の如き全国の大経脈を通する者
2等道路、各部の経路を大経脈に接続する脇往還枝道の類
3等道路、村市の経路

で、これ見るとわかるんですがわりと抽象的な内容なんで続いてえーと。
明治9年6月8日に「太政官達第60号」にて再定義。

国道1等、東京より各開港場達するもの
国道2等、東京より伊勢の宗廟及各府各鎮台に達するもの
国道3等、東京より各県庁に達するもの及各府各鎮台を拘聯するもの
県道1等、各県を接続し及各鎮台より各分営に達するもの
県道2等、各府県本庁より某支庁に達するもの
県道3等、著名の区より都府に達し或は某区に往還すべき便宜の海港等に達するもの
里道1等、彼此の数区を貫通し或は甲区より乙区に達するもの
里道2等、用水堤牧畜鉱山製造所等のため該区人民協議に依て別段に設くるもの
里道3等、神社仏閣及田畑耕耘の為に設くるもの

まあ資金源どーすんだよ的な問題でこの定義もまた微妙な感じになったんですが、形くらいは残ったみたい。
幹線道路は国でやるよん、て原型くらいは見えるよね。
鎮台ってのは軍事拠点みたいなもんなんですが、この資金はどっから出るんじゃろ?
あと「国道2等」のところにある伊勢の宗廟(要するに天皇家の宗廟みたいなもんです、雑だけど)ってのはまあ国家神道の時代だからわからんでもないんだけど、実現したのかね。
そういや県庁が決まったのっていつや、廃藩置県の頃かなぁ。

で、これがどう最終的に大正8年の道路法になったんだろ。
一応道路全般に関しては内務省管轄らしいんですけどね。そもそも工部省じゃないのんという疑問が。
(工部省は鉄道とか灯台とか電信とか鉱山とかわりと技術高いもん作ってました。)
明治6年から明治9年までの間に港湾を織り込んでるところもちょっと違うよなー。
最終更新:2014年10月28日 23:13