起業公債事業(明治11年)


維新公債の一つ。
明治11年(1878年)3月に発行案が出されて、一部の資金不足は中山道鉄道公債へと引き継がれたようです。
要するに国家事業の予算調達手段ってことだよね、その次が地方税の出現、でいいのかな?
内務省主導で薩摩系の大久保利通がアウトラインを作ったったことでいいのかなぁ。
(大蔵省が佐賀系の大隈重信がトップで、手続きだとこっちの名前が挙がってますね。)

初期が1000万円予定。
明治11年の太政官達での使途は以下の通り。
内務省/120万円 野蒜築港、新潟築港、其外土木費。300万円 勧業経費。
工部省/420万円 京都敦賀間鉄道、院内阿仁鉱山開坑。
開拓使/150万円 幌内岩内鉱山開坑。

んで、野蒜港ってのはオランダの平坦な地形の水利技術を導入する予定だったので頓挫してしまったようです。
頓挫っていうかよく聞いてたら一旦完成したあと埋まったのね?!
時々これ、野蒜港の破綻として名前を聞くことがあるんですが、トップバッターの計画だったのか…。
印旛沼(千葉だよ)の計画ってのはちょっとだけ聞いたことあったけど、これ東北関連事業だったのねー。
あと常磐線の計画が東北線に先行するみたいな計画もここの関係で流れたんじゃなかったかな? 自信ないけど。

えーと、「東北諸州水陸運路ノ便利ヲ与フル」みたいな一連の計画だったっぽい。
1)野蒜開港と北上運河開鑿
2)新潟湾改修
3)清水越開鑿による越後上野連絡路の開鑿
4)大谷皮運河開鑿、北浦・涸沼間の開鑿による那珂湊への水路開鑿と那珂港修築
5)阿武隈川改修と河口から塩竈までの運河開鑿による野蒜港への水路開拓
6)新潟県下阿賀川改修による会津方向への水路開鑿
7)印旛沼・検見川の連接と深川新川への連絡

明治20年の段階での決算の時はちょっとずつ内容が違う感じ。
野蒜港築港費が中止されたために東北地方新道開鑿費、清水越新道開鑿費への予算振り替えが行われまして。
院内阿仁鉱山開坑費が減額されて敦賀・大垣間鉄道建設費へと振り替え。
東京・高崎間鉄道計測費ってのが明治14年の時点で出てるのも変更の一環かなぁ、こっちの事情なんだっけ。

ええと、あと決算で出てくるのは交通が新潟港築港費、京都・大津間鉄道建設費。
鉱山関係が幌内開採岩内改良費、油戸炭山興業費、勧業経費。この辺はまあまあ計画通りだったのかな。
で、大蔵省担当公債費ってのはあれか、公債発行の経費みたいな部分かしら。

明治11年の鉄道状況


ちょっとどこ入れていいかわからないので同居| ゚д゚)
この辺は基本的に工部省ですね。

既成・開業線
東京-横浜 18マイル
東京-大阪および安治川支線 22マイル
大阪-京都 26マイル2分の1
 合計 66マイル2分の1

建設線(作業計画・区間・予算の完成したもの)
京都-大津 10マイル
大津-米原 35マイル
米原-敦賀 30マイル4分の1
米原-加納 28マイル4分の3
加納-土田 16マイル
(測量のみ完成)
加納-宮間 22マイル4分の3
 合計 142マイル4分の3

計画線(およその経路が決定され審査中のもの)
土田-東京(中山道経由) 255マイル
田中-新潟 150マイル
大宮-宇都宮 50マイル
 合計 455マイル

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最終更新:2014年11月05日 05:00