国会議事堂


とりあえず昭和11年に完成ー。
てか、東京駅の辺りに計画されてた「官庁集中計画」は結局こっちの霞ヶ関に来てたのね。
(ドイツ系の建築家とかが計画してたってあれ。)

もともとは大日本帝国議会議事堂(帝国議事堂)、だったぽいです。
帝国議会が国会になったのが戦後昭和21年なのでまあその前後に名前変わったんだろうね。

そういや辰野金吾が晩年に噛んでたよ、と聞いたことはあったっけ。
確かコンペで決まったのに介入、デザインし直して途中で亡くなったんじゃなかったっけか。で、3人ほどが後を継いだんだよね。
このコンペの原案の人のほうの詳細がわからないらしくて(多分それは本当なんだと思う)、そもそもコンペそのものが裏金を作るためだったんだよ、と語られていたのも見たことあるんですが、うーん、内務省が絡んでると別におかしくもないけど大正9年よりも前だとなんか時期的に微妙だなぁ。
しかし辰野さんがいるのになんでコンペだよ、というのは確かに違和感もあるな。

まず、明治14年10月23日に「国会開設の詔」てのを出されまして。
10年後に国会開設するよん、という明治天皇からの通達ですねこれ。

で、明治19年に国会議事堂建築局が作られ、明治20年には永田町に場所が決定。
てか、この辺進めてたのが内閣ってあるんだけど、この頃に内閣あったのかなぁ?
まあ今は自信がないのでいずれどっかで確認しよう。

明治22年2月11日には日本大帝国憲法(明治憲法)の発布。
明治23年には今の日比谷公園の辺りに木造2階建ての仮議事堂が竣工。
で、同じ年の7月1日に第1回選挙が行われまして、11月29日には第1回帝国議会が開催されまして。
明治24年1月20日に仮議事堂が火事で全焼。
11月に第2仮議事堂が作られまして第2回帝国会議がこちらで。
これ確か、電気が犯人じゃないかって疑われた件じゃなかったっけ、ありうると思ったよww
(当時はまだ漏電って概念が知られてないのか「燃えるわけない」って言われてたんだけどねー。)

しかしこの第2議事堂も大正8年に火事、大正12年の関東大震災でも被災。
補修されつつ使ってたみたいです。
議事堂ってそんなに燃えるイメージないんだけどなw
あー、そもそも大正9年の時点で現在の国会議事堂が作られ始めたのか、火事のせいってのもありえないでもないのかもしれない、で、みかげ石で頑丈に作られていたので関東大震災にも耐えたんだって。

とりあえず日清戦争や日露戦争で金がなくて、第1次世界大戦ののちの大正9年にやっと、て言われてるけど景気良かったかなぁその時期ww 銀行の社史で反動景気って言われてたのが大正8年だったような気もする上、日露戦争のあとにちまちまと各地で建築作られてたりもするよね。それで15年も掛かった可能性もないでもないよね。
建築費はトータルで2800万円だって。
まあその辺はおいおい(*´∀`*)
でも、やっぱり大正8年の火事のせいな気がするw
最終更新:2014年09月23日 08:34