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東京海上保険


もともと鉄道(新橋-横浜)の払い下げ案がありまして。
その資金源だった秩禄公債がなくなって話が頓挫し(金禄公債だと駄目って言われたらしいなんでや)、途中まで払い込まれた資本金でなんか作れ、と言い出された三つの案から選ばれたのがこの海上保険。
(海上保険、株式取引所、北上川開墾野蒜築港だって。)

資金の頓挫とかそういう話が明治9年前後の事情で明治11年に出願認可。
ああ、この時点で内務省の指示、東京府から認可、なのか。
会社の認可を府県(都道がまだないよ!)が担当してた時期があるっぽい。

海上保険に関しては保険を日本に伝えた福沢諭吉が「早いんでない?」、と言っていたようなんですが。
渋沢栄一が「堅実にすればいける!!」ってことでゴーサインが出まして。
なにぶんにも資金源が華族25人だったので岩崎弥太郎が誘われました。
まあ案の定、結果的に乗っ取られるんだけど、どうも東京海上保険と三菱の関係は微妙…。
作られた経緯や人材の関係で三井とも結構絡む感じ。

で、やっぱり早くてやり方よくわかってなかって(*´∀`*)ははははw
てかひょっとして生命保険や火災保険より早いのか…そら早いな。

てゆか明治11年開業で改名全くしてねぇわー、すごいな…。
ここなんか、時々自社ビルで揉め事起こすんだけどなんでだ?