祭神論争(明治13年)


特にこのジャンルの話を収集するつもりではないんですが、教派神道と共にどうもだいぶ近代以降の神道の基本になってそうなので、てか、神道学校が2つあるのってひょっとしてこれかねぇ?

明治13年から明治14年に掛けての論争。

すごく大雑把に伊勢神宮と出雲大社の争いみたいな感じです。
日比谷の神道事務局(出来たて)にて、「造化三神」とアマテラスを祭ろうとした伊勢神宮派がいまして。
(天之御中主神・あめのみなかのぬしのかみ/高御産巣日神・たかみむすひのかみ/神皇産霊神・かみむすひのかみ。)
そこに冥界の主神である大国主を加えんかーい、という出雲大社側が主張。

しかし三神って要するにアマテラスさんの子孫なんだろうか、聞いたことくらいしかないぞ…。
正直、こんなとこに大国主入れたらどう考えても一人で残り4人に拮抗して面倒臭い。伊勢信仰もそこそこ江戸の頃には隆盛してたけど大国主さんのほうが親しみあるしなぁ、下手すると負ける。

で、神道者や国学者は大国主さんの出雲派に軍配を上げまして(一般人気がな、やっぱりな)。
アマテラスの伊勢派が一発逆転で内務省や宮内省を味方に付けて勅裁を得たって、要するに天皇の裁可を受けたってことですねー。政治人気は伊勢派にあったんだなー、て感じでしょうか。
さすがに明治天皇の言うことに反対するわけにもいかないですがここで出雲派が反撃。
したのが教派神道の分裂という出来事だそうです、知らんかった。

伊勢神宮(アマテラスさんのほう)が神宮教、出雲神社(大国主)が神道大社派だって。
祭神に漢字とカタカナが混ざってるの気にしないで下さい、なんかこのほうがしっくり来るんだ。

ていうかこの争いって欧米向けの近代化の一環かしら、造化三神ってところから系統整理っぽい。
土地所有の問題もあったんで合理化そのものは仕方ないんだけどね。

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最終更新:2014年08月17日 21:01