三院制(明治4年)


明治4年7月に政治体制を改編し、正院・右院・左院の三院制に。

まず太政官を「正院」に、太政大臣、納言、参議を置き。
立法、行政、司法の諸事務を管轄。

「左院」は立法諮問機関として、議員を大、中、小議官で構成。
議長と副議長は大議官もしくは参議が兼務することに(時期で違うのかなぁ)。
この左院が明治8年4月に廃止され、その立法諮問機関を受け継ぐ元老院を設置。
立法諮問機関てのは普通に立法機関のようなので三権分立? と考えたんですが、正院は実際に行政、最高意思決定機関てことでいいみたいですね。ただこの時点では司法が独立してないのね、あと行政と各省庁(実務)が別扱いされてる。
ある意味でわりと間違えやすい感じに間違えてるっぽいよなぁ、これ。

で「右院」を行政府として各省の卿(大臣)と大輔(次官)が属すことに。
この時点の人事だと思うんですが、ちょっと以下参考として。

太政大臣に三条実美。
参議に西郷隆盛、木戸孝允、大隈重信、板垣退助など。

神祇省に大輔・福羽美静。
外務省に卿・福島種臣、大輔・寺島宗則。
大蔵省に卿・大久保利通、大輔・井上馨。
兵部省に大輔・山形有朋。
文部省に卿・大木喬任。
工部省に大輔・伊藤博文。
司法省に大輔・佐々木高行。
宮内省に卿・徳大寺実則、大輔・万理小路博房。

開拓使に長官・東久世通禧、次官・黒田清隆。

開拓使ってのは北海道開拓使のことですね。
あと卿だけがいたり大輔だけがいたりと別れてるんですが、揃ってるところも卿もしくは大輔のほうに知ってる名前がいるってことは、地位と能力の兼ね合いでこういうことになったんじゃないかなー、という気も。
(あんまり高位の人だとここの仕事だけしてもいられないよね、みたいなものもあるし。)

で、これと前後して旧藩兵を東京鎮台(本営東京)、東北鎮台(本営仙台)、大阪鎮台(本営大阪)、鎮西鎮台(本営熊本)に所属させるという出来事もあったようです。
陸軍と海軍に別れたのもこのくらいの時期だったっけ?
最終更新:2014年12月25日 03:25