横浜船渠(→三菱重工)


読みは「よこはませんきょ」、固有名詞としては聞きなれないかも。
明治24年の時点での名前なんでそれでかもなぁ、渋沢栄一系。

三菱重工と合併する前はもともと日本郵船の関係会社だったようです。
えーと、第一次世界大戦の時に増資して日本郵船にその3万株を引き受けて貰い、その後日本郵船の必要船舶の優先的な引き受けを行っていたんだとか。
で、昭和7年の段階で負債が出た時に日本郵船が立て直しに乗り出しましたが負担が大きかったらしく。

最終的に三菱重工が引き受けることになった、ということのようです。
ほとんど負債の償却が主で現金で支払ったのがだいぶ少なかったっぽい。

わりと段階的に合併してってるっぽいんだけど、昭和10年半ばって感じなのかな。
あ、そうか、三菱銑鉄の子会社だった東京鋼材が手元に来るかもしれなかったのが昭和9年とかそのくらいの時期なのか、これ関係あるのかなぁ? 立地的には近いよな。
まあ、東京鋼材のほうは三菱合資に取り上げられましたが。

横浜船渠は昭和4年の頃にはドイツのマン社からディーゼル機関の技術導入をしていて水準も高く。
そもそも三菱重工は関東圏の工場を全く持ってなかったので不利な合併ではなかったみたい。
(長崎造船所と神戸造船所だけかな? 主要なのがここ2つってことかしら。)
ただ正直、なんでこここんな条件で経営破綻したんだよ…。

戦後に三菱地所なんかも参加していたみなとみらい21の土地でもありますね。
今の時点で三菱関係の本から抜書きしてますが、かなり由緒正しいところのような気も。

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三菱 戦前
最終更新:2014年08月05日 05:01