三菱財閥(旧)


そういやなくなってしまった組織に「旧」と付いています。
ただし、交通関係はもともとほとんど変化してるのでわざわざ付けてない。

日本には財閥は存在しないよー、という指摘をたまに見ますが。
そうっすね、「財閥」というのがそもそも定義が曖昧ってのはあるかなー。
(日本以外でもそうなんだけど、要するに他称って認識のほうがいいかも。)

完全に定義を満たしてるのがそもそも三井と三菱しかないんだよね、と言われると、想定したよりちょっと少ないかな。

わりと有名な戦後のGHQの「財閥解体」の指定15企業の一つでまあ現在は資本関係ありません。
それも途中で朝鮮戦争があって中断しちゃったんだけどね。
だから他でもあるけど、一旦三菱以外の名前を名乗っていたところも結構あったりします。
(分割されていたところなんてのもぽちぽちありますねー。)
まあでも、三菱の場合はあんまり戦前とグループ企業の付き合い方そんなに変わってないかも。
どういう理由かわからないけど、ワンマンだったのがいい方向に出てる感じ。

三菱の当主がいたのは戦前のみで初代が岩崎弥太郎。
2代目、というか三菱を財閥として立ち上げたのがその弟の弥之助。
弥太郎の子の久弥が3代目、4代目が2代目弥之助の子の小弥太、でこの人の時点で戦後に財閥解体を迎えました。

弥太郎のイメージが強いかもだけど、この人の時代には主に海運のみで、その三菱商船が共同運輸ってライバル会社とやりあってる時に弥太郎が病死。
結局それもあったのか三菱商船と共同運輸が合併することになって日本郵船が誕生(現存)。
一応ここも三菱の関係会社としては数えられてるんですけどね(少なくとも共同運輸側の資本関係の三井との関係はあんまりないというか)。

弟の弥之助は海運から他の業態へと転換しまして、コンツェルンを作りました。
これがだいたい三井のコンツェルン化の少しあとで明治末から大正初めくらいまでの時期ですねー。

三菱系海運会社に関して


あ、三菱商船ってのは三菱が持ってた商船学校の名前であって実際の会社名は別です。
どっかでこの呼び方してたんでそれを真似てます、正直時々改名してるから面倒なんだよね…。
私はこの三菱商船関係は三菱銀行の社史の記述が基準の見解になってます、三菱本社のと見方がだいぶ違うんだけど、ほぼリアルタイム感覚で語ってたんですよね。
(三菱銀行はその母体である三菱合資じゃなくて、なぜかこの三菱商船が持ってた「三菱為替」を前身と位置付けていまして、確かにその時代の資料もあったんだよね。)
三菱ってどうして身内だろうがさくっと刺すんだろうね?

そういやこの三菱の海運会社のもとになったのは土佐藩の資金ルーツを持っていた(曖昧)海援隊なんだって。
いざって時に連帯責任にならないように責任の所在を曖昧にしてたらしいです、で、率いるのが坂本龍馬さん。
何年か前の坂本龍馬の大河でこの岩崎弥太郎が坂本龍馬の親友設定になっていたんですが(わりと近隣らしいけど記録はない)、海援隊→三菱、て流れに関してまでがセットで否定されることになったので良し悪しw
海運の歴史そのものがわからないとちょっとニュアンス掴みにくいんですが、小型船を扱う技術は日本人は自前で持っていたものの大型船舶による海運となると海軍系統の技術からの転用というのは普通だったみたいです。
その辺の海運の事情がわからないとわかりにくいんだろうね、ここの話。

三菱関連企業(戦前)

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三菱
最終更新:2014年10月15日 10:31