新宿副都心建設計画(昭和35年)


昭和35年6月に東京都が発表。
新宿西口にあった淀橋浄水場の移転計画に伴ってその跡地の利用計画が建てられました。
まあ一回オフィス街作ろうとして企業を呼んだけど来なくて頓挫したんだけどな!

昭和42年11月に新宿副都心建設公社による整地が一旦完了。
昭和40年から44年2月にかけて各事業者に売却されました。

1号地、都水道局保留。
2号地、大成建設 67億1000万円。
3号地、国際電信電話(KDD)51億6200万円。
4号地、都保有(都庁建設)。
5号地、都保有(都議会棟建設)。
6号地、京王電鉄(京王プラザホテル)53億647万円。
7号地、第一生命・小田急電鉄 50億8794万円。
8号地、住友不動産・住友生命 52億8032万円。
9号地、三井不動産 58億3333万円。昭和43年3月。
10号地、東京建物・大成建設(新宿センタービル)40億7381万円。
11号地、熊谷組 29億6752万円。安田火災 29億6818万円。

で、昭和46年に京王プラザホテルのオープンが最初だったはず。
んでその年から美濃部都知事による体制の開始らしい、都電とか消えてった頃ですね。
土地取得時期はすみません追々追加予定です、三菱地所も一応購入を検討してたようですが43年2月に見送り決定。
(そもそもなんでそれが重要かというと、この土地はなかなか売れなかったらしく、お互い横目で伺いながらみたいなところがあったらしいんですよね。)

前に別のところでも読んだ気がしますが、小田急さんとこのセンチュリーハイアット(あ、そか、ハイアット系でもあるのか)は昭和55年なのでだいぶ建てられたのが遅い気が。
色白で彫りが深くて痩せ型の京王プラザホテル、煉瓦色で大聖堂のような荘厳さを持つセンチュリーハイアットだそうです。わざわざ並べて下さってありがとうございますww
京王プラザホテルのほうはインターコンチネンタルに加盟。

ちなみに京王プラザホテルはどうも昭和46年の時点で日本で一番高いビルだったということになるのかな(日本で3番目に建てられた超高層ビルディング)、47階。
センチュリーハイアットは28階建てだそうです。んーと、西新宿だいたい50前後なんで結構低めなのかな。
上の11区外ですがセンチュリーハイアットの北側に東京ヒルトン・インターナショナルの38階。
新都心の南に新宿ワシントンホテル25階。

この辺見てると京王と小田急がライバル扱いされることがあるってのわかる気がしますね、ただ、なして小田急側って完成10年も遅れたんだっけか…。ていうかなんか微妙に端ですかこれ? ああまあ、都庁は隣か。
…あり、京王プラザホテルの南館が建ったのも同じ昭和55年?
最終更新:2014年07月29日 07:25