エドモンド・モレル(英・明治)


日本の鉄道黎明期としてはネルソン・レー(こっちは詐欺師扱いだけどね)と共に必ず名前が出てくるんですが。
すごく大雑把に明治3年から明治4年までしか日本にいないというか、そこで病死されてるんですよね。
てかこの人、死因や死亡地の記述が地味に複数あるのね、なんでかしら??

話がまとめられていると英国公使(2代目)のパークスの紹介、とされているんですが。
実際のところはパークス系の人材ではあるものの、なぜかネルソン・レーに日本に紹介させていて「???」。
というか工部省の創設を提案し、日本には自然木材が潤沢だから枕木は賄えるよね、だとか、そもそもアジア圏での鉄道建設に慣れた方だったので軌間を相談してたってのも多分これが理由なんでしょうね。
個人的には当時の技術だと山がちな日本には狭軌のほうが良かったと思うんだけど。
高速化だなんだって言ったらまあ標準軌なんだけど、そこまで発展しなかった可能性もあるじゃん…。
(軌間ってのはレールの幅で、要するに幅が広いほうが上に乗ったもんが安定するんだけど、頭の中で思い浮かべたらわかると思うんですが狭いほうがいろんな面に貼り付けやすくなりますし曲がりやすくなるよね。)

日本人はもともと高い工業技術があるから、教育機関があれば大丈夫! とか、かなーり親切さん。
跨って2年しかいないのに今でも連綿と語り継がれてますし、鉄道の恩人としてもよく紹介されています。

そこを否定するつもりはないし、明らか人格者だとは思うんですが、もものまんじゅうにこの話をしていたら(褒め称えてるつもりだったんだけどね)。
「なんかそれ、当時の日本に送り込むには能力高すぎじゃね?」と言われ。
よく考えたらもっともというか、それ以上に明らかにどっか別のところから情報貰って来日してるよね?

てか、この人のネルソン・レーとの関わり方みたいな本で読んでいたんですが、レーが用意してるはずの(軌間を日本に確認することなく勝手に決めてた)車両があるのに日本側に「軌間どうします(*´∀`*)?」だの、レーが用意してた枕木を「自前で出来るのでいらねっす」と日本に断らせていたり。
どうもなんかおかしいww
というかそのあんまり評判が良くないネルソン・レーに焦点を当てた文章ってそれまで読んだことがなかったんですが。
このレーも実は英国公使パークスが日本に紹介しており、その後にエドモンド・モレルが「レーに紹介された」として登場し、その来日したモレルさんはすでにレーとの契約をしていたにも関わらず、なぜか明治政府とも直接の契約を交わしてるんですよね。
どうもこれ、「ネルソン・レー-日本」のラインが切れても日本に残れるような措置っぽいの。
実際その後そんな感じに進展したしね。
これ、モレル単独の意向のわけないよね…。
ちなみに日本側も契約関係の知識がなくてわりと言われた通りやっててなんだかわかってなさげ。
(日本側はまだその時点ではレーのこと疑ってなかったみたいです、モレル氏が来日したあとで事態が急変した感じ。)

で、その後、レーが政府への秘密借款の約束を勝手に公債にしてしまい、そうなった時点でオリエンタル銀行登場。
ざくっと契約を破棄してくれたんですが、この英国オリエンタル銀行も英国公使パークスの縁で日本と関係しています。

ところでこのパークス氏は性格がキツく、日本への口出しが煩く、評判のいい人ではありませんでした。
ただ、個人的には上の流れにパークス氏の意向以外を感じ取れないのは私だけではないと思う。
ていうか自分の人脈である純技術者をわさわざ他人に紹介させるのなんなんだよwww

モレル氏が善意の方だったということはもちろん大前提の上で、パークス氏に「ツンデレ」の称号を与えたいと思ってます。
植民地であろうがその独自の国民性と技術に敬意を示し、その選択を尊重する高い技術と経験を持った人物は自分の手で紹介すればいいだろう、山師紹介したことの詫びかこれはww
しかし、モレルさんはつくづく惜しい人でした…。
最終更新:2014年07月24日 03:54