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日露戦争(明治37年)


明治37年2月から明治38年9月までの間で、確かに近代戦としては短いですね。
国内工業が振興したようなことが語られていたんですが、この辺はまたおいおい。

ちょっと初めて聞いた話が載っていたのでメモがてら。

明治38年3月にフランスのパリ株式取引所の理事長ベルヌイユが高橋是清に、ロシアとの間に巨額の資本提供の関係があるために日本が無賠償に応じるならば5億~7億の日本公債のためにパリ金融市場を開放する、と申し出たらしいです。
(この時点ですでにロシアの戦局が苦しかったということのようですが。)

で、明治43年に「四分利債」が始めてフランスと日本の間に成立したようで。
ていうかその約束国内に向けて言っておけよ?! と日比谷の焼き討ち(賠償金なかったことの不服)を考えると思わないでもないんだけど、まあ戦争終結よりも半年も前だと履行されるかどうかわからなかったんだろうなー。
実際、そこの時点で受けなかった分、約束に足りてるかどうか証券史だけで見てもわからなかろうね。
フランス側が結構遅れてそれでも市場を日本に開いたのは、案外イギリスの意向とかもあるんだろうか。
この辺に関してはそれぞれの国際環境を見ないとわからんわ。

日露戦争はイギリス側の意向も強くあったのでイギリスは当然前後に公債の発行はしてるんだけどね。
それにもまー、一国だと限度あるしな…。
公債ってのはわかりにくいかな、要するに「金を貸してくれて」います。
直接国から国への借金じゃなくても、市場から資金が別の国の市場に流れ込んだら縮小するんだよね。
(資金がだぶついてるからってこともあるけど、大国から小国への融資はギャンブル性が高いというか高利なので、危険だけど開きさえすれば流れる資金はまああると考えるのが妥当ですかと。)

あと、意図ははっきりしないながら戦費としてはかなりユダヤ人から流れ込んできてますね(ユダヤ人ってのは「先祖伝来に継続する自称」として捉えてね☆ 普通に止める人も加わる人もいるからな)。
外債ってわりと目的が限られるものなんだけど、日露戦争のあとのはだいぶ自由に使えたんじゃなかろうか。

ところで「私鉄国有化」が明治39年から始まってるんですが。