川崎大師(川崎宿)


まだ情報持ってるわけではないので暫定的に。
前からちゃんとやらないと、と思ってるのに進んでなくて…。

馬車鉄道から電気鉄道に転換することすら揉めていた東京市内を尻目にさくっと先に電気鉄道が通る。
名目が真面目に「川崎大師参拝のため」となってます。
今のいわゆる京急・大師線。
京都、名古屋、続いての電気鉄道なので、他の路線がなくなってしまいまして、現存最古の電化鉄道。
ただ、どうもこの直後、というかまとめて箱根登山鉄道の前身、江ノ電の前身にも許可が出たんだよねー、と東京市電関係の本でさらっと書いてあって、え、どういう文脈?? と首を傾げたものの、それぞれちょっとずつスタイルが違うので開業とか電化転換の時期そのものが近いわけでもなくて他でそういうまとめられ方見たことないんだよなぁ。
神奈川の電化鉄道って意味でまとめられてるのはちょっと近いんだろうか。
どの道、10年くらい揉めてた東京市内よりは早いんですけどね…あんたもあんたで揉めすぎだよ。

あれこれひょっとして、京急でまとめるべきかせめて…。

参拝鉄道というところに特別な意味があった可能性というのはあるみたいです。
が、なんか今となるとよくわからない。
ていうかよく考えたらそもそも川崎大師に行きたーいってことで川崎宿も作られてるので伝統なんだろうか。
神社仏閣は江戸の頃は庶民にとってのアミューズメントパークなんだって☆

聖なる部分は多分遠くからでも文献でもわかると思うんですが、そうでもないみたいな娯楽部分は行ったほうがいいんだ。

関東での「初詣」の代表選手みたいなところがあったらしいです。
(最近たまに見ますが、近代までそもそも初詣なんていう習慣はなかったんだってね。)
その理由みたいな部分はよくわからないながら、いくつかの好条件が重なったこともあって、明治神宮が作られるくらいまではほとんど独走みたいな状態に見えるなぁ。まあ初期の頃は恵方に因んで、とか言ってたらしいんですが、そのうち関西のほうで争いすぎてどこでもええやん!! みたいなことになったっぽ。
関東ではそこまで酷くないけどね。
ちなみに関西で思い切り仕切ってたのは阪神さんとこでした。成功しすぎて神社さん側だったかキレてたわ。
そういや安田財閥系ってことで一時縁があったんじゃなかったっけ、京浜さんとことは。

ああまあ、そうだよなぁ、それで「大師電気鉄道」までならともかく東海道線と平行する京浜電気鉄道とか作ることがおいおい許可されてったんだもんなぁ、少なくとも前提として人の流動がなきゃ私鉄側だって作りたいって発想になんないよね。

電車と川崎大師が上手いこと分離出来てないよ…あとで構造考え直します。
最終更新:2014年07月15日 13:47