青バス(東京乗合自動車)


東京で(継続的な)始めてのバス会社、だと思う。
京王電気軌道がこれ以前に2年ほど自社線の補佐に使ってたりするんだよね。
それが大正2年から大正4年までの話で、青バスは大正7年に開業かな。

時々市バスに表立って喧嘩売ってるためむしろこちらのほうが優勢って認識してる人もいますが、規模的にミニマム。
ミニマムなので市バスとかじゃなくて小さな私鉄の市内軌道に喧嘩売っちゃあ買収狙ってたっぽい。
あ、軌道ってのは路面電車のことです、道路にぺたーっと走ってるあれ。

城東電車は買われました、西武軌道は逃げて川越鉄道辺りと一緒になったんだっけか?
(まああれです、最終的に今の西武鉄道になってったんですがマジで名前が西武軌道から来てるんだよ。)
王子電車はあれは地形がな、バスじゃ無理だな。
で、日本で始めての地下鉄に喧嘩売った時点で返り討ちにされて買収される。
が、地下鉄の父ちゃんである早川徳次氏によって「べ、別にいらねぇ…」というコメントが残されている。
よっぽどいらなかったんですね、と現代のメトロの中の人に話を振ったら「ええ」と静かに肯定されたので、多分他でも愚痴ってるんだと思います。東京地下鉄道系の資料はマジで営団→メトロが継いでます。

でも女性乗務員とか乗せてて評判は良かったんだよ(*´∀`*)はははは
実際のところ、これに目を付けられると結構ヤバかったらしい。
全体の経営の仕方さえ真っ当ならなあ…と思わないでもない、評判の良さだけ聞いてるとわりと面食らうな。
もともと青バスを結構規模の大きなところと思い込んでいたものの、東京の市内交通の話してるおじいちゃんたちが「青バスどない?」「シェアでは市バスのが圧倒的だったわ」みたいな言い方をしてる段階でよくよく思い返してみたら東の端の城東電車と、西の端の西武軌道に喧嘩売ってたことを思い出して、こいつの行動変じゃね?? と気付き。
それまで持っていたデータを総点検したらわりと大概だったって流れでしたww

というか東京市電はバスに興味がなかったんだ、と言われていたものの、社史(じゃないけど)の中で「京王にも青バスにも許可出しておいてなんなんだよー!!」と喚いてたので、あ、そっすか…、と感じ入る。
確か警視庁辺りがこの辺取り仕切ってるっぽい感じの文面だった気がする。
関東大震災(大正12年)のあとは軌道路線がなかなか復旧しなかったんで市バスがその補佐として走ることになりました。
青バスがこの時点でどう動いたんだかはよくわからない。

東京地下鉄道に買収されたのち昭和17年に営団地下鉄になるもんで、バス部門は(軌道も)東京市電のほうに投げられました。
んで、周辺私鉄の市内バス経路なんかと一緒に都バスの祖先の一つとして数えられるようになったって。

すごくどうでもいいけど前に「黒バス」と書いていたことがあって半日後に気付いた時にうおおお?! と叫んだことが…バスじゃないよバスケだよそれ。ボケならともかく無意識でやらかすとは思わなかったよ…。
そしてあと、このやんちゃさんが市内軌道に絡むせいで初期の軌道の歴史みたいなのを見る時に死ぬほど混乱してました、お前のせいかあああ!!
初期ですが今の富士急と同じ人が作ったっぽいよ。
最終更新:2014年07月15日 15:45