雑記:文或と近代もろもろ、154


5月18日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、だいたい大正8年から11年くらいです。
で、あと、第2巻の「勲章を貰った話」をすっ飛ばしてたのでここでまあ、あれ、一言というか…女性どうしたの女性?! みたいな部分がなかったほうが良かったです…ないバージョンで読んだのかなぁ前、単に気付かなかった可能性もある。
あれがあるとないとで印象が全く違うんだよ。
恋敵のおかげで勲章を貰うことになったのだ、みたいな概要(一ミリも嘘じゃない)を思い浮かべて読んだほうが感慨が深い、本を叩き付けたくなるような展開があります、貶してない、面白いよ多分! この作品に怒る人もいい人だと思うよ多分!

「小説「灰色の檻」」なんでかしらん、読後感が爽やか。
ただこれ、続編である「悪因縁」とか解説読んでるとどうもモデルいないのでは…? となるんだよね、理由は続編の辺りで。
まあなんか、人気作家となりつつあった菊池さんぽい人のところに、軍人でそこそこの作品を書く作家志望の人が訪ねて来て、なんだてめぇ感が上手く出てる。
ひたすら嫌な人かというと、若干親身になってやるべきなのではないかという上手い感じの匙加減になってるとも思う、ただ、大正8年の選集の中に入ってた時の面白さの突出が半端なかった、なんだろうなあの年代…どの作品も設定そっくりでさぁ…キモい。
「まどつく先生」、わりとあるんだけどこの手の展開。
かつて教師に対しての悪戯の先兵だったんだよ的な文士ってわりと少なくないと思うんだけど、なんか美談にしてたり反省してたりとかに落とし込んでるんだけどそれがない。
やっと悪いことしたと…わかるようになりましたごめんという、うん…わかる。


5月19日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻より、作品数がやたらと多いのでさくさく行きます。
「たちあな姫」、これどっかで読んだことがあるんじゃないかと思うんですが、菊池寛らしい作品かっていうとそんなことはないんだけど、日本にタチアナ姫(もっとも酷く惨殺されてしまったロシア皇帝一家の若い娘さん)に対して気持ちを傾けていた人がいたんだよ、というのは普通に時代の記録だもんなぁ。
まあそもそもは誤情報があって、別人の商人の娘さんを追い回してしまったみたいな話なんだけどね(各地でそういう扱い受けてた人だったっぽい)。
で、それ以来、逃げ延びたのだというその到着地に関して刻々と変わる噂を信じていたら、死体が発見されましたよ、という淡々とした語り。うん。

「友と友との間」、多分これ、有名な漱石令嬢の取り合い事件というゴシップが関わっていたという意味では読者数は他の作品とは比べ物にならないんじゃないかと思うんだけど、なんか全体的に菊池さんであろう語り部の立場が低いんだよね、なんか無意味に違う感じ、とはいえ、漱石一家から弾かれた辺り(確かに順序が悪い)は単純に事実まんまっぽいので全体のバランスはおかしくないんだけどね。
ひょっとして「無名作家の日記」と同一設定では? と思い返したらほぼ整合性という意味で合致するんじゃないのかな…。
「無名」でもそうなんだけどフェイク設定から次の展開に至ってる辺り、もともとどうだったの? という意味で気になるんだよな…、なんだろうなこの辺の機微。
「簡単な死去」、新聞社で自分を盛んに馬鹿にする同僚が死にました、全員あんまり行きたくなーい、みたいな、リアル、リアル…。


5月20日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、確か29作品だったと思うんだけど数え直そう。
「奥付の印」、書店の小僧さんがとある作家の家に行ったらば水すら貰えないし(さすがに頼めば貰えるけど女中さんじゃなくて奥さん出てきちゃった)、押しやすいハンコになってるのと雲泥の差だし、ていうか他所の家だとお菓子までくれて客間で作業させて貰えてハンコが掴みやすいんだぞ!!
という気持ちが祟って乱暴に押しまくったらあとで出入り禁止になって拳骨貰いましたみたいな作品だったんだけどね。
実話やろ、ていうか菓子やったの菊池さん家だろだいたい想像付くよ。

「神の如く弱し」、この本見て久米さんのどこが弱しなんだよ!! みたいなことを後輩が言ってたんだけど世間的にはそんなにイメージギャップないみたいねー、という辺りが前から謎い(親友の松岡さんの本でもかなり柄が悪い、そもそも漱石さんのご令嬢は松岡さんしかまともな礼儀振舞いをしてなかったから松岡さんに惚れたらしいんだよね、この大人しいの極みの久米さんなら最初からなんも波乱が起こってねぇよ)。
この辺の実際の展開は松岡さんの『漱石の印税帖』でだいたい読めるよ、ところで松岡さんが居候してたのは夏目家じゃなくて成瀬家です、正直重要展開が謎くなる。
あと菊池さんや松岡さんが恋愛事件に巻き込まれたのは久米さんに届いた怪文書を松岡さんが書いたって久米さんが漱石さんの未亡人に言ったせいであり、その辺が略されていたのは不公平だなと思ったよ、まあでも面白いよ話は。
「出世」、図書館に行ったら懐かしの下駄係が窓口に出世して、かなり朗らかになってた、みたいな作品、リアル、めっちゃリアル。


5月21日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、よし大丈夫29作品数え直した。
「勝負事」、これも確かどこかで読んだ、じいちゃんが賭け事で身代を完全に傾けて老境に入ってから反省したものの、それ以来腑抜けになってしまい、みたいな視点を父親から聞いた体で話してるんだけどね。
正直感動したんだよね…、じいさん懲りないなぁ、ていう作品でもあるんだけど、同時にこう、父親が許しに至った話でもあるんだよね、あーうん、わかる…。
「義勇」、多分「海の勇者」なんかと近い系統の作品じゃないかと思うんだけど、人を助けることによる犠牲の話。
でもこの話の場合、自己犠牲ではないんだよね。
変に美談にされるよりもどうしようもなかったとしてくれるほうがまだいい。

「形」、武勇を誇る武将が自分を象徴する飾りを若武者に貸したところ、みたいな感じで語られる話。
あれこれも何回か見てるね? 菊池作品って知らずに結構見てんなぁ、この時期の話が多いような気もする(短い話がめっちゃ多いんだよね、収録外もあると思う)。
「死床の願い」、妹の身体に醜いイボがあり、それが彼女をどれほどまでに傷付けたのかという話、これ、元ネタなんにもないのかね…実話だと思っちゃうよなぁ、なんかこう、女性の気持ちを理解する作家扱いももっともだよなぁ。
「盗者被盗者」、家に泥棒が入ったんだけどトータルで貰ったもののほうが多いような気がする話(女中を騙すためにカモフラージュで箱置いてった)、ついうっかり同情しそうになる気持ちがとてもよく伝わってきました、そこを伝えられてもwww


5月22日めも。く


『菊池寛文学全集』第3巻、文藝春秋の立ち上げが大正12年なので前年までね。
「M侯爵と写真師」、多分なんかしらのフェイクが噛ませてあって誰かってことはわかりにくくさせてると思うんだけど、こういう時に、まあ多分…どっちにも悪気みたいなものはなかったんだろうなという結論に達するのが菊池節だなって思うよ。
あれだよね、M侯爵はまさか本気にされてしまうとはね…、みたいな軽い反省をすべきだったと思ってる、軽くでいい、なかったことにはすんなそれは卑怯だ。
「笑い」、わりと有名武将とか出てきて、通夜のあるあるの笑い話かと思ったらところがどっこいラストでどーん、みたいなの。
どーんされても困りますぅ…、ありそうだけどさぁいかにも!
ただこれ、実際に似たようなことがあった可能性はあるよね、切腹というかクビ辺り。

「極楽」、芥川が好きだったらしくて勿体ないよいい雑誌に載せるから! みたいなこと言ってたらしいんですけど掲載雑誌が『改造』なんですよね、どこに載る予定で口利きはあったのかなかったのか、どのニュアンスのいい雑誌だったのかしら…。
この上なく善良なばあちゃんが死んで極楽でじいちゃんと合流したけども退屈。
唯一の楽しみは見たことのない地獄の妄想という、あるあるあるあるあるあるあるある、と思う気持ちがどこから湧いて出たのかを戸惑う展開、芥川ってほんとさぁ。
「名君」、ただ一人だけがなにやってんだよあんのクソガキ、とお答えになったという感じの部分が、名君という言葉がどこに掛かっていたのかという気持ちにさせるこの一品、わかる人だけにはわかるって作品は他にもあるよね。
あ、家茂公とその教育係の話です、頑張れあなたなら矯正出来るわ。


5月23日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、「真珠夫人」が大正9年ね、人気作家真っ只中くらい。
「義兵甚兵衛」、戯曲版のほうが好きなんだけど、あっちは甚兵衛が喜んでるので微妙な気持ちに押し込められるんだよね。
こちらだと虐めていた家族への罰の成分が多い感じで、皮肉な因果応報話なのかも。
「俊寛」、確か芥川が同じ題材で妙に似た感じの作品を書いていて、こっちの作品を見ていても思ったんだけど普段の両者の特性が微妙に混じり合ってていまだにどっちがどっちかいまいちわからないんだよね。
こう、ほら、菊池さんの作風って繊細にして槍投げみたいなところがあるじゃん適当に作った造語だけど、緻密な設定を読んでいたらいきなり勢いよく投げられるみたいな、そういう感じじゃなくて緩やかに諦めに至るみたいな感じの作品です。
諦めの中に再生があるみたいなね、なんか普通のいい話っぽいよね詰まんない!
ただまあ、悪い作品とかそんなことはないです、もう少しはっちゃけて良かったし、芥川の作品はもうちょっとダークな側面見せて欲しかったし。
しかしこの人は同時代のブームだったみたいなので仕方ないかー。
あれです、平家に落人にされちゃって島に流されて同行者たちは連れ戻されて、手違いで連れ戻していいはずなのに放置してたら普通に生きて原住民と結婚してたからまあうん、幸せだよー、みたいな人です、もうちょっとコク欲しかった。

「船医の立場」、外国船に日本の若者が乗り込み、いんや、その皮膚感染症だろう我々の国にないものだったらどうすんだよという船医と、その危険度と彼らの命は本当につり合いが取れていただろうかとあとで後悔する話、作品としては良かったよー。


5月24日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、この分だと解説にも触れられるかしら。
「島原心中」、ところでこの作品、弁護士さんの名前を忘れてたんだけど菊池さんが京都にいる時に三高にいた綾部さん? 綾部さんってご友人って本当に京都時代に交流あったって人だよね本名? いやなんか年齢差はなかったと思うからさすがにちょっと学歴に疑問がないでもないけど(菊池さんの進路はさすがに当時においても迷走気味)。
細かいことはわかりませんが、この指輪の処遇を巡って論争が起きた時に、菊池さんが一切反論しなかった理由は少しわかった気がするー。
てかまあ、この程度だとあるみたいよね。
とある女が心中した、いや、男が女の絶命に手を貸し、そして生き残ったのだ、みたいなことを暴いたあと、借金を返すために被害者から指輪を引っぺがしたいんだと宿屋の主人が申し出る話、まあうん、リアルよな。
「海の中にて」、ついうっかり芸者と深い仲になって里を追われた元教師と、それにしがみついて来てしまった女の話。
せめて別の地域に芸者として連れてってやるべきなのでは、と個人的には思う、さすがに同じ土地にいるのは本気で辛いだろ。
男に女さえ切れば支援もするよ、と言われる環境も生々しいよなぁ。

「由良之助役者」、いやあなんだうんわかる、あるよねそういうこと。
とある地方どざ廻りの中では少し高級な部類の劇団に、ある中央で演劇経験があると言われてる役者がおり、彼がとある役をやると常に大入りになる。
が、彼が休んで別の役者がやってもわりと普通に大入りになり、まあうん。まあ。


5月25日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、あと3作品ずつ扱うと解説1日分になるかにゃ。
「将棋の師」、ところで菊池さんって多分京都時代の孤独設定をまだ守ってると思うんですけども、1年目は予科だったこともあり本当に孤独で将棋くらいしか楽しみがなかったらしいのはうんわかった。
が、翌年以降には成瀬さんとこから弟さんともう一人の世話を頼まれ、綾部さんと再会、文芸部とは決裂、『新思潮』の第3次に参加したり久米さんから今度の芝居いいよー、というお手紙が来たりするので、じわじわとその辺の設定が浸食されてくんだよね。
その上で将棋指しに通うの楽しかったなー、娘さんも覚えててくれて嬉しいなー、みたいな話されてもだ、いつまで守ってるんだろうな孤独設定。
「マスク」、ていうか体格がまるんまるんのせいか健康ってイメージ強いんだけどね、実は心臓悪いんだよっていうことが妙にしれっと入ってて気になるのですが。
芥川が病院に連れてってたらしいので、多分そこから一年くらい隠してたかな? いや確証はないんですが、大正9年くらいまではそういう話がなく、大正10年に睡眠薬事件が起こってるので、まあ、心臓悪いって診断受けてたら深刻になるかなと推測してるだけなんだけどね。

「天の采配」、京都時代話で、上で触れてる久米さんからあの芝居いいよー、みたいなお手紙が来てたのはこの作品、どうもこの「マスク」「天の采配」「祝杯」とまとめて『改造』に載ってたらしいんですけども、どうも今まで隠してたことがばさばさ入ってるんだよね。
作品投稿して稼いでたんだよー、というのもこの話に入ってたね。
推測だけど、「無名作家の日記」と反する部分を隠してたんじゃないのかなぁ、掲載雑誌『中央公論』のライバル誌でばらすってなんか意味深。


5月26日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻、前の日からちょっと続いてる。
「祝杯」、ていや、わかったよ「青木の出京」と連動してる作品なのはよくわかったよ久米さんと一緒にいたこともこれかー、とわかったよ。
感情のベクトルが178度くらい違いすぎて作品が分離してるのもよくわかるわ!!
ぶっちゃけ「青木」においては未練たっぷりに見えたのに、この祝杯においてはいえーいラッキー、あっちは没落して俺らは単行本予定ー、みたいな乾杯を久米さんと二人してしてのけるみたいな感じの展開になっており、なんでこれをこんな短編でばらすのだろうかしかも『改造』で!
みたいなところがいろいろと気になるんだけど誰か分析してないの。
「悪因縁」、「小説「灰色の檻」」の続編であり、いやこれ、どっちかというとモデルがいなかったことを隠したろ、みたいな感じの感慨に至った。
だってさすがにここまで詳細書かれてたら誰かバレるよ、ただ一部言動モデルはいそう。
その人物と全く一致しない情報ぼんぼんぶっ込んでったって捉えたほうが無難そう。
しかし軍隊に詳しくないから相手に身バレさせてしまった…、みたいな後悔を軸として使うの本当に上手い、多分そこはマジで間違えたんだろうね。

「中傷者」、なんか世の中にはおかしな人間がいる、だがしかし、作品としてなんの落ちもなくてかなり疲れるみたいな凡作。
が、それまで創作仲間と良好な関係だったことが完全に隠されてたのにめっちゃ一気に解禁されてた、芥川とか別人かよみたいな扱いになってたし、面倒なのでどうせ付いてくると思って誘わなかった、とか、間がない間がない、どこの掲載だろうね?


5月27日めも。


『菊池寛文学全集』第3巻の解説で一個独立な感じで、個人的に平野謙さんというこの解説者さんてなんとも微妙な思い出がある人だったんですが、まあ、よくよく思い出してみると誰も別に嫌ってる感じでもないんだよね。
なんかたまに言い出す、的な扱いでそうなるとスルーされるみたいな?
が、ぶっちゃけると作品論という括りになると至極まとも、いや、もちろん意見が一致しないことはあるものの十二分に納得する材料で構成されていて、ちょっと白鳥さんを思い出したかな、作家に関して作品によって推測を行うと「作品のみで妄想」になるから駄目なんだよね結局、経歴語りたいなら経歴を語るための材料が他にあるのになんでそこを略してしまうんだよ、という気持ちになるんですが。
作品論としては全然オッケー、てか、作品論ならもっと読んでみたいなぁ。

で、この巻に含まれていた「友と友との間」や「神の如く弱し」などの作品を久米さんのことを立ち直らせることを第一の目的にしてたんじゃないのかなぁ、とか言ってたのはわりと賛同。
あとあれ、久米さんは純情な恋愛をものすごく数多く経験していただが相手が全く相手にしていなかった、てのは嘘だよね、だって筆子さんと結婚したいがために捨てられてしまった恋人が中条百合子さんだもの、さすがに普通に有名なので、なに言ってんだよこいつ、みたいに言われるのも無理はないね☆
だがぶっちゃけ、全部相手は素人ってことみたいなので、まあうんまあ。
結婚破棄するほどの材料にはならなかったのではないかな的なところが妥当なんじゃないかしら、あれいや、解説にほとんど触れなかったなまあいいか。

(文或と近代もろもろ、154)
最終更新:2019年06月29日 17:14