雑記:文或と近代もろもろ、151


4月18日めも。


リアルタイムは5月11日、母猫に延々とパソコンの不備の対処を教えながら「私の考える不具合の理由はこう!!」という理屈を聞かされ続けていました。
メールに付けるタグ(印みたいなやつ)をいじったため、相手から送られて来たメールの添付データが壊れてしまったんだ!
ていう感じの内容だったんですが、多分だいたい4時間くらいぶっ遠しで語っていたと思います、あまりの熱意にタグってものがどういうものなのか、一切説明を聞こうとせず、『別のタブで開きますか?』というメッセージが出たということをずっとその不具合を引き起こした理由の根拠として語り続けていました。
一応メールとして送られて来たものに、受け取り側として関与出来ないということは何度か説明してみたんですが、今も理解してはいないんじゃないのかな…。
タグはともかく、タブはインターネットエクスプローラーの画面で「これ」と指し示して、ついでに『新しいウィンドウで開きますか』という文章をアップルで開かないと駄目なんだ! という理解として提示して来ていたので、新しいウィンドウというのはタブと似たような新規画面で開くって意味だよと教え。
こちらは4割ほどの確率で理解してる可能性があるかと思います。
タグは多分大丈夫なんだけどね、ウィンドウは自信がないな…。
まあ、また出て来た時に覚えている可能性はどっちもほとんどないけど。

覚えられないのはいいんだけど、そこにある単語を適当に合体させながら意味を変え、それに従っての不具合の理屈を作り上げ。
対応しようとすると何時間もぶっ通しで語り続けるのは勘弁して欲しい…。


4月19日めも。


リアルタイムは4月13日、ぐだぐだです、ものすごくぐだぐだぐだぐだしています、とりあえず筋トレはあとでするとして…。
パソコン立ち上げたのも久々だなぁ。
あと、頭の中もぐるぐるしてるんだよなわりと最近。
どうにもこうにも煮詰まったので、1月半ばだった日付けをだいたい現在にまで近くなるようにしました、一応これメモ帳に書き付けてあるからね、何度もミスって日付けを改変したりもしたけどな…。
虚構の日付けなのになにをしているんだろう私と思わないでもない。
しかして、それ自体が娯楽の一種だと思うとなんということもない。
今はなにをしているのかというと、とうらぶで江戸城をちまちま回していまして(札が夕方5時までに3枚配布される)、文アルはなにをしていたっけ、あとあれ、パズルゲームと城を作ってくみたいな資材配分系ゲームをしていまして。
それと一日一回fgoにログインを。
どう見てもさすがにこれだと結構な手間だなぁ、ていう気もしないでもない、まああれ、パズルゲームも出来ればログインアイテムだけ貰うようにそろそろしたい。
城作ってくゲームだけ絞ってもう少し頑張るかなぁ。
一応これは建物作るのに1日以上掛かるみたいなことになってるから、数回ログインすればいい感じなんですけどねー、数分で終わる任務をやり込む癖が…。

なんだこれ、完全なゲーム疲れみたいになってるなあ。
多分これ自体、なんかの逃避だとは思うんだけどねー。


4月20日めも。


このページ、日付けがあっちこっちに飛んでるんですが、日付けを間違ったまま10日分を編成していたため、冒頭の「内容がないよう」みたいなものを切り張りして来た結果です、なんで一日分くらいこういうのがないと書き出さないんだろうな私。
完成度を高くしたいというのが創作意欲を削ぐもっとも強烈なファクターってやつ、本当にあれはなんなんだろうね…。
(そして完成しなければしないほど高いプライドを持っていられるみたいなやつ、中島敦の『山月記』の虎で表現されていたりもするよね。)

ええとあれ、これを書き始めたのは『大衆文士颯爽』という本を読んでいたら芥川の「羅生門」が文壇から無視されていたっていうフレーズを読んで、この辺どうにも曖昧に扱われてるよなぁ、ということを思い出していたんですが。
にゃ、違和感はあるんだけど、著者さんが悪いかっていうと悪くはないよな。
なんというか誰も触れないまま、現象としてはそれが事実としか言い様がないわけだし、というかそもそも、この時期の文壇ってのは漱石さんが作ってた朝日新聞の文芸欄と、かつての勢いはないものの生き残っている自然主義文壇ってことになるのかなぁ。
白樺はとりあえず勢力としてはまだ武者さんだけのはずです、んで、武者さんに関しては朝日新聞の文芸欄に参加していたはず、雑誌などにもう書くこともあったみたいだけどね、えーと、この辺のことはだいたい何年になるんだっけ正確に言うと…。
あれですね、大正4年に羅生門が発表されているぽいぽい。
まあまだ次の時代への変遷はしてないし、花袋vs武者さんって言われてる感じじゃないのかなぁ。


4月21日めも。


前日分の続き、ここに関しては芥川が『新思潮』の第4次を作る前などの随筆が結構有名なのでまずあれがおかしかったら修正が入ってると思うし問題ないと思うんですが。
(志賀さんがそのラインナップに入ってないって意味で挙げたことがあるやつ、あ、同人仲間としての知名度はかなりあったので存在は芥川らも知ってます。)

てか、前々から薄っすら考えているんだけど、この時代ってひょっとすると「素人っぽい私小説風」以外は文壇が扱わないんじゃないのかなぁ。
漱石さんの擁していた若者たちが例外かっていうと、そうでもなさそうなんだよね。
どうも傍目に、自然主義文壇とそう大して好みの差異はないっぽい。
なんとなくそうではないか、とは考えているものの、どうしてそうなったのかというのは正直なところ全くわかりません。
いや、なんでこれを考え始めたのかというと、菊池さんがそもそも歴史題材の作品が好きなものの、市場がどうにもなさげなんだよね。
文壇に認められなくても別にマーケットくらいあるんじゃないかなとは思えないでもないものの、そこにあるものが自分の鑑賞眼に耐えず、そのマーケットが進歩する可能性が皆無だったとしたら、まあ、詰むこともあるかなー、と。
ある意味で市場の発展にはインテリの存在が必要で、そのインテリが文学業界にあまりおらず、一部のインテリはだいたい私小説系となっている、と。
簡単に、現代小説のカテゴリのところに集まってると表現すればそこまでわかりにくくもないか、ちょっと前まで存在してなかった現代小説に拘る気持ちはわからんでもない。
で、そんな文壇の中で「羅生門」てのは、まあ、評価されるのかどうか…。


4月22日めも。


前々日からの続き。
昔から言ってますが芥川の趣味ってあれわりと一貫してわかりやすく、『聊斎志異』だの『日本霊異記』だのキリスト教の殉教説話だの、仏教説話だの、これらを読むにはなんというか歴史知識が多大に必要になるんですが、まあ、うん、なんとなくだけど好きな成分には察しが付くような気もします。
聊斎志異だけ読んだことがあるんだけど、民話ですねあれ。
なんというか怪談とか民話を綺麗に生成する前みたいなプリミティブなやつ。
オチがなーい、とかまたこの展開かーい、とかなに読んでいるのかわからなくなってきたんだけどだんだん、みたいな限界リミット。
菊池さんが芥川が聊斎志異を読み込んでいたということに驚愕と感嘆をしていたのだというのは漱石山房での話として信頼してる方が取り上げていたんですが。
その感嘆ってこう、自分のサイドに引き寄せた人格だと思い込んでいたような気もするんだよね、私も似たようなことになっていたんだけど。
「あんなに益体ない話が続くのに読むなんて!!」みたいな驚き?
これ、芥川はなにをしたいんだ一体! ということを呟いていた時に、多分私では理解しにくいんじゃないかな、と友人たちに指摘されてこう、少し考え直してみてなんとなくわかったような気もします、正直ありがとう。

私とか、多分菊池さんなんかにも苦痛なその「混沌」こそが好きなんだね芥川、となるのですが、じゃあその彼は、現代小説全盛の時代にそれで文壇に認められようとしたかというとどうもそうでもないような気もしてるんだよね。


4月23日めも。


だらだら続き。
そうして菊池さんが好きなものは歴史ものらしく、しかし書き講談は好きじゃない(聞きに行く分にはありらしいです)、世にある作品では多分あれ、鴎外さんが『東京日日』で連載していた歴史ものくらいしか水準的には満足しなかったんじゃないのかなー、という気もするんだよね。
好みかどうかっていうと微妙だけど。
微妙っていうか、読んではいたけどねって言い方だったのでちょっとね。
あとの時代の解釈だと純粋な文学の信奉者と、大衆的な作品を書いていて真逆ってされていることが多い芥川と菊池さんですが、果たして「現代小説全盛期」のこの時期にそこまで離れた派閥の存在だとか認識していたのかなぁ、というと、いや、本当にそんなことあり得るのかな、てのが正直なところなんだよな…。
まあ、好みはかなり違うんだけどねー、芥川の好きなものは菊池さんにとっては理知に欠けてるし、菊池さんの好きなものは芥川にとっては封建的だろうし。
この領域の交わるところで二人がちょいちょいお互いアンサーノベルを書いているのも、その順番で理解していくと別段不思議でも何でもない。
なんとなく相手方の好みで書いてるかもなぁ、てこともありますね、微笑ましい。

この理解の中に純文学とそうでもないものという観点を入れられてもなぁ。
同時代の文壇が歴史小説を受け入れなかったのはまあ間違いないんだし、芥川の書くものが現代小説かって言われても、私にはそうは見えないんだけど、そう見える人たちがいるのかどうか、現代小説では…ないよね「羅生門」も「鼻」も、多分…。


4月24日めも。


だらだらだらだら続き、あとえーと、ここ含めて4日分ですでっち上げます。
比較的まともな内容なのになんでちゃんと書かないかというと「現代小説しか評価しない」というところまではわかっているものの、実際の動向がよくわかっていないんですよね、誰が評論やっているのかどうかもわからないし。
逆の言い方をするとそこまでしかわかっていないので、そこで推理をしても与太にしかならないというか。
そういや菊池さんの伝記読んでたら本間久雄さんて人が作品の評価をしてくれたという話が『無名作家の日記』の前にあったようなんですが、この人って確か鴎外さんの近辺で見掛けてた人だなー。
多分この人の評価があったから中央公論のアンテナにはなんとか引っ掛かったってことにはなるのかな、なかったら厳しそう。
ただその評論においても世に認められるまでに至らない、と。
この近辺においては本当に同時代的な知識がなく、年表を見て隙間を妄想してるようなレベルでしかないことはもう一度触れておきます。
ある程度、こういう与太がないと先に進みづらいからなぁ。
あまりにもおかしな理屈は頭の中においては案外両立出来るものの、文章にすると自分ですらあれ、と思ったりするものだしねー、若干はマシになるんだ。

結局メイン文壇は菊池さんの『無名~』までなんだかんだと動かせなかったんじゃないのかな、あのなんとも素人っぽい感じの私小説…(であるかのように見える)。
明らかこなれてる作品乱発してるのに文章までとっぽくしてるあの…。


4月25日めも。


だらだらだらだらだらだらだらだら続き、そしてくどいですが証拠はありません(大正の初中期の頃、文壇が現代小説しか評価しない、までは多分良い、いわゆる玄人っぽい文章の人の青春小説だと最悪「エロ作品」ってレッテル貼られてそれやられるとさすがにちょっと立場が危ないという案件は何度も見てるけど一般化していいほどの件数でもない、研究者が判断すべきだと思うんだけど研究者がこの時代に踏み込んでいるのが見付けられない、面倒だよなわかる!!)。
(芥川の研究者とか菊池さんの研究者を読んでいてまだ一人もいないって意味ね、さすがに誰かはやっててもいいと思うんだけどまだ出会えてないのか…ううん。)

ぶっちゃけてこうやって芥川を「民話好き」、菊池さんを「歴史好き」として捉え、彼らが世に出るまで(芥川が菊池さんを助けた)を、文壇に認められるまで(菊池さんが芥川を助けた)協力し合ったって観点で見るとなんとなく素人っぽい感じに作り上げられた『無名作家の日記』は二人の合作に近いようなものではないかというのもそこまで突飛でもないと思うんだけどどうなのかなー。
いや、あの作品が実話であったのならばあれは芥川の許可はいらないんだ。
が、あの作品がかなり作り込んだという前提であれば、「誰が見ても芥川とわかる作中人物」が作中の菊池さんと反目していたということを作ったことになるわけで、まともな精神の持ち主なら許可取ってないとやんないだろそれは…。
むしろどっちかというと芥川の助言で「芥川と菊池」との反目に仕立てたってほうが自然じゃないかって思うんだけどまあこれはさすがに妄言。
まああれ、文壇に関しての構成調べてくしかないよね、楽しくないけどな!


4月26日めも。


ええと、あと2日分か、そろそろ書きたいことを書いてしまったのでなんとなくだれているんですが、いや、推理はいいんだ情報があってその組み立てはこうかな、となるやつ、そこにちょっとだけ妄想足すじゃないですか。
この妄想部分から新たな妄想を作るのは私の感覚で言うとアウトなんだ。
推理に付け足した妄想ならあり、妄想から派生した妄想はなし、そんな感じ。
にゃ、二次創作ならそこが本番なので存分にやるべきじゃないかと思います、ただし最初は材料集めてやったほうが楽しいと思うよまあ自由だけどね!!
なのでまあ、付け足すとしたら関係がないでもないだろう部分の情報であるべきだと思うんだけどえーと、どんなもんかなぁ…。
そういや菊池さんって要するに歴史ものの戯曲を『新思潮』で書いていたみたいなんですが、それがどうにも「尊敬に値しない」みたいなんだよね、テーマ小説みたいに呼ばれてるのがこれなのかな?
時期が曖昧だから自信はないんだけど、歴史ものばっかり書いていて文壇に認められやすい私小説(現代小説)を書こうとしない、そうでなきゃ尊敬出来るのにねぇ、みたいな会話してるらしき逸話をこないだ見掛けたんですよ。
まあわからんでもないじゃない、うるせぇなとは思うけど、そのほうが成功するんだからって意味なら仕方ない側面はある、実際に実行したわけだし。

この逸話を「通俗小説書いてるから尊敬出来ない」というニュアンスとして受け取ってる人がいらしてね、うん、責められるべきではないんだけどね。
出来れば今後、この書き換えは今後減らしていきたいんだよね…、書いてねぇよ。


4月27日めも。


前日からの直接の続きなんですが。
菊池さんが通俗小説を書いていた、新聞連載をしていたことに関して当時の若手の作家でそれ自体を責めることって正直あんまりないと思うんだよね…。
確かにあんまり感心されるようなことではないのは事実なんだ。
特に菊池さんが書いていたのは同時代においてもレベルが低めの挿絵付きの連載だったわけで、当人だって奥さんに言えなかったし読む人たちの層も微妙だったわけだし。

ただねぇ、新聞連載が書けるチャンスがあるのに書かないから偉いなんてのは、金持ちの道楽者しか言わないと思うよ正直なところ…(そして菊池さんと対立して責めてた人たちって本当に一種の高等遊民ばっかりだったよ…)。
とはいえ菊池さんの場合は新聞連載を書いたことではなく、どう考えても困ってない時代にも量産してったという意味で、多少の苦言を行う人なんてのもいるんだけどね。
この辺もこの辺で構わないなと思ってます、そもそも文壇に認められている作家が文壇評価なんか無関係の作品を量産してたらある意味で文壇軽視とも見えるしなぁ。
芥川なんかも含めて、別段問題あるとは思ってないです、問題視もされてない。
が、この辺の流れを初期の頃の「歴史題材の戯曲=文壇には全く認められない作品」を書いていることと混ぜて考え、菊池さんの経歴そのものを再構成するのはどうなんだよというか、さすがにこれにはいらっとしても許されると思うんだよね…。
研究者で混ぜてる人はさすがにまずいないんだけど、それ以下の人の扱った本だとないでもないんだよなぁ。
ていうか、川口松太郎氏なんかもそういう物言いしてたわ…違うって…。

(文或と近代もろもろ、151)
最終更新:2019年05月14日 18:20