雑記:文或と近代もろもろ、147


3月9日めも。


リアルタイムは5月13日、前回の【雑記146】でまあ主に朔ちゃんのことをざくざく刺していたんですが、まあ、芥川と朔ちゃんの関係を「芸術性の極み」と考えることが出来ないというのがまず全てなので気にしないで下さい。
一言で言うと朔ちゃんが芥川の芸術性を「上からジャッジ」してる時点で礼儀としてアウトであり、師匠持ちの先輩の友人だろそれ、としか言い様がないんだよなぁ…。
しかも朔ちゃんは詩人として廃業寸前の時に出会ってる。
正直、正気が残っていたら上からジャッジなんかしないと思うんだけどね。
対等の立場でもって、貴方の作品は認めない、なら全く構わないと思います、はー、やれやれ、なんなんだこれは…あまりにもお話にならないにも程が…(俳句に関して青空文庫に収録されてるやつ)。
という態度は「俳句の主流者を師匠に持ち、先輩詩人の友人」に取るのはまあ普通に、どこの頂点さんですかとしか言い様がないんだよね。
ただ、芸術性を感じないって意味であって、人間性としてあり得ないかというと別段そこまででもなく。

まあ、芥川の巧妙な持ち上げのせいでよくよく考えたら言質になるような言動が皆無のままに頂点まで持ち上げられた上に地獄まで突き落とされた可能性もあるので…。
朔ちゃんこれ、芥川を弟子かなんかと勘違いしてんのかよ? …いや、弟子であるかのように勘違いさせる言動させかねない男だったわ、みたいな結論になり。
芸術性ばっかりは薄い話だよな、という感じのまあ、収まりどころに。
芸術家が泥仕合したら駄目かっていうと別にそうでもないです、人間だし。


3月10日めも。


他でも書いたかもしれないんだけど、こないだ春秋社の木村毅さんという人の本を読んでいたんですよね、この人は早稲田出身の人なんですが、新潮の雑誌『文章倶楽部』で文学教育みたいな連載を持ち始めたくらいの時期。
だいたい同級生(いろんな事情で曖昧なんだよ兵役とか…)である人の襲撃を受け、「俺は芥川の庇護を得た!!」と威張りに来たそうです。
が、その後、見事に名前を一切残さずにお消えになりましたみたいな顛末だったのですが、ぶっちゃけ無職の同級生文士にならいいと思うんだわ。
なんで弱小出版社とは言え重鎮、比較的古参になり掛けている新潮社の連載を持つようになった段階で親しくもない相手に突進されてしまったのか…。
さすがに芥川の持ち上げ方がそこそこの信憑性を帯びていたからでは…、とはなるんだよね、ところで無名の作家たちの中でも見たことなかったよその人本当に…。
親しくなってからならばこう、まだしもわかるんだ。
雑誌へのコネを持ったってことにはなるんだろうし。
芥川は周囲にわらわらわらわらと若手がいる作家だし、さすがにそんなにすぐに鵜呑みにしたとも思いにくいんだよね…、そして芥川のことなので言質を取られるような口約束などをするようなこともなかったと思うんだよね。
なにをどう言われて未来保障がされたとまで思ってしまったのか…。

ところでその木村さん、よくよく考えるとそのあとに菊池さんからアプローチされてたんですが、「〇〇教えて」「資料送りますね」で返してたの、その一件があったせいかもな、人気作家怖いって思っててもある意味で無理もないな?


3月11日めも。


ところでついでに春秋社の話とか『文章倶楽部』の話をしようと思うんですが、木村さんの本をどうも出版社研究の人が見付けてないっぽいのはちょっとびっくりしたなぁ、この人の知名度が低かったら仕方ないようなものなんですが、知ってる人は普通に知っていて資料として扱ってるんだよね(いや、本を資料にしているというより、木村さんの同時代の言動って形で取り扱ってたけど)。
本来ならば気になったら読んで当然という人の情報が継承されてないってことだよね、本の種類によっては普通にあるけど、どうも情報の共有されてない節があるかもなぁ。
さらにこの木村さんの場合、円本の主要3種のアドバイザーをしていたとのことなので、そら、全体的な売り上げが行き詰るのも無理もないのでは?! みたいな重要案件が円本研究の人たちにも把握されてなかったっぽいし。
どこかでこの人や、その周辺の系譜がどうも失われてるみたいなんだよなぁ…。
白樺推しの方は早稲田系が失われているのではないかと言っていたんですが、あー、確かにその可能性はありそそう…。
白鳥さんと逍遥さんが早稲田の中でつながってるってのも、多少読み込まないと出てこなかったしねぇ。

あとあれ、春秋社は乱歩さんの『探偵小説四十年』にも出てきてたんですが、戦時中に満州に支店を作っていたらしく、これ、講談社と文藝春秋がやっていたのと同じ「紙の配給割り当て」を増やす措置じゃないのかな。
てことは、戦時中にもかなり財力に余裕があったってことに…なるんじゃないのだろうかこれ、そんなに大きな出版社ってことくらいは知っておきたかった…。


3月12日めも。


あとあれ『文章倶楽部』(大正初期くらい)の話。
えーと『文芸倶楽部』(明治後期くらい)をモデルにして『講談倶楽部』が作られ、ここから倶楽部系という系譜が始まっているんですが(大雑把に講談から始まってのちに通俗小説、大衆小説はちょっと別口かも)、『文芸~』よりもあとに存在していた『文章~』だけがちょっと違うんだよね、要するに倶楽部系って認識が確立するよりも前だからその隙間で存在していたのではないかと思うのですが。
しかしざっくり言うとこの『文章~』も、新潮社において『新潮』の下位の雑誌として存在しており、もともと本誌である新潮に存在していた文壇ゴシップや文学教育、投稿などを担当していたみたいなんだよね。
こう、たまに大家の小説を載せることもないんですがなんというかニュアンスが微妙。
というより、そもそも文学教育そのものを行う雑誌ってのが若干格が低いみたいなんですが、その中においては純文学のみ、て立場でもあるのかな…(博文館の『新青年』とか『新趣味』は純文学以外に門戸開いてたみたいだしなぁ)。
それでもゴシップ部門も一緒にあるんだけどね。
なんともこう、複雑なので、雑誌の順列が語られている時はそもそも若干警戒しておいたほうがいいってことなのかもなぁ。

いや、ここの『文章倶楽部』に関してきちんとまとめられてる気はしない。あとなんか雑誌名が似ててよく混ざる。
これは春秋社の木村さんが連載書いていた雑誌だったんですけどねー、一流雑誌じゃなくて投稿雑誌の中で純文学寄りって話だったんだな、と納得したので書いておくのです。


3月13日めも。


もう一個雑誌について書いておくのですが、そもそも『文章倶楽部』に関してなんとなくあー、そっか、そういう意味か、というのがわかったのって乱歩さんの書いてた『文章世界』→『新趣味』、『冒険世界』→『新青年』っていう流れのほうだったんだよね。
文章世界ってのは花袋が主催やってた雑誌なんだけど、これが投稿雑誌の集大成と呼ばれていたんだよね。
で、新趣味ってのはどうも探偵作家たちのわりと定番の投稿先だったみたいなんだよね(新青年が格上、その下が新趣味、雑誌業界でもこの同じ出版社において格上、格下のセットってよくあったりします)。

すごく大雑把になにが言いたいのかというと文章倶楽部って文章世界の後継者として存在したかったんじゃないのかなー、と。
いや、文章世界が博文館で、文章倶楽部が新潮なのですごく正しいかっていうとそうでもないんだけども、後継雑誌がカラーをがらっと変えている場合、文学青年たちにとっての反感を買ったかっていうとそこは正直ないとは思うんだよね。
まあただ、文章世界がカラーを変えてしまったそこにはそれなりの理由があり、文章倶楽部がストレートにあとを引き継いだかというとそうもならなかったんじゃないのか、と捉えると全体的にわかりやすい気もします。
この文章倶楽部のほうも最終的に大衆雑誌である『日の出』へと転身を重ねてったみたいなことも言われてるしなぁ。
こうやって純文学でなくなると雑誌の系譜が追いにくいからちょっと辛いんだよね…、よもや乱歩さんの本でパズルのピースが完成するとは思ってなかったよ。

3月14日めも。


あとえーと、なんか最近見たものあったかな…まあ、昨日くらいから(リアルタイムは5月13日)永井龍男さんて方が書いた菊池さんの本と『大正文士颯爽』っていう小山文雄さんの書いた「佐佐木茂索さんと小島政二郎くん」の本を読んでいるんですけども、まあその辺はもうちょっとちゃんとまとめるとして、なんか。
あ、思い出した!
前に新潮社長の本を読んでいた時に菊池さんから演劇の雑誌を出して欲しいんだー、というような記述があったんですが、この雑誌の名前が実は地味にわからない、演劇関係の年表などでたまに見掛ける『演劇新潮』のことだろうか、いやでもしかし、これ発行が文藝春秋ってことになってるよな別の雑誌かな、とまず一度なり。
昨日読んだ菊池さんの本でようやっと新潮が放棄した雑誌を引き受けることになったよ、という経緯が読めました。
一言言っておいてよ新潮社長、別に一言でいいから!!
あと、よくよく考えたら菊池さんが頼んだ、という一件に触れていなかったのでお相子という話なのか、それとも永井さんからして知らなかったのかどっちだ…。
ええと、この永井さんは文藝春秋の最古参の方です。
2代め社長の佐佐木さんより普通に古株(いや、佐佐木さんも初期から関わってるけど結構他の出版社にもいるからね)。

あと、文藝春秋では『演劇新潮』の引き受けのあとに映画雑誌も立ち上げてたんだけど調べないとわからないのでまたあとで!
ぶっちゃけその雑誌はあんまり見たことないのでテンション上がらないんだ。

3月15日めも。


あとそういや、小説家協会ってのがあるんですが、これが著作権の保護などを目的としているとわりと前から聞いていたんですが、どうもそれは平行して作っていた兄弟団体である演芸家協会のほうが自然とその側面で戦ったいたため(すごくばっさり言うと、旨味のある演目なんてものがそれ以前になかったんだろうね、ちょうど過渡期だったんじゃないかと思う)、兄弟が合体する時に自然にその役割を引き継いだんじゃないのかなぁ。
著作権、あるんだかないんだかどうにも曖昧なんだよな。
菊池さんは文芸家協会(兄弟合体)がそれを成立させた途端にやたらと有名になって知名度が上がったみたいなことを言っていたんだけど。
設立から合体までの経緯を考えるとあまり親切な説明ではないし。
まあただ、実際にその活動は行ってはいたんだろうって部分は疑ってないです、なんというか菊池さんの場合「間違ったこと言うと叩かれる」立場なのでそんな世間的に知られたみたいな案件に関してはそもそも信用してるんだけどね。
(ただやっぱりこう、前半はなんかそれっぽく糊塗してたね、とも思ってる。)
(しかし菊池さんの立場からそんな弱みのようなことを明言する必要もなく、事情を知ってる人が後世言うのがやっぱり正しいんじゃないかな。)

えっとそもそも小説家協会がなにかというと、経済的な相互扶助組織だったんだって、が、ぶっちゃけると作った前後の時代で作家たちの活躍の場が増え、本を出版するたびに印税の一部を寄付ってのも、全体の冊数あれだけ増えるとあまり適当でもない…。
いわゆる弱い立場の作家たちのために、著作権の自動成立を考えた、てことでいいのかな? という方針の転換も無理もないところはあるかもなー。


3月16日めも。


今回なんとなく内容がごった煮になってる、というか、むしろ個別でばらばらに挙げていくには若干まともな内容が含まれがちな風情なんですが、雑誌に関しての情報ってだいたいこんな感じでわりとあちこちに散らばってるんだよねいつも。
あと、直接関係の薄い同時代の雑誌で「あっ、このせいか!」みたいな感じにわかることもあるしなー、今回のあれ、乱歩さんの仲間が投稿していた『新趣味』と『文章倶楽部』なんかの多分こんな感じじゃないかなって関係の話ですね。
(推測ちゃあ推測だけど、これはまあ間違ってても叱られるような案件ではない。)
どうやってもこの辺がかい摘まんで説明しにくいんだけども、さて覚えてられるかなぁ。
まあ、『新青年』くらいの存在感がある雑誌から中心に覚えていけばそこまで面倒ではないと思うんだけどねー。
あと存在感があるのが『文章世界』か、花袋の雑誌、て覚え方してます。
えーとね、探偵小説を生み出したのが新青年でもともとは探偵小説に関しては翻訳中心で(この物言いしてる時ってね、有名作家の探偵小説趣向の作品なら大歓迎なんだけどな! そんなものが貰える格の雑誌ではなかったっぽい気もしてる)、多分探偵小説以外も載っていたんだろうね。
よくよく考えたら新青年を育てたのはそれこそ乱歩さんなのかもなー。
で、新趣味までその傾向含みへとシフトしてったって感じか(こっちはなんでもありでしょ要するに)、というか、新青年がなんでもあり雑誌でなくなっていったのでなんでもあり雑誌として格下げ食らった感じかもなー。

あ、推測です推測、ここは間違ってたら叱られるかもな…。


3月17日めも。


というか最近ぽちぽちと気になっていたんですが、もともと「通俗小説」って呼ばれてるものって新聞小説のことを指してるんじゃないかと思うんですが、レベルの高い低いじゃなくて、わりと毎回山場があるかないかみたいなの。
単行本にまとめて書き直してやっと人気出たことがあったとか、この作家はまとめて読むと脳が錯乱してるとしか思えない!! みたいに言われるやつ。
ジャンプの少年漫画なんかも昔は酷かったですよね辻褄。
あれはレベルが低いという問題ではなく書き方による制約だったんですが。
ところが有名作家の小説だと山場がなくても多少行儀よく待つので若干書き方が違ったり (これが紅葉先生だと思う、しかし多少なので誰にでもは無理)、辻褄が若干怪しいけどまとめて読んでも錯乱までは至らないなど(菊池さん多分これ)。
そういう進化をしてったんじゃないかと思うんですよ。

というか内容がしょうもなくても新聞小説でない限り、文壇小説と見做されていたんじゃないのかなー、かつては。
講談なんかもそうなんだけど、人気はあるけどあくまで穴埋めであって、講談・浪曲特集みたいなことはあっても『講談倶楽部』まで単独雑誌なかったみたいだし。
講談倶楽部が始まって通俗小説が通俗小説として見えるようになったんじゃないのかなー、と思ってるんですけどね、それまでって多分、作品単位でなんとなくふわっと呼んでいたんじゃないかと思うんだよ。
ええとあれ、掲載場所によって認識が変化するみたいな話ですね、多分。
認識が変化したあとで作品への枠組みが強化されたんじゃないかなって思ってる。


3月18日めも。


なにが言いたいのかというとこれがどうも久米さんが受けていた通俗小説扱いじゃないかなー、と思ってるんだけどね(載ってるのが新聞だから通俗小説だねって物理的な扱いの場合、そもそも無意味な指摘になると思うんだ)、通俗小説飛び越えて菊池幽芳とか徳冨蘆花なんかの家庭小説じゃないかなって言われたらまあなんというかそれもそれで物理的に似てるってだけの話でこれも揉める気がしない。
それこそ、秋声が書いてた家庭小説(新派の題材になった)と近いって話をしたらばもうそれは真剣な分析の類だと思うし。
久米さんが反論してたってのはそれがいわゆる見下しだからだと思うんだよね。
てか、菊池さんの新聞小説に関して通俗小説って呼んでも多分意味はないんだ、「うん、その手法で書いてる」が唯一無二の答えだろうからな、ここで揉めるのは若干盲目のファンって気もしないでもないし、あんまり分析的ではない。

そしてそもそも、「純文学の優越」とやらが薄ぼんやりと生じ始めたのってその辺なんじゃないのかなー、と思ってるんだよね。
まあ、そもそも久米さんは新聞にも書いてるけど婦人雑誌にも書いてるけど、婦人雑誌はいわゆる『講談倶楽部』よりもレベルが低く、のちの大衆雑誌(キング)の原型になったって言われてるからなぁ。
その層であるはずの雑誌に載って、比較的堅調に人気を保っていったってのはこう、なんだろう、強いて名前付けなくても幽芳さんや蘆花さんとご一緒して貰うのが妥当だと思うけど(そこよりも展開地味だけどそこより人気が上…なんだあの人)。
カテゴライズって、こう、目的もなくやるもんでもないよなしみじみ…。

(文或と近代もろもろ、147)
最終更新:2019年05月13日 20:36