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甲州街道(江戸五街道)


江戸五街道の一つ。
古代東海道(>七道駅路)を基調にした東海道、東山道を組み替えた中山道、奥羽街道、日光街道などと違って江戸時代に始めて公道に指定される。
ただもともと尾根伝いが多い自然道なので「伝路」の一つかもしれないね。
(伝路は特に記録が残らない。)

甲州街道の名前の通り、甲州を目指し中山道と合流するよ。
(現在のJR中央線は大雑把にそのルートになってるよ。)
徳川の私道と言われていて、最初にこの道を通って江戸に入り、最後に幕府が落とされた軍勢もこの道を通ったってさ。
大八車(今のリアカーみたいな作り)の通れる道だったものの重量制限があったってのも、武器の持ち込みへの警戒かも。

現在は国道20号線、2桁なので明治国道分類。わりと普段使いで「甲州街道」と呼ばれています。
上にはどーんと首都高4号線。
そっから中央高速道につながるんですが、これは20号と完全に沿ってはないですね、中央本線や国道20号が前提になってるんだろうけど微妙に位置関係はわからん、まあ単純に技術&土地取得の事情で出来てる部分多かろうね。

どうでもいいけど大國魂神社(武蔵総社)の門前に旧・甲州街道が通ってたのでむせる。なんで直結してんだよ。
威厳はどうした参道通らなくていいのかwww
というか「旧」って呼ばれてる時点で現在の国道20号線が「今」の甲州街道って認識か、ちょっと不思議。

どうも江戸の頃には甲州街道沿いが直轄地になっていた関係か、地元民が主の産業道路だったらしい。
産業道路としての裏街道は青梅街道。
裏街道ってのは「○○の裏街道」みたいな感じなので固定的な地位ではありません。今のバイパスに近い概念かも。
多摩の辺りに玉川上水を分水して作った武蔵野新田ってのがあったんで、多分米運んでたんだと思うわ。
船でも運べないわけでもないんだけど、濡れると発酵するから陸路のほうが都合が良かったんじゃないかな。
江戸の人口は半ば不自然に膨れ上がってたんで、こういう措置が必要だったみたいです、野菜はもうちょっと近い地域に点在してますよ。葛西菜とか練馬大根とかああいう感じの、これも幕府主導だったっぽいね。

江戸初期の頃の玉川上水の計画図の中では「八王子海道」って呼ばれてる模様。
もともとこの地域もしくは道の名前が(東日本は江戸くらいまで基本的に房総くらいしか発展してないんだよね)、「東山道」と「東海道」なんですが、これは要するに山側と海側って程度の意味ですね。山道ってのは「山のある国を通る道」って意味で海道ってのはどうもnot山道って意味しかないようです。
街道ってのはこれも要するに愛称らしいんだけど、カイドウって音が同じせいもあるのかしら?

正式名称は「甲州道中」みたいですね、ちょっと座りが悪いかも。

甲州街道沿道