雑記:文或と近代もろもろ、150


4月8日めも。


リアルタイムは4月13日、ゲームの話、とはいえ、とうらぶをやっている時はなんかしら他のことを大抵一緒にやっていることが多いですし、文アルの時はよく本を読んでいます、ある程度なにも見なくても出来るようになっているし。
正直、本を一緒に読めている時はいいような気もする。
わりとこう、とうらぶとはアニメを一緒に見てますね。
数分単位を延々と待たされる城ゲームは…、これは本を読めばいいのか。
このゲームをしたことによって満足感があるかというと、どう、どうなんだろう。
ログインしてアイテムを貰う程度の愛着ならまだあるって言い切れるんだけど、たまに忘れるとストレスになるけど続けてるし。
ここのところは一応割り切ってるんですよね。
一日一回のログインだけなら貰えるもののほうが多い。
忘れててもストレスを溜めるべきでもない、と認識すべきって思ってるとか。

まあでも、ストレスって他にもいろいろあるかなぁ。
現代、いつから始まったんだっけあれ、女性差別に関しての問題がぐわーっと、地獄の窯の蓋が開いたみたいな風情になっていまして。
昔こういうのあったなぁ、となる。
あの時点では匿名の場所に、そういう人間がいるってある程度わかった上で踏み込んでいたんだけども、SNSにおいてはいきなり襲って来るみたいな感じなんだよね、個人の話してても必ず来るみたいな人たちがいる。
女が目立つことそのものがもうアウトみたいな、なんだろうなあれ…。


4月9日めも。


この手の話は基本的に「近寄るな」って言われるんですよね、同じ条件を持っていない人たちはまあ大抵そういうことを言う。
多分ものすごく少ないイメージなのよねあれ…。
前にだいたいの概算みたいなことを考えていたんですが、例えば痴漢なら成人男性の全てが痴漢だとは特に思っていない、正直数割は問題ないからやってみたいと思っているとして、それはまあ、ラブホテルで同意を得てその手のプレイをしたら興奮したみたいな、それはいいんだよね別に。
やるのと考えるのはやっぱり別物なんだよね。
しかし、考えてる人の一部はやっぱりやる人を擁護することもあるように思う。
そして実数として100人に1人くらいじゃないのかなぁ、残り4人くらいは擁護に回ってしまってるような気もする。
彼らが手を出さないのは醜い女ではなく、泣き寝入りしてくれなさそうな女ではないのか、5%は罵倒を繰り返せば泣き寝入りをするだろう女たちをものすごく頻繁に責め立てている、そんな感じの構図じゃないのかなぁ、と、まあ。
概算ですけど、起こってる現象からするとこんな感じ。
25人が周囲にいるとして6割が男性だと、数日に1回ほどその手のなんか気配がやばい人と自然に遭遇し、泣き寝入り力が高そうな女だとやられる感じ。
泣き寝入り力がもっと高そうだと遠くからやってくるので毎日もまあありうる。
満員電車じゃなきゃ成立しない確率だよねー、これ。

全員が痴漢だ! とは言ってないんだよね、毎日はありうるって話なのよね。


4月10日めも。


成人男性100人に1人の痴漢がいるとまではまあ納得されるだろうとして。
だが、さあ完全に避けるためにはどうしたらいいのか、ということを聞かれた時に、こういう数字を頭で把握していないと、「満員電車に乗るのが悪いんだろ」って言ってしまう人たちがいるわけですね。
直接言ってしまう人は要するに何人が周囲にいるのかが把握出来てない。
避けられると思ってる人は満員電車に関してを深く考えたことがない。
さすがにねー、電車に乗らずに痴漢に遭う確率は低いって言われたらかなり低いと思う、夜道のはそこまでエンカウントしない(これは土地による)。
日本の社会において電車に乗らずに生活することが難しいってことが頭にない。
ないわけはないんだよな、男にはこういうことはまず言う人がいない。
あまつさえ、5%ほどの痴漢を真剣に擁護したい人たちよりもかなり多い人たちが、電車に乗る時点で痴漢に遭うことは自業自得理論になってしまう。
どこで分離してるのかは推測するしかないながら、これは完全にこういう傾向がある。
繰り返すけど男に言う人はいないんだよね。

これはこう、男にぶら下がって生きれば電車に乗る必要はない、痴漢に遭いたくなければ誰かの庇護下に入りなさいみたいな理屈なのかもしれないんですが。
しかし現代においては普通の結婚相手に子どもまで含めた経済力のある人があまりおらず、その手の方は正直つり合いの取れる女と結婚する傾向があり。
じじいの愛人になれば痴漢に遭わなくて済むのもわからず、電車に乗るなんて自業自得的な物言いに論理的に帰結していくという、壮絶なことに。はははは。


4月11日めも。


そもそも痴漢が成人男性の100人に1人くらいじゃないかな、というのは前に女性に関しても聞いたことがある数字とも合致してるんですが。
バスから降りた女性片っ端に「セックスしたい」と声を掛けると90人には殴られるが100人に1人から2人ほどホテルに行けるという。
まあそういう男性がいたって紹介されていたんですが。
これを聞いた普通の男性がどう思うかわかりませんが、あー、そうなの、というのが実際の私の女の友人や家族の反応であり、その片っ端からセックスを誘うという行為がアウトかって言われるとぎりぎり、痴漢とどっちがマシかと聞かれて痴漢がマシって答える女はいないんじゃないかと思うんですが。
確かにいるんですよね、女性の中にも100人に1人前後。
殴られながら後追いをせずに1%を探す男は理解出来る。
100分の1の確率を夢見て、泣き寝入り力が高そうな何度も何度も下手すると毎日のように同じ目に遭っている女を追い回し、相手が誘ったんだと語る人のほうが何千倍も理解出来ないと思うんですよね、女は。

バス停じゃないともっといいです、軽く声を掛けるが速攻離脱。
相手が誰でも比較的構わない女性を探すことはいいんだ、そういう女性はそもそも嫌な相手には抵抗するだろうし、そういう女性が好きでそういう女性とたくさん遊んでる男はもうバス停以上に好きにしろ以外に言うべきことがない。
男慣れしてない抵抗出来なさそうな君たちに声を掛けて追い回す自分たちよりもあんな遊び人がどこがいいんだと言われても、え、3万倍真っ当だろ最初からってなるよね。


4月12日めも。


ところでリアルタイム日付けになったんですが、これのどこが最近の話だ、みたいなことになり、とはいえ、頭のもやもやは少し晴れたかなぁ。
まあなんというか、至極日常的に修羅の道を見せられており、たまに反論があるとそれがどんなに間違っているかっていう説教が回ってきてたんですよね、今まで。
反論のほうがあんまり回って来なくなったんだよね。

要するに私はついったをやっているわけですが、男性とつながっていますが、男性はマニアの方がかなり多く。
多少の差別意識はあっても痴漢を是とするような人たちはいないんですよ。
というか、周囲のその手の意識が全くない女性たちよりもはるかに早くその手の反応をすることがなくなっていたんですが。
最近まで普通のオタク女性は、「泣き寝入り力が弱くなって来た嘆かわしい現代女性」への批判に敏感に反応し、そうね、あいつらを泣き寝入りさせないと社会が駄目になっちゃうわ!! みたいな感じに語っていらしたわけなんですけどね。
少しずつ減ってくるとまあ、なんだ、ぐるぐるするしもやもやするし…。
今まで当然だったことが異常になっていく段階でこう、今まで深く考えては不幸になるだけだったことの蓋が開き、考えるようになったのかなぁ、とも思うんですが、正直なところ不明です。
痴漢は全員突き出して終わる社会ならなかった苦悩だよなぁこれ。
「泣き寝入りをすることの出来ない現代女性たち」というオブラートだけはまあ、人間でも破ることが出来たのねぇ、とまあ、そんなことを。


4月13日めも。


現在紅茶を入れて20分ほど待っているところです、4月18日、何日まで書くことにするのかは不明です、どうせ日付けを近づけたならゲームのことでもなんでも書けばいいのにねぇ、とも思わないでもないんだけど。
あと、昨日まで読んでいた本に関してのもろもろを吐き出そうと思ったものの、そもそも古い本だからいつでもいいか、と考え直し、あとで古い日付けで書きます。

そういやこの雑記のページはわりと女性差別についてのことをぐだぐだと愚痴っているんですけども、近代において「女性向け」というのは差別でもなんでもなくレベルが低いです、というか、インテリが少ないのは物理的に事実だから、必ずしも差別とは言い難くてあの…がっつりインテリだと男性集団のほうにいるんだよね。
まあ、それで身を立てられないのもガチですが。
こないだ読んだ芥川の『河童』でもメスがオスを追い回してたんだけど…、こと文士の世界に限ってはあの構図が正しい気もする。
文士の男ってあんまり文士の女と結婚したがらないんだよね。
まあ、家でぶつかるから一概には責められないけどね…。
そして他の社会でも教育のある女怖いって敬遠されるので、こう。
というか文士の女はいわゆる「男遊び」を防ぐ方法がなく、あの時代においては妻の行動は夫の失敗とされたので。
差別なんだけどさぁ、差別だとは思うんだけどさぁ。
逃げ回る河童のオスが間違ってるという段階では、なんとも、結婚しておいてこんなの違った!! と言い出すよりずっといいんじゃねぇかなぁ、だいぶマシ。


4月14日めも。


ところで昔、女性の新聞記者に関しての本を読んでいたことがあるんですが、敗退率が酷く、叩いた男を笑いながら射殺するレベルの女性が各社一人程度残ったみたいなそんな惨憺たる有様を示していたんですが。
女性作家のほうがまだしも定着率マシっぽいな。
そういう中で菊池さんとこは女性を育て「全員育成に成功した」とあったので、まー、あれですかね、当人の問題とかじゃなくて外的環境が問題だったんじゃないのかな…。

菊池さんだけが成功したというのはあれ、他の男たちは「あの人は女好きだから、スケベだから女を囲うんだ」と息子に至るまで認識していて、娘たちは「お父さんはフェミニストよなに言ってんの?!」と父親の通俗小説に至るまで読んでいたという、まあそういう食い違いがね。
食い違いがいい具合に働いていたんじゃないかなって…。
菊池寛のおやつとして女たちが用意されたと思うようなあまりものを考えない男は、女たちに手を出すような自分の身が危ないことはしないだろうし、菊池さんがそんなことをするとは考えないまともな男たちは、口説くことはあっても適当に手を付けてぽい捨てとかをしない人だろうし…。
こうして書き出しておいて、それもそれで酷くない? とは思うんだけど、やっぱりこれが正しい順序という気がするんだよな…。
菊池さんがよく過剰に女に構っていたって聞くけど、ぶっちゃけ学友たちと遊んでいた頃にそんな癖皆無なのよね、初期の文藝春秋でも見ない。
まあ、うん、なんだ、なんだ、疲れたななんでかな!!


4月15日めも。


ところで近代と菊池さんと女性の話を引き続きなのですが、女性は大正の後期くらいからちょっとずつ増えていくんですよ、奥さんの立場で間接的に関わったり職場にいたりとかまあいろいろあるんですが。
で、とあるエピソードがとある作家の手で書かれてるじゃないですか。
そこにいるはずの女性の気持ちが一切書かれてないんだよね。
たまに恋愛事件においての女性の心情を示す台詞が皆無だったことがあるんですが、さすがにまあ、さすがにこれは少ない(しかし男の正しさが喧伝されている時にその状態だと正直なんでー!! となります、独歩さんとか志賀さんとか、あれは誰かが省いてしまったのかしら…?)。
揉め事において女性に言及する人はまあほとんどいないです。
略すのが正しいのかどうかは私にはわかりません、いても無視される男がいることを考えると絶対悪というほどでもないと思う恋愛事件以外、それは書けよ、もし原典にあって省いたんだと本気でどうかと思うよ。
ところが、同じ情景を菊池さんが書くと女性いるんだよね。
だいたい客観的フォロー的な立ち回りなんで書いてあったほうが深みかあると思うんだけど、大抵の作家は省いています、菊池さんは書きます。

ところで白鳥さんが日本の女はヒステリーだよね、西洋の女と比べて生物として違うとは思わないから、普段から感情がなかったことにされているから、わりと一気に行くんじゃないかな、と言っててね。
尊敬するならこういう人か菊池さんみたいな人がいいかな!!


4月16日めも。


そういや前に『座談会 明治文学史』を読んでいた時に独歩さんに対して元奥さんがなんだかんだと嫌ってる様子がなかった、あれはだいぶ女に好かれるずるい人だったとか語っていたんですが、いや…普通にかなりしっかりと拒絶してるのでは…?? となったので、まあなんというか、古い女への捉え方が違う気がしてならなかったのですが。
あの女性なんだっけ、略奪婚の女性。
いや、その親類の女性は相馬黒光って覚えてるんですけども…(中村屋さんとこの旦那さんは初期のキリスト教関係の男性の中ではいい人だ、あの旦那はまともだ)。
まあ名前が出てこないのでまた見たらおいおいなんですが、普通にどう見ても完全に拒絶してるように見える。
もうあの人、言葉とか通じないよ、という態度を妹たちに取ってたって話があるくらい、なにもかも諦め切っていて「嫌ってはいなかった」とか言われると、態度による完全な拒絶の向こうに愛を見出したの? それとも世代の違いであれが拒絶ということとは認識出来なかったのどっち? ということが気になるのですが。
ええとあれ、勝本さんですね、座談会で最初から最後まで暴れてた人。

ぶっちゃけ、あれを考えると筆子さんのほうがよっぽど拒絶出来てないのではないか、となるんだよね、漱石さんとこのお嬢さん、久米さんが求婚した人。
いやあのケースなら普通に断れる…よね? としか言い様がない。
わりとずるずるとぎりぎりまで断らなかった段階で、小説に書いていることが嘘でも本当でもなんかこう、ううん、疑われてしまっても仕方ない面もあったような気もするんだよなー、いずれも古い女たちの話です、この辺をきちんと説明することが出来ない。


4月17日めも。


ただこう、新しい女としては相手に反論してないから糾弾してないから「嫌ってはなかった」ということもわからんでも…いや、女が夫のところから逃げ出したのが事実の上、他の男に嫁いだのならばそれはもう反論するだけ無駄じゃない?
下手すりゃ正義の志士が刺しに行くのがわりとありそうな流れって気もする。
まあ、そもそも略奪婚の上で格上女をまともに扱わずに、その上で逃げられたと女を非難してる時点で「古い男」たちからは総スカンを受けていても全然不思議はないんだけどねー、あれが自分で身受けした元芸者さんなんかならわかるんだよね。
別にあの扱いでもいいです、たまに見るし。
無理やり親を脅して、家の存続を危うくするような形で娶っておいて、自分が借金肩代わりした女のような扱いをしたという感じの男性なんだよね、独歩さん。
世の中に出ていたという情報だけで全部わかります。

新価値観を持った若い男たちはともかく、江戸時代の価値観の年配の男性たちはまあ、普通にまともな人間として扱うことはしなかったんじゃないのかなー、と。
そういや独歩さん、持っていたはずの出版社、本来なら抱えなくてもいいと支援されるはずのお金が完全に蒸発して一気に多額の借金抱えたこととか、新聞社の社長に宴席に呼び出されて、芸者さんたちが見たがったから呼んだんだと見せ物のように扱われた上で嘲笑われて立ち去られた一件なんかあったね(理由の検証とかされてませんよ)。
ということを思い出すわけなんですが。
この辺のことは、え、いや、この人旧価値観だとアウトだろ、のことを研究して貰わないとなぁ、アウトだと思うんだけどねぇ。

(文或と近代もろもろ、150)
最終更新:2019年05月14日 15:36