雑記:文或と近代もろもろ、141


1月8日めも。


数日前から打ち込んでは消し、打ち込んでは消し、みたいなことになっているのですが、ええとあれ、テーマが決まってるのが多分駄目なんだろうな、リアルタイムは3月18日で予定してる内容は「2019年、いまだによくわからない出版社の揉め事」なんですけども、まあいや、新聞社のも一個あるけどさー。
そういや漱石さんとこのもあるか、朝日新聞の東西戦争のやつ。
(これは一応、漱石さんの本で語られてたんだけどね、なぜかそれ以外の新聞の本でも朝日新聞の本でもなかったのです。)
あとあれ、新聞社じゃないけど漱石山房のも謎だったなぁそういや。
いや、芥川や久米さんと漱石山房の先輩たちが揉めてたってやつ。
わりと信憑性の薄めの噂を集めた感じの本でやっと読めました、これとこれとここは削ってここの見解は受け入れて、しかしここに関しては問題なさそうみたいな読み方をしてたので、あんまり早いうちに読まないほうがいいのかな…。
他のもなんかこう、口の軽い感じの人か関係が薄い人からぽちぽち拾えそうです。

ええとまず、花袋の案件からにしたいと思います、それと、1日分の雑記で一つの案件にしようかと思っていたんですが、それだとなんか畏まるので止めておこう、別にこれによってなにかを訴えたいとかでなく。
とりあえずまとめとけばなんか思い付くかもしれんだろみたいな。
私の場合は仮説を立て、仮説を立ててしまえばまず「否定することは出来る」のでそれを確認していくみたいなこればっかりはガチ研究者みたいなことをしています。
正解した場合は仮説から他の人の見解に差し替え、否定の場合は捨てる、さっぱり。


1月9日めも。


「2019年、なんかいまいち確認出来ねぇぞ揉め事まとめ」な感じの続きですがなんだかんだとまだ一件も触れてないねまあいいんだけどね。
ある日、花袋の伝記を読んでました、勉誠さんとこのですね、嫌いじゃないけどなんか結論が弱いこともある感じのシリーズなんですが(見たことない資料が多い、経歴語りは頑張ってる、出版社側が用意してるアシストの腕はいいんだと思う、作品紹介もかなりの出来、著者さんがううんまあ)。

まあなんか、花袋がリストラされたみたいなこと書いてたんですよね。
この本が大量リストラの一員だったんかな、あ、そうだね、これはなんというか知人の証言のような体裁で要するに結論がなく、なんじゃろうねで終わっていたんですが、また別の日、白鳥さんの自然主義などの本を読んでいたら花袋がまたリストラをされていて今度は一人だけ、しかも、なぜ彼だったのかが不明、多分誰でも良かったのではないかということが語られていたんですが。
いやいや『文章世界』だっけ、任されてたの花袋だよね確か。
それで一人だけで意味は特にないってどういうこっちゃい、逆に、まだしも路頭に迷わなさそうということだろうかと単独でも気になるのですが。
なんか年も違ったんだよね、記憶薄いけど。
というかそれを読んだのがたまたま数日違いだったんでその時点では覚えてたんだけどまあ忘れた、大正に入ってからじゃなかったかなどっちも。
こういうパターンの場合、どっちかがデマって可能性低いんだよなぁ。
しかしてなんで異説があるのかも不明です、あとちょっと博文館はあります続く。


1月10日めも。


出版社、なにやらかしたんじゃい2019年、春(リアルタイムは3月)。
博文館って実は菊池さんが就職しようとして断られたところなんでちょっと気にしていたんですけども、その理由が「文学士は雇わない」みたいななんか、口実っぽい感じじゃないんだよね、なんか。
その後、博文館の『太陽』という看板雑誌を任されていた高山樗牛さんという人があらん限りの勢いで各地権力に喧嘩を売っていたらしいと聞き。
主に逍遥さんがターゲットだったらしいんだけど、白鳥さんの文章の中に逍遥さんの痕跡を見つけ出してこの痕跡はやつ!! みたいな感じで叩いて来たらしいのでなんかもう、なにがしたいんだかわからないようなことを各地でなさってました。
その後、亡くなってるので、あの、なにかの精神病じゃないのかと、正直…。
この人が文学士らしいんだよね、文学士ってのは帝大文科の卒業者のことです。
菊池さんはあれ、京都大学の文科なので、ところで専攻なんだっけまあいいんですが、この『太陽』絡みのことと『文章世界』がつながってるのか別物なのか。

しかしよく考えたら『太陽』って日露戦争の時の戦争特需の筆頭みたいなところで十万部越えの部数を誇っていたところなので、そういや大正初期くらいには縮小体制に入っても当然というか。
あらやだ、どうもこれでいいような気がしてきた。
そしてそんな中における高山樗牛さんの暴走があったりするとその、早稲田系全般から敵対視されててもおかしくないというか、うん、ただの最後のトドメかもー。
花袋、巻き添えかもしれん、てか『文章世界』どうなったっけ…。


1月11日めも。


なにやったかよくわかんねぇぞ近代の出版社2019、続きますが。
なんかこう、正直なところ知ってる辺りを詰め込んだらよく考えたら日露戦争後ってことなるのか、から転がってった感じで、あの、仮説は仮説なんですけども出版事情単位はわりと物理事情なので今後これはあんまり調べなくてもいいや。
で、揉め事案件2つめ。
これは比較的に決着が付いてるんですけども、どうも漱石さんの弟子が切り盛りしていた朝日新聞の文芸欄にてバッシングが始まってしまい、そのまま東西の朝日新聞社(もともと東京の別の新聞社を買い取って改名してた)の衝突にまで発展。
どっちの中ボスが退陣したんだっけえーと、東のほうか、西のほうで漱石さんを迎えに行く案が出来て(本社こっち)、東のほうで漱石さんと契約したんだよね。
弟子が反省しているわりに責められているのを一度も見たことがなかったので気にはなっていたんですが、買収した新聞社と買収された新聞社の水面下の争いの責任は取らなくてもいいと思う、むしろいい感じの爆発だったんじゃないかな!

ただこの案件、一つだけ気になるのが漱石さんのわりと新しい朝日新聞社のお仕事を弟子も含めて紹介する本以外で見たことがなく。
東西の朝日新聞の中ボスの名前までは見てたけどどっちの所属とか語られておらず、いいんだ、いいんだ漱石さんの本では語る必要はない新聞の本でもまあいらない。
朝日新聞の本では語っておこうよなんで漱石さんの研究者が?!
という気持ちだけが残っているのですが、まあ、往々にしてあることなのではないかと思います、漱石さんが触れてるとかね、あるよねたまに…。


1月12日めも。


なにやらかしたんだかよくわかんねぇぞの出版社以外事情も、2019。
なんで年とか入れてるんだか自分でもよくわからないですが、多分あれです、年一回くらいは更新したいなー、という意味かも。
ただ、片付くのかどうかわからないって、今の時点で処理済み案件が続いていてあんまり説得力がないのですが。

前々から気になっていたんだけど、噂とか逸話レベルの本で初めて見掛けたよー、な話が新思潮第4次面子と漱石山房の先輩たちとの揉め事なんですが。
漱石さんが亡くなったあと「漱石特集」を先輩たちが『新小説』にて企画していましたがなんか雑誌が刷り上がらず。
その間に『新思潮』が先に出てしまったので問題視されたみたいな。
おまけに漱石さんとこの息子さんに一筆書いて貰ってたよー、という感じの流れで。
さらに漱石さんの書斎を掃除していた久米さんたちが漱石さんの書き残しを見付け、漱石さんの未亡人と相談の上、それを山分けしていたことも問題視されたみたいなことが語られていたんですがね。
『新小説』ってあれ春陽堂の雑誌です商業出版です当然。
新思潮はまあ漱石特集は800部さくっと出たらしいですが、まあ数百部くらいの雑誌だったんじゃないかな、事務自分たちでやってたし(あと初号しか部数が載ってなかったのはなんか作為を感じたww)。
なに問題視してんだよとか、未亡人の許可ありゃいいだろみたいに誰かが捌いた形跡がありました、うんまあ、先輩たち、ちょっとしょもい。


1月13日めも。


なにやってんだかわかんねぇよ出版社2019年、いまだに未解決案件(確定資料は全部出てないけど流れだけはわかってる)が語られてないのでなんかさすがに不安になってきたんだけども、時系列順にやってるのかよくないのかな、えーと、次は。
あ、未解決です。
あと出版社じゃないんだけど、どうも『新思潮』の1次2次面子と3次4次面子で争いになったらしいんですよね、これは演劇系の人が揉めたんだとー、と語っていたのと(多分演劇では知られた小山内さんが含まれてるから)、久米さんに怪文書が届いた時に犯人かもしれないと挙げられていたのであるにはあったんじゃないかと思うんですが。
漱石山房とだいたい同時期っぽいんだよ(久米さんの怪文書の時に同じく疑われる面子だったんで)。
いや、なにしてんだよ、とさすがになったんだよね。

というか、なんか変だと思ったことないですかね、川端が『新思潮』で許可貰いに行ったのが菊池さんってやつ、それ以前は初代の小山内薫さんが権利持ってたみたいだし(これ以降は受け継がれたみたい)。
菊池さんとか新思潮4次で京都にいたこともあるし一番最後の加盟だし、会費を払って貰ってた人じゃないですか、さすがに。
まあ、多分揉め事を片付けたのが菊池さんなんだろうなー、と思ってるんだよね。
あとあれ、漱石山房のほうも先輩たち丸め込んだの菊池さんじゃないかなぁ、全員悪者にはならないあの手際がそれっぽいというか。
これはあくまで推測です、揉め事だけは知りたいんだよな、なんだろうなぁ。


1月14日めも。


不明なままの案件は出せたけど、なんか思惑と内容が違うぞ、出版社なにやらかしたんだ2019年、みたいな感じの続きですが。
プラトン社があります、大正8年くらいに出来て。
関東大震災のあとに『苦楽』っていうちょっと有名な女性向けでインテリ層狙いという雑誌を出して独特の地位を持っていて、どういうわけか大正末からの講談社の『キング』に戦いを挑んだ辺りが残念な出版社なんですが。
(研究本でも語られてたけど、層からカラーから全く違うんだよね。)
そこにまあ川口松太郎さんとか直木さんとかが実務役として在籍してたらしいんですよね、なんか二人して揉め事嫌だったねぇ、みたいなことを語っていたりとか書いていたりとかするんですが、誰が巻き込まれたなんの案件だかがわからない。
つか、結局プラトン社ごとなくなってしまうんだけど、直木さんたちも離脱したみたいだしなぁ、ていうか直木さんが松太郎さんのことを文藝春秋に持ち帰って来たのかね?(あの出版社、社員たちがわりとそういうことする)

えーと、これに関しての関連してるかもしれない情報は、ううん、いつなのか誰なのかわからないとやっぱり微妙かも。
キングに挑んだことは完全に菊池さんに冷笑されていたんで、どうもあんまりいい関係ではなかったみたいなんだけどね、一応菊池さんも掲載はしてます。
ただまあ、この出版社に関しては創設の時期からなにから適当なデマが出回っていて、直木さんが作らせた説とか何回か見てるよ正直…、研究本もあるもののさすがに一人では限界あるみたいで、まあ噂で語られてるのを偶然見付けるしかないかも。


1月15日めも。


なにやったんだかわからないよ出版社、2019年。
去年から何度も何度もすり切れたレコード並みに語っている吉川さんの話、しかし一応、情報が追加されてはいるんだよ、触れられる回数だけはなんか多いから!!
ざっくり言います、『冨士』という講談社の雑誌の編集長とやらが吉川さんが新潮社に紹介されたことを妨害しようとして、くず屋になりました、みたいな顛末です。
編集長が二人巻き込まれたというのが誰かは不明です、ただ、どういうわけか吉川さんが連載していた新潮の『日の出』という大衆雑誌の編集長をしていた人物は『キング』の初代編集長だったらしいです。
あれ、菊池さんに碁に勝って、ご褒美にキングへの掲載を迫った人と同じ人。
はっきり言って伝説レベルの手柄らしいんですが、なんでそれなのに講談社から移籍して新潮にいるのか、そして吉川さんと同じ雑誌なのか、さっぱりと不明です、どう考えても講談社のほうがお金貰えるよね、作家の端くれたちに至るまで書くと生活が成り立つって言われてて編集さんたちに渡していないわけがないというか。

そもそもこの案件、誰が吉川さんを新潮社に紹介したのかというところから不明です、菊池さんかなって思ったことはある、講談倶楽部の作家たちを新潮に紹介してたのは菊池さんだし、別に笑われることもないと思う。
が、隠す理由がわからないんですよね、そうなると…。
下手すると知人括りにしたよりも前の時間軸という可能性もあるし、この案件で知り合ってるかもしれないんだよなぁ。
ううん、調べられるもんなら調べたい、違ってもいいです、詳細知りたい。


1月16日めも。


なにやったんだかよくわかんねぇぞ出版関係2019年。
忘れてました、ちょっと時間が遡るんですが菊池さんと日日新聞の関係もよくわからない、『真珠夫人』あるじゃないですか大正9年。
通俗小説、菊池さんって嫌いなんだよね、講談も嫌いですね、聞く分には構わないみたいなんだけども、活歴なんかも好きじゃないのかな? まあ歴史関係は一通り触れてる感じの人なんですけどね、アウトだと友人くらいにしか語らないんだけども、まあ(純文学に関してはわりと言う、多分言わないと崇拝してる扱いにされるからだろうな…)。
そしてさらに「絵入り」と呼ばれるレベル低い層向けのものだったらしく。
奥さんが私の旦那はそんなもの書かないわよ! と親類と喧嘩していたなんていう話で聞くことがあります、菊池さん、奥さんにその連載のことを報告出来なかったらしいんだよね、まあ、前後に苦悩が滲んでいる。

が、ご存知菊池さんは大正8年に最盛期と表現するくらい充実しており、その時代における栄達はほとんどその年に出揃ってて大正9年に心配があるとは思いにくい。
なんでそんな苦悩に塗れたみたいなもの書くんだよ、としか。
菊池さんは真珠夫人によって幸い特に名を落とすようなことはなく(評論はないけど、否定もされてない、地位的には問題なし)、まあ、一般人気によってその後の快進撃になってくわけですが、その人気の高まってく中で日日新聞との契約解消。
そして日日新聞は新聞小説の歴史を変えたと言われているその作品に関して完全に沈黙、まあなんかはあったろうね、前後考えてもね、としかならんわけですよ。
他にもいろいろあるんだけどね、元がわからん限りなんともなぁ。


1月17日めも。


なにがあったんだ出版社、2019年、最後のやつ。
これは『中央公論』の話なんですが瀧田さんという、一度部下を消化器系の病気で死ぬまで食べさせ続けたという逸話すらある(誰が死んだかははっきりしてます…以来控えめになったとか…)、まあなんというか全体的にこってりした感じの名編集者の人がおりまして、この人が中央公論を長いこと牽引していました。
彼が死んだあと、芥川や菊池さんの担当などもしていた高野さんという人が編集長を引き継いだものの、どうも売り上げが低迷。
『婦人公論』を任されていたのだという嶋中さんという人が引き受けることになったらしいんですが(鳩中ってたまに打ってるね私?)、このおかげで元中央公論の編集者たちが3人揃って放り出されたみたいな結構な惨状に。
え、いや、改革で対立したならしょうがないかもしれないけど、さすがに全く性格違う3人を同時に? なんでそこまで??
というのが正直なところよくわからない。
(この中の木佐木さんという人が『木佐木日記』というものを書いてるのでまあなんとなく人となりは伝わってくるので。)

中央公論が婦人公論寄りの内容になり、婦人公論はどうもプラトン社のような内容へとなったようなことが、プラトン社側からちょっと触れられてたんですが。
あ、うん、社会問題とか取り上げてたのなくなってそうだったな確かに(婦人公論の人の本を読んだことがあるのでちょっとだけわかる)。
最終的にはどうなったんだろう、政治問題は扱ってるよな戦中にも見たし。

(文或と近代もろもろ、141)
最終更新:2019年03月18日 01:52