雑記:文アルとか近代芸術、139


12月19日めも。


えーと、リアルタイムは2019年の3月12日、またわりと連日書いている感じです、そろそろ去年の年末に来まして、文豪とアルケミストのキャラ言及の『2018年度版』のつもりでまとめていくというか、あれだよね、吉井勇さんまでだよな確か。
キャラに関して6枚目ですね、今まで「枚」と表現してなかった気もするけど!

じゃああれ、直木さんとちょっと迷ったけど【山本有三】さんからで、この人は芥川や菊池さん、久米さんがやっていた同人誌『新思潮』の一つ前の世代、第3次新思潮の参加者の一人で、特にデビューどうのと言われてないんですが、実際のところ、すでに演劇の世界で活動していたみたいなんだよね。
大正7年だっけかな? まあその前後に法律で規制されることになった「連鎖劇」に関わっていたと言われているので、要するに学生時代からプロの世界の端っこにいたってことじゃないかなぁ、と(一年留学してしまったので、一学年上だったのに芥川らと同級生になったとか、菊池さんより一つ年上だっけかね、芥川たちと5歳違いかな?)。
逆に言うと、卒業前後でキャリアを築く機会を失ってしまったということなのかな? と思えないでもないんだけど、演劇の情報は調べにくいんだよなー。
んでまああれ、久米さんが結婚したがっていた漱石さんとこの娘さんの結婚に関して、怪文書を送ったという一件がありまして。
これ、もともと疑いはあったみたいですが、怪文書を預かることになった松岡さんのところにその実行犯である山本さんのかつてのお嫁さんが取りに来て、証言してるので確定ってことでいいんじゃないのかなー。
なのでゲームでは犯人確定、しかして仏さまみたいな評判ってのも実話だよ!!


12月20日めも。


文豪とアルケミストのキャラのお話、2018年度版みたいなの。
どうしても直木賞で名を知られたという触れ込みになる【直木三十五】さん、前に検索した時点では「ファッショ宣言」とか、戦時組織である文藝懇話会などで名前が出てきてたので汚点のある人物のように見られていたみたいなんですが。
どっちに関しても特に責められてはないんだな、実際のところ。
簡単に言えば同時代においては珍しい立場ではないこと、後者に関しては近衛文麿という人物をパトロンに持つ政府の役人と一緒に懇話会を立ち上げてることが多分その理由でしょうね、近衛文麿というのはすごくざっくり言うと『新思潮』の第3次、山本さんの同級生で久米さんや菊池さん、芥川なども含めて年1程度会っていたらしい感じの人です、近衛さんは他に白樺の面子とも仲が良く、新思潮で社会主義の論文を書いて宮内庁に怒られていたみたいな経歴を持ち…みたいな長いよやたらと。
まあ要するに、見たまま判断しないほうが良く。
そのことは同時代に人たちは意外と知っていたみたいなんだよな。
(横浜事件という戦時中の弾圧事件は、近衛さんを狙ったとされてすらいる。)

なんか近衛さんの話になってるんだけど、直木さんが入らないな、借金に関しては噂通りだけど事業資金であって散財していたというのとは微妙に違い。
あとそういや、菊池さんにたかったという事実はどうもないみたいね、自動車を共有していたみたいですけど、もともと文藝春秋で所有したビルに住んでたみたいだからなぁ、別に作家を「そう」扱うことは珍しくないのね、あそこ自体が。
そして女にのぼせ上がるけどモテない、久米さんに女取られてるとか、話と違うな…。


12月21日めも。


えーと、文アルとキャラ紹介【中島敦】くんで、太宰くんと同い年らしいんだけど学年は一緒だったっけか、まあ学部が違うと特に交流ないみたいだけど(どっちかというと旧制高校の付き合いのほうが話題になりやすいよね)。
なんで二重人格設定なのかというのが話題になりましたが。
いまだに特にアンサーがないまま、多分あれ『山月記』じゃないかなとか、やたらとお堅いイメージの教師だというのに妙に生活が乱脈というのもあるのかなぁ。
しかし、なんか後世の人たち結構口拭ってるけど、文士村とか見てると「芸術家は生活が荒れていなければならない、そうでなければ本物ではない」的な価値観を持って、特に好きではない女にも無理強いするみたいなことがざらに見られるんだけど…。
年齢的に、近いんじゃなかろうかこれ。
まあ、中島くんは特に文士コミュニティと付き合ってないけどねー。
あとあの、プロの作家たちにはそんな妙な言い伝えは存在せず…、アマチュアと付き合った作家たちがたまにこの手の発言してるの見ると、いろいろため息が(芥川とか志賀さんとか、他にもいろいろ)。

芥川賞の候補に戦前になって、選ばれていたら人生は変わったのかもしれないんだけど、そう言われてるんだけど、その後、新潮社でわりと伝説的な扱いになってる和田芳恵さん(男性)が編集になってくれてたみたいだしなぁ。
庇護付いてたって見ていいんじゃないかな、お金の出所わからんけど。
太宰もだけど、わかりやすい印を求めてしまう傾向があるのかなぁ、なんというかまあ、軽薄な風潮に染まってしまった世代の可能性も、あったのかしら。


12月22日めも。


文アルのキャラ紹介、2018年度版【高浜虚子】さん、この人に関しては『ホトトギス』って雑誌に関して出版社の本を読んでいても結構出てくるので、どういう立場で活動していたのかという意味だと、師匠とされている子規さんよりも早い段階から知っていたみたいなところもあるんだよね。
(部数そんなに多いの? と調べると大正時代初期に3千部くらいで、日露戦争あとは数万部が普通みたいな桁からして首を傾げてたんですが、文芸誌最高峰!! と同時期に誇ってる雑誌が似た部数でした、あら、わからんもんだな。)
ただ、芸術家としての評価みたいなものはあんまり聞くことはなく、漱石さんをホトトギスから輩出したあとすっかり拗ね、自分も書いていたはずの小説を止めて俳句に戻り、子規さんの一番弟子とは深刻な対立に陥っていたとか。
考えてみれば、あれ、全部根拠が特になかったんですよね。
外側から見ればそう解釈することは物理的に確かに無理はないんだけど、とにかく裏付け資料が全くない中でぺらぺらとゴシップ的な内容が、わりと真面目な本なんかにも出てくるんですよね。

もっときちんと考え直してみれば、ホトトギスが比較的堅調であり、超有名作家の『吾輩は猫である』を輩出して小説に傾きそうになったけれど俳句を軸に立て直し、漱石さんに悪い感情を持った、兄弟子と揉めたというゴシップ由来の解説以外に人として問題があるようなことを何一つしたとされてない人だ、ということに気付き。
今反省しています、ちょっと待って全てが穿った視点のみ。
性格が悪かった系の資料皆無じゃん、読んでた時点で気付くべきだった?!


12月23日めも。


あのえっと、文アルの【河東碧梧桐】さん、お名前は知ってるんだけど名字が覚え慣れないんだけどね、ていうか、下の名前だけで呼ばれてることのほうが多いよね名字だと思ってたよ正直! みたいな感じですが。
どう思い返しても俳句の近代に関してきちんと読んだことがない人間としては「虚子さんと深刻に揉めてた、虚子さんの性格が悪いという説明のための道具」として扱われているのを見たことしか思い出せず。
ごめんなさい。
なんか本当にごめんなさい、こう、実際、俳句の方針に関してはあんまり虚子さんと碧梧桐さんの意見が合わなかったらしいことはわかったんですが。
要するに芸術談義だよねこれ。
創作活動は一緒にはしてませんって、仲が悪いということとはまた全く別よね。
(新思潮4次ですでに似た経験してたんだけど、あっちは特に論争をでっかい雑誌使ってぼんぼん打ち上げるので「仲悪い」とされても仕方ない面がないでもないんだけど、芥川くらいしか本気にしなさそうな、あれはありうる。)

あんまり酷い体たらくなんで、まともに調べてから書いたほうがいいのでは、と悩まないでもなかったんだけど、こういう勘違いも、ぶっちゃけて事情がないことではない、妙に断片的に不仲であるということを告げられているという現実があることだけは一度書いておいたほうがいい気もしないでもなくてね。
結局今だって特に情報を持ってるわけでもないんだけど、ゲームでイベントやっただけでも、親しいほどに揉めるもんだよな、とは、言ってもいい気もする。


12月24日めも。


文アルとキャラの話、2018年度版(ねつ造だけど!)の【伊藤佐千夫】さん、実は子規さんよりも年上の弟子らしいんだけど、なんでか少年姿っていうかあの…少女姿って言ってもいいよねこれ…。
なんでこんなフリフリなんだろう、ちょっと苦手、かも。
(ぶっちゃけてなんか浮世離れしてる童話勢とか、本当にもともと小さい中也さんとかは別に平気、中也さんとか特によくあんな感じ。)
と思っていたら「病床にいると邪魔!」と子規さんに言われたくらいにとてもとても大きな人だったと知って、なーんだそっかあごめんねーww という感じで手の平を返したんですが、前半の苦手さを共有出来ない人にもなんとなく後半の手の平返しは理解して貰えると思うんだよね。
なんだそっか、あの可愛いのは願望かー、性格可愛かったんだろうな、そういう人いるよねたまに。
大きいままで可愛い人ってのもいいけど、そういや、「野菊の墓」か、なんというかその、なんとも素朴な。
実際にサッチー(て呼んでる)の人となりを知ってる漱石さんが絶賛していたということはそういう人柄を感じさせる人だったんだろうね。

という、背景は一旦頭に入れてからキャラと接したほうがいいかなって感じの人ですよね、これ、菊池さんなんかもそうだけど、キャラだけだとなんか片手落ちになるというか、一見小さく見えるけど実は他と比べても結構な長身キャラ、というのもいい味わいじゃないですか、小さくなりたかったんだね…うん、その解釈でいいよもう。


12月25日めも。


えーとあれ、文アルとキャラ2018年版、【岩野泡鳴】さん。
今気付きましたが変換出来ませんでした、あー、わりと普通の漢字使ってて微妙なことはあるけど、名字打ち込んでる時点でフルネーム出てこない時点であれ、うん、何人かいますよね、あのうん。
自然主義の隆盛ってのが明治39年のようなんですが、このまま40年、41年と続きまして全体で数人の作家を輩出したらしく。
わりと珍しいことにちゃんと派閥なんだよね、文学派閥。
あとのはなし崩しだったり他に呼びようがなかったり蔑称だったり、そもそもその人たちのことではなく、という呼称だったりいろいろあるからな(硯友社は比較的ちゃんとしてるけど属してる人たちが作風が違うとやらで勝手に除外されたりざら)。
個人的にはあんまり好きなタイプではなく。
苦手かっていうと別にそんなことはないけども。
だってあの、ぎゃんぎゃん吠えてそのままじゃないですか、あの痺れるような鋭い批判! 同時代の作家たちは為すすべもなく沈黙するしかなかったのです!! とか語られていた人が実は鳴かず飛ばずで悪口が相手にさっぱり届いてなかったというギャップを経験したことがある身としては。

吠えるは吠えるけど、書くものも書いてる、一芸としてありと白鳥さんにも認められている、しかし女の評価がどうしてそう歪むの、女は多分そう考えてはないと思うよ他者視点を小説に書き込むと滑稽では、的な感じの全体評価もあの。
やっぱり剥き出しすぎて評価しにくいよー、いいけど、なんも誤魔化してないし!!


12月26日めも。


ところでここまで打ち込んで、ここの吉井さんで2018年の文アル登場キャラは最後なので、2日分余ってることに気付いたんですが、いや、メモに人物一覧を作っていた時点では覚えてたんだよね。
今日これを打ち始めた時点で頭から飛んだけど。
こんなことなら山本さんと直木さんを2日分ずつにしたほうが、と思ってしまうんだけどここで反省しても仕方ないな、【吉井勇】さん。
お家は男爵なんだそうです。
本当に日本文壇史において『明星』に登場した段階で男爵のとこの息子って紹介されていたので、というかそれしか肩書きがないまま参加していた明星が解体してしまったのでなんともわからないんですが。
もうお一人いたのがどこぞの作家の息子とか。
男爵の家とか作家の息子という肩書きで比較的名前の知られた文学集団にあとから参加するってのもなんか珍しいんですが。
どうにも崩壊寸前なのでそういうことが起こったぽいです。
いや、この吉井さんも一緒に離脱してた組だったんだけどね、ううん。

あとあれ、遊蕩文学叩きみたいな時にわりと標的になっていたり、ふと菊池さんの計画したのだろう西鶴の翻訳計画の中にちょーんと参加していたり。
よくよく見たらわりとあっちこっちにいたり。
売れてたみたいー、と言われたら、うん、なんとなくわかりますね、批判の対象になってる人が売れてないことはない、しかし、ピンと来ないななんか!!


12月27日めも。


2018年度版、【文豪とアルケミスト】のキャラに関して、秋声を間違えて硯友社と自然主義で2回触れてしまったり、たまに前置きが長すぎて数行しか語ってないな! みたいな諸々はありましたけどとりあえず終了です、2019年の3月半ばだけど。
で、これ、2019年版も今の時点で一応作る予定です。
内容が重複していたりすることもあるでしょう、だいぶ知識的な意味でなんも知らない人もいるわけです、1日分だと全く足りなくて結論までだいぶ遠いまま放り投げたとか、用語説明で終了したも同然とかいろいろあるわけですが。
まあ、書いたところでこんな程度のものが害になるわけもなし。
さすがにこの分量ならゲーム内の感想程度ででっち上げも可能だし。
続ければもうちょっと多角的に興味が湧くかもしれないし。
利益がなくても実害もないし、労力もさほどでもないし、なんか大幅な勘違いをしている可能性すら皆無でもないんですが、勘違いをしてもうたという前提事情まで含めて語ればなんとかならないでもないと思うんだ。
間違えてて当然、他人に頼ることが一番大事! みたいな態度があれば致命的なことはそんなにないし、あっても私のせいじゃないからね責任転嫁のための資料明記!
書いてない時は責任を取る所存か、本当に覚えてない時です。

ところで私は、媒体とか周辺人物の解説をしたほうがいいような気がする。
新思潮4次の松岡さんとか新思潮とか近衛さんとか文藝春秋とか。
ざっくりぶっちゃけて資料になるような辺りですね、特に松岡さんは作家の本でもノーマークのことが多く、タイトルが漱石さんなのでなおさら見逃されてるぽいぽい。


12月28日めも。


ところでこう、そろそろ2018年分が終了する感じで、まあ2019年のところに入ったら入ったでまた適当にでっち上げていく予定なんですが。
いわゆる未登場キャラに関しては私は興味がないです。
他の方が好きというのを否定するつもりもなく、本当にプラスもマイナスもなく、なんか違うな、というスタンスなんですが。
それは結局のところ文アルのゲームをフィクションと捉えてるからじゃないかと思うんですよね、資料なら研究ならどうよって思うことも、二次創作や特に自分で一からキャラを作っていったゲームにおいて気になることはない。
言及していることがあってもあくまで「資料的にどうなのか」と言わないように注意してるつもりです、この展開は好きではないとは言う、そしてそれが自分の解釈はこうだからとは言う。
だが、その感想はゲームを自分の解釈に近づけて欲しいという意味ではない、みたいな感じですねー、これ実際書いててもかなり匙加減なので注意したいんですけどね。
いやまあ、好みと違うことはあるけども、ぶっちゃけて半世代ほどズレた人たちが収集した逸話に関しての倫理観ジャッジは好きじゃない!! みたいなの。
この辺なんかはかなりはっきり言うけども。
言うけども、ゲームの低評価ってわけではないんですよね。
だって半世代ほどズレたから倫理観のブレに気付かなかった人たちがいたことをゲームに責任負わせるの変だよね? でも嫌いとは言う、少し違う。

なるべくまあ、勘違いされかねないのは避けたいです、全部言おう。

(文アルとか近代芸術、139)
最終更新:2019年03月12日 19:28