雑記:文アルとか近代芸術、137


11月29日めも。


リアルタイムは2019年の3月10日です、さっきからお腹が痛いです、というか水飲むと下すんだよね、しかし水以外のものはあんまり飲まないほうがいいみたいな事情があって(お湯飲んでると喉が荒れるとか)、なんとかしたいんだけどやっぱり駄目です、なんでなんだろうかよくわからない。
ジュース混ぜたり牛乳混ぜたりお茶だと平気なんだよ…。
なにがどうして水だけ駄目なのだ一体、ううう。

えーとあの、なんかこう、しばらく潰れていた間にまた結構な日数が経っていたのでとりあえずだらだらと今やってることを思い返してみようかと思ったんですが。
なんか関係のないジュニア系の新書とかたくさん読んでましたかね。
おかげであれ、岩波書店百年史のほうを読み損ねました。
最近ちょっと辛い時期に突入してまして、簡単に言うと脳内で重複みたいなものをどう処理するか迷うみたいなことがあるんだよね、食い違いとも言う。
文学ジャンルの場合は物理的な食い違いがあまりに半端なかったんでこの時期が若干遅いみたいなところもあったんですが、まあやっぱり、わりとまともなものも蓄積していくわけだしねー、脳内情報の洗い直しみたいなことをぽちぽちと。
で、翌日です、2019年の3月11日、あれですね、最近【文豪とアルケミスト】が演劇化…、いや、舞台化って言うのか、舞台化しまして、まあその感想をぼんやりと見ていたらうーん、と思ったみたいことを語ろうと思ったんだけど、よく考えたらこの雑記一応去年の11月って体裁なので、発想はそこだけど別の展開にしていくつもりなんですが。
ちょくちょく語られている「菊池寛は誰にも頼らない」みたいな話をしたくてね。


11月30日めも。


えーと、前日から続いております、「菊池寛は誰にも頼らない」かどうかみたいな話なんですが、いや、前日分では話振っただけだけど。
文藝春秋を中心に見てるせいもあるけど、特にそんなことはないです。
ただ、ざっくり見てる限りでは作家にはほとんど頼らないちゃあ頼らない。
そうだなぁ、だいたい川端とか、久米さんとか、山本有三さんくらい? あとあれ、岸田國士さんなんかは何回か呼んでますね。
久米さんは正直なところあちらもかなりの地位らしく、呼んだところで来ないせいなのか結構ぎゃーぎゃーと文句が残ってる気が…(『話の屑籠』にも入ってますよ)、久米さん相手のしか見てないけど、人は呼んでるようで、呼んで来てくれないと拗ねます、拗ねてる部分なら何度か見てる。
しかしまあ、なんというか、いわゆる純文学作家という括りで頼った相手がいたかというとそんな気はさっぱりせず。
芥川が行かなくていい? みたいな手紙を出していたという話が菊池さんの言及として残ってましたが、お前が来てなんの役に立つというの、というのが個人的には本音だったんじゃないかと思う。
いや、菊池さんはまああれ、そんなに辛くもなんともなかったよ、みたいな態度を取ったらしきこと言ってたんですが、芥川に頼ったのは見たことないです、頼るような案件を作ってあげたのは何度か見たことがあるので、愛情はあったと思う。

映画ジャンル、学者相手、新聞社、出版社などでは結構べったりと好意示したり甘えたり拗ねたりしてます、してます、頼らないって言われても、なんかその…。


12月1日めも。


「菊池寛は人に頼らないか否か」みたいな話です、カッコの中身を毎回変えていますがどっかで丸被りしても不思議はない程度にチェックとかはしない所存。
ていうか同級生の成瀬さん(新思潮第4次)がいるじゃないですか、家で学費出して貰うね! みたいなあれはいいんだけど、あれは仕方ないと思うんだけど、そこの奥さんに可愛い可愛いされてどうも丸々と膨れ上がる程度に食わされていたらしいことは、えーと、誰だっけ、松岡さん(同じく新思潮4)の本の中に推測出来る状況が語られてました、菊池さんが結婚するために成瀬家を出るので、松岡さんに成瀬家に住んで! と頼んだら菊池さんの生活の痕跡が残ってたやつ、その後、わりとすぐに松岡さんが結婚する段階では「他の誰かを呼ばないと駄目」みたいなことは言われてないようなので、まああれ、菊池さんが家を出るのを遅らせたくてだだ捏ねたかなと推測されるわけですが。

人生においてそれより小さい案件だとざらっぽく。
されても継続的でもない限りさして感謝しないぽいし(成瀬さんのお母さん以外への感謝って見たことない)、した側も別にそんなに気にしてないみたいだし。
そもそも、『新思潮』の第4次に参加する費用も学生の成瀬さんから出して貰ってたんだよね、家が金持ちだからとかじゃなくて、成瀬さんが中心になって翻訳で稼いだお金で同人誌立ち上げて会費も負担して貰ってる、がどうもノーリアクション…。
なんも言わなくても人がわりとなんとかしてくれるからあんまり頼んだりしてない、頼む時はその能力がある相手に限り能力貸してって頼む、来てくれないと拗ねる、みたいな感じがだいたい定番展開なのではないかと、まあ雑感ですけども。
メンタル面で誰かに頼るかっていうと、まあ確かになさそうかなぁ。


12月2日めも。


「菊池寛は人に頼らないのではないか」です、そろそろ前に書いたのは忘れてます、ただ、ある程度はそう見られる理由みたいなものはわからないでもない部分もあって、他人になにかをする時に相手からの見返りを全く求めてないんだよね。
前に見てた演劇の本だと、初対面の人が借金しに来たらごっそり包んで渡してたってあったし、いや、返せなかったみたいだけどその甲斐はあった相手とは思うけど、正直返して欲しいとも思ってなさそうだし、なんと言っても初対面。
けどなー、前半生を考えると…。
された時も気にしてないから、する時も気にしないというか…同じよねほとんど。
別に誰にも頼る必要がないというのは、精神力が強いという話をしているのではなく、物理的に財政力があるからね、という話をしているのに過ぎないんじゃないかって気がするんですよね。
ここでメンタルが強いから誰にも頼らないんだな! を読み取ると、結構駄々こねたり、側にいてくれよー、みたいな案件が、頭の隅を、相手は若かったり会ってからそんなに時間が経ってなかったりいろいろあってさ!
相手に依存してる感じはさっぱりしないけどねー、自分にもそんなに頼らない若いはねっかえりが好きで、相手が好いてくれてると喜んでみたいなの。
文藝春秋の3代め社長の池島さんとか、大映の実際の経営者の人とか、名前なんだっけ数日前に本読んでたのに忘れたまあいいや!

依存先がやたらたくさんあって、相手が去っても執着したような気もしないかなぁ、嫌われてもそっかー、で納得しそうだしなぁ、実際分布はそんな感じじゃないかな?


12月3日めも。


「菊池寛は人に頼らないか否か」みたいな話。
ちょっと離れた話題になるんですけども、前に菊池さんが動物を語った随筆を読んだんですよね、タイトル忘れたけど、青空文庫だったんじゃないのかな、随筆そんなに多くないんだけども、なんか単発で読んでた。
なんかねー、怖いんですよね、動物飼うと飽きちゃうのかなんなのか、なんかぽいぽいぽいぽい対象取り換えて話が進んでくの。
ただ、その分、個々の動物に対しての期待も特にしてなくて、こうならなくて残念! みたいな理不尽なことも言わない。
淡々と、淡々と、取り換えてってその特性と感想を語っているだけ。
特別な感慨持った動物も多分あの文章においてはいないんじゃないのかなー、こういう感じだと愛着湧くよね、みたいなことは言ってるけど他人事ぽい。

人間に対してのイメージもそんな感じですかね。
来るもの拒まず去るもの追わず。
もう一つ、中央公論の編集さんの本、えーと、あ、『木佐木日記』において、菊池さんが大正末くらいの政府の締め付けの厳しさ、事件取り締まりに関して、「退屈しない時代」って答えてるって話があり。
そもそも編集さんが菊池さんを高く評価していたせいか大した人物って受け取ってたけど、なんか怖いよこれ、動物のもトータルで見ると怖いけど。
まあでも、実害がないからいいのかしら、とも思うので私も編集さんに近いのかもなぁ。
しかしまあ、この人に特別な愛情を抱いたらメンタル死ぬわな、真面目な話…。


12月4日めも。


で、大御所になってからの菊池さんに関してはまあだいたい方向性は触れたので満足なんですが、だったら初期の頃の菊池さんどうなの、みたいな話を、ぽちぽち。
大御所になってからだと、能力ある相手に能力貸して! みたいなことしか言ってないよ、それ以外は全部自分で出来るし雇えば済むからね、というような話なんですが、あれだな、そこで純文学作家に頼る必然性は皆無だよな本気で、文士村じゃあるまいし、あの手の全員貧乏所帯認識だと菊池さんがあまりにもかけ離れすぎてて違和感あるってのはわからんでもないかもなぁ、でも、財閥の人とか普通に付き合ってるよね。
阪急とか宝塚で知られた小林十三さんがあれ、『話の屑籠』に出てくるんですけども、ビル建てようよ、文士入れるためのビルー、とか言ってて、お金の作り方教えてあげるから(*´∀`*) とか言うんですよ。
これを菊池さんが断るわけじゃないですか。
文士に金出させないと意味がなかろう、みたいなの。
吉川さんと小島くんですら幾らしか無理なのでは…、みたいなこと書いてて、おう、なんでその二人なのかわからんけど、言えば絶対に聞いてくれる面子かそれとも稼ぎが多い順か、小島くんは実家も金あるみたいだけど。

これも人に頼らないとは別と思ってまして要は舐められたくない、この辺は文士の身分が大概に低い、どうも金持ちのペットになってるみたいな感じの憂いだと思うんだよね。
しかし自分でもビル建てるには足りないみたいな。
時期忘れたけど映画産業に呼ばれる前かも、数年後にはへーい、本家ペンクラブ呼ぶからビル作っとくわー、みたいに態度が豹変してるので、やっぱり物理、多分財政オンリー。


12月5日めも。


いやだから、菊池さんが売れる前だってば、大御所と言われるようになった時期はわりと不明なんですが、特大ヒットを飛ばしたのは大正9年ですね、世に認められたの何年前だっけか(「無名作家の日記」ですね、これ以降は依頼が来るように)。
昭和6年から連載されてる随筆『話の屑籠』では初期は文壇トップメンバーになってるかどうかっぽく、なんかのイベントがあっても、呼ばれて当然でもない、呼ばれていても不思議はないくらいの位置。
いやあの、この時期の資料が探せなくて…。
文藝春秋立ち上げた時点で出版業界への結構な不満が溜まってたぽいからなぁ、あっちでもこっちでも作家とメディア側の揉め事があるみたいだし、この揉め事がどれ一つとして経緯が明言されてないので不明としか言い様がないんだよねマジ。
痕跡とか言及はちょくちょくあるから、いつかまとめて資料が見付かるような気もしてるけど見てないものは見てないです、専門の方にお聞きしたい。
(この辺の揉め事は作家の地位の変動が結局のところ要因なんだろうね、古い感覚の出版人がそう簡単に入れ替わるわけでもないし。)

ざくっと言うと、デビュー前からこの時期くらいまでは「助け合い」の体裁なのではないかと思ってるんですけども、芥川関係読んでてもたまに出てくるけど、誰それの紹介とか、誰かを連れて出版社に行くとかちょこちょこあるんだよね。
年上が年下を出版社などに連れてくのは昔からあると思うんですが、プチ師弟関係。
芥川よりちょっと前くらいから、同世代同士で紹介しあってるんだよね、どうも年上とは立場が違うみたいで…、これも詳しくはわからないんだけども。


12月6日めも。


我らの菊池さんはあれです、駆け出し作家の頃に出版社でどう振舞っていたのかわからないんですが、久米さんに連れられて『雄弁』の掲載のために講談社に訪ねた時はぶっくり膨れていて話もせず、あー、噂通りー、みたいなことをその対応した編集さんが語っていたりとかね、「クチキカン」の話はまあいつ聞いたのか不明だけど。
(出世作の無名作家の日記よりも時期が前なのであとから噂聞いたのかな?)

まあなんというか、前途多難じゃないですか。
そういやこの鳴かず飛ばずの時期に媚びたみたいな話聞いたことないし、出版社巡りみたいなこともさしてしたことあるような感じでもなかったし。
あとの時代には他の若手作家を連れて新聞社との契約とかしてるんですけどね。
この時期こそ本気で「誰にも頼らない」ぽいんだよね、コネ使ったことはありますけども、作家としてじゃなくて時事新報の記者になるためだったみたいだし(いつもの成瀬さんとこのコネです、成瀬さんの叔父さん)。
これ、頼りたくないというより本当にこの時期においては自分の才能に自信がなかったんじゃないのかなー、とは思ってるんですけどね。
無理強いして載せて貰うんじゃなくて、相手の目に叶わないのにゴリ押ししたくないというか、芥川に頼った勢として全く名前が出てこないんですが、芥川が頼むと当時は無理してでも聞いて貰えそうなので、まあ、そういう意味かなあ、ともね。
この辺の印象に関してはわりと普段言われてるものと近いかも、謙遜もあるけど、むしろプライドが高く、正攻法以外は嫌だという姿勢というか、まあすごい普通の若者。
結局そのせいであとでぶち切れるんだと思ってるけど(けろけろ)。


12月7日めも。


前日からの直接の続き。
まああの、正攻法にしようとしていたということはあれじゃないかな、「きちんとした評価システムがある」という信頼があったんじゃないかと思うんですよね、菊池さんが他者に対して期待していたのって大まかにあんまり多くないと思ってるけど、そのうちの一つ、かなり強そうな信頼。
ところがこの後、大正9年の『父帰る』の公演、「真珠夫人」以降に同人誌時代の作品がほぼ出版される運びとなりまして、まああれ、ぶち切れちゃったみたいなんだよねー。
なんだ、作品の評価を左右するのはまず立場?! みたいな意味でがっかりするよね。
この辺はあれ、適当に摘まんでるとたまに見ます。
周囲に結構当たり散らしてるので、研究者の人とかたまに回収してくれてるし(要するにまとめられてないけど何ヵ所かで見てる)。
で、それ以降がシビアになったぽくてね。
無名作家の日記を評価してくれた、弱い立場だったのに褒めてくれた白鳥さんのことが特別な存在になったのもあるいはそれ以降のことなのかもねー。
にゃ、評価された直後の時期にはさして白鳥さんに対しての言及ないので。
白鳥さんは立場無関係に、作品見ててくれてたわけだしなぁ。

もともと文壇にそれなりの信頼があって、そこから極端に裏切られため、あんまり物事や評価に動揺しない、それ自体が相対的なものでしかないんだな、という方向に悟った人じゃないかなー、と見てます、別に不健康でもないんじゃないかな。
逆に自分で絶対評価に近いものを作ろうとしたんだって見てもいいわけだし。


12月8日めも。


最後に芥川の話、実はえーと、私は菊池さんが「世に知られる前」に中央公論の編集さんが来たのは芥川の差し金だったんじゃないかって前から考えているんですが。
こういう感じの人生の時系列の中に差し込むとこう、楽しいんだよね、妄想ですけど。
妄想だけどそろそろ笑われない程度には推測に近くなって来た感じではあります、1年目くらいからの持ちネタです、このネタを温めるための資料探しは別の方向でぽんぽん開花してますが、肝心のこの辺はさして進展してません人生そんなもん!!!

菊池さんと対比すると芥川が人間の公正な評価とか信じてた気が全くしないんだよね、なんだったら菊池さんの才能が皆無でも自分が真剣に捻じ込めば世に送り出せるって信じてたろうし、実際、何人もは無理かもしれなくても一人二人くらいなら芥川にはその立場の強さがあった。
ただ正直、芥川が菊池さんを世に出したいと思ってるんだとしたら、前後にやってたことが汚いんだよね、手段選んでる感じが全くしない。
能力信じてたら普通に紹介すれば良かったんだよな、実際小細工関係なしに認められたし。
そういう意味で能力を高く評価してたかっていうとどうかなー、と。
さらに言うと最終的に菊池さんは芥川が妙な画策してたの知ってたんじゃないかなと。
まあ画策どうのから妄想ですけども。
その辺のネタの詰めはおいおい、日日新聞に潜り込んだり、中央公論から菊池さんのところに中編が手元にあるぴったりの瞬間に迎えが来たり、それがちょうど芥川を悪役として描く作品だったり、普通に怪しいのよねあの辺…。

(文アルとか近代芸術、137)
最終更新:2019年06月29日 14:22