雑記:文アルとか近代芸術、134


10月30日めも。


リアルタイムは2019年1月18日です、とりあえず追いつくまでにえーと、100日分ちょっとくらい書けばいい感じみたい、だいたい3か月か、調子がいいと10日で書いたりすることもあるのでまたなんか微妙っていうか。
ネタを溜めておいて書くとかそういう感じではないです。
内容とか特になくても普段からぶつぶつなんかしら呟いてるしなー。

例えばあれ、ちょっと謎の単語だった「新派悲劇」というのもどうもサイレント映画の一種だったぽいことが判明したり。
え、新派の映画とかあったんだ?! となったんですけどもまず。
なんか声音弁士とかいうプチ演技するみたいな人たちがわりと勝手に暴走しているようなこともあったようです。
あー、うん、さすがにインテリが嫌がってもこれはわりとわかるww
ざっくりと本で読んでいた限りでは声音文士と一番相性が良かったのは新派じゃないのかなぁ、あとあれ、新劇も映画にしようとしたのかな、なんか小山内さんとか映画に呼ばれてたし、あれです、小山内さんが誕生に関わっているのでそんなに古いもんではないみたいです、いやなんか微妙に年代がわからなくなってるけども。
そういや谷崎とかも映画初期に参加してたよねー、なに作ってたかわからんけど。
(だって新派も新劇もどうせ原作書いてるだろうし谷崎だと。)
まああれ、ちゃんとした本を読んでいないので、というか研究本から虫食い読みしてるから知らなかっただけで、多分映画だと語られてるんだけどねー、精度高いし。
何度か言ってますが評価が低いのはいいんだ、存在消されるのが面倒。


10月31日めも。


えーと、じゃああれ、演劇とか映画とか、ぱらぱら。
演劇ジャンルのほうから贔屓の研究者さんが出来たのでわりと先に読み始めたんですが(もともと子牛がファンだった神山彰さん)、その人も言っていたようにあれだな、映画ジャンルのほうが風通しがいいですね。
なんというか映画好きの人たちって基本的にどんな駄作であっても、記録は残す! みたいな感じでエキサイトしてたんですけども、なにがあったんですか一体。
まああれ、ぶっちゃけて歌舞伎と混ざってたり寄席なんかから発展した演劇ジャンルが細かい記録がなかったところで仕方ないところはあるし、そんなことで怒るような人ではないので、なんか具体的な書き換え案件とかあったんだろうなぁ。
その辺はちょっと純文学を巡る文芸ジャンルにも近い気がしないでもない。
ただ、新劇に関しては純文学ほど貧弱ではないというか「自然主義の時代の純文学」みたいなもので確かに時代の一側面みたいなんだけどねー。
まあ動員数とかは新派のほうが大きかったのかな…。

今の時点でざっくりとまとめると新派の元になったのは比較的小さい寄席などで行われていたような大衆演劇みたいなもので、その中核になったのは川上音二郎ってことでいいんだよなさすがに。
まあこの人は明治発祥の素人演劇である壮士芝居に属する人なんですけどね、性質としては書生芝居にも近く、唯一歌舞伎座にも立つようなまとまりを持った、という認識でいいのかな。
曖昧だけど「発祥・川上音二郎」になってるんだもん、元が雑なんだ。


11月1日めも。


んであの、前日の続きですが、新劇のほうはうーん、どこを発祥とするというか誰を初期の人とするのかはばらばらなんだけど(代表格としてよく新思潮たちが挙げられていたりする、せいぜい並ぶのは久保田万太郎くらい)、「自由劇場」をその最初とするのならばやっぱり小山内薫さんの名前を挙げるべきなのかなー、と。
なんというかだいぶ独特な感じの人ですけども、というか、新派で稼いで新劇で芸術ぶって弟子をいびり、新派や大衆演劇を盛大に叩くという非の打ち所がないくらいにいいところがない感じなんですが!
なにこの、全ての功績を打ち消すほどの隙のなさ。
ただ、最近あれ、『講談倶楽部』にふっつーの作家の一人としてカウントいましてど通俗雑誌でね? なんか、緊張するような他ジャンルの作家とかじゃなくてまあうちの新人みたいな普通の扱い、その上で評価いまいち組の一人。
あれですね? 庶民は彼が多少叩いていようが多分なんとも思わずに受け流していたんじゃなかろうか、だってインテリは『雄弁』になら喜んで書いてくれるけど講談倶楽部には、厳しい!! とか叫んでた編集さんにとって小山内さんてのが特に気負うことがない存在だったってことだよね多分これ、ていうか小山内さん腐っても帝大文士じゃん、ど新人帝大出の作家にもめっちゃ丁重に対峙してた編集さんがその他扱いって。

もはや講談倶楽部で書いていた目的がなんであっても、そんなに馴染んでいたんなら他のエピソードもなんかこう、「普通の通俗作家」として扱われていた人の振舞いだと、思うと…ちょっとくらい気張らないとむしろ舐められそうな気がしてきた。
つか新劇っていかにも台所厳しそうだからなぁ…、うんまああれだ、保留。


11月2日めも。


リアルタイムは2019年1月18日、とりあえず演劇とか映画とかを思い付く限りでだらだらと語っています、ていうかあれ、無声映画が後世の呼び方なんだけど同時代においてはフィルムのメーカー名でそれぞれ呼ばれてた話ってどっかでしたっけか、なんか謎の横文字とかたまに出てきてますがあれはメーカー名なんだな、という程度にしか役に立たない、あとあれ、活弁士が実は人気あったみたいな話もなんか別の日付けで書いたような気もしている。
現代で言うナレーターとか声優だもんなぁ、そういう意味で映画とのセット以外で普通に生き残っていてもいいような気もするんだけど、あるいは漫才とか講談とかとも近いんじゃないの? とかいろいろ気になるけどよくわからない。
まあ活弁士という名前以外で近い機能の人たちはいたんだろうね。
うーん、とあとあれ、改めてってなるとなんか出てこなくなるもんだなぁ。
そういや演劇において近代演劇というか演劇改良運動で主要な役割をこなした歌舞伎の9代め団十郎がわりと扱われてる本とか読んだんですけども、弟子に百面相を見せるみたいな芸を持った人がいたりと、わりと全体的に面白そうなんだけど残念ながら彼のいろんな側面ってちゃんとまとめられてなくてばらばらに読んでるんだよねいつも。
あれ、伝記かなんか読むとちゃんと語られているものか。
うーん、それぞれの研究者が一つずつ情報積み上げてっていう調子でやっていたのでちょっとそんな気もしないんだよな。

というか、演劇改良運動自体の本もあるのかしら。
福地桜痴を改良運動の主体としてる人もいてね、まだ説の合体が出来てない。


11月3日めも。


めちゃくちゃだらだら書いていて、なんか頭の中で情報がいまだにばらばらなんだなという認識でいるんだけど、普段書いてるものもまあこんなレベルという気もしないでもなく、そういや映画に関してはどうも直木さんがかなり初期の重要な位置を占めてるっぽいんだけど、残念ながらWiki辞書さんではその菊池さん原作の映画から抹消されていて存在しない桁なのでいまいちまとめられている気がしません。
てか、他の映画会社が作ってた協定を出し抜いて新設された映画会社がどうのとか書いてあったあとに国粋団体(右の団体はわりと普通のやくざさんです、ルーツがそう)に映画ごと丁寧に潰されているのって偶然ではないというか。
さらに次の菊池さん原作の映画まで検閲でがーがーがーがーと言い出したってのもなんかこう、ううん…。
(原稿料の高い作家には頼まないという協定があったので、菊池さんとかどう考えても最大のタブーだよなぁ、ガチ。)
いろいろ厳しかったけど、同じ原作の映画が同時に3本とかややこしいことになっていたんだけども、なんかその辺の事情がかなりばらばらに存在していてその辺も謎い。
3社が同時に同じ原作の映画作ることになったことの特別な事情はないのかしら、単純に原作連載の時期がどうとかそういう話?
だがしかし、五社連合で最大のタブーをまたなんで同時に、とか。
まあいろいろ気になるところがあるんだけど違和感ないのか特に研究されていない。

まあ私が気にしているのは「映画会社の経営の歴史」だよね、作品ちゃんと追えてればいいじゃないと頭の中の神山さんが言っている、いいんですけども、いいんだけども!


11月4日めも。


だらだら映画や演劇の話、というか、昨日の分の雑記を書いていて気付いたんですが私はどうもなにを読んでいても「文化媒体の経営の歴史」がまず素で気になるんだな? ということに気付いたわけですが。
でもこれ、風俗関係の歴史読んでると大抵ちゃんと触れてるよね。
あと、新聞の歴史もかなりデフォルトでその辺は拘っていたように思うし、出版社の歴史に関してはもう無理ー、と研究者の人がちゃぶ台を投げていても特に気にならないというか資料のなさが半端ないし、同じ人が三つも四つも出版社持ってるとか同時経営とかなんか現代とはニュアンスが違うとかいろいろあるわけですが。
(正直もう出版社に関しては気にしないで欲しい、情報をばらばら集めてるだけでも結構尊いって普通に思う、だって物が偶然にしか出会えないよ!!)

映画会社と演劇の大劇場系に関してはそれなりに経営の歴史は追うことが出来そうなので気になるのかもしれないなー。
ていうか主にあれ、直木さんの本で読んだ五社協定ってなによ映画の本で見たことないわよ、というのが一番気になってる。
ていうかそれが気になってることを今書いて初めて自覚しました。
わりと直木さんとこの下っ端が書いてただけなんだけどね、正直世の中には付いて面白い嘘とそうでないものがあるよね、こんな協定があったから妨害受けたんですー、だと微妙なんだけど、こういう協定があるから別の会社をひょこっと作ったんだよ、で終わってるのも信頼度が高い。
つまりあれ、協定をすり抜けた上に菊池寛に頼んだ、と、ただで済むかこれ?


11月5日めも。


えーとあれです、直木さんの映画会社の若い人の証言が載ってたのは『この人・直木三十五』です、なんか絵に描いたように堅実そうな弟さんがまとめていたので特に手を入れたりはしていないとわりと信頼しています。
だって本文中に情報の食い違いがあっても、そのまま載せてるし、わかってる、実にわかってる、どっちが正しいかどっちも間違ってるかわからん場合、文責を分散させるのが研究の基本だよね(なにを言い出しているの)。
教育者の上、文藝春秋の三代目社長の先生だったらしくてどええ、となってたけど、そんなことどっかに書かれてたっけあったような気もする!
ところで弟さんとの差異半端ないよね、と今更ちょっと。
でも奔放な兄弟と正反対の堅気っていう組み合わせ自体はわりとよく見るか。
まあ、映画の本というわけでもなかったんですけども、その本で出て来た直木さんが作った菊池さん原作の映画がWiki辞書に載ってなかったりとか、まあその本の中でもタイトルが映画のものじゃなくて原作のままだったり。
映画周辺事情が菊池さんと映画の本で読んだ情報とあれやこれやと食い違っていたりとか、いろいろスペクタクルに富んでました。

誰かが研究しててくれるなら読みたいものの、多分難しい。
まあ将来においては期待出来ないこともないかなー、直木さんのこととかちょっと前だと検索してもファッショ(帝国主義だよ)ってことしか出てこなかったのに、今は別にそれ以外のこと出てくるからなぁ、つかファッショも、映画作ってる人たちだと標準というか、なんだ、うん、映画産業って半分アウトローぽいと無声映画の本を見て気付き。


11月6日めも。


映画とか演劇とかをだらだら、というかそもそもこの辺を読み始めたのか菊池さんがどちらのジャンルにおいてもかなりの重要度ということを聞いたからなんですが、実際のところどの程度のものなのかがよくわからない。
菊池さんの戯曲集が岡本綺堂と並んで出ていておおお?? となったんだけども、あれですね戯曲のお父さんって人ですね、なんでお父さんなんだかそれがどのくらい妥当なんだかがよくわからないけども。
というかよく考えたら戯曲って「読むのがメイン」の文学の一種か。
綺堂さんの公演していない作品は雑誌に載せるのが厳しいっていう意見をわりと素直に読んでいたものの、そういや、新劇はともかく新派はもうあるよね? あっちとの関係みたいなものはどうなっているんだろう。
いや、新派の評価が低いにしろ、鏡花なんかの舞台はあるしなぁ。
まあ無断だったけど、いやどうなんだあれは(いや川上音二郎氏がね、やらかして紅葉先生に怒って追い回されて、水蔭さんに取りなして貰ったとかなんとか)。

ううん、情報並べてみてもさっぱりと頭の中でこの可能性はあるかな、程度にすら組立たないのでまだまだその辺が甘い。
そもそも綺堂さんの戯曲書いてた時期もちゃんとわかってないしなぁ。
あれだよね、福地桜痴さんなんかのなんとか歌舞伎に取り入れられた時代に自分までは到底無理みたいなことになってたあれだよな、逍遥さんとか鴎外さんも跳ね除けられてたね(雑誌にはさすがに載ってた)。
うん、新派との時間軸がさっぱりわからん、今後も精進するしかない。


11月7日めも。


あれ、菊池さんと映画と演劇の話だけど菊池さんに到達するほどにいかないというかなんというか、わりと基礎部分がわかってないと大変という話なのですが。
よくよく考えると演劇とか現代においても規模とか分布とか分類とかわからんし。
映画でも全国ロードショーくらいしか目に見えるものがないというか、どうもこう、どの程度の規模という表現そのものがなにを指すのかよくわからない。
まああれ、菊池さんの「父帰る」を公演するために立ち上げられた劇団があるよん的な話に見えるんだけどその解釈でいいのかわからない、ていうか、菊池さんの公演は父帰るの成功ののち、同人誌時代のものでぼっこぼこ続いたらしいんですが、それをやっていたのがその劇団なのかどうかもよくわからない。
なんかこう、荷風さんがぎぎぎぎ、と呻いていた荷風さんの贔屓劇団から横からメンバーを掻っ攫っていった劇団がそこのような、そこでもないような(一度解散してる)、みたいな感じにどうにもわからない。

あー、これもあれだ、映画の時と似てますね、経営に近い側面が気になっていて、映画でも演劇でもそうだけどわりと俳優がメインになっていくので私が知りたいことがまとまっているということが少ないんだな。
にゃ、そんなの当たり前だし仕方ないよな。
菊池さんと映画に関してはまあ映画会社の社長をやっていたこともあってむしろわりとまとめられてるほうなんじゃないのかなぁ…、あの本もいろいろ、気になったけど。
まあなんだ、まだまだどこが欠けてるとかそういう単位で言い表すことそのものが微妙なのでこういうものを書いていますし、あるいはどっかに偶然あるかもしれんし。


11月8日めも。


映画と演劇の歴史の話をだらだらと。
歴史っていうか近代史みたいなやつなんだけども、この辺はもっぱら研究論文集みたいなもので主に読んでいます、ううん、なんでかな、なんかそれと最初に出会ってしまったせいなんじゃないかな、そもそも本があるのかどうなのかからよくわからなかったしなぁ、映画の歴史の本はちゃんとしたものがあるようなんですが、内容的に見て信用出来る部分もかなりありそうなんですが、ちょくちょく否定されているところもあるので今の時点ではちょっと保留で。
にゃ、詳しくなってからだとそういう通史ってのは実にありがたいんだけどね、少なくても時系列に関して間違ってる通史ってあんまりないし、そこ間違ってたらさすがにちゃんと指摘されて直されてるし。

で、なんとなく少し固まってきたような、いや今固まってないよ押すと危ないよみたいな感じで、人名とかもなんとなくふわふわしてるしなぁ。
山本さんと久米さんと関わってることはわかってる井上正夫さんとか、この人俳優なのね、なんか演出みたいな方向で名前見ることが少なくなくて、直木さんとこの映画にも出てたのでちょっとぴよ? となってたり。
直木さんの映画に関係するというと映画会社のパトロンだったらしいマキノさんとか、ううん、息子さんは直木さんが「なんっにもやってなかった」って言ってる辺りの兼ね合いが気になるなぁ。
若い人の手記読んでてもどう見てもめっちゃ動いてるし、マキノさんとこに属してた時代のことかなぁ、ううん、情報のすれ違い気になる。

(文アルとか近代芸術、134)
最終更新:2019年01月19日 00:03