雑記:文アルとか近代芸術、131


9月20日めも。


文アルとキャラの話、だいぶ経ってるので書き方すっかり忘れてましたので、前のページを見ながら打ち込んでいます、の5枚め。
とはいえあれです、最初が9人しかないし、秋声が重複したし、で今38人か。
あと何人いるのかがすっかり記憶にございませんが、見切り発車。
リアルタイムは12月2日、【江戸川乱歩】さん、ぶっちゃけだいぶ前置きで容量食いましたが彼くらい有名なら別にいっかー、となってるけど、今の若い子にはどうなんだろうね、私の頃には普通に娯楽で読むものだったけど。
アニメなんかには今でも題材になってるのを見るけど、最近のアニメはわりと年嵩の層にも向けてるのでなんとも判断材料にはなりにくいというか…。

近代文学史においても「なんでか一人だけ通史にも出てくる探偵小説家」であって、大衆文学=時代小説、みたいな時代においても彼一人だけ普通にいます。
雑誌名よりもはるかに大きな名前で広告されています。
次に大きいのがタイトルで、多分あれ、どんなフェティシズムが炸裂するのかな! というところが期待されていたんじゃないでしょうか、すごくはっきり言って読みやすいし面白いし、話にきちんとオチが付くところがいいよね。
というか探偵小説の歴史は他にれっきとあるのに関わらず、乱歩さんに至るまでが消えてる、新聞社の社長だった黒岩涙香、飛んで乱歩さん。
ショタコンだったというのは結局のところ世間的にも黙認されていたのでしょうか、最近その辺が気になってるんだけど、さすがに通史ではそこまで語られていない。
今後ちょくちょく読んでくつもりだけど、ちゃんと調べられるかなぁ。


9月21日めも。


えーとあれ、文アルのキャラ言及、二人目は【正宗白鳥】さん、ところで今検索しようとしたら出て来た検索候補で入れたら名前と名字がひっくり返ってました、いまだに毎回調べます。
白鳥さんって主に呼んでいるんだけど、これが下の名前だということで認識する以外にない気がする、あれだ、文アルってなんか片方が名字、片方が名前で呼び合ってる人たちが結構いるので、呼び名だけだとなんともわからない部分あるよね! ただ、どっちかというとわりとリアルではある、実際そんな感じになるからな友人付き合い…。

で、ざっくり菊池さんの世に出た少しあとくらいには評論畑ではトップ認識だったらしく(芥川が評価されていないことを気にしていたというような文章で出て来た、まあ、歪みにくい内容ではあるよねこれ)、あるいはトップクラスの可能性もあるかな、ただ今の段階では並ぶような人は見てないかなー。
ただ評論家って現代人が見るとろくでもないからなぁ…、現代人が見て評価されないけど同時代には影響があった人が省かれてる可能性もないでもないので保留が無難か。
自然主義の隆盛時代の最後の新人(真山青果と同時)として世に現れて、自然主義そのものの短い隆盛の前にいまいち盛り上がらなかったと書いていたので、信じます。
この言い分を当人がされていた場合、もう疑う要因があまりない。
大正11年くらいだったか、『中央公論』の編集さんが白鳥さんが戯曲に興味を持ちました! とトップニュース風に語っていたので、まあ、どう見ても一流人物です、だが作品ではなさそう、しかし評論のレベルは周囲と比べてめっちゃ高い。
あと、批判は鋭いけど無意味に下げたりしない、性格も悪くないんでないかね。


9月22日めも。


文アルのキャラ紹介っていうか言及で、【夢野久作】さん。
とりあえず近衛文麿の本を読んでいたら近衛さんの親友のパトロンとして夢野さんの父親が出てきて、調べてみたらなんか政界のフィクサーと呼ばれていたので、おおおお? となってしまったんですが、いや、その本で普通に夢野さんに触れてたからね(書いてたのが編集さんなのでまあ普通に知ってるんだろうな)。
まあ『ドグラ・マグラ』は三大奇書として有名だったので読んだことがあるのですが、この本がいまいち合わなかったのでそのまま他の本には手を付けなかったんだよなー、合わないというか、意義がわからないというか。
これ、私の周囲にはぽちぽちいて、彼らの共通点は「読むのには別に苦労していない」、だが話にどうもピンと来ない、みたいな感じ。
この間苦労した人が頑張って分析していたのを読んでみると、あの小説はパートごとで性質が違う文章が紛れ込んでいて、精神分裂状態にある文章をいくら読んでもあんまり甲斐がないというか、別に話に関係ないんだよね。
そこをそうだと飲み込んで、さらっと流し読みしてると意味が取りにくい小説、そこで苦労していないと本質のわからない話、てことなのか。
ただ比較的高い評価はしてまして、私にはわからないけれど、価値を崇める人はいてもわからないなんて、と馬鹿にする人がほとんどいない、少なくとも目立たない。
わかったら頑張って努力して共有しようとする。

それはどう考えても私にはわかりにくても高い価値があるからに決まってるよね。
努力して波長を合わせたいかというと、あの、ちょっと迷うけど…いやまあ。


9月23日めも。


文アルのキャラ紹介というか言及というか、【小泉八雲】さん、ラフカディオ・ハーンさんで良かったっけか、私の時代だとわりとちょいちょい語られてたので普通に知ってはいるものの、この手の人物表記ってより原音に近いようにってたまに変わることあるからねー、まあ、大丈夫っぽい、出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーンさん。
で、パトリックが「守護聖人」の名前だって。
守護聖人って生まれた日ごとにあるっていうあれでいいのかなぁ?
文アルでも万聖節っていう名前でイベントに出てましたね。
カトリックではこの万聖節をハロウィンへとまとめてしまったとのことで、日本ではその日を「万聖節の日」って昔は呼んでいたようですが、現在だと諸聖人の日って呼ぶことになってるようです。
これもあれ、原音に近く、寄りのケースかもねぇ。

で、ざっくりハーンさんは聖人の名前を拒絶したらしく、なんでだったのかはWiki辞書で見ただけでわかりません! が、さすがにこれはまあ間違いでもないだろう。
ギリシャの人なので宗派は東方正教会だと思うんだけど、国とか地域に関わりなく宗派持ってる人もいるし、ご当人がそれを拒絶してるんだとなんともわからんね。
てか、ようよう考えてみたら西洋の伝承伝説の類ってのはキリスト教の伝来で少なくとも脇に追いやられたところがあったはずなのでその辺の絡みなのかなぁ。
南部フランスなんか読んでいた時に見た覚えがあるなぁ、建物の意匠の中に残っているのに伝承がはっきりしない物の怪に近い存在たち。
日本に来たのも妖怪話に惹かれたのもそのせい? いや、資料皆無だなこれ…。


9月24日めも。


文アルのキャラ紹介、今5人目でしたっけ、の【井伏鱒二】さん、さんしょううお…変換はえーと、漢字か『山椒魚』の作者さんですね、教科書で読んでいる人も多いと思うし、教科書で読んだにも関わらず山椒魚戦争と混ざってわからなくなる人も少なくないんじゃないかと思います、カレル・チャペックの作品だよ、多分読んでないよ!!
あとあれ、演劇の本を読んでいたら、ふと井伏さんを見掛けた人が「菊池寛の代作やってる」と呟いたらしいんですが、たくさん書いてたのかな?
菊池さんがそれを把握してたのかなども含めていまいちわからない。
尾崎士郎くんと一緒に競馬場にいた時に、お小遣いあげるって声を掛けてて断るのに苦労したとかそういうことをどっちかが語ってましたね。
士郎くんとの関係もよくわからないけども!
あとあれ、初期のプロレタリア文学として小川未明と並び称されていた方が、教授としてセクハラしていたのが井伏さんだったので、世界が狭くないか?! とちょっとびっくりしてました。
早稲田大学だったっけか。
慶応系の佐藤さんに師事したのが早稲田系との関係が悪かったからだ、という解説がされていたんですが、佐藤さんの元にももともと普通に早稲田のほうの人が混ざってたので、多分その辺もありそう、そもそも学閥気にしてるようすもないしね…。
(馬場孤蝶さんって人の人気のせい、他の大学からいっぱいいたわ。)

なんでおじさんなのかというと…セクハラ、嫌なのかなと、こう、こっそり。


9月25日めも。


文アルのキャラ紹介だか言及だか、ここがなんかブレてますがなんでブレてるのかは私にもわかりません、で【中野重治】さん。
作品は知ってたけど当人は知らなかったのケースだったんですが、まあ、知ってたのが「おまえは歌うな」なので要は詩人分類としての認知だったのかなー。
この詩ってなんとなくは覚えていたものの、聞いた時点でも今見ても意味がわからず、ただ、重治の代表的な作品も「歌のわかれ」なのね。
音では覚えてるんだけど、表記がわからないのでさっきから何度も確認してるよ!
あ、あと詩のタイトルそのものは「歌」みたいね。
まあ、素直かつ大雑把に意味を取ろうとすると社会主義運動のために芸術的な作品よりも戦うべきだ的な解釈になるのかなー。
正解ではないのかもしれなくても、ぶっちゃけてしまえばそう理解することを咎められるようなことも特にないんじゃないのかしら。
そう受け取られることくらいは普通に認識してそうだしね。

ところで同時代の「運動」というのがどうもいまいちわかっていないんだけど、そもそも共産主義と社会主義って違うじゃないですか、ただ、実際に運動してる人たちが違うものだと認識してるかしてないかが実はケースによって違うので…。
果たして正確に分類することが歴史と向き合うのに正しいのかどうかすらわからないというか、私はこの辺曖昧にしてます、社会主義はそもそも実現を目指していないっていう考え方もあるぽいしね…いや当人たちが言ってんだよどうしろと。
ざっくり言うとまだ理解してません! 来年までに進むといいな!!


9月26日めも。


文アルのキャラ紹介【小林多喜二】、あれですね、こないだ文アルの記事を読んでたら多喜二が出てくるゲームとかあるよー(*´∀`*) というような記事を書いた赤旗さんが、「多喜二の政治利用を許すな!!」という文アルのゲームユーザーさんの突撃を食らっていたことが普通に載ってました。
あれ、ところによると論文にもなったそうですね(しれっと言ってるけど、どなたが書いたのかは知ってる、最近たまに見る人だわ)。
当日私は、多喜二を犯罪者呼ばわりする人たちと戦っていたのでその騒動のほうとは残念ながら関わっておりませんで…、なんか一声上げてたらユーザーの総意と見られる割合は減ったんじゃなかったのかと、今も、ちょっと、その。

ただ、事件関係に詳しいかというと私も全く詳しくなくて。
せいぜいのところ当日も特高というものが当時どんなものだったか程度しか言えることがなくて説得力がなかったというか、最近読んだ「高等学校の入学試験に受かったか中退した人物が、特高全組織の中でもエリート中のエリートだった」辺りの知識があればもう少し響いた気がするんだけどね。
検閲に関しても文章はこう読みましょうみたいな例が飾ってあったらしいって言われてるよね、おかげで基準が定まらなかったと言われても、だろうね!! としか言い様がなく、あの時代の検挙者とか真面目に女が往来で意見を叫んだとかそんなレベルで決まっているので、それを現代の犯罪者だと思うことは真面目にやめたほうがいいと思う…。
この辺も以下勉強予定、つか、この人、若い頃から文学史によく出てくるんだよなぁ、どういう活動主体なんだかまだよくわからないんだけどねー。


9月27日めも。


文アルのキャラ紹介です、【徳川直】くん、名字これで良かったっけか、彼がゲームへの登場って言われた時はかなり皆一斉に「誰???」となってましたが、プロ文じゃなくて一般の文壇のほうが多分よく名前が出てくるんじゃないかと。
あと、私は菊池さんの書いていた随筆『話の屑籠』の中で彼の名前を見ることになったので、もうちょっと時期がズレてたら、へー、彼か、みたいな感じに受け止められることになったんじゃないかと残念だったのですが。
いや、数人に一人くらい、ほぼ認識してない人が来るほうが面白くはあるかな。
ただどうせ読むようなものに載っていたわけだし、それがゲームよりも時期がちょっと先だったらな、くらいは考えるのもそれもまた自然かもね。

ところで大前提としてプロレタリア文学関係者ってぼんぼんが多いんですが、特に働かなくても生きていける層というか。
多喜二くんがエリートかどうか、という質問を昔子牛にされた時に、商業高校はどうなのか銀行はどうなのか、というところからなかなか身動き出来なかったんですが、ぶっちゃけてプロ文の中では働かなくては食べていけないので上ではないです。
なんでそういう階層が多いのかよくわからんけど、そうでもなければ社会運動が続けられなかったということもあるのかもなぁ。
これが意外と、名前が知られてる人なんかだと違ったりするんだけどね。
その前提で考えないと「小学校卒の元印刷工」が小説家になったっていう直くんの意味も価値もろくにわからないと思うんだよね…。
なんでプロ文が貧乏ってイメージになったの、いや、多分迫害で飢えてるだけ…。


9月28日めも。


文アルのキャラ言及で【堀辰雄】くん、ところでこれ打ち始めてまだ書いておくべきなのかそうでないかを迷ってることがあるんですが、ううん、迷う…。
まああれ、他のこと述べ終わってまだ余ってたらってことにするかな。
ゲームの中でも派閥である「新興芸術派」ってのは私は新潮が最初に若手を集めて展開して、その後一般化したんだよー、ということで聞いていたものの、どういうわけなのかその辺がその本(実際に新潮で関わった編集さんを題材にした小説)、以外で読めてないのでうーん、となってるんですが、とりあえず元ネタになった編集さんの手記も借りることが出来そうなのでそれ読んでからかなー、てことで保留。
ただ企画の初手に若手集団なので、その、川端がメインにどーんといるんだよね…。
そして一旦すでに世に出てる人は省いて、残りで発足なので、そもそもバラエティに富んでいるというより寄せ集めなのでは、と思われるところが他所では発足に関して触れない理由なのかしらね…。
いや、このいまいち締まらない経緯をでっち上げても誰も幸せにならないので、今の時点で特に疑ってないですけどね…。
新潮ってわりとずっと非主流派の雑誌ってところもあるみたいだしなぁ。

で、まあ、芥川のお稚児さんなどと呼ばれていたりして、軽井沢では側に置いて貰えるようなこともあって、近所に住んでいる若手集団の中では能力を認められていて、『驢馬』という同人誌を犀星の後援の中でやっていたりして。
ところで『四季』の印刷が四季社というのですが、同人誌のほうが先なのね? 誰の金で作ったんだよこの出版社、とか、煮え切らないな全体的に情報が…。


9月29日めも。


文アルのキャラ言及です、【中原中也】さん、ところで彼の写真はどうも修整によって顔が変わっちゃったんだよ!! 的なことを言われていて、見てみたんですけど、変わるってこういう方向じゃねぇよ!
と言い返したい気持ちでいっぱいなのですが。
そもそもあの黒目がちの写真って幼少期の中也さんとほぼ一緒じゃん!
というこう、なんとも不毛な気持ちになるんだよなー、最近この近辺。
にゃ、一葉さんの写真が修整で別物になり果てたってところは普通に信用してますよ、というか、あっちのほうを見ると「写真の修整で物理的に起こること」というのがわかるんじゃないのかなぁ、古い写真とか見慣れてるといらっとしちゃうというか…。
(んにゃ、素人風情があんまりどうのと言うことも良くないけど、幼少期の写真見るとどう見ても三白眼のかけらもない。)

まあざっくり、背が小さくても見上げることをしたがらない人だと、まるで三白眼みたいに見える人っているよね、てことじゃないかと思ってるんだけどなー。
ところで小林秀雄さんと女を取り合ったみたいな話は、女が去り、その後しばらく後に交流が復活していることが全く告げられていないので、小林さんが中也さんに関わってるのを見てどええ、となっていたのはわりと余計な話ですが。
きっと私に限らずいると思う、ていうか、文アルで女性の話の続きを聞いて、それが中也研究者の間ではごく自然に語られていて私の聞いていたものは一体なに?! みたいな気持ちになっていたりした人も少なくはないんじゃないかとは思う。
あり、死後有名になったんだっけか、後援者誰だっけ…(なにもかも曖昧)。

(文アルとか近代芸術、131)
最終更新:2018年12月02日 21:26