雑記:文アルとか近代芸術、127


8月11日めも。


リアルタイムは11月25日です、めっちゃ離れてますけどもなんか一時期年を跨いでいたような気もするから今更か、あとなんだか久々にパソコンを付けたらなんだか反応が遅いんだけど気のせいかしら…。
スリープはちゃんと解除したよな私…(一旦スリープにして、ログインしないままでログアウトしたのは覚えてるんですけども)。

えーとあれ、放送大学のレビューを書く目的で『世界文学への招待』という講義の第3回を見直しています、一旦書くには書いたんだけど適当にでっち上げてしまったので、内容実は思い出せなかったんだよねー。
忘れてるんなら意味ないしな。
にゃ、書くことは基本的に記憶を定着させるためにやっているので、常に私の内的理由が一番です、体裁はその次。
体裁整えておくとテンション上がるとか、無理にでも文章を綴る習慣が出来るとかそういう意味では体裁も拘ることもあるけどね。
まああれ、面白いかっていうとそうでもないけど。
なんというか、今見ておいたほうがメインでやってることと近くていいかなって、興味が全く持てないものはどうしてもやっぱり見たり覚えたり出来ないもので。
情報を入れておけばおくほど役に立つというのはわかってるんだけどねー、入れた情報を使うことのほうが主目的なので。
そんなに気持ちが上がらなくてもまあ聞いたり読んだりします、ただ、さすがにやっぱり全く気持ちが動かないと無理なのよね、明確な目的もないからなぁ。


8月12日めも。


一旦パソコンを落として立ち上げ直しました、マウススクロールに至るまで重いってこともなくなったんだけど、今度は打ち込みがやたらめったら反応が遅く、今気付きましたけどコンセントが抜けていたので戻しました。
関係、あるのかな??
なんか早くなったような気もしないでもないし、関係ないかもしれないし。

えーとあれです、11月25日時点で、疑問に思ってることでもまとめる? 相変わらず時事新報(菊池さんが勤めていた新聞社)の出していたという文芸雑誌のことがさっぱりわかりません、「時事週報」ってののことを指しているのかなぁ。
なんかこれはいわゆる日曜版の冊子のようなものらしく、それだと詳細がわからないのも無理はないんだけどね。
ただ、菊池さんが日日新聞に所属していた以上、他社と同時に在籍ってのはちょっとさすがになぁ。
各社がやってた他の雑誌や新聞に載せないで欲しいって協定はまだしも(これは明文化されてるものでもないみたいだし)、同時在籍はさすがにちょっと話が違うよな、両社がいいって言えばいいんだろうけど、詳細が掴めないとなるとそんな気も…。
時事新報が出してた文芸まとめ本見れば載ってるかなぁ。
明治末? もしくは後半から大正初期くらいまでの「週報」に関しては検索で引っ掛かったんですけども、本の中で触れてるかどうかは不明。
そういやあれ、八木書店さんには置いてあったなぁ。
ぱらぱらっとだけ眺めてみるかしら、大正何年なのかも曖昧だけど。


8月13日めも。


時事新報が出してたらしい文芸雑誌の話再び、これはこう、菊池さん関係の本などには触れているのを見たことがありません、彼が主幹をしていたらしいのはなんかちょくちょく載ってるんだよね、若手の文章とかそんな感じに。
えーと、尾崎士郎が確か触れてたって言ってた。
パウリスタっていう喫茶店のサイトにも載ってたようです、芥川と菊池さんがパウリスタで一緒にいた理由みたいなやつ(菊池さんが時事新報の文芸雑誌の主幹で、芥川も関わってたよー的な)。
ただあれ、もともと新聞社がほとんど近いので、時期に関してはいつでも良さそうでもあるんだよね、蘇峰さんの国民新聞以外は全て有楽町側にあったんだってさ。
いやなんか、政府補助があったんだってさ、有楽町に移転すると。
(東京駅開発の関係の一環、銀座に新聞社がまとめられた時は確か強制だったはずだけど今度は推奨だったぽい、銀座の時も強制だったけど結果的に良かったらしいので移転に関しては政府と新聞社の関係は悪くないようです。)

まああれ、時事新報に勤めだしたら芥川がなんか来るようになった、という菊池さんの言い分はあれですね、交通の要所の側なので、海軍学校にいた時もその後、日日新聞に移ったあとでも単純に便利だったんだと思うよ!!
特に海軍学校時代。
東京駅に東海道線が着くじゃん? まだ山手線が東京駅につながってないので乗り換えに一旦歩くなり市電に乗るなりする前に有楽町の友人のところにちょくちょく訪ねて行くって、さすがに自然で違和感はさしてないですね、知人でもこの理由ならありだわ。


8月14日めも。


毎度話がめっちゃズレてますが、あとあれ、前からごたごた呟いている吉川さんの転籍問題、前から知ってはいたんですよ、新潮社の大衆雑誌『日の出』になんでか講談社のキングの初代編集長がいるってのは。
これは日の出の編集さんである和田芳恵さんが語ってたので別に疑ってない。
初代ってのはなんかちょっと怪しいんですが、どうも講談社は普通のシステムではないっぽいからなぁ、とりあえず初代って言われてたって覚えるだけ覚えているわけですが、なんでキングみたいな初号からかっ飛ばした雑誌の編集長が新潮社に。
いや、お給料とかかなり下がるのでは、としか。
しかも彼、菊池さんに将棋で勝ったために「キングに原稿下さい!」みたいなこと頼んだらしいんだわ。
で、2千円の掲載料ならなって菊池さんが答えて、講談社社長がよっしゃ乗ったぁ! てことで掲載になったらしいです。
多分だけど、100万部越えてたのが150万部に接近してたのもその結果じゃないですかね、映画になった菊池さんの連載中のことだったしその最高部数。
当時は2千円で2階建ての家が建ったそうです。
短編で家が建つっぽいです、ただ、菊池さんの原稿料は他でも5百円とかそんな感じでした、吹っ掛けたってほどでも…なかったのね?

まあ本題とはズレたけど。
なんでキングの編集長がおんねん日の出、と思ってました。
ところが日の出、吉川さんがいるんだよね、関係、あるのかな。


8月15日めも。


なんで吉川さんとキングの編集長が関係あるのかと思ったかというと、『冨士』という講談社に別の雑誌がありまして、キングとは方針を変えようと思っていたものの結局ただのサブ雑誌になってしまったらしいんですが。
この冨士のほうの初代編集長ははっきり吉川さんの新潮社への転籍に反対して屑屋さんという古紙を買い取る職業になってしまったらしく。
これはどこってわけでもなくちょくちょく触れられてます。
なんかこの件と関係あるらしいんだよね、キングの編集長、いや、編集長二人が巻き込まれた事件があった! と語られてるからそこからの推測だけど。
吉川さんで少年雑誌の編集長とかだと大変申し訳ないんですけども、まあ、キングと冨士でいいんじゃないのかな…、いや別の代の編集長かもしれないんだけども、そんなに何年も間があることでもないので、編集長はそこまで頻繁に変わらないしな…。

まあ、すごく簡単に触れてる全員がもごもごしてるんですよね。
日の出の和田さんはそんなでもなかったけど、彼の場合はよくは知らないみたいだしなー、どっちかというとまあ知られてるよね、的な語り方だったのかな。
現代読んでいる私にはこれ、さっぱりわかりません。
どこかに書いているのだろうと信じて探しています。
編集長引き連れての移籍ってその、あり得るんでしょうかね、いや、菊池さんなんかだと余裕であると思うし、『宮本武蔵』を書いたあとの吉川さんならなんとなくわかります、シリーズ売り上げ多分日本一。
ただ、新潮に移ってから書いたんだよねあれ…、あるのかな、わかんないな…。


8月16日めも。


あとあれ、春陽堂の『新小説』に芥川と菊池さんが関わっていたのも事情を知りたいですね、関東大震災のあとに彼らが手を引くかもしれない、完全に大衆化してしまうのではないかという噂として書いてあるんですけども。
意味が、わかりません、どういう意味。
ところでその純文学の牙城みたいに語られてる菊池さん、関東大震災よりは確かあとだったと思うんだけど、講談改良みたいなことを『改造』でやろうとしてたよ。
なんかあれ、新講談ってのはその時点のことを呼ぶようです。
最終的に大衆小説ってなったんだけどねー、乱歩さんだけは参加してるけど乱歩さん以外はお見掛けしないのでほとんど時代小説だったりします。
この辺の流れに関しては大衆小説の歴史の本で読めるんだけど、なんでか菊池さんの本で見たことはないんだよなー。
別にいいんですけども。
なんというのか、菊池さんの本っていつも最初からテーマが絞ってあって、最初から著者さんが網羅的に語ってるっていうスタンス取ってないので。
まあ、テーマに関係ないから触れなかったんだろうな、と普通にわかりやすい。
そもそも5つの分野に君臨した人だしなぁ、触れてくとキリがないわな。
あ、菊池寛賞ってのがその五分野に関しての賞になってるそうです。

とはいえ、謎が多いっていうか経歴に空白がとにかく多くて…、文藝春秋の社史とか自分のとこが出した雑誌あんまりちゃんと覚えてないみたいだし。
関わった他社が言及していて判明します、どんだけ雑誌あったのマジで。


8月17日めも。


えーと、あとあれ、花袋が博文館を辞めた時期が異説があったのでその辺の事情に関して知りたいかな。
確か菊池さんが就職活動した時も文学士は雇えないって断られてたんだよな。
(文学士ってのは文科大学卒業生です、学士ってのが帝大卒業者のこと。)
大リストラの一環に巻き込まれたとか、花袋でなきゃならない理由はなかったものの、まあ一人だけ辞めさせられたとか語られてまして。
花袋の周辺にいた編集さんたちで「金星堂」っていう出版社を作ってるので大リストラは少なくともあったんだと思うんだよね、ただ、一人だけ狙い撃ちにされたって語っていたのが白鳥さんなので、あそこまで関係近いとそう大きな勘違いするとは思えないので、辞めさせられたのと大リストラが別の時期だったと考えるほうが正しいのかなー、と。
この金星堂ってのは、あれです、『文藝時代』を出してたところです。
なんか文藝時代が左傾化した原因とも言われてたけど、そのわりにゃあ新思潮4次たち(菊池、芥川、久米)のしょうもない本をよく出してたからなぁ。
しょうもないっていうか、明らか他所でまとめられなかった本ですよね、みたいなの、同系統の作品が2本と連載エッセイの一部と別のエッセイの詰め合わせみたいな。
さすがに統一感皆無すぎて余りものっぽいし。
久米さんもなんか自分の意見表明の本だか出してたっぽい(タイトルは知ってたけど出版社は知らなかったやつ)。

通説のように菊池さんとの文藝時代の対立関係があったら、まあ無理っぽいしそもそも喧嘩売りたくはなさそう、どう落着したんだかあれも。


8月18日めも。


なんかあれ、花袋の話を出して菊池さん関係ではないのも、と思ったんですがよくよく考えたらやっぱり絡んでたね。
あとは本当に関係ない、前から不思議だったけど最近読むようになったものですが謎の存在である「美文」てのは実用ではない文章のことを指すようです。
これは大雑把なニュアンスのようで、要するに文学関係全部が入ってもおかしくはないわけね、ただ逆に言うと大括りすぎて使いやすいわけでもなかったろうな、というのもわかる、初期に流行った非学術的文章群のことを指すようです。
内容ちょろっと見てみたけど現代で言うエッセイみたいな感じ。
現代人から見るとだいぶくどくて読みにくいものの、正直くどくて読みにくい程度で読めるので若い人なんかに人気があったようです、なにしろ文語体の時代だからなぁ、あれですね、口語体の時代への過渡期の一つって見なしてもいいのかもねー。

この「美文」「美文調」という表現をされていたのは私が見た範囲で中央公論の名物編集長だった瀧田さん、鏡花、志賀さんなんかは本のタイトルになっていたんですが、瀧田さんに関しては揶揄っていうか軽い皮肉。
なんかこの人、文章も人柄もグルメ趣味もなにもかもくどかったので。
文語体に近い文体だった鏡花には別に今更というか、まあ誉め言葉でしょうね。
志賀さんに関しては、多分美文というものに関しての知識が全くなく、彼の生きていた時代には別の意味があったってことも知らなかったっていう理由なのかなー、ぶっちゃけ「美文」とは似ても似つかないしな志賀さんの文体。
瀧田さんのエピソードが志賀さんのデビュー後なので、まあ、うん、ははは。


8月19日めも。


ええとあと判明したこと、うーん、判明というほどでもないんですけども、日本においては近代に至って「小説」が正当な芸能としての地位を得ておらず、詩のみが含まれていたらしいみたいなことですかね。
たまにあれ、戯作って呼ばれるジャンルがあるのですが、あれが小説と同じもので別にどっちで読んでもとある時期までは同じ。
なんとなくの使い分けみたいなものはあるんですけどねー、家庭小説とか政治小説とか探偵小説なんかは小説で呼ばれていたみたいですし、戯作作家って人たちもいましたが、まあきっぱり別れてるわけでもない。
これをはっきりと分離しようとしたのがどうも要するに逍遥さんの『小説神髄』でもってなので近代小説の出発点をこの時点とする説も一つにはあり、ただ何度も言うけど戯作と呼ばれることはなく、小説と呼ばれている作品群自体はもうすでにあるんだよね、家庭小説がいつからなのか正直よくわからんけど。
政治小説なんかは確実に逍遥さんに先行してるしなぁ。
あれ、翻案小説ですけどね、要するに。
探偵小説もあるな、これも翻案小説だったわけですが。
家庭小説がどうなのか調べたいなこうなると、いやいや、まあ本題を進めますが。

なのでまあ、日本の近代小説の始まりは「18世紀もしくは明治18年」ということになるようです、この表現だと意外とわかりやすいな!!
グラデーションだったものがばっきり別れて小説として独立したという案件としては逍遥さんの評価は出来るってことでいいのかなー。


8月20日めも。


で、前日分の続き、この改良運動はどうも演劇などとも連動していたらしく、そもそも政府が出した方針に一応沿ってやっていたようです。
改良しようとする前の戯作だとそもそも「文学」として含まれていなかったとか、多分あれ、政治小説なんかもそういう意味では資格がなかったんだろうなー。
多分単独の作品として評価してもいいものは含まれてるんだと思うんだけどね。
私は、この辺までの区分はそんなに嫌いではないですね。
にゃ、その後この流れを忘れ去ってしまったこと自体は好きじゃないけどね!!
全部丸っと覚えておいてもそこまで大変じゃないじゃん!
あとあれ、これ、別に芸術性関係ないと思うんですよねこの展開、ぶっちゃけて皆でノウハウを共有していこうぜってことでいいんだよね?
いやだって、政府の語ってた目標ってあれ、教育効果のために文化にも手助けして欲しいですってやつだぜ。
教育してある程度までのレベルにすることってとてもいいことですが。
それがなくても出来る人には出来るし、そういう意味で「前史」にもある程度の作品は存在していても別に矛盾はないんじゃないのかなぁ。

芸術性と絡めたからそれ以前の歴史を抹殺したんじゃないのかなぁ。
でもこれ、『小説神髄』って要するに教育目的から始まった教育の方針じゃないんですかね、教育という観点において前史を消す必要なんてあったんだろうか、育ったら誇らしくないか正直。
戯作にも良い作品はあるからと反発してた鴎外さんのあれも、目的それだと小競り合いね?

(文アルとか近代芸術、127)