雑記:文アルとか近代芸術、124


7月12日めも。


文アルとキャラの話、前に別のページで10人抜き出してましたがふと内容を思いついたので【志賀直哉】さんから。
『小説の神様』というあの呼称はどうも白樺箱推しの方との情報の突き合せから、イキリネームの一種ではないかな、となりまして、この表現は語弊があるので、比較的正確に言うと体育会系の趣のある白樺の中での一種の洒落、他の人らにもある。
ゲームの中でも地味に反映されてるのでは、と疑っているのですが、白鳥さんとか太宰くんとかが「なんで自分で言うんだよ?!」と言ってたりする。
…そりゃ、身内の洒落なら自分で言うのもまあ別に…。
(文アルの世界観が身内の延長みたいなもんだしな、志賀さんの載った雑誌なんかを見てても変に自分の地位を持ち上げる内容は見ない、「かつて中央公論に載ってたんだよ」みたいな紹介まであった、さすがに謙虚がすぎる。)

どうもここからなんか作られたのでは、というのが現時点までの推測の経過。
ちなみに利一くんも呼ばれていたのは「小説の神様」だったぽく、昭和1桁の時代に新聞記事になる時に志賀さんとの間で調整が行われたのかなぁ?
『文学の神様』ってなってるんだけど些か適応範囲が広いというか…、美名で自然に呼ばれるかなぁ(こっちは若手が呼んでた)。
長いこと志賀さんの存在を大正の業界の中で感知出来なかったんですが『カネと文学』の中で稼げない純文学の代表格として幾度も登場してらして…、そうね、ここから引用するのはちょっと好意があると忍びない…、となりました、知名度がないと逆にそんな扱いもされないのでかなり知られていたとも見做して良さそう。


7月13日めも。


文アルのキャラに関して2018年度版みたいなつもりです、来年覚えてたらまたやろうかなと思ってますけど今年のが終わるかどうかもわからない、で、【武者小路実篤】さんです、こっちは志賀さんと対比すると「めっちゃ出てくる」「なんかよく出てくる」「志賀さんと同じ場所にいるはずなのに新聞の政治面の一面になってる(志賀さんは社会面の三面でお名前だけ、さすがに同行者でしょ?! となったんでこれは訳ありかも)」みたいな初期の怒涛の洗礼を受けました。
が、どうも全体的に当時の知名度が低いことになっている。
だがしかし、そんなことを言われても学生が噂してても出てくるんですけどこの人…(谷崎もよく出てくるけど時期による、武者さんは結構長い)、としか言い様がなく、なんなら武者さんの記念館に行っても芥川が言及していたことしか把握していないようで、まあ、私が見たのはそんなに知名度高い人らの文章でもないけど、と困惑。

最終的に、どうも「地位を示す言及」が全くないので時代が変わる時に当時の地位がわかりにくくなってしまったのでは、ということになって今のところ一応納得しています、なんというか、文士村同士で結構地位の比べ合いなどをしているんですけど、その水準が新聞連載だったりして、デビュー直後の武者さんしてたね? としか言い様が。
どちらかというと白樺においては叢書というスタイルの書物を出版していたようなのですが、武者さんはそこの長なのでまあ一系統の長としてそう気軽に呼べないみたいなんだけどねー、これ文藝春秋でも同じこと起こってるからちょっと知ってる。
志賀さんが白樺を率いていた説書籍はかなりたくさん読めます、初号の白樺のもくじを見たらまず間違えないので…、あの説はどこからいらしたのか、謎い。


7月14日めも。


んじゃ、このまま白樺で【有島武郎】さん、ところで弟さんの里見弴さんの実装はわりと真剣にお待ちしています、今「トン」を打ち込んだらテキストファイルが通常の保存になったので、あれ、この字って普通に打てるんだ、とびっくりしています。
正直たまにお見掛けするものの、なんとも掴み処がないというかぬるっとした印象の人だったんですがホイットマンという人権思想の詩人のアメリカ人の紹介を漱石さんから引き継ぐようにしてやっていた、と聞いて、なんとなく少しはわかったかな?
あれですね「人道主義」って呼ぶのはそっちのほうが相応しそうなんだよな。
まあ、白樺の人たちはよく知ってるよ、同人として協力したこともあったよ、ということで、むしろ傾向が人道主義ということで白樺でまとめる人たちもいたのかもねー、あ、これは新潮の編集さんが言っていたので「当時白樺と見做す勢はいた」とまではいいんじゃないかな、私にはむしろ武者さんは単独で有名になったような印象で、どちらかというと白樺という単位で知られたのは有島さん、志賀さんの辺りなんじゃないのかなぁ。
(大正8年に「白樺の時代」と呼ばれてる時期があるんですが、これがなんのことを指しているのかは今の時点で不明、新思潮派が衰退したとされた頃だな…ww)

ところが彼が売れたのはゴシップ小説として見做されてしまった『或る女』と当人のプライバシーの切り売りで…(これが独歩さんとその最初の奥さんモデルの小説)。
当時の新潮にちょっと問題があった可能性もあるんだよな、島田清次郎と同時期だし。
ただ、そうなってしまった時の態度がなぁ、あんなに流されなくても、あんなに真剣に意見に耳を傾けなくてもいいような気がするんだけども…。
いっそ白樺逃げ込んでも良かったね、志賀さんも武者さんもちゃんと自由だしな。


7月15日めも。


えーと、このまま扱われ方の曖昧さを扱うつもりで【織田作之助】。
ところでこの人は青山光二さんという親友の方がいらして、彼が書き残してくれたおかげでわりと最近まで語られているようなのですが、太宰に心中を申し込まれた男性の一人だよ、ていうか二回も言われたらしいね!!
(あ、オダサクの葬式の絡みで会った時みたい。)
そして青山さんの著作の中でオダサクがアンニュイに語るわけですよ、「中央公論からだけ仕事の依頼が来ない」って。
なんとなく世に認められない小説家っぽい響きでそう読まれているようなんだけども、中央公論は当時戦争で経済的に傾いた純文学作家らの救済で余裕が全くない時期で、要するにまあ、大家として認められないと呼ばれる余地があまりない。
彼の言っているのはまだ大家として認められてないんだよねー、あははは、みたいなニュアンスだとわかると、アナタ戦中活動出来てないよね! としか言い様がない。
無頼たちは実際、それぞれ人気作家ではあるんですけども誰も天下取ってないんだよね、頂点というほどの地位ではないのは事実です。

まあただ、無頼のイメージである『世に認められない』とニュアンスの差は結構あって、ぶっちゃけ文藝春秋の社史に出てくるんだよな三人とも…(時代を代表する作家だからだろうね、物理的に関係があったのは芥川賞選考委員の安吾だけ)。
オダサクの名は、戦後を告げた最初の作家としての言及がされてました。
つか、知られて一年かそこらで曲がりなりにも記憶されたんだもんなぁ…、不遇でそれだとまあちょっと物理的に無理だよね、なんか取り違えてるんだよな多分。


7月16日めも。


んでもって、年齢逆順にしようと思います【太宰治】、これはまあ現代でも普通に知られている名前であって、ただしあと知ってるとしたら芥川が出てくるかどうかでそれ以降は難しいみたいなことになる感じですが。
前に太宰の話をしようとして芥川の名前になっちゃってたおばあさまにはお会いしたことがありますが多分あれは「自殺括り」でまとまっちゃったんだと思う、正直たまにあるよね、まあ仕方ないよね、うん。
第一回の芥川賞の時のごったごたは、なんか受賞者よりもはるかに歴史に残るレベルで語られてますが、あれ自体がどうも薄っすら売り出しの演出だったような気もしないでもないというか、全文を読んでても「太宰を選ぶかどうか」でまとまってる座談会の文章なのどうなのなんで受賞者じゃないの、というのが気になる。
しかも、実際に選んだとされる久米さんと菊池さんの語りがない…。
(そして受賞者は古参の人で遅咲きでもともと知り合い、直木賞でもいたけど、直木賞だとそもそも複数この手の人がいるww)(知り合いに受賞させたというよりも、業界のスポットライトの当たってない層にも身内が結構いたって話かもねー。)

ところで普通に話運びが上手いですよね、元ネタこの出来事って聞かされて突っ伏したことが何度かありますが、それでも話が上手いことを認めざるを得ない、なんなら元になる太宰のやらかしエピソードを聞いてもさえ価値が下がった気すらしない。
溢れんばかりの学識を感じさせる文体に、しかし、小学生でも頑張れば読める域のわかりやすさ、それほど完成度が高いのに当人の人格を聞いた時に意外と「あー、そうね…」と納得させるあれもなんなのか、死んでなかったらどうなったのかね、彼。


7月17日めも。


無頼派の中で…他にもいるのかな? まあ年齢高めの【坂口安吾】、実際には彼らは特に付き合いがあったというわけでもないようで、年齢も違うし露出年齢も違うし、あれです、安吾を「菊富士ホテル」で見掛けた時はさすがにびびったよ…。
(えーと、プチ文士村、ホテルだけど長期滞在の下宿みたいな扱いされてた。)
私は詳しくないんですが、芥川とも時代がちょっと被ってることもあり、芥川側からは認識してない可能性が高いけども、安吾の側は知ってるみたいね。
芥川賞の選考委員になったのは文藝春秋の三代目社長となった池島さんて当時の編集長の関係で、その時点でちょこっとなんか言及してるらしいのは見たことが、いや、あんまり興味がないので読み流してしまったんだけどね…。
芥川のことを知ってる文士は正直キリがないところがあるからなぁ。

まあその編集長は作家とは情実を絡めると駄目だ、という意味で個人的な付き合いをしないって明言していたそうなのですが、安吾は別格でぶっちゃけて特に贔屓するような必要がないって意味じゃないのかな。
なんで金がないの?? と当時不思議がってましたが、仕事をちょくちょく一緒にする収入を把握出来る編集さんが理解出来ないのはさすがに珍しいよね…。
(純文学作家は見た目よりはるかに収入が少ないのは珍しくなかったものの、無頼たちは別にそんなことはない。)
あと、友人の尾崎士郎氏の公職追放の撤回のために動いてたらしいんだけども、どうにも権力と無縁という印象が全くなく、無頼ってなんに対しての無頼なのかがいまいちわからないという話を子牛とよくするのですが、いやマジなんで…?


7月18日めも。


えーと、あと4人、というところで尾崎一門と露伴先生でいいやー、ということになりましたので誰にしよう、【尾崎紅葉】で。
よく紅葉先生と呼んでますが気にしないで下さい、というか正直紅葉先生というのは評価が高くないところがあって、親分肌でちょっとでも子分が優遇されると潰しに掛かるみたいなことを言われてるんですが。
そうかなぁ? どうかなぁ? というのが今の時点での実感。
当時は硯友社の面子を入れないと雑誌が成り立たないほどの強い権力を持っていたのだ、恐怖政治だったのだ、的な解説されてて、多分実際に同時代の作家たちもそれを信じているんじゃないかと思うんですが。
紅葉先生が鏡花さんにやったことが「ルビ振れ」ということの徹底。
どんなに独特の言い回しでも特にそれを直させるようなこともなく、まあ読めるようにしろという感じだったと聞き。
秋声にもルビは振らせたものの、彼のなんだか独特のぐるぐるした物の描写も別に直させたという形跡がない。
手を入れてはいたけれど、ほとんど直してない!! というのが搾取していたという多分根拠になっているのだろうものの、とりあえずどうすれば読みやすくなるのかということを知悉していて、ルビをきっちり振ることで庶民も興味を持ち読もうとしていたという時代の変化を理解していただけなんじゃないかなって思うんだよね。

だって同じ理解してただろう露伴先生のことは普通に好意持ってて呼ぼうとするんだもん、逃げたけど彼、なんかちょっと紹介のされ方に違和感あるんだよね。


7月19日めも。


んじゃこのまま、【幸田露伴】について。
紅葉先生のことは鏡花さんが言及してたからなんか知ってるという人も多かったものの、私が知っていたのは露伴先生のほうで、なんだろうね、この人がなにをしていた人なのかということをむしろよく知らなかったかもしれない。
なんかあの「偉い人」というか、思想家みたいなイメージ。
露伴先生に関しては娘さんの文さん経由で知った人も多いんじゃないかなと思うんですが、私も見たことあります、むっちゃ強面なのに家事万能で子煩悩なお父さん。
前に講演会の記録みたいものを読んでいたら当人が講演会に対してうきうきして裏の畑で取れたじゃがいもでおやつ作ったよー、と持参していて、奥さんとどっちが作ったのかということをほんのりと考えていたら「奥さんは家事が全く駄目」とあとで判明しましたのでどうもご当人が作られたようです、そっかー!
『日本文壇史』において紅葉先生からちょろちょろ逃げ出す感じの人として描かれてまして、これは、一体どういう理由で逃げてるの、しかも鴎外さんのところには道場破りみたいな勢いで乗り込んでいったのなんでまた、という感じに謎がいっぱい。

紅葉先生が若干士族に対してのコンプレックス持ったのは露伴先生のためじゃないか、というかなんで露骨な避け方してるんだ、と思ったものの、よく考えたら老後かなり頻繁に紅葉先生の話はしており、まさかほとんど付き合いなかったなんて予想したことがない、なにか物理的障害があったのかとも考えたこともあったものの逃げただけ。
かつては文アルはこの二人をどうしたいの!? と思ってましたが、実はわりと元ネタのままでした、元ネタが変だった、というかどういう解釈にするの今後。


7月20日めも。


とりあえず【泉鏡花】さん、あれです、どうもガチで紅葉先生のことを亡きお母さんに重ねていたことが記念館さんから来た情報幾つか組み合わせるだけで判明するのマジでどうかと思うんですが、そんなだから文アルさんが「肝っ玉かあさん」とか言っちゃうんじゃないの! とか思わないでもないんだけど、一応情報は分断しています、ウサギがお母さんで紅葉先生がウサギというかなり短い距離なのですぐわかるけど!!
というか、紅葉先生のあかんところ、過干渉気味な傾向はせいぜいお母さんのそれと考えるとそこまででもないような気がして悪くはない気がします。
あれだよね、芸者と結婚しようとした時も「当人に収入がなく」「芸者に貢がせて生活することが確定していた」状況だとなぁ…、反対したのって芸者への見下しとか、自分が結婚させようとしていたとか付け加えなくても理解出来るよ私…。
(実際、他の弟子が芸者と結婚しようとした時点で別に止めたりしてない。)
下手するとそのまま一人立ち出来なくなるコースだし…そんなに理解出来なくはないです、にゃ、師匠が弟子に言うことではないという意見まではわかるけどね。

じじいが師匠の話したら普通はじじいだと思うじゃん!! という感じの言い回しが初期文アルを始めた当時は身内で流行ってました、ええもう、「尾崎紅葉若すぎ…」問題が酷かった、皆脳内イメージを修正するのに時間掛かってた。
正直個人的に泉鏡花を作家として分類すると、最初から最後まで好事家路線の作家という印象があり、がっつり文壇で老大家扱いされるようになってからは行事もきちんとこなしていたり、芥川やら谷崎と付き合っていたことが意外で仕方がない。
紅葉先生の教育ってまあ、そういう理解して貰う方面だった気がするんだよね。


7月21日めも。


修正、強化、再生は「よくソシャゲ語ってると変換候補で出てくる」と言われてたんですが、金沢三文豪だね、の【徳田秋声】さん(紹介2回目でした※10/17日追記)。
初期勢の中では唯一知らなかった作家さんかもなぁ、あ、久米さんも知らなかったかも、山本さんは聞いたことはあるかな。
まあなんで彼の存在が消え失せたのかというのはあれ、戦争にかなり露骨に反対したから、というわりと洒落にならなさそうな感じの展開は前に書いていたことがあるんですが、問題はそれが平然と戦後に通用したことのほうかもね…。
1970年くらいまでは覚えている人が普通にいたので残されていたものの、その後ちょっとずつ消えて行ったようです、うわぁ、なんでそんな人が主人公格なんだろうね、文アルさんてば…(たまにえええ、てことは混ざってる)。

初期の頃は鏡花は別に秋声のことを気に掛けてなんていない、秋声が鏡花のことをやたらと言及するんだ、というご意見が一般的でしたが。
のちのち「鏡花は秋声がその場にいるのに、その場面のことは書いているのに秋声のことだけ書いてない」ということなどが判明し。
しかし実際のところ秋声のそこまで親しくもないのにやたらと切り売りするように鏡花のことを言及しまくるあの姿勢を見ていると多少妙な反応があっても微妙にどっちもどっちという気もしないでもなく、まあ、どれが正しいと言えるような内容としては残されていないような気はする…。
同世代の作家で一番レアキャラなの鏡花だしね実際。
受けるために書いてても違和感はない…、秋声なんでも書くのに感情わかりにくい…。

(文アルとか近代芸術、124)