雑記:文アルとか近代芸術、114


4月3日めも。


リアルタイムは8月25日、暑いです、今日はぶり返しました。
ええとあれ、【文豪とアルケミスト】のゲーム始まってどのくらい経ったんだっけ…まあよく覚えてないんですけど、とりあえず友人の牛は目当ての作家さんの「著作権が切れるまで続いて欲しい」みたいなことを言っています。
著作権切れが死後70年になるらしいんだけど、そもそもその発動条件であるTPPが始まるのか始まらないのかからよくわからないので正直よくわかりません。
とりあえず、韓国の牛乳はとても美味しいので、日本のシャンプーがとても安いので交換したいなということを考えて生きている感じなんだけどね。
あとあれ、オーストラリアのカンガルー肉ももうちょっと手軽になるかな。
まだ食べたことはないんですけどね、なんかこう、量が少なくなくてクール宅急便になるので踏ん切りが付かなくて、美味しいならいいんだけどもそんなに高くないし、だがしかし、量が多くないとちょっと費用対効果的に辛くて!!
なんの話だ。
とりあえずまあ、誰が追加されるといいか、という話だと、中間小説の人たちと初期の大衆作家辺り、というか正確に言うと「大衆文学発足以前の大衆文学作家」辺りをお願いします。
既存の文学史なんてぶっ壊しちまえー!! が合言葉。
別にいいの、純文学も読むには読むし、でも語られてる「歴史」があまりに変で、私、実際に調べた時に全く違う事実がごろごろと出てくるの好きじゃないんだよね。

正しく語られてさえいれば大量虐殺以外はオッケー、でよろしくお願いします。


4月4日めも。


わりと唐突にですが、順番に一人ずつ語ってきます、まず【芥川龍之介】。
前に田端を扱っていた人が「新思潮で括られて語られていることもあるけれど、違うの、彼の本質はああではなくて!」みたいな感じで語っていたんですが、いわゆる新思潮は一高を基盤としていて(東京帝大は別に同人誌がある、新思潮のほうが格上)、大雑把に言うとデモクラシー寄りの価値観を持ち。
大まかに一高の新渡戸学長、東大と同時に教えていた漱石さん、京大に進んでも哲学の新時代を切り開いて行く西田さんと、なんというか、見事にそちら寄り。
なんなら『新思潮』に関わっていなくても似たような価値観を持っていることも多いんだけど、芥川がその価値観を共有していたのかというと確かに疑問で。
教育が最高峰だったはずなのに、田端の下町的価値観に染まっている様子が…。
なんというかこう、頭だけは本当に良かったので教養に関してはどんどん吸収していくことが出来たもののどうも人格修養みたいなものが欠けたまま成長したかのような気もするところがあって、そういう意味では確かに新思潮的ではなく。
なんというか、上層インテリとは話が合わなかった可能性が高いんだよね…。

まあ、うん、家が普通ではなかったってのもあったのかな。
田端的であった、と言われてしまうと、そうなのかもね、小説という技法においてだけは非常に高く世に受けたけれども、友人らもけして彼のことを高く評価していたというわけでもないというのは、わりと繰り返し語られてもいる。
ただ別に、「高く評価されなきゃ捨てられる」わけでもないんだよね、田端の近所の面子すら間の抜けたところ知ってたし…あんなに怯えて生きなくても、バレてたよ…。


4月5日めも。


続いて【菊池寛】の話、ぽちぽち。
彼の周辺の事情はどうにもあっちにこっちに散乱していてなにをしていたのか、ということに関してはもう本当に、主幹してたんだよって若手たちが複数証言している雑誌が丸々「存在していたこと」が確認が取れなくてちゃぶ台が空を舞うんですが。
しかし、どういう人物であるのか、人柄であるのか、はわりとわかりやすい。
確かに情に厚いと表現出来なくもないものの、そもそもの守備範囲そのものがかなり広いというだけであって、そこから完全に零れてしまえば全く容赦がない。
菊池さんと衝突して、痕跡一つ残さずに業界から消えた人らを見ているとこう、なんともなぁ、微妙な気持ち、今東光さんなんかはそれこそ友人たちの手引きで戻って来れたのでそこそこ触れられてるんだけども…。
同情されて当然だ、という形で何人かが語っていて、触れられてはいるものの、だが当人が身を引くきっかけとなった衝突した菊池さんを非難するという風情も全くない。
(これはこの人が直木賞を受賞した時ねー、大衆文学の本で見た。)
なんだろう、この扱いは、あの、天災扱いかな? となりました、実際のところどういう衝突だったのかなにで争ったのかくらいしか知らないからなぁ。
だってね、詳しく伝えてる人がいなかったんだよマジで、どうなんだろうね。

あと、当人はルックスには自信がないとは言うけども…、好意を示されることには慣れてる、というかなんとも反応を返さないのがとてもこう、気になる。
それと業界にて騒動が起こっている時、菊池さんを避けてく、あんたトップだろなんで納税2位が狙い打たれたの、な件まである、やっぱり扱いが現象ぽいぞ菊池さん。


4月6日めも。


えーと、あと、ある程度読んでる…【久米正雄】さん。
ところでなんかこの人に関しては資料がどうも真っ当ではないことがすでにして判明しているので「読めてないところあるけど別にいいや!」が主題かもしれない。
なんでかというとどうも当時の文壇というものは婦人雑誌というものを存在していないかのように扱うからのようです、一応たまに『婦人公論』だけ存在そのものは許されてる、けど、通年で情報があるかというと中央公論の本ですらないです。
ないものはない。
久米さんはどういうわけなのかわからないながら、キャリアの初期から婦人雑誌にいます、いや、同人時代より後ではあるよね、どうなの微妙、みたいな年齢の段階から婦人雑誌の主要面子になってて、本当にびっくりした、なんで。
(松岡さんと敵対した失恋騒動に関して婦人雑誌に掲載していたのは知っていたし、これに関してはそんな大して違和感はなかったんだよね。)
あの、本当に、婦人雑誌に載ることってそんなに触れるべきものではなかったってことでいいのかしら?

あ、ただ無視するのも若干わかる部分もあり、婦人雑誌は総合誌や文芸誌の軽く数倍の部数を誇り、大衆雑誌寄りの側面を持っていたようです、それでかしら?
あとあれ、久米さんは講談社の最高150万部どーん! のキングにも、婦人倶楽部にも連載持ってて映画化もしてました、あれはなんか大変よろしい金額になったそうだね、映画の内容自体はひっでえからプライドは傷付くらしいけどね!
一応久米さんの話だけどいらん部分多いな、いらんくはないよ当時の事情よ!


4月7日めも。


あとはもう、まともには読んでないけど【横光利一】くん。
こないだ読んでた『改造』の本で、利一くんのことは特に菊池さんから「純文学しか書けないから大事にしてね」と改造社長が頼まれていたらしく(水島さんが言ってた)、なんかわりと珍しくきちんと守っていたらしいんですけども。
そんなこと言われても改造と菊池さんの関係がどうなんだよ、というところのほうが気になったし、この顛末聞いてると菊池さんが利一くんの財産だ、と書いた直木さんの記事とやらもなんか他に意味ありそうだなぁ、という気もしないでもなく。

でもぶっちゃけ、『文藝春秋』デビューなのにその一年後の『文藝時代』にて看板作家みたいな扱いになってる上、何社かで奪い合いしてたらしいんだけど、なんなの、デビュー何年なの、としか言い様がなく。
この間読んだ論文で、しかし完璧ではない瑕疵はあった!! という感じの論文があったんですけど、デビュー3年以内の作家になに抜かしてんだよ、という感想しかなにぶん残りませんでした、文藝時代の内紛とかいろいろ面白かったんだけどね。
それとあと改造での掲載トップは利一くんで、二番手が川端らしく。
しかしこの二人って他所でも普通にがっがつ載ってて、しまいにゃ連作をあちこちに分散させてたので、こう、何者? という感想になるし、この辺の無双っぷりを尻目に昭和6年くらいでようやく新人を脱したようです。
うん聞いてる、ただ、新人時代に奪い合いされていたのはよく知らんかった。
ところで文藝春秋に社員でもないのに「毎日来てる」グループに入ってました、そう、そうなの、他にも何人も定期通勤してたけどね!!


4月8日めも。


同じくよく見かけるものの通年ではさっぱりわからない【川端康成】。
とりあえず文藝春秋にも出入りしてるんじゃないかなとは思うものの、この人の場合、えーと、どこにいたんだっけ、確か大森だか馬込だかの文士村の近隣にいたような記憶が、あの、文士村の付き合いそのものはしないで尾崎士郎くんとだけ付き合っていたような気がするんだけどそれがいつの頃なのかはわからない。
まあ、馬込ならある程度は文藝春秋にも行くのかしら。
鎌倉在住になるとなんかさすがにそうそうは行き来しなさそうだよね、まあ、ちょくちょく出てくるくらいは別にそんなに無理もないだろうけど。
(なんか文士たち結構その辺にいたみたいだし、そういや久米さんもだね。)
それとそういや、ようやくゲームのことを思い出したんですが、秋声の記憶が残っていなさそうな件、あれは要するにまあ、「博文館近くの自宅」になんかいろんな文士たちが入り浸ってたみたいです、溜まり場。
普通の人なら後輩がわらわらわらわらいたら拒絶するけどしなかったみたいだね!
なのでまあ、ぶっちゃけて昭和6年だかなんだかまで新人さん扱いだった川端がそんなに簡単に覚えて貰えるかというと正直微妙。
利一くんの弟子と秋声の娘が結婚してる一件などもあるのでそれを通じて覚えていてもおかしくはないものの、なんというかこう、溜まり場前提だとやっぱりこの。

多分定期的にすれ違っていたと思います、あと、若い文士たちの秋声持ち上げ運動はなんだか編集さんたちも定期的に食らってるんだけども、なんだ。
なので別に珍しくないしどうも熱狂も売り込みの手段の一部ぽくてあの。


4月9日めも。


一応通年では読んだ気もするけど、の【徳田秋声】。
あれですね、硯友社の頃には特に謎はないんだけどね、なんで自然主義に数えられるようになっているのかとか、本当に自然主義なのかとか、いやそうカウントされていたことは確かにあるんだけど自然主義らは自称なので本当に自称してたのかなとか、しかし誕生会は合同でやってたしなぁ、ううん。
(50歳の時のあれね、花袋と合同のやつ。)
自然主義らと同い年なのはどうも完全に偶然ということでいいようです、そもそも残りの藤村、花袋、独歩も別に学校が同じとかそういう理由ではなく同人誌であった『文学界』などを媒介に出会ったみたいだし。
なんか曖昧な物言いになってるけど雑誌そのものの投稿で知り合ったというより、その同人誌を取り巻くコミュニティが存在して、そこを通じて知り合ったみたいなんでどうにも曖昧なんだよね。
でもそもそも、この前の世代とか「インテリ全員顔見知り」だったから、その名残りがあると考えてもいいのかもねー。

で、一番よくわからなかったのが『文藝春秋』の一年目の講義の講師やってたところかな、芥川、菊池、久米、山本、徳田秋声。
なにしてんだよ明治末デビューの硯友社から自然主義となった老作家。
なんでぴっちぴちの油乗った新人たちの作った同人誌の講師に一人だけなってるの。
子牛の意見では「多分友人の伯父さん」みたいな感じで、うん、それはわかったその甥(じゃないけど甥扱い)も菊池さんの友人だった、だがなんでだわからない。


4月10日めも。


えーと、あと誰だある程度…【国木田独歩】。
どこから売れ始めたのかが曖昧でさっぱりわからず、売れてないのに「日本一の作家」に就任したという本まで読んでしまって本当にわからないんですが。
とりあえず『愛弟通信』によって一定の知名度を得たという認識でいいのかな。
そこに関してはなんか問題なさそうだしねー。
グラフィック雑誌を作っていて、それがかなり売れていた、十万部越えだったというところまでもどうも信用して良さそうだしね、ただし戦時中に限り。
戦時中と言ってもそれなりの期間があるので、どうもこの説明だと不完全だという気もするんだけども、おかげで本が手に取られる機会そのものは多かったのかな、どの本が出た時点で売れたとかは全くなかったんだよね。

というかあの、菊池寛の随筆原稿料よりも生涯の原稿料が少なかったろう、とか言われるとどうにもあの。
一本の随筆だったっけいくらなんでもさすがに、どうなの。
だがしかし、それでも日本一だったそうです、根拠として若者が押し掛けたとか言われてたんだけど、人気作家皆あんなもんじゃなかった? というか藤村にも花袋にも群がってたし、特別さの証明とか言われてもなぁ、時の人にはなったとは思うけど。
蘆花とか一葉さんのほうがずっとすごかったような、ううん。
まあ一定の知名度はあったと思うんだよ、膨らませすぎて極端な否定されてる気もするし、どうにも根拠となる絶対情報が全くない人という気もしないでもなく。
てか、下手すると一番広く知られてるの、最初の奥さんとのスキャンダルかしら…。


4月11日めも。


あとあれ、きりが良さそうなので【田山花袋】。
ところで彼の家柄がよくわからず、いわゆる「藩校」と言われるところで教育を受けていて正規の学校ではなかったんだよね、みたいなのもとりあえず鵜呑みにしただけで事情がきちんとわかっているわけではないです。
硯友社の人だと塾で習ってたとか何人かいたよね、紅葉先生とか。
ただ、その辺の藩校とか塾とかが昇格して学校になってるのでううん、微妙。
無学だとか家が貧乏とか、独学で英語を学んだとか、とりあえず全部見たのは『日本文壇史』です、あのよく聞くやつ、たまに引用もされてるやつ。
藩校だ家柄がどうだという訂正なのか書き換えなのかしれっと表現が全く変わったのも少しあとの巻で見ました。
つまりわりと一般的に知られていた情報が激しくブレていた、とそこまでは確定ということで良いのではないかと思います。
えーと、著者の伊藤整さんは多喜二のちょっと先輩だって、同世代。

まあ、あの、帝大出の面子が幅利かせてた時代から見るとなんかちょっと、みたいなことを感じられても仕方ないのかもしれないんだけどね。
ただ、整ってないのは学校なので、同時代は別に問題なかったのよ! とは言いたい。
ところで『文壇史』では性格もよく激変していて、とりあえず最終的には気のいい人ということで固まってると思うんだけど、若干暴走するところもあったのかな。
年下からの評価は良さそうなんだけどね、まあ過去の人扱いだったけど、ははは…。
あー、でも、秋声のほうが若手人気は高そうではあるかも、どうなんだろ。


4月12日めも。


で、【島崎藤村】、繰り返しますが伝記読んでるかどうかよこの辺。
ただ藤村の場合は半ば引きこもりのような生活なので、伝記を読んでいればある程度のところはわかるのかなー、あと、芥川の「偽善者」呼ばわりは芥川が世に登場したかどうかの時期から始まっていて死ぬまで嫌い抜いていたらしいというのは、なんだろうね、どうも藤村当人のことではない気がするんだけどね。
(芥川を育てた叔母が、当人の伯父から妊娠させられた上に逃げられててね、その人、かなり生真面目で厳格な性格だったみたいなんだよね…なにしろ芥川の教育者…。)

あとどうもこう、どうもこう、花袋のこと好きだよね?
花袋が戦争に行ってしまった時点でふらふらっと後を追ってきて、戦場に行くことが出来なかったのでそのまま帰ったとか、目当ては戦場だったんだよ! と言われてたけど、そうかなぁ、次の戦争でそんな態度なかった気がするんだけど。
それとあれ、花袋がドストエフスキーを読んでかなり嵌まっていたのと藤村の『破戒』がどうもドストエフスキーの影響を受けていたというのは別個に聞きました、というか藤村とドストエフスキーの組み合わせのほうを他であんまり聞いたことがないんだけどね、ないんだけども、破戒はそうかもねぇ、と思う、なんかあのキャラクタが。
その破戒を書いてた時期、花袋と一緒に過ごしていたんだ、というのもどっかで見たんだけどなんでこの辺は情報があっちにこっちにばらけているのか。
なんかあれです、花袋が女弟子と気まずかった感じの頃で、女弟子のことを教えてくれなかったってむくれてたうちの一人っぽい、だがしかし、姪との関係はそういや友人たち全員知らなかったって言われてたな、ばらばらだないつも以上に!!

(文アルとか近代芸術、114)
最終更新:2018年08月28日 20:06