雑記:文アルとか近代芸術、112


3月14日めも。


リアルタイムが8月24日、だいたい1か月ほどパソコンがぎーぎーと喚く感じに熱暴走するので立ち上げていなかったので久々です、1か月って打ち込んだけど曖昧、まあ、人間も暑かったしね、マジで。
クーラーが苦手という話をそのまましようかと思ったものの、3月の日付なのでさすがに控えて、えーと、最近やっていることをぽちぽち。
今手元にあるのは「近代日本の新聞読者層」です。
ガチの研究書というかまずこの研究をやるにあたってみたいな話を延々とされてしまい、今立ち上げてます感が半端なかったです、中世以降で初めて見ましたこのスタイルの本、というかまああの、どの分野にしてもいずれ見ることもないでもないんだけどね…。
今資料集めてますー、とか、なんならマニアでもいい、資料読む気ないかな?! みたいな本を数限りなく読んできて、その手の本を読むと正直なところ、そろそろこのジャンルも限界だな、ということを感じます。
ジャンルに骨を埋める気というものがないせいなのですが、本当に申し訳ないです、昔から原語読めとか、研究室がどうのとか追いかけられることが皆無ではないんですがなんというか、ありがたいんですが、私が現状行き詰まりに至るまで読み込めるのはこのジャンルを次々変えて来たことそのものが理由なので…。
このジャンルに骨を埋めることは出来ません、だが、また数年したら発展していることを信じて帰って参りますみたいな誓いを立ててそっと離脱。

多分傍目よりもディープな趣味かもしれませんが、大抵の生資料は読めません、読まないことで時間を短縮して参りました、分野の発展をお祈り応援いたしております!!


3月15日めも。


昨日分の雑記の続き、あれですね、なんか妙な宣言してるんだけど『日本の美術』という雑誌のタイトルを検索していたら「あー、建築業界、近代建築ぅぅぅ」「彫像の本もまだまだあるんだよなぁぁ」みたいな感じで悶えていたのでつい。
借りれば読めることはわかっているものの、メインジャンルで読むものがあるのでまあある程度は絞ってねー。
メインジャンルがあったり共有する相手がいるほうがやっぱり読むスピードが早いからねー、私は量読んでなんぼの資料の平行確認がデフォルトなので、読むのが意味ある類の趣味なので多少は調整してるんですよね。
で、今読んでるのは近代の芸術関係なのです。
なんか文士や出版社読んでると出てくるものの、事情みたいなものがわからないので気になるみたいなところがあってね。
白樺派メインだとがっつりやらなくてはならないんじゃないかなー、と思うものの、私の場合はそんなに深く踏み込む必要もなさそうなので慣れたレーベルの本で読んでおこ、みたいな風情ですねー。
『日本の美術』は出来る限り読みたいですね、あれはとてもいい。
出来れば広く読めるような状態になっているといいのですが、ただ、廃刊になってしまったことそのものはわかる気がします…、あのレベルではね…。

雑誌を手に入れるのはともかくとして、なにかしらの方法で出版社に課金することは出来来るかしら…いや、至文堂さんが生きてるかどうかかからちょっと把握してないから心もとないけど、良いものは報われるべきです、将来に関わる。


3月16日めも。


ところでなんかまた暴走しがちで「今なにを主にやっているのか」ということから進んでいないのですがあれ、新聞読者研究の本を借りて来たのは大正9年の菊池さんの『真珠夫人』が一体どんな扱いだったのかなというのが気になっててね。
明らか新聞全社で反応してると思うんだけど、うーん、本当に大正9年の時点でなのかどうかはちょっと自信がないんだよね。
そこから数年までの間では地位が確定してると見ていいと思うんだけど、どのようにしてのし上がっていったのか、がなんか漠然としていてわからない。
めっちゃ金持ってて当然! みたいな扱いになったのは中央公論の編集さんが日記形式で書いてたのを大正13年の日付で読んでたんですが、まあ、改変はあるみたいだけど、どうも日付単位でしか動かしてないみたいだし、菊池さん死後の本だし大丈夫だろう。
(文藝春秋へのよいしょって可能性は皆無でもないけど<木佐木日記ね。)

というかね、そもそも当時の新聞小説というものがどういうものなのかを把握せずに一大転機となったのだ! ということだけを鵜呑みにしているのも良いことではないのかもなみたいなところが本音ですかね。
新聞近辺を読んでいたら別に新聞小説に対しての教養に関してはあんまり期待してないらしく、漱石さんだけは別(教養があってなおかつ売れるので別扱い)、売れることがまずなによりも大事という、言われてみれば当然だよね? という方針に関しては確認することが出来ました。
よって、文学史で扱ってる可能性は非常に低いし、新聞関係でもそんなにメインでも語ってなさそう、さてそれならばこの辺、と借りたのが新聞読者研究。あるかなー。


3月17日めも。


あとあれ、数日前に呟いていたのですが、大正8年だったかな、菊池さんの…なんだっけ、『新思潮』の第4次の創刊号に送ってさくっとリテイク食らった作品…恋愛題材で、歌舞伎で良かったっけあのあれ。
まあなんだったか忘れましたが大阪毎日にて掲載されまして、その後、舞台化して好評だったんだよん、みたいな出来事がありまして。
それから大正9年にどういうわけなのかさっぱりわからないながら『父帰る』という新思潮に載った同人作品が舞台化され、その大好評の結果、彼の同人時代の戯曲がわらわらわらわらと舞台化されるようになったらしいんですが。
ここの経緯も知りたいんだ。

というか、そもそも商業雑誌掲載にはなんらかの公演が前提だったようなのですが戯曲台本、その暗黙の了解、この出来事のあとではかなり無意味に見えるんだけど、そのせいでなくなった可能性もあるのかなぁ?
時期的にはなんとなく合っていてもおかしくないものの、ちょっと微妙。
前に山本さんと久米さんがごちゃごちゃ話していたらしいことに触れられていたので記憶にあるものの、それ自体がなにに載ってたのか覚えてないんだよね。
岡本綺堂さんのやつはその気になれば探せると思うんだけど(雑誌に載るの大変だったんだよねー、的なことちょくちょくぼやいてた)、これだと時期がかなり古いのでちょっと見つけても参考にならない気がするし。
このルールがないことそのものは中央公論の木佐木日記で読めました、大正13年の時点でもう言うまでもない的な扱いだったんだよね、もう少し絞りたいんだよなぁ…。


3月18日めも。


わにわにっ。
暑いのでズボン脱ぎたいです、というか気温下がってるのに絶妙に汗臭い…。
まあなんというか、なにを読んでいてもわりと菊池さんに関係していることが多いです、というか一人のためにここまで幅広いジャンルを読まされたこともあまり前例がないんだけども、単純に研究がなかったり言及がなかったりだと仕方ないかなぁ。
明治時代に関してはさすがに違うんだけどね。
なのでまあ、戦後に関してはあんまり読んでいないです、出版社と雑誌に関してだけは本が一緒なので読んでることが多いけど。
多いというか文藝春秋が生きてるからそのまま読んでるんだね、うん。
菊池さんが読み始めの原点ではあるものの、他の人たちも当然のことながらそりゃあ大量に出てきます、本当に半端なく出てきます。

結果的に探偵小説に関してはノーマークだったんだけど、探偵小説のご本に出てくると聞いたので読みました、申し訳ないです…推理にはあんまり興味ないよね菊池さん…ということを再確認しました、実録とか実話とか冒険とかはわりといけるみたいなんだけど。
(ファンタジーはいけるものか駄目なものか、しかし馬琴には反応してなかったので微妙かもしれない、あれはファンタジーじゃろ。)
なんか菊池さん、やたら趣味が一貫してるのでだんだんわかるように…。
どうもこう、資料を扱って資料にないところを埋めるみたいな話が好きみたいです。
西鶴はどうして守備範囲なんだろう、僧院ものが好きなのはなんとなくわかったよ、いやスタンダールって多分それかなー、とかもごもごもご。


3月19日めも。


なんか昨日分の雑記までで言いたいことがすとんと落ち着いてしまったんですが、えーと、そうじゃなくて最近やってること、というか最近読んでることだよねもともとは、そうそう、『木佐木日記』というのを読みまして、これがどういうわけか中央公論時代までで終わってたんだけどもなんでだろうね。
その後、改造に雇われたところまで本は続いていたようです。
大正8年に中央公論入りしまして、三人態勢でしばらく続けていて、そのうちにもう一人後輩が増えたよん、みたいな感じで、思ったより少人数。
先輩があれですね、菊池さんの原稿を引き取りに来て載せてくれた高野敬禄さん。
(これが『無名作家の日記』なので聞く人は実際よく聞いてると思ふ。)
よく知らんかったけど芥川の担当なのねー、というか、特に触れてなかったけど菊池さんの担当でもあったのかな、経緯から考えると自然だけど。

というか、中央公論関係の本を読んで改めて思ったけど、やっぱりここ、完全に新人のことを訪ねて原稿の有無を聞くとかってあんまりしなさそうなんだよなぁ。
あ、作家以外だとちょくちょくあったよね。
でもその場合もあれ、正直テーマに沿って依頼する感じなんだよね。
すんごいぶっちゃけて新思潮たちの内情を書いてみない? 的な、お誘いがあったんならまだしもわからんでもないんだよね、それこそその手の作品を書いたんなら載せられるかも的な展開はそこまで不思議でもない(有名人多いから)。
やっぱり芥川がそれとなく紹介したというのが妥当なところじゃないのかなぁ、つか、高野さんもあれ芥川崇拝者なのね…はははは(木佐木さんが明言しとった)。


3月20日めも。


ええと、あとなんだっけ、何冊か編集さんたちの本をピックアップしてるので、編集さんじゃない人もいるかもだけどとりあえず出版社関係の本があるのでそれをちまちま読んでいく予定です、ところで平行して中央公論と改造の編集さんの本を借りたのは本当にやばかったです、一回事情を取り違えて覚えてしまってぐええ…となってた。
ちょっくら混ざったままついったで呟いてしまいましたが、いやうん、大きな間違えじゃなくて良かった、あれだ、中央公論の木佐木さんが補欠で入ったんじゃなくて改造の水島さんが補欠で入ったんだよ、他を取り違えてなくて良かった…。

ぶっちゃけこう、中央公論の木佐木さんもかなり善良な人物っぽく描かれていたんですが実際の日記とのご人格がだいぶ乖離していたとのことで、先行して出版されていた改造の水島さんの回想を意識していたのかなー、と。
しかし彼の場合、結婚相手探してだの、結婚の保証人になってだの、弟子のこと頼むだの、君が組織の長になるんだったら所属してもいいよー、とか言われ放題の出版業界でも有数といってもいいような高い人気を誇っている人だったので、それを意識した人格として書いておいてあんなに粗末な扱い方されてるわけがないじゃない、ということになんとなくうっすらと日記内で気付くという仕掛けになっていました。
なんともまあ、切ない…。
違和感を覚える前に「ネタバラシ」されていたらショックだったかもしれないのでまあそれはそれでいいのかな、ただ、葛西善蔵さんに関してはあれが日記とどう違っていても本当のことだったのではないのかなぁ。
彼が生きていたら、一緒に成長出来たんだろうにね、切ないな。


3月21日めも。


木佐木日記に関して、ぽちぽち。
小川未明さんの可愛らしさがちょっと印象的だったんですが、あれが「うぜー」と思われていたというのはかなり純粋にショックだった…すんすん。
あと、久保田万太郎さんのことを常に軽蔑していたのもさすがになぁ。
ただあれ、いくらなんでも手間掛かりすぎという意味で、悪感情をもともと書き込んでいてくれていればそんな特に違和感もなかったかも。
未明さんに関してだってそうなんだよね、今から思い出すと懐かしいし、可愛い人ではあったんだよね、だが無邪気すぎて疲れるからううん、という書き方にしていてくれれば良かった。
回想という形で出していたほうが全体的に純粋な当人への評価としては良かった気がするんだよね、どうしても。
変な媚びもなかったし、悪く言う時もきちんと当人の領分を守って語っていたんだからあと少しだけ上手くやっていたら良かったってしみじみ思う。
しかしまあ、それだったらそもそも編集時代もなんとかなってたか。
なんか惜しい人だって気持ちが大きいので、うん、やっぱりちょっと惜しいな。

それと彼の日記であれ、関東大震災の時のインテリ下層のだいたいの反応がわかりました、いやん、総合誌の編集が朝鮮人の毒薬投入だの、社会主義者の暴動だの信じてたのか…これ、菊池さんと芥川の会話でも「これ告げたら否定されたのでそうなんだと訂正した」的な文章が残ってるようでね…。
花袋も朝鮮人やっつけてやったと自慢してたとかうん…まあ、うん…。


3月22日めも。


木佐木日記に関して、続き(かっぱわにもみもみ)。
大正8年から始まっているので残念ながら菊池さんが掲載された時点とか芥川との関わりなんかもあんまり載ってなかったんですが、芥川が「毎回態度が全く違う」ので不気味がっていたってのはなんというか納得。
たまーにそれとなく触れてる人もいるよね。

あと、かなりしょうもない話なんですがちょっとだけ芥川に顔が似てる人がたかりに来て菊池さんのことを太っ腹だ! と褒めたたえてたんですけどね(当時はたまにそういう人がいたんだって、いわゆる壮士とかの類?)。
でも確か菊池さんってあとの時代のそっち系統の人たちのたかりは全く相手にしなかったんじゃなかったっけ、自分で出てくから止めるの大変とか言われてたような…と考えていたところでふと、芥川とちょっと似た顔、と表現されていたので「あれ」となりまして、顔が好み系統だったからわりと気楽にお金あげたんじゃなかろうなおい、となりました、わからない、わからないんだけども。
まあ可能性がないでもないのがなんとも言えないよね!!
そういや『半自叙伝』にて芥川とマント事件のガチ惚れだった人、直木さんとがなんとなく並べられていて、なんじゃいこれと思っていたら芥川と直木さんが似てるらしいというのを聞いてへろへろしました。
そんなことを後世に残すのはどういう気持ちなのわからないわ菊池さん!
菊池さんがすっげー金持ちになったのが大正13年らしく、理由は知らん、なんか同年に芥川ともども中央公論の特集号に呼べなくてきりきりしてました、確認取れるかな。


3月23日めも。


木佐木日記に関して、あと雑記が一日分なのでまあ適当に。
うーん、葛西善蔵さんはまあ印象的だったんだけども、あと久保田万太郎さん…あ、そうか、あれです、戯曲がどうもちまちまと流行っているようで真山青果さんがまず書いて当たりを出し、それから小さな流行が起こって白鳥さんが戯曲に興味を向けたよ!! みたいな感じで重要トピックとなっていたんですが。
あとの時代から説明するとなんか白鳥さんが戯曲ブームを巻き起こした! みたいな感じになるらしい、でも久保田さんも佐藤さんも別にそれより前に書いてるっぽいしなぁ、なんかちょっと微妙。
どっちかというと白鳥さんの参加で決定的になったんだよ、というのが無難なところじゃないのかしら。
そもそも真山青果さんは春陽堂と博文館の雑誌にほとんど同じ内容の小説をタイトルだけ変えて同時に載せてしまい、性格の悪さと相まってすっかり干されていたところ、中央公論の瀧田さんに口説かれて戯曲にて復活という算段のようです。
まあ、他のところで読むと瀧田さんが略されてる気配はびんびんするんだけどねー。
ぶっちゃけ、二大出版社から干されて総合誌で復活というのは妥当なところじゃないのかしら、改造は口説いて作品書かせるなんて悠長なことはしないしね。

ただ、略されるのもちょっと無理がないところがあって、作家さんの側がなんか触れていないことが多くてね…。
いや、特定の出版社の名物編集さんとの関係ってあんまり語るところがないか。
中央公論でインタビューしないと出てこないものかもね…、脳内修正しておこう…。

(文アルとか近代芸術、112)
最終更新:2018年08月24日 22:46